たまには外食をしようということで、仕事帰りに駅直結のショッピングモールで便利モブ三人で待ち合わせすることになった。
フロアマップの前で、何を食べようか、とニンニクの入っている可能性のある料理を即座に却下する三木と、なんでも食べられますと言うクラージィに、せっかくなら普段作らない料理が良いかな、と吉田が返し飲食店のある上階へ向かおうとエレベーターへと歩き出す。
だが、クラージィが通路で突然ぴたりと立ち止まり、先頭を歩いていたにもかかわらず三木はすぐに気付き立ち止まり、クラージィの後ろを歩いていた吉田も続いて立ち止まった。
「どうしました?」
「ア、スイマセン。ナンデモナイデス」
クラージィは少し慌てた素振りで視線を三木と吉田に移すが、二人は先ほどまでの彼女の視線の先を見下ろした。
そこには、女性向けのアクセサリー類のディスプレイがあり、店員のおすすめなのかさまざまな猫のヘアアクセサリーやピアス、ネックレスが飾られていた。
「可愛いですね」
「……ハイ。コノ子、ヒジキチャンニ似テマス」
クラージィが指差す先は、少しふくよかなグレーの猫の飾りが付いたヘアゴムがあり、吉田は頬を緩めた。
「確かにひじきに似てますね」
「本当だ。ヘアゴムならクラさん使えるんじゃないですか?ピアスホールは開いてないですよね。あ、イヤリングもあるのかな」
三木はディスプレイの猫たちを見下ろし、クラージィを見ると彼女は指先にふわふわの髪を絡め、困ったように眉を下げた。
「ア、アノ私、買ワナイデス。ナノデ、ゴ飯食ベニ行キマショウ」
「クラさん、時間ならありますし、気になるものがあるなら見て行きましょうよ」
吉田の言葉にクラージィは嘘も吐けず、誤魔化すことも苦手なため曖昧に唸り、暫く考えるものの、やはりうまく言葉が出て来ずに、思うままを話すことにした。
「体ヲ飾ルモノ、買ッタコトナイデス。必要無イデスカラ」
今度は三木と吉田の二人が唸る番だった。クラージィは二人を困らせてしまったことに後悔するが、己の言語力でどこまで正確に伝えられているかが分からない。
「それは、あの、宗教上の理由ですかね、疎くてすみません」
「ンー……説明チョット難シイ……。consilia evangelicaトイウ教エ、アリマス。贅沢ダメ」
「贅沢……うーん、ヘアゴムは有りじゃないですか?髪を結ぶのに必要でしょう?」
吉田の言葉に、クラージィはパッと顔を上げた。確かに、ネックレスやイヤリングには実用性は無いが、ヘアゴムなら活用する。今までは装飾の無いヘアゴムで髪をくくっていたが、少しくらいの飾りならば良いのではないだろうか、と気持ちが揺らいでしまう。クラージィは再び唸った。吸血鬼に転化してから、己の欲望を抑え難くなっている。ヘアゴムを手に取ってしまえば、抑えが利かなくなるのが自分でも分かり、じっと見ていると背後から長い腕が伸びてきて、大きな手にヘアゴムが収まった。
「俺からクラさんに贈るならどうですか?」
「ソレハ駄目。ミキサン、スグニオ金出ソウトスル、良クナイデスヨ」
全く迷いもなく却下され、三木はしょぼんと肩を落として、吉田は笑いをかみ殺しながら二人を見上げた。
「三木さんとクラさんで交換するのはどうですか?お揃いで」
「オソロイ」
吉田のその提案はあまりに魅力的で、クラージィは瞳を輝かせた。黙っていると厳めしい印象すらある彼女だが、途端に子どものように見えて幼い姪っ子が重なり、吉田は微笑ましくなる。横に立つ三木も小声でお揃い、と呟いていて、妥当な提案だったな、と吉田は内心で頷く。
「オソロイ、シタイデス!ヨシダサンモ!」
「え、僕もですか?」
こんなおじさんが可愛い猫のヘアゴムなんて持っていて良いのだろうか、と三木を見上げるとクラージィ同様に目を輝かせている。ここで『僕はいいです』とは到底言えず吉田も改めてディスプレイを見下ろした。よく見ると、ひじきだけでなく、豆苗や水菜に似ている子もいる。
「そうですね、じゃあ三木さんがクラさんに、クラさんが僕に、僕が三木さんに贈るので良いですか?」
「え、俺も吉田さんに贈りたいです」
「駄目デス。私ガ贈リマスカラ」
再びぴしゃり、とすげ無くクラージィが却下して、落ち込む三木に吉田は曖昧に笑い、それぞれどれにするか選ぶことにした。
「日本ノ夏暑イデス……。駄目、湿気駄目」
吉田の部屋に集まり、ぐったりと今にもテーブルにくずおれそうになるクラージィを、三木はパタパタとうちわで扇ぎ、いつもより高い位置で結われた揺れる髪を豆苗が目で追う。
「ハハ。夏と言ってもまだ梅雨明けしてないですからね。これからが本番ミキよー」
「ツユアケ?う゛ぁ、ーーー」
三木の言葉に、まだ理解の出来ない単語が混じっていたものの、それでも日本の暑さはこんなものではない、と言われたことは分かってしまい、クラージィは呻き項垂れた。結わいた髪を、豆苗がちょいちょいとじゃれるのに、いつもならそれに微笑むクラージィだが、今はそんな余裕もないようだ。
「暑イノハ、我慢デキマス。デモジットリナノハ、嫌デス……髪モモットモジャモジャシマス」
「うーん、そうですね……」
「すいませーん!素麺茹で終わったんで、運ぶの手伝ってくださーい!」
三木が打開策を考えようと団扇をゆるやかに扇ぎ、会話が途切れたタイミングで、キッチンから吉田の呼びかけがあり二人は同時に返事した。先に立ち上がったのは三木で、立ち上がろうとするクラージィを制してキッチンへと向かってしまう。
「すいません、吉田さん熱いの任せちゃって」
「いえいえ……ん、ふふ、三木さん可愛いことになってますね」
見事な安定感で、皿を何枚も同時に持つ三木に感心するが、吉田は三木のいつもは七三分けにされた前髪が、可愛らしい猫のヘアゴムで結われていることに気付き、殺しきれなかった笑いが零れてしまう。家に来た時はいつもの髪型だったから、素麺を茹でている間に結んだのだろう。
「ええまぁ、はい。クラさんも今日付けていたのでお揃いです」
「いいですねぇ、似合ってますよ」
二人でキッチンから戻ると、クラージィの肩に豆苗が乗り、結われた長い髪にじゃれている。
「こら、だめでしょ」
吉田がひょいと抱き上げ、床に降ろすと不満気に一声鳴き、キャットタワーへと小走りに去るのを見送ってテーブルへ大量に茹でた素麺と、薬味を置いていく。
「オ手伝イ出来ズスイマセン……。オ片付ケハ、私ガヤリマス」
「ありがとうございます。でも、お疲れ気味だし、ゆっくりしてもらっていいんですよ」
「イエ、食ベタラ元気ニナリマス」
見るからに暑さや湿度に参っている様子のクラージィだが、食欲は相変わらず旺盛なようで三木も吉田も安堵する。
先ほどまでぐったりとしていたが、背筋をピンと伸ばし祈りの言葉を捧げてから、随分と上達した箸使いで素麺を取り、ちゅるちゅると食べ始める。
「クーラー付けましょうか?それか除湿を」
「う゛ぅ、クーラーモ除湿モ寒クテ駄目デシタ……」
「なかなか難しいですねぇ。除湿器を買いましょうかね」
吉田の言葉に、家電量販店で働いた経験もある三木がお勧めの機種をいくつか説明して、今度三人で見に行こう、と話がまとまり他愛のない話へと続いていく。
「そういえば、今日お二人はこの前買ったヘアゴムお揃いなんですね」
「オソロイ!ソウデス、フフ。ミキサン髪結ブ出来マシタ」
一気に表情をぱぁと明るくし、クラージィは自分の結わいた髪を吉田へ見せようと背を向ける。随分お気に入りのようで、微笑ましくなってしまう。
「ヨシダサンハ、猫チャンノヘアゴム使ウシナイ?」
「僕は結べる長さじゃないので。なので、ほら、あそこに」
指差す先を見ると、飾ってある女の子のフィギュアの腕にヘアゴムがぶら下がっていて、満足気にクラージィは微笑むが、ふと三木と吉田を見てから自分の背で広がる髪のことを思う。
「髪短イ、涼シイデスカ?」
「え、どうだろう、伸ばしたことが無いですからね。三木さんは?」
「俺もずっとこの髪型ですね。直射日光に当たると暑いけど、長いよりは涼しいですかね?」
「ンンー、ソウデスカ……。私モ髪、短クシタイデス」
三木と吉田はぴたりと手を止めて、どちらともなく目配せをした。彼女がここ最近では湿度により広がってしまう癖毛に悩んでいることを二人とも知っていて、六月に入りさらに湿度でより収拾がつかなくなっているようだった。
「似合うと思いますが、短くしたことありますか?」
「ナイデス」
「ちょっと待ってくださいね、俺吸血鬼の方に人気のある美容院調べますんで」
「ああ、大幅に髪型を変えるならその方が安心ですね」
一旦は話を横に置き、箸を伸ばし三人でちゅるちゅると食べ始める。クラージィは、髪を切ったらヘアゴムをどこに飾ろうかうきうきと考え、吉田と三木はクラージィを形作る全てのものに執着しているであろう親吸血鬼を脳裏に浮かべながら、新横浜に季節外れの雪が降らないことを祈った。
そして数日後、くりくりの巻き毛を少し緊張した面持ちで指先で弄りつつも、嬉しそうに切った髪を見せてきたクラージィに、三木も吉田も似合いますよ、とコメントしてクラージィはほんの少し顔を赤らめて微笑んだ。
「フフ嬉シイデス。ア、今度ノースディントモ会イマス。ノースディンモ褒メルシテクレマス?」
クラージィが無邪気な少女のように言うもので、三木と吉田は二人揃って、笑顔を作り『もちろんですよ』と答えながらも、しまい込んだ防寒着を出すべきかと頭を悩ませた。