Tulip 家を買った。
都心からほどよく離れた、けれど不便とも言えない小さな街の隅。
各自の部屋と、広めのリビングルーム。
恋人が「手術室は必ず作れ」と譲らなかったので、こちらも「トレーニングルーム」をねじ込んだ。
水色の屋根に白い壁。小さく……はない二人で生活するには充分過ぎる広さ。
誰が掃除するんだよ?と初日は不満を口にしていた獅子神自身、快適に過ごす数日を経て、今では掃除をすることすら楽しんでいる。
その、家の庭の片隅。
花壇があった。
せっかくだから何か植えないか?と会話したのは、近くのホームセンターに必要な物を買いに行った日。
恋人も同意し、それぞれ、種やら球根やらを購入した。
「さて、と。何から植える?」
休日。
二人並んで花壇の前にしゃがみこみ、地面に種や球根を広げ、問いかける。
「そうだな……」
休日、家でくつろぐ時限定のラフな格好の村雨は、いくつか球根や種を手に取り、袋の裏面やラベルを見ている。
そばに生えた桜の樹の葉の隙間から落ちた木漏れ日が、艶やかな黒髪に影を作る。
「あなたは、何を買ったのだ?」
「ん?オレか?」
問いかけられ、いくつかの球根を手で示す。
「この辺……チューリップだな」
「チューリップ」
「ん。なんか、花壇と言えばチューリップ……?みたいなイメージ無ぇか?」
学校や公園。或いは丁寧に手入れされた、誰かの家の庭。
花壇には、等間隔に並んだチューリップが咲いているイメージが、獅子神の脳内にあった。
赤・白・黄色との、歌の通りに。
「オメーは何買ったんだ?」
訊ねながら、種の入った袋を手に取る。
表に青い花がいくつも描かれた、小さい袋。よく確認すれば、そればかり5つほど。
「ブルーフラワーガーデン……?」
パッケージに書かれた名前を読み上げる。
それに村雨は「いかにも」と、頷いてみせた。
「我々は、園芸については素人だ。その種を一袋撒けば、手軽に花壇が作れるらしい」
「確かに、そう書いてあんな……いろんな花が咲くのはいいかもな」
同意する。
が、気にかかることが一つ。
「にしても……なんで、青ばっか5袋もあるんだ?」
「私が好む色だが?」
半ば独り言のように呟けば、即答される。
隣に目をやれば、真っすぐにこちらを見つめる、眼鏡越しの暗赤色の瞳にぶつかった。
その目が真っすぐに『何を』見ているのかを察した獅子神の顔が、一瞬で熱くなる。
「……そーかよ」
「そうだ」
躊躇いなく頷いてくるのに、ますます顔が熱くなる。
けれど「嬉しい」とは、悔しいので伝えてやらないことにする。
この恋人から、感情が隠せるとは思えないけれど。
「じゃ……こっちの花壇に青い花を植えて、こっちの花壇にチューリップでどうだ?」
「いいだろう。ところで、獅子神」
「あ?」
「チューリップは何色を植えるつもりだ?」
問われ、目をぱちくりと瞬く。
「色?」
「ああ」
特に、考えてはいなかった。
球根にはそれぞれ色のビニールテープが巻かれ、何色の花が咲くかはわかるようになっている。
売っているものすべて、適当な数を調達してきてはいた。
「色、に何か意味があんのか?」
「いや……花言葉、くらいだ」
花言葉。
そう言われ、思い出す。あれは、もう何年前だろうか。まだ恋人になるより前の頃。唐突に鉢植えを押し付けられ、花を咲かせることになった。
日々丁寧に手入れをして水をやり、無事に咲いた花を二人で見た日。
その花の鮮やかな美しさと、花言葉に込められていた意味と託されていたメッセージ。
「……『あなたを誇りに思う』」
「『いつまでもあなたと一緒』」
呟けば、間を置かずに返される。思い出すのは、鉢植えを押し付けられた半ば仕返しに、こちらも鉢を持って訪れた時のこと。
咲く前の花を一目見て名前を当てられたことと、その花言葉に込めていた想い。
今もその頃の鉢植えはあり……寿命で中身を植え替えることになっても、2人とも打ち合わせをするでもなく、同じ花を植え続けていた。
今は二つの鉢は、広いリビングの窓辺に並べられている。
「……で。チューリップは色ごとに違うって?」
「ああ。だからと言って、特に気にする必要も無いが……」
「やっぱ、赤かな」
赤いテープの球根を手に取る。眼鏡の奥の、紅い瞳を覗き込むようにして、笑う。
「ま、オレが知ってる中で1番綺麗な赤は、今目の前にあるけどな」
「……そうか」
淡々と頷く。
いつもと同じ無表情……に見えるその薄い唇が、ゆるく微かに弧を描く。
獅子神にしか見せない、獅子神だけしかわからない、笑い方。
「赤をメインに植えるだろ。あとは……歌の通りならあれだな、あか・しろ・きいろ」
「紫はどこだ」
「紫?そこ。オマエ、紫色好きだっけ?」
「さぁな」
「?……あ」
疑問符を浮かべ恋人を見つめ……その目が、あるものを捉える。
指を伸ばし、不思議そうな顔をするその頭から、ピンっと一本の髪を抜き去った。
「白髪みっけ」
「……せめて抜くなら一言言え」
「悪ぃ悪ぃ」
痛みは無かっただろうが、不満顔の村雨に笑いながら謝罪する。
インナーカラー以外は真っ黒で艶やかな恋人の髪に、時々混ざる白。そこに、時間の流れを実感する。
「まぁでも、オメーももうすぐ四十だもんなー……の割には、体形は全然変わんねーけど」
「それはあなたもだろう」
「オレは、鍛えてんだよ!!」
言い返し、隣の細い腰に腕を回す。目立った運動をしている様子はなく、相変わらず好きなだけ食べ……それでなお、肉は何処に行った?と言いたくなるウエストの細さだ。
「中年太り、とかには全く無縁な体型してんなーほんとによ」
「あなたは、私の体型が変わっても今のように抱くのか?」
「ん?試してみるか?賭けるか?」
「やめておく」
ふわ、と。笑う。
「答えが分かりきってることを試しても、賭けにならん」
「そりゃそーだ」
笑いながら腰から手を離し。代わりに、スコップを手に取った。
赤いテープの巻かれた球根を手に取る。
「今植えたら……アイツらが来る頃までに、咲くかね」
「花が間に合わないだろう……彼らは、明日にでもきっと来る」
「そーか?そもそも、来るのかね」
銀行賭博で出会い、今も変わらず縁が続く三人を思う。
「そう思ったから、あなたは広いリビングを望んだし、アイランドキッチンにしたんだろう」
「オメーこそ、ダイニングテーブルはこれがいいつったの、絶対に二人用じゃねーよな」
そもそも、ゲストルームが三つある。
どれほど掃除に手間がかかろうと、二人が住む家には欠かせなかったあれこれ。
ふと、風が吹いた。
ほんの少しの冷たさを含んだ、冬を予感させる秋の風。
村雨の黒髪と獅子神の金の髪を、柔らかく揺らす。
さわ……と、桜の樹の葉が、葉ずれの音を立てた。
「村雨」
「なんだ?」
一つ。額に、キスを落とす。
軽く驚く恋人に、微笑んで。
「よろしくな、これから」
「……」
何を今更、と言いたげな顔のあと。それでも「お返し」と言うようにキスをされる。
身長差故に伸びをする体制になる身体を、咄嗟に支えた。
「ほら、早く植えようぜ」
「ああ」
「春が楽しみだなー」
もうすぐ、冬が来る。寒い日は二人同じ毛布に包まって、ココアとコーヒーで温まろう。
シチューを作って、きっと肉を沢山焼いて。そうして二人で日々を積み重ねたその先で……
春にはきっと、花が咲く。
***
赤いチューリップの花言葉…『真実の愛』『愛の告白』
紫のチューリップの花言葉…『不滅の愛』『永遠の愛』