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    天生麻菜

    @skypiano_1120

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    天生麻菜

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    自分への尻だたきに。
    5月の叡智で出す綾人蛍のお話。
    綾人さんに許嫁の話がでて、裏に潜まれた策略を蛍ちゃんに許嫁のフリをしてもらい探すことになるが…といったお話。本編は3部構成。本になる時は今まで書いた前後のお話の再録とその後のお話2つを書き下ろし予定です。
    監禁の話でもあるので苦手な方はご注意ください。
    2以降はR-18の内容を含むのでフォロ限にさせて頂きます。

    #綾人蛍
    ayatolumi

    idola1(綾人蛍)equal


     パキン、と固い金属音が室内に響く。
    音を立てて壊れた銀の輪は、無機質に、重力に逆らうことなく床へと転がり落ちた。
     それは、枷だ。自らの首に嵌められていたそれは、逃げられないようにとこの優しく歪な鳥籠に閉じ込めるために付けられていた。突然壊されたそれを、少女は呆然と眺めることしかできない。目の前に立つ淡い水色の髪を持つ男性は静かに愛刀を携えていたが、宙へ手放すと刀は虚空へ光となって消える。
     銀の輪は彼によって破壊された。彼に、付けられたのに。
    「……これで、貴方は自由です」
     彼女を見つめる瑠璃色の瞳には葛藤と執着と、隠し切れない情が見えている気がして。
     この人の瞳は、こんなにも感情がわかりやすかっただろうか、と呆然とした思考のまま少女は思う。
    「依頼を解消します。これで、貴方は私の許嫁のふりをしなくてもいい。こんなところに閉じ込められる理由もーー辱められる理由もない」
     苦痛を、屈辱を堪えるような表情で彼は言葉を紡ぐ。
     どうして、彼はこんなにも自分を責めてしまっているのだろう。
     彼の声以外の音は、この場所には聞こえない。光も届かないこの場所で空を見上げることもできずに2週間が過ぎている。
     彼の忠告に少女は従わなかった。彼からの言葉を跳ね除けて、聞かなくて。彼女の行動を削ぐために行われた行為は、少女の心を抉った。それなのに、何故彼の方が今にも泣いてしまいそうな表情をしているのだろう。

    本当の私を見て。

    ここへ囚われてから、何度も口から溢れそうになった言葉。
    言葉にする前に何度も否定されて、言葉にできなかった言葉。言うことを諦めたはずの言葉。
     気がつけば想いは溢れ出し、ゆっくりと口が開く。
     事の始まりを走馬灯のように思い出しながら。






     目の前で広げられる会議の内容に淡い水色の髪を持つ男性は表情には出さず、内心では辟易とした思いで眺めていた。今行っているのは社奉行として今後の企画や事業の方針を決めるための会議であって下世話な話を広げるための宴会ではない。
    「社奉行も神里様が当主になり、奉行様となられてからとても安定してきています。そろそろ、神里様の伴侶についてを考え始めても良いのではないでしょうか?」
     ある1人の中年男性がそう切り出すと話題はそれぞれの名家の娘達の話題へと変化し、皆が我先にと自分の娘自慢を始めた。押し売りのようなその光景は社奉行当主である青年の不快感を強めるだけであったが、話に火をつけたもの達は全く気づいていない。
     今までも青年の許嫁に、と話が上がったことはあるがことある毎に彼が断れば皆それ以上話を広げることはなかった。それが突然話が肥大化しており、彼がその気はないと口にしても次々に他の娘を勧めてきている。
     これは、何か裏があると思って良いだろう。
     名をあげてくるもの達は現在社奉行の中でも最も信頼が低い者達と言っても過言ではなかった。しかし、親の道具のように勧められている娘達が自身の大事な家族である妹と同年代、あるいは年下であることを思うと更に不快感が増した。
     青年の妹である神里綾華は彼が神里家再興に奮闘した理由の一つである。大事な家族、唯一自分に残された家族を不幸にするわけにはいかなかった。
     今では立派に成長し、神里家の一人として青年の責務を一緒に行っている彼女には、肩書きこそあるができれば自分の慕う相手と結ばれてほしい、と密かに願っている。
     そのためなら、神里家を守るための婚姻ーー感情のない相手と結ばれることも仕方ないとさえ考えている。

    舞い散る水飛沫。
    揺れる淡い金色の髪と花のような白い衣服。

     ふと綾華の友人である、とある少女のことを思い出した。
     妹の友人で、自分とも面識があってーーそして、慕う旅人である少女。
    優しく、無邪気で、不器用で、少しか弱く、しかし勇敢である彼女は相談や協力を求めれば手を貸してくれる存在である。
     そして、その間だけ、少しだけならーー。
    「奉行様、如何なされましたか?」
     考え込んでいた思考が呼ばれたことで現実へと引き戻される。
    「気になる娘でもいましたか?」
     尋ねられた内容に青年は口元に笑みを浮かべて口を開いた。
    「紹介していただいたところ申し訳ありませんが、私は自分で伴侶を見つけたいと思っているんです。もし決まるようなことがあれば皆さんへ通達させていただくのでそれまではどうぞ、お待ちください」
     今すぐに決めることはない、しかし、今後検討していこうと思う。そう伝わるよう話せば周りの者達は溜飲が下がったかのようにそれ以上進言してくることはなかった。
     そうして会合が終わり、人気がない場所へ移動すると青年は自身の隠密部隊、終末番へと声をかける。
    「お呼びでしょうか」
    「旅人……蛍さんへ文を送っていただけますか」






    「あ、旅人さん!冒険者協会に旅人さん宛の手紙が届いてますよ!」
    「ありがとう、キャサリン」
     冒険者協会から請け負っていた依頼の達成報告のため稲妻の冒険者協会へ立ち寄った蛍はキャサリンから渡された手紙の封をその場で切る。手紙についている椿の印から差出人は神里家に関わる人物であることはわかっていた。
    「綾華からか?それともトーマか?」
     蛍の手元を覗き込もうとする小さな案内人に蛍は苦笑しながら手紙を彼女からも見えやすいように位置を変える。
    「ううん、綾人さんからだよ。私個人に依頼したいことがあるからすぐに神里屋敷にきて欲しいんだって。パイモンはどうする?」
    「オイラも一緒に行くぞ!それに神里屋敷に行ったら美味しいものいっぱい食べられるだろう?」
     瞳を輝かせているパイモンに苦笑しつつ蛍はもう一度手紙へ視線を向ける。手紙の文章に少し違和感を感じたのだ。手紙には蛍『個人』に依頼したいと記載されていた。蛍はパイモンと共に行動しているため大体が2人で1人の扱いであることが多い。そんな中で『個人』という言葉を敢えて使われていることに何かの意図があるように感じたのだ。
    「まぁ、聞けばわかるよね」
     そうして蛍はパイモンと共にすぐに神里屋敷へ向かった。何度か綾華に誘われて泊まりに来たこともあり、屋敷内の人達とはすでに顔見知りであったため、入口に着くとすぐに屋敷の中へ案内された。
    「おーい!綾人ー!綾華ー!トーマ!オイラ達だぞ!」
    「お邪魔します」
     案内されるままに屋敷の奥へ進めば、一番広い部屋へ辿り着き、部屋奥の机に向かい筆を握り何かを書き続ける淡い水色の髪の青年、その向かいに正座し蛍達に背を向けている青年と似た水色の髪の少女と雌黄色の髪の青年の姿が見える。
    「お兄様、それはあまりにも危険では?」
    「最近社奉行内でも少々不穏な動きが見られるのは綾華も知っているだろう?芽は小さなうちに積んでおかないと」
    「あ、蛍、パイモン、いらっしゃい」
     蛍たちの声に気付き3人が一斉に視線を移す。雌黄の髪の青年は人懐っこい笑みを浮かべており、水色の髪の少女は蛍の姿を見ると不安そうな表情を見せる。何かあったのだろうかと奥に腰掛ける水色の髪の青年を見れば彼はいつも通りの表情の読めない笑みを浮かべていた。
    「手紙を受け取ってきたんですけど、何かあったんですか?綾人さん」
    「ええ、少々厄介なことが起きていまして。あまり大事にしたくはないんですがやむを得ない状況でした。是非蛍さんの力を借りたいんです」
    「私で力になれるなら」
     真っ直ぐと水色の髪の青年、綾人を見る彼女の強さを彼は眩しいものを見るような眼差しで見ていた。しかし、水色の髪の少女の不安気な表情は未だ晴れず、蛍は首を傾げた。
    「綾華、何か心配事があるの?」
    「当たり前です!」
     蛍の問いに少女、綾華はキッパリと言い切り蛍へ詰め寄ろうとする。
    「だって、蛍さんにお願いするのはーー」
    「綾華」
     しかし、静かな声に静止され綾華はそれ以上の言葉を詰ぐ。突然口を閉ざしてしまった綾華と未だ笑みを浮かべている兄妹の温度差に蛍は戸惑い2人の顔を交互に見た。
    「私から説明させていただきます。というより、私に関わることですからね」
     少し困ったように笑う綾人に、事は大分深刻なのだろうと蛍は察し綾人の正面の座布団へ正座して向き直る。
    「依頼を受けます」
    「…まだどんな依頼か話していないのに、そんなに簡単に決めてしまうのですか?」
    「みんなにはお世話になってますし、困ってることがあるなら手伝いたいです」
     再び真っ直ぐに綾人を見て答える彼女に綾人は一つ、息を吐き出しそして話し出す。
    「貴女は以前天領奉行と勘定奉行の婚姻騒動に出会しましたが、今回社奉行でも婚姻の話題が出ています」
     ドキッ、と蛍の心臓が鼓動を打つ。そのことを表情や声に出さないように蛍は慎重に言葉を選ぶ。
    「社奉行で?一体誰の…」
    「私です。先日行われた社奉行の会議で突然婚姻の話が上がりその話題で持ちきりになりました」
     強調された綾人の言葉に違和感を感じ、蛍はぽつりと呟いた。
    「突然?」
    「ええ、今までまぁ時折上がる事はありましたがここまで露骨に話題にされた事はありませんでした。これは、何か裏があると考えていいでしょう」
     基本、三奉行は稲妻の政治管理を行う要であり婚姻も恋愛は関係なく家同士の繋がりとして行われることがほとんどだろう。先日の九条鎌ニと柊千里の件が異例に近い。ましてや大体は奉行内での名家同士で婚姻を結ぶことがほとんどだ。
    「婚姻相手に名を挙げた名家は社奉行内でもあまり信頼のないというか、まぁ神里家との繋がりが薄いものばかりでした。そして、神里に忠誠を誓う他の家々はその話に全く乗っていなかった。これは少し異常でしょう」
     確かに、社奉行の当主の婚姻相手を探すとなれば社奉行内全ての名家が対象となるはずだ。それなのに、繋がりで名乗りを挙げることに対して差が出ている事は違和感と言わざる得ないだろう。
    「だから綾人さんは、何か別の意図があるって思ったんですか?」
    「ええ、万が一社奉行を揺るがす事態になっては大変ですし、芽は早めに摘むに越した事はないでしょう」
    「そうですね。なら、私は何をすればいいんですか?」
     綾人の護衛、それか稲妻で社奉行内の状況を探る事だろうか。しかし、それは蛍が行うより彼が操る終末番が行う方が早いだろう。
     小首を傾げる蛍を綾人はじっと眺め、そしてゆっくりと口を開いた。
    「実は……私の許嫁になってください」
    「……え?」
     綾人の言葉に蛍は目を見開いて固まる。心臓がバクバクと大きな音を立てて鼓動が早くなっていくのを感じる。
    「……正確には、私の婚約者、許嫁のふりをしていただきたいのです。そうすれば他の家からの婚姻を防ぐこともできますし、許嫁同伴の際にも周りに見せつけることができます。私を婚約させるという目的が起こせなくなった後彼らがどう出るかを見極められる」
     綾華の不安気な顔を思い出す。彼女が危惧していたのはこのことだったのだろう。
     蛍は、綾人に恋心を抱いている。そのことを綾華は知っているし応援もしてくれていた。この件は、ふりとは言え彼の許嫁役として蛍が綾人に選ばれたと言うことだ。それは、信頼されている、という意味ではとても嬉しい。しかし、恋愛感情がないとわかっていながら演技することに心が傷つかないだろうか。
     様々な想いが蛍の中で駆け巡るが綾人に悟られるわけにはいかず、蛍は全く違うことを口にする。
    「私は、稲妻の人じゃありません。他所から来た旅人です。そんな身分のないものが社奉行当主の許嫁にって、周りの人から反感を買いませんか?」
    「その点はご安心ください。貴女は将軍様が認めた方です。肩書きなんてそれで十分です。それに、この件に関して腕が立って信頼ができる女性を私は貴女以外に知りません」
     少しずつ、退路を閉ざされていくような錯覚を覚える。彼の表情はいつもと変わらぬ考えの読めない笑みだ。きっと、蛍の気持ちには全く気付かず彼にとっての蛍は妹の信頼できる親友ぐらいなのだろう。
     自分で思考したことなのにちくりと胸が痛むのを蛍は内心で自嘲する。
    「…わかりました。引き受けます」
     依頼なのだから、彼にこの想いを知られてはいけない。
     蛍自ら課した枷はずっしりと見えない重さで蛍にのしかかった。彼女の返答に綾人はほっと安堵の息を吐いて、蛍へ手を差し伸べた。
    「ありがとうございます。では蛍さん、よろしくお願いします」
     にこやかに差し出された手をおずおずと蛍は握った。


    「神里様、許嫁を決められたと聞きました」
     社奉行の会議が終わると綾人の下に先日自分の娘を勧めてきた男性が近づいてくる。白髪の男性はにこやかな笑みを浮かべているがその内心では何を考えているかは読み取れない。ただ、この話を振ってくるということは噂の真偽を確かめたいのだろう。
     何を企んでいるのか。大凡の予測はできているが調べるに越したことはないだろう。終末番には既に彼等の動向や証拠を集めてもらっている。燻がり様一瞬綾人が目を細めたことなぞこの男性は気が付かなかっただろう。男性の言葉に会議が終わり立ち去ろうとしていた者たちが皆動きを止めて綾人と男性へと視線を移している。
    「おや、耳が早いですね」
     普段と変わらぬ笑みを浮かべてあっさりと綾人が認めれば、男性がぴくりと一瞬眉を動かしたことを綾人は見逃さなかったが言及はしない。ただ、その反応から綾人が知らない誰かを許嫁に決めた、という事実は彼にとっては芳しくないもであることが読み取れる。
    「喜ばしいことですな!どこの令嬢でしょうか?」
     男性が部屋へいる者達へ視線を向ける。その血眼に他の者達は慌てて視線を逸らしている。誰とも視線が合わないことに憤りを感じながら綾人へ視線を向けるが、彼はどこ吹く風というように全く気にした様子もなくいとも簡単に言葉を発した。
    「社奉行の者ではありませんよ」
    「なんと!?なら天領奉行、それとも勘定奉行の!?」
     男性にとっては予想外のことなのだろう。必死に思案している様子を内心でほくそ笑みながら綾人は更に言葉を続ける。
    「いえ、違います」
    「は…?では、一般人ということでしょうか?」
    「どうでしょう、一般人とも言えますし、違うとも言えます」
     煮え切らない綾人の様子に男性は痺れを切らし、詰め寄る様に綾人へ寄る。印象をつけるには、これぐらいが頃合いだろうかと綾人は思案し部屋に隅に控えていたトーマを見る。彼は綾人の視線を受け止めるとすぐに部屋を出ていく。
     部屋に出入り口である扉付近前で綾人がゆっくりと移動する。その間、室内は静まり返り誰もが声も発せず動けずにいた。
    「若」
     再び現れたトーマに声を掛けられ、綾人は室内で固まっている者達を振り返った。
    「彼女のことは誰もが知っていると思いますがーーいい機会ですから、紹介しましょう」
     綾人が扉から少しだけ横にずれると一人の少女が部屋へ入ってきていた。
     淡い金髪に白い花飾り、そして自身が白い花の様なスカートを身に纏った美しく、可憐な少女。
     今の稲妻において、彼女を知らない者はほとんどいないだろう。
     雷電将軍と対峙し、その意向を変えてしまったという異邦の旅人。

    「改めて、自己紹介していただいても良いですか?」

     綾人の横に立つと、そう促される。腰には軽く手を添えられてその行動に緊張とは違う意味で鼓動が早くなるが今はこの茶番劇を行うことへの緊張も強い。しかし、腰へ添えられた手はどこか安心感も感じられて、意を決して言葉を発する。
    「蛍です。以後お見知り置きを」
     上手い自己紹介の言葉が思い浮かばず、思い当たったのは綾人と初めて会った際に言われた言葉だった。彼の真似をしているようで少し気恥ずかしい気持ちもあったがこの場を乗り切るには致し方ない。なんとなく腰を支える手に力が入ったような気もしたが綾人は真っ直ぐに動けずにいる者達を見据えている。
    「皆には彼女が稲妻の環境に早く慣れるよう手助けをしてもらいたい」
     にこやかに告げる彼に誰も言葉を発せず、ただただ手を叩いて祝福することしかできないでいた。
    「では、今日は先に失礼する。行こうか、蛍」
     人前で呼ばれるようになった呼び方に蛍の心臓はとくんと高鳴り、同時にきゅっと締め付けられる。これは演技。好きな人に名前を呼ばれる幸せと、中身のない騙すための演技という事実。真逆の感情に揺り動かされそうになるのを堪えながら、綾人に促されるままに蛍は部屋を出る。綾人に話しかけていた男性が手をぎりっと握りしめたことを綾人は見逃さなかったが何も言わずに部屋を去った。
     会議を行った稲妻城内から真っ直ぐに神里屋敷まで戻ってきて屋敷内に入った途端、蛍は跳ねるように綾人から離れた。演技のためにずっと彼に触れている状態で移動していたのだ。
    『どこで誰が見ているかわかりませんから、神里屋敷外では私の側にいてください』
     事前にそう言われていたため、蛍は移動中も綾人の側にいたのだが城内ではずっと腰に手を支えられ、鎮守の森の辺りからは手を繋いで歩いてきた。
    「おや、そんなに嫌でしたか?」
    「…綾人さん、それはわかってやってますよね?」
    「…ふふっ、許嫁と仲睦まじいことを見せつけないといけないというもありますが、半分は貴女の反応が実に可愛らしいので、つい」
     外で見せるような完璧な笑みではなくて、本当に楽しそうに柔らかく綾人が笑うため、蛍は更に顔を赤くしてしまう。そんな表情を見たら、更に感情が募りそうで彼に伝わってしまうのではないかと焦ってしまう。依頼の初日からこんな様子で、蛍は想いを隠し通せるのか不安になってしまう。隠せなかった時、この依頼の解消、彼との距離感が遠くなってしまうことに傷つくのは目に見えているのだ。決して知られてはいけない。
     ちくん、と胸が痛むことから目を逸らして、蛍は心に刻んだ。



    「社奉行様がご婚約なされるらしいぞ!」
    「相手は!?」
    「将軍様のお客人だと。あの金髪の旅人さんらしい」
    「あら〜、お似合いね!」
     稲妻城内を歩けば、住民たちはその話題ばかりを話していて蛍は顔を赤くして俯きたくなってしまう。
    「こら、顔を上げてください」
     そっと耳打ちされればその声音と吐息が聞こえる距離に蛍は叫びたくなる気持ちを堪えて隣にいる彼を見上げた。城内を歩いている今も周りへ許嫁と仲睦まじいことを印象づけるために、腰に手が添えられている状態だ。
    「だって、綾人さん」
    「まぁ、貴女の性格上割り切るのは難しいでしょうが、役だと思って成り切ってみてください。いつも通りに堂々としていただけると助かります」
     できますか?、とこそっと尋ねられ蛍はおずおずと頷く。依頼を受けたのは蛍自身だ。彼の役に立ちたいのも本当だ。なら、どれだけ心が痛もうがやり切るしかない。
    「あ、社奉行様!」
     蛍たちの姿を見かけた住民が近づいてくる。1人が近づけば、1人、また1人と集まってきており、小規模な人集りになってしまう。このまま立ち止まっては通行の邪魔になってしまうだろう。
    「ご婚約されると聞きましたが本当ですか?」
    「ええ、皆耳が早いですね」
    「おめでとうございます!でも、まさか旅人さんだったなんて驚きました」
    「お逢いした時から惹かれてしまいまして、将軍様に無理を言って許可を頂きました」
     綾人の言葉に若い女性たちからきゃあっと声が上がる。今回の騒動の収集のため偽の許嫁として動く、ということは確かに雷電将軍には伝えてある。彼女は気にした様子もなく蛍や綾人にこの件を一任すると言ったのだ。
    『私はそのまま蛍が綾人と結婚して稲妻にいてくれても構いませんよ?』
     一心浄土で影と話せば、彼女はあっけらかんとそんなことを言い蛍は頭を抱えた。これは、そんな簡単に決めて良い話ではないだろうに。
     2人の馴れ初めを聞こうと人混みが途絶えることはない。確かに2人の仲を稲妻の住民たちに見てもらうのも目的ではあるが、綾人の公務はこの後も残っているのだ。なるべくなら手を煩わせないようにしたい。
    「すみません」
     蛍が声を発すれば一斉に視線が蛍に向く。綾人ですら驚いたように彼女を見ていたが蛍は自分を内心で叱咤し真っ直ぐに彼らを見た。
    「ここで立ち止まっては通行の邪魔になってしまいます。詳しいことが知りたいなら追ってお伝えさせてもらいますので、今は道を開けていただけませんか?綾人さんはまだ公務中なので」
     言葉を選びながら伝えると住民たちは納得した様子で少しずつ散り散りになる。その様子に綾人は蛍の手を握ってみせた。
    「ありがとうございます。私と同じことを考えていただけたようで、嬉しいですね」
     きっと綾人なら住民の話を躱すことなんて容易だろう。しかし、話題が話題なだけにあまり大きな嘘もつけなかったのだろう。
    「いえ、それにできることなら早く公務を終わらせて休んで欲しいんです。ここ最近、しっかり休めていないのでしょう?」
     蛍の言葉に綾人は瞳を瞬き、苦笑を零す。彼が忙しくしているのは、社奉行内部の動向を探っているからだろう。終末番の調査の結果では、綾人に許嫁を勧めていたものたちは自分たちの派閥の娘を嫁がせようとしていたようで、蛍がその席についたことを快く思っていないようだ。それは、予測通りであったが。
    「貴女には頭が上がりませんね」
    「…これくらいしか、今あなたの助けになることができないので」
     許嫁という囮と綾人の負担を少しでも減らすこと。それが今の蛍にできることだ。
    「いえ、蛍が側にいてくれるだけで助かってますよ」
     そう言って、彼は握っていた手の甲に口づける。突然の行動に蛍は悲鳴をあげるのを堪えた。今は、人前なのだ。顔を赤くすることは止められなくても毅然と振る舞わなければならない。
    「社奉行様たち、本当に相思相愛なのね!羨ましいわ!」
     遠巻きに若い娘たちの悲鳴と感嘆とした声が聞こえてきて、蛍は更に顔を赤くした。この日の2人の様子から、社奉行当主とその許嫁は仲睦まじいと稲妻の住民たちに知れ渡ることとなった。



     終末番からの調査依頼書に目を通していた綾人は予想通りの結果に書類を机の上へと乱雑に置いた。馬鹿馬鹿しいと思っていた予想ほど当たっていて反吐が出そうだと思った。
     かさっ、と音がしたため視線をあげると蛍がその書類を手に取って読んでおり綾人は目を見張る。この内容はできれば、蛍には知らせたくはなかったし、知って欲しくはなかった。
    「社奉行当主の許嫁の暗殺計画?」
     全く気にした様子はなく、書かれた書類に視線を落としている蛍に綾人はこれ以上は隠し通せないと判断し、口を割る。
    「私が自分たちの分家の者以外と婚約したと知れば早かれ遅かれこうなると思っていました。だから、私は貴女に依頼を頼んだんです。貴女は私が知る中でとても身の危険の察知が早く、対処ができる女性だったので」
     すみません、と綾人は頭を深く下げる。綾人にはこうなる展開が読めていた。むしろ、そう動いてもらうよう誘導したと言ってもいい。相手から手を出したくなる状況に陥れば、尻尾は掴みやすい。ただ、それは本当に彼女を囮にしていたということだ。彼女に軽蔑されても無理はない。
    「…綾人さん、頭を上げてください。元々私は許嫁のフリをするという依頼でしたし、囮なのはわかってたので気にしてないですよ。むしろ、そこまで私を認めてくださってありがとうございます」
     ゆっくりと頭を上げて視線を蛍へ向ける。彼女は始めから綾人の計画の駒だ。今回の件で頼れる女性が彼女しかいなかったというのも理由の一つではあるが。しかし、それ以外の理由もある。
    「私はこれくらいしか役に立てませんけど、今貴方の助けになれるなら嬉しいです」
     花が綻ぶように笑う蛍がただただ綺麗で、儚くて。本当の許嫁のように、想われているのではないかと錯覚してしまいそうになる。今回蛍を選んだ理由の一つに、今は叶わない想いを満たせるのではないかと思ったことのも一つの理由だった。
     フリだとしても、許嫁として彼女と過ごせたらと。
    「充分助けていただいてます。だから、危険なことがあればすぐに退いてください。決して1人で立ち向かわないでください。約束してくださいますか?」
     綾人の問いに蛍は少し考える素振りを見せて、ゆっくりと一度頷いた。
     そんなやりとりをした数日後、小規模の宴を開くため、社奉行当主とその許嫁に是非出席してほしいと綾人に許嫁をつけようとしていた男性から招待状が届いた。明らかに許嫁の暗殺計画が実行されるであろう場所に蛍を同伴させることを綾人は反対したが蛍は譲らなかった。
    「計画が予定通り進んでいると思わせて油断した彼等から情報を取るのが一番効率がよくないですか?私なら大丈夫です、何かあれば退きますから」
     危険なことがあれば退くこと。それは数日前に綾人と約束したことだ。なるべく約束は守りたいと思っているが目の前で証拠となる現場に居合わせてしまったらどうするかはわからない、と約束を交わした時蛍は瞬時に思ってしまった。ただ、彼の悲しむ表情もその綺麗な顔が歪むところも見たくないとは思うのでなるべく守りたい、とは思っている。
     どう蛍を説得するべきか、綾人は額に手を当てて考え込んでいたが蛍は真っ直ぐと彼を見据えている。その揺るがない瞳に根負けしてゆっくりと息を吐き出すと彼は顔を上げた。視線が交わりその瞳には葛藤の色が見える。事を収束させたい、という思いと蛍を危険に晒すこと。社奉行当主として物事の優先順位をすぐに決められる彼が蛍という友人のためにここまで苦悩している事を、蛍は密かに喜んでしまう。
     蛍の実力をわかった上で危険に晒したくないのだと、それはまるで大切にされているようにも錯覚してしまいそうになる。
     壊れそうなほど繊細なものを触るように、綾人の手が蛍の頬に触れる。間近に見える瑠璃色の瞳が蛍の姿を映し出していて、今彼の視界が蛍だけを映していることに言い表せられない高揚感を覚える。
     だから、そんな苦悩した瞳で見ないでほしい。勘違いしてしまいそうになる。
    「…わかりました。決して、無理をしないでください。私の側を離れないでください。これが条件です、いいですね?」
     念を押すように伝えられた言葉に蛍は首を縦に一度だけ振るが返事は返せなかった。


     宴は夕方より稲妻城内、木漏茶屋に近い屋敷で行われた。綾人が蛍を同伴して訪れれば視線は一気に2人へ集まる。綾人は気にした様子はなくどこ吹く風で蛍の手を引いて大広間の真ん中を堂々と歩いて行く。歩幅は蛍に合わせているため蛍も慌てることなく後をついて行く。上座に移動し振り返れば多くの視線が蛍を見ている。視線の多さに身が竦むが綾人に腰を支えられていることで蛍は堂々と彼の隣を歩くことができた。
     社奉行の当主が現れたことで広間にいる人々は順々に綾人の下へ挨拶に来ており、その度に蛍の事を褒め2人が寄り添う姿がお似合いだと言って去っていく。
     しかし、向けられる視線は好奇心、祝福、感嘆、そして嫉妬と様々な意図を感じて蛍は居心地の悪さを感じた。特に年若い少女たちからは明かな敵意と恨めしいものを感じる。親の目論みはさておき、綾人のような見目麗しく優秀な者は誰でも一度は憧れ、憧れから思慕へと変わる少女も多くいるだろう。
     今彼の隣に立てる至福と、何れは解消される関係であること、いつか綾人はあの少女たちの中から生涯の相手を見つけることになるのかもしれないと思うときゅっと胸が苦しくなるような気がして蛍は胸の前で拳を握っていた。
    「蛍?どうしました?」
     握った手の上から少し冷たい手が重ねられる。はっとして蛍が少し見上げれば、綾人が心配そうな表情を浮かべて彼女の顔を覗き込んでいた。彼を密かに思って接し、そして依頼を受けてから共に過ごした日々を積み重ね、蛍は表情と声音でわかってしまう。彼は許嫁のフリとしての建前ではなく、本気で蛍を心配しているのだ。
     優しくされることは嬉しい。けれど、叶わない恋心が悲鳴を上げているから苦しい。
    「大丈夫です。少し人に酔っただけなので」
    「なら、少し外の空気を吸いに行きましょうか。一緒に行きます」
    「綾人さんが出たら中の方々困っちゃいますよ?私1人で…」
     1人で行く、と伝えようとすれば口を塞がれるように手が触れる。突然のことに蛍が瞳を白黒させていれば、綾人は困ったように苦笑した。
    「蛍、約束を忘れましたか?」
     無理をしないこと、そして彼の側を離れないこと。これが今回同席するための条件だったはずだ。暗に言葉にせずとも伝わった内容に蛍は何度も頷いた。依頼のためとはいえ、綾人を困らせたくてついてきたわけではないのだ。
     手を引かれるままに蛍は歩き出す。周りの視線となるべく合わせないように彼の背中だけ見つめていると、喧騒の中で微かな声が聞こえた。
    「計画……………順調………か?」
    「予想………許嫁の…………は硬くなって…………」
    「えっ…」
     聞こえてきた声に蛍が立ち止まると綾人もつられて立ち止まる。止まったことにより内容が更に聞こえてきて蛍は全貌を把握する。
    「予定通……当主の暗殺計画を……」
     計画は予定通り順調に進んでいるか。予測通りに許嫁の守備は硬くなっている今が狙い時だ。予定通り当主の暗殺計画を実行する。
     今回の騒動、相手方の最終目的は当主の失脚である、と綾人は話していた。そのために、許嫁を自身たちの手のものを当てがい運良く当主が惚れれば操り人形に、ダメなら失脚させるために物事を運ぶのが容易いのだと。蛍という偽りの許嫁が現れたことによりそれができなくなった今、彼等はまずか弱い許嫁を狙うだろうとも。しかし、すでに当主の命を狙っているのであれば、彼等はそれだけ焦っているのかもしれない。
    「綾人さ…」
     彼に伝えなければ、と声をあげようとするのと彼の背後に走り寄ってくる男性の姿を見たのは同時で蛍は綾人の腕を思い切り引き寄せて彼を庇うように前に出る。
    「蛍!」
     ざくりと身を斬りつける音と彼の声がしたのは同時で、少し身を捻ったが躱しきれず大腿部を斬りつけられる。血が流れ、広間にいた者達の叫び声が聞こえる。力を入れると鈍痛が全身を走るが精神を集中させると蛍は虚空から剣を取り出して前方へ雷元素を放つ。
    「紫影!」
     近距離から放たれた元素を男性は避けることができず動きを止める。そこへ追い討ちをかけるように蛍を腕に抱き抱えながら綾人が愛刀、波乱月白経津を現して水影を作り出す。
    「蒼流水影」
     目にも止まらぬ速さの瞬水剣を受けて男性は倒れ込むが綾人はそれでも刀を止めない。本能的にこれ以上の攻撃は男性の生命に関わると察して蛍は彼を慌てて制止する。
    「綾人さん!これ以上はだめです!」
    「……」
     蛍の言葉に綾人は動きを止めるがその瑠璃色の瞳を見れば納得していないことはわかっていた。少しでも身体を動かせば、傷が疼いて蛍は顔を顰めてしまう。その様子に、綾人はやっと愛刀を虚空へと消し去った。
    「トーマ」
    「はい、若」
     控えていたトーマが側に寄るが蛍の傷を見て同じように顔を顰めている。彼等の様子に蛍は苦笑してみせるが2人の表情は変わらず晴れることはない。
    「あとを任せる」
    「御意」
     トーマの返答を聞く前に綾人は蛍を横抱きにして歩き出す。突然の浮遊感に蛍は慌てるが血が彼の服へ付いてしまうことを恐れてじたばたと動いてしまう。
    「怪我をしているのですからじっとしてください。気にせず掴まってください」
     彼の声が少し硬いことに蛍は少しだけ焦りながらおずおずと彼の首へと腕を回して抱きつく。これは、怒られる、もしくはお説教されるのかもしれない、と考えると少し嫌だなぁと思ってしまう。咄嗟のこととはいえ、約束を破ってしまった。ただ、蛍は無理をしたつもりもないし、綾人を守ることができた。
     運ばれたのは屋敷から近かった木漏茶屋で部屋に通されるなりすぐに足の手当てをされた。傷が少し深いが早柚の手助けもあって止血され、綾人の手自ら包帯を巻かれる。大腿部とはいえ普段じっと見られないところを見られていることに恥ずかしさを感じて蛍は視線を合わせないようにしていた。包帯を巻き終わっても彼はその場を動かず、蛍はどうしたのだろうと首を傾げていると、ぽつりと声が聞こえた。
    「…どうして、こんな無茶をしたのです?」
     静かな問いかけがとても悲壮に満ちていて、蛍は一瞬なんと答えて良いかわからなくなったがどうしても伝えたいことがあったため、ゆっくりと口を開く。
    「約束を破ってごめんなさい。でも、後悔はしてないんです。綾人さんが傷つかなくてよかった」
    「貴女が傷ついて、私が傷つかないとでも思いましたか?」
    「綾人さんは優しいから、身近の人が傷つくのを良しとはしないでしょう。でも、それは私も同じなんです。それに、私は貴方の依頼を受けた。だから、しっかりと責務を果たしたいんです。これくらいしか、今貴方の役に立てることが私にはないから」
     ただの異邦人であり、旅人である蛍は稲妻の情勢には関われないし彼の責務の負担を減らすことはできない。けれど、偽りの許嫁として彼の側にいられる今だけでも、彼の負担を減らせて、彼の役に立てればいいと蛍は本気で思っている。
     彼女の言葉に、綾人はゆっくりと深いため息を吐いた。長いそれは、まるで何かを捨て去っているかのようでもあって。
    「……ひとまず今はこのお茶を飲んで休んでいてください。話はまた後ほどにしましょう」
     手渡されたのは温かい湯呑みで花のような香りがしている。見た目は普通のお茶のようで蛍はゆっくりと飲み干す。彼は何も話さず蛍の側にいて、室内は静寂に包まれる。蛍は飲み干したお茶の効果か身体がぽかぽかと温かくなっていくのを感じて、意識を手放した。

    「何故、貴女はそこまで……貴女を守りたいのは、私の方なのに……きっと、貴女は、また同じことをしてしまうのでしょうね。だから……すみません」

     カシャン、と歪な金属音が近くから聞こえた気がした。



     温かく心地良い感覚から蛍はゆっくりと目覚める。視界に映る天井は最近間借りしている神里屋敷の部屋に似ているが違うように見える。違和感を感じながら身体を起こせば右大腿部に感じる疼痛とジャラッという金属音が聞こえた。首元がひんやりと冷たく、また少しだけ重たい感覚がして触れればそこには無機質な感触を感じた。
    「え…」
     それは銀色の首輪だった。鎖で繋がれておりその先はベッドの柱に続いている。そして、目覚めた時から感じていた気怠さと虚脱感。試すように手に元素力を集中させて見るが何も現れない。それだけでこの首輪に元素力を封じる力があることを察してしまい、蛍は更に困惑する。
     ここは、どう考えても神里家に関連する場所であり、室内もどこか彼の香りがするような気がするのだ。何故、自分は今こんな場所で縛られているのか。彼と話していた途中からの記憶がなくなっている、もしかすると。
    「おや、目が覚めましたか」
     静寂の中、耳に馴染んだ声が室内に響く。ゆっくりと視線をあげれば蛍の元へ近づいてきていたのは、綾人だった。
    「…綾人さん」
    「申し訳ありません。ここへ移動するために貴女に飲んでいただいたお茶には睡眠薬を入れていました。どこか気分が悪くなったりしていませんか?」
     彼の問いかけに蛍はふるふると首を横に振ることで答えると綾人はホッと胸を撫で下ろした。その表情は本物であるが、首輪に一向に触れないことは違和感を覚えざる得ない。
    「…綾人さん、この首輪は……」
    「…ああ、それですか」
     そっと首に彼の手が触れる。手袋越しに首をつぅっと撫でられる感触に何故か背筋がぞくぞくしてくる。感じる感覚に蛍が耐えていると彼は薄らと笑みを浮かべた。その表情は常の貼り付けた笑みでもなく、たまに蛍が見た本当の笑みでもなく、仄暗い。
    「貴女は約束をしてもそれが最善だと判断してしまえば己を顧みない。それを悲しむ者がいることを理解していない。だから、貴女を閉じ込めることにしました」
     散歩に出かけましょう、と同じぐらいの声音で伝えられた内容は簡単に納得できるものではなくて蛍は目を見開いて反芻することしかできない。
    「閉じ込める…?」
    「ええ…軟禁、いえ、悪い言い方なら監禁でしょうか」
     それは言葉の細かい違いであって本質的に閉じ込めていることには変わりがない。しかし、蛍が出ていかないよう首輪という枷をつけて、元素力を封じている時点で彼は本気なのだろう。いつもなら簡単に合っていた視線が交わらない。
    「そんな、閉じ込められたら私は依頼を達成できません」
    「彼等は一度貴女に害を為した。炙り出すのにはもう十分です。しかし、貴女を捕まえておかなければまた無茶をしてしまう。もう、傷つくのは見たくないのです」
     そこまで考えてくれているなら、蛍の想いも汲み取って欲しいと思ってしまうが彼を守るためとはいえ約束を先に破ってしまったのは蛍の方だ。言葉を紡げなくなった蛍に綾人は笑いかける。
    「幸い貴女のおかげで事態の全貌がほとんど見えてきています。だから、それまではここでゆっくり療養してください。全てが終わった頃に貴女の傷が癒えていることを祈っています」
     そう言って綾人は部屋を出ていき、室内は再び静寂に包まれた。
     外からの光を遮断するため窓は締め切られており、今の蛍には今が夜なのか、昼なのかの認識も薄くなっている。ただベッドサイドの灯りだけが室内を照らしており、薄暗いこの部屋は世界の終わりとも思えてしまう。
    「どうして…」
     ぽつりと溢れた言葉。蛍の瞳には涙はないが心が、悲鳴を上げている。
    彼を好きだと、本当のことは言えない。彼の足枷にもなりたくない。だから、彼の役に立てる今が彼の側にいられる唯一の時間であるのに。彼の役に立ちたいのだと、その想いすら受け入れてもらえないなら蛍の気持ちはどこへ向かえば良いのだろうか。

    本当の私を見て。私の想いを見て。

    そう言えたら、どれだけ楽だっただろう。想いを伝えられないと自らに枷をつけたのは蛍自身であったのに。
    思慕でなかったとしても、お互いに傷ついてほしくないという想いは同じはずなのに、何が認識を歪めてしまっているのだろう。
     もしかしたら、お互いに目に映るモノが違って見えているのかもしれない。見え方は1つではないはずだから。呆然と項垂れていた蛍はゆっくりと顔をあげる。
     そして、動き出しベッドに繋がれた鎖を引っ張る。
     今は、動かなければ何も始まらない。
     希望も絶望も全て壊して、この閉鎖された空間から抜け出す方法を蛍は考え始めた。


     




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    天生麻菜

    PROGRESS10月神ノ叡智12の新刊の3話目。このお話で終わり+書き下ろしの内容になります。
    綾人蛍綾人で年齢制限あり。
    蛍ちゃん攻め、綾人さん非童貞非処女描写があります。(挿入は綾人→蛍のみ)
    綾人さんと姫蛍ちゃんの政略結婚から始まるお話。
    このお話の続きにも年齢指定入りますが2話目以降は年齢指定ありサンプルはあげませんのでよろしくお願いします🙇‍♀️
    私が私たちであるように 33.私が私たちであるように


    「綾人さん」
     蛍の抱えるものを聞いた日から、綾人と蛍の距離は以前より近いものになった。少しずつではあるが、蛍から綾人に近づいていくことが増えていったのだ。
    「林檎飴の屋台の人から材料が少し足りなくなりそうって手紙が来てますよ。少し調達しておきますか?」
     ただそれは彼女が綾人の公務を手伝うようになり、会話する機会が増えたのも理由ではあるのだが綾人は大きな進展だと思っている。
    「おや、予定量で足りなさそうなのですか?」
    「……実はこの花火大会、社奉行が主催ってことが各国とカーンルイアやアビス教団にも伝わったみたいで。各国からの観光客が二倍に増えてるんだそうです」
    「……なるほど」
     この花火大会は毎年行っており、社奉行が主催していることは特別ではない。ただ今年は、社奉行が――神里家当主である神里綾人がアビス教団の最高指導者であり、カーンルイアの姫君でもある蛍と婚姻を結んだことは当然各国に知れ渡っている。蛍を迎え入れてから初めての花火大会ということで注目を浴びているのだろう。かといって特別何か新しいことを催すということはない、花火は昨年よりも多めに打ち上げるよう依頼はしているが。
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    天生麻菜

    PROGRESS10月神ノ叡智12の新刊の2話目。
    綾人蛍綾人で年齢制限あり。
    蛍ちゃん攻め、綾人さん非童貞非処女描写があります。(挿入は綾人→蛍のみ)
    綾人さんと姫蛍ちゃんの政略結婚から始まるお話。
    このお話の続きにも年齢指定入りますが2話目以降は年齢指定ありサンプルはあげませんのでよろしくお願いします🙇‍♀️
    私が私たちであるように 22.折れた傘をさす


     婚姻が成され、蛍は正式に稲妻で暮らし始め、早くも一月が経過した。初夜を終えた朝、綾人が目覚めた時には、すでに蛍の姿はなかった。ただ、手ぬぐいで軽く清拭された身体に気づいて、彼女の手を煩わせてしまった自負と彼女の変な律儀さに心は掻き乱された。綾人を襲ったことに彼女はある程度の後ろめたさがあるようだった。
    「蛍さん」
     廊下を歩く白い背中に綾人はそっと声を掛けた。きっと、綾人が背後にいたことを彼女は気づいていただろうが。
     毎朝顔を合わせるようになったとしても綾人と蛍の距離はなかなか縮まらなかった。綾人は毎日彼女に声をかけるが彼女の反応はそっけないものだった。ただ、それも少し変化があったように綾人は感じている。婚姻前にあったような、蛍の刺々しさが少しだけなくなった気がしているのだ。それか、単に綾人が彼女の態度に慣れただけかもしれないが。
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