吸血鬼は何に祈り、何に誓うのだろうか。ノースディンは、とうの昔に人間であることを辞めた頭の片隅で考える。
つい先日目覚めたばかりの、吸血鬼としてはまだ赤ん坊同然の我が子を保護し屋敷へと連れ帰ったのは、血を与えた親吸血鬼として当然の成り行きだった。
誓って――――あえて誓うとすれば、クラージィに誓って、やましい気持ちなど何一つ無い。
そう誰に言い訳するでもなくノースディンは、ベッドヘッドに背を預け戸惑った様子でこちらを見る赤い瞳に気付かないふりをした。
再会したクラージィは体が酷く冷たく、どれだけ部屋を暖炉の炎で温め、その瘦せ細った身を毛布でくるんでも末端が冷えるらしく、寝付きが悪い。
ノースディンがそれに気付いたのは、クラージィの目元にくまが出来てからという事実は、思い返す度に無意識下に室温を下げてしまうほどに許し難いことだった。
真面目で清貧を絵に描いたような男は、十分すぎるほどにノースディンに世話になっていると言い、多少のことは我慢してしまう。
吸血鬼とはもっと傲慢であるべきだし、クラージィにはノースディンに安定した衣食住を求める当然の権利がある。
そう説けば、困ったように笑う男に埒が明かなくなり、ノースディンは親として命じることにした。
子の安寧を守るのは親の責務であり、お前は私にその責務を果たさせないつもりかと、半ば脅しのような言葉にクラージィの口を噤ませた。
そうして、クラージィが寝入る明け方前に、彼の冷たい手を温めることが日課として出来上がった。
ノースディンはベッドに腰掛け、クラージィの冷たい手を取り両手で包み、骨ばった指一本一本に念入りに香油を塗り込む。
もうこの行為は初めてではないというのに、クラージィは慣れないのか気まずそうに、だが逆らうことも出来ず大人しくノースディンの手を受け入れる。
冷たい手に血が通い、血色が良くなる頃ようやく手を解放され、クラージィは安堵の息を吐く。
目覚める前は聖職者として生きていて、どうにも人との触れ合いには慣れない。ノースディンの手は心地良いが、それよりも気まずさが先立ってしまう。
だが、あとはもう眠るだけだ。おやすみ、良い夢を。と本当の親のような挨拶と共に額に口付けられノースディンは自室へと帰って行く。
それがここ一月ほど続いたルーチンだ。額への口付けも、最初のうちは酷く戸惑ったものだが、最近では漸く慣れつつある。
だが、おやすみの挨拶を待つが、ノースディンは未だ無言で指先を掴んでいて、ベッドから立ち上がりもしない。
「ノースディン?」
「足も冷えるだろう。出しなさい」
「いやっ、それはいいと以前言っただろう」
クラージィは後退り、シーツに伸ばしていた足を折り曲げると、守るように膝を抱えた。
手をマッサージされるだけでも、これほどまでに落ち着かない心地にさせられるのに、晒すことに慣れていない足までとなると、耐えられる気がしない。
以前固辞し、それ以上は強要されることが無かったから、完全に油断していた。
「クラージィ」
「っ」
静かだが、拒否を許さない声音にクラージィは恐る恐る足を伸ばす。すぐさま毛布を捲られ、思わず呻いた。
クラージィの戸惑いなど意に介することなく、ノースディンはまだ肉付きの悪い脚を掴み、膝へと乗せる。
「冷えているな……」
膝裏に手を入れ、ノースディンは己の体温をクラージィに移すように、ふくらはぎから足首へとゆっくりと手を這わせた。
クラージィのために用意した香油を手のひらに取り、丹念に塗り込んでいく。びくりと痙攣する足を封じて足裏へも塗り込んでいく。
長い放浪のためか、かさつきの足裏にはより念入りに塗り込み、土踏まずを親指の腹で押し込む。
無心に何度となく繰り返すと、徐々に足が温まっていき、ノースディンはつま先を抓む。
「んうっ」
びくん、と震える足と、切羽詰まった声に我に返り、痛みを与えてしまっただろうか、とノースディンは慌ててクラージィの足から手を離し、その顔を見る。
血色の悪い顔は仄かに赤く染まり、眉間に皺を寄せ左手で口元を覆い、もう一方の手で毛布を握りしめていた。
潤んだ赤い瞳と視線がかち合い、ノースディンは呼吸を止めた。
それは時間にすれば数秒の出来事で、ノースディンはクラージィの足を離すと毛布へとしまい込み、立ち上がった。
「おやすみ、クラージィ。良い夢を」
絞り出しだ声は、上擦っていたように思う。まだ片足のマッサージのみの上、日課の額への口付けも忘れてノースディンは足早に背を向けた。
その背におやすみ、と声を掛けられるが、振り返ることは出来なかった。
ばたん、といつもより大きな音を立てドアを閉じた。力が抜け、ずるずるとその場で崩れ落ちそうになりながら、最後の意地でノースディンはふらふらと自室へと足を向けた。
けして。そう、けしてやましいところなど何一つない。ノースディンはそう己に言い聞かせた。