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    menhir_k

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    クロディに辿り着いた

    #クロディ
    clodi

    クロディだドン 静かな夜だった。窓の外に眠りの気配はない。陽が落ちてから時が経っているのに、異星の夜はクロスでもラクールでも目にしたことのないような光が洪水となって溢れている。それなのに、それら全ての喧騒は遠く、ディアスが佇む宿の廊下にまでは届かない。透明度の高い硝子戸の向こう側で、寡黙にさんざめく煌めいている。無音の世界でただ、視界だけが奇妙にざわついていた。

    「ディアス?」

     沈黙を破り、名前を呼ばれた。気配に気付いていたので、特に驚くこともなくディアスは肩越しに声の主を見遣った。夜の深い海の色をした髪を肩口で揺らしながら、幼馴染みの少女が近付いてくる。

    「眠れないの?」

     少女の確信めいた問いに、ディアスは小さく首を傾けた。
     眠りの遠い夜は今日に限った話ではない。家族を喪って以来、穏やかな休息とは縁がなかった。いつも通りの、ディアスにとって何も特別なことのない夜だ。だから、今日の夜を特別なものにしている理由は別のところにあると考えたディアスは、少女の問いには答えず逆に問いを返すことにした。

    「クロードのところへ行ったのか」

     問い掛けよりも確信めいた物言いになってしまったな、とディアスは思った。少女も同様に受け止めたのか、碧い双眸それから目を伏せて俯くと首を横に振った。

    「……部屋の前までは行ったわ。でも、何て声をかけたら良いのか分からなくて」

     ノック出来なかったの。消え入りそうな声を溢すと、幼馴染みは苦い表情で微笑んだ。
     赤い大地を踏み締めて臨んだその向こう、そびえ立つ神の名を冠する破壊者達の拠点で起きた出来事を思い返す。足元には巨大な鏡のような、冬の湖に張った薄氷のような床が拡がり、そこに星々を散りばめた海に浮かぶ不可思議な形状の船が写り込んでいた。その船が、巨大な光の柱に何度も貫かれ砕け散る光景をディアスは見た。膝を突いて泣き崩れる青年の背中をディアスは見た。縋るように仇敵に懇願する声は、やがて絶叫となって大きくうねり、そして最後は憎しみとも憤りともつかない怒号が空気を震わせた。精細さを欠いた闇雲な剣を振りかぶり駆け出すその背中を、ディアスは何処か懐かしい気持ちで追い掛けた。遠い星から零れ落ちた青年の父親は、その船に乗っていたらしい。その子細が彼の口から語られたのは、フィーナルから敗走し少なくない犠牲を払ってラクアに辿り着いたその時だった。

    「ただ傍にいてやればいい。クロードがお前に望むことは、それだけだ」
    「ありがとうディアス。やってみる」

     ディアスが思うところを告げると、少女は安堵の息を吐く。だが、夜も更けていたので今日のところは宛がわれた部屋に戻るよう促すと、少女は素直に頷いた。

    「いくらクロードを案じているとはいえ、こんな時間に異性の部屋を訪ねるのもどうかと思うがな」
    「もう。わたしとクロードはそんなんじゃないったら。何度言ったら分かるの」
    「その気がないのはおまえだけかも知れないと言っているんだ」

     小声で軽口を叩き合いながら部屋まで幼馴染みを送る。扉を開けると今日の相部屋らしいリンガの少女が明るい声で幼馴染みを迎えた。彼女に任せておけば問題はないだろう、と判断しその場を後にする。すると、閉まる扉に手をかけた幼馴染みがディアスを呼び止めた。

    「ディアス、クロードのことお願いね」

     何だそれは。言いかけたがすぐに思い当たり、口を噤む。今日のディアスの相部屋はクロードだった。
     扉が閉まる音が無慈悲に廊下に鳴り響く。ディアスはこめかみを抑えた。気まずい。部屋に戻りたくない。今からでも遅くない。幼馴染みを連れて部屋に戻ろう。何なら二人の仲が進展するよう、ディアスは外で時間を潰しても良い。先ほど懇々と幼馴染みに説いた異性と二人きりになる危険性とは矛盾するが、エクスペルには適材適所という言葉が存在する。ネーデにもあるかも知れない。
     ディアスは意を決し、目の前の扉を叩いたが中から幼馴染みと連れ立って出てきた少女にレナも疲れているんだからと一蹴される。それはそうだ。
     結局、とぼとぼと重い足を引き摺って、ディアスはクロードの待つ部屋に向かうことにした。





     おかえり。扉を開け、部屋に戻るなり言われた。部屋は灯りが燈されて明るく、ジャケットを脱ぎ蜂蜜のような甘い色をした髪の下から覗く赤いバンダナも取り去った青年は、いつもと変わらない様子に見える。少なくとも、つい数時間前に肉親を殺され、殺意に塗れた激情に突き動かされるまま剣を振っていたとは思えない程に平静そのものだった。

    「遅かったね」
    「……レナに会ってな。部屋まで送ってきた」

     少し迷ってから、事実を言った。ふぅん、と気のない返事を一つ寄越して、クロードは寝台脇の窓辺から離れる。

    「ぼくはお茶を飲むけど、ディアスは?」
    「貰おう。おまえと同じものでいい」

     了解。短く応えてクロードはサイドテーブルに置かれた水差しへと向かう。エクスペルで見かけるものとは形状の少し異なる水差しは、火を使わずに水を湯に変え、保温する機能があるらしい。それらの機器を抵抗なく扱う、ネーデほどではないが文明の進んだ星に住んでいたクロードの背中をぼんやりと眺め遣りながら、ディアスも自身の外套に手をかけた。

    「レナが、おまえを気に掛けていた」
    「そっか。昼間は怖がらせちゃったから」
    「おまえのことを心配しているだけだ」

     溜め息交じりに言ってやる。すると、瞠目する遠浅の海に似た色の視線とかち合った。

    「オレじゃない。レナが、だ」

     よそ見をしていると溢すぞ。指摘すると慌てた様子でクロードは再びディアスに背を向ける。その背中が、不意に小刻みに震え出した。笑っている。父親の死を目の当たりにして気でも触れたのだろうか、とディアスは思った。

    「ごめんごめん。そうだよな。ディアスがぼくを心配する筈なんてなかったんだ」

     ひとしきり笑ったあと、クロードは言った。
     寝台に腰掛けたディアスに、マグカップが手渡される。中身は暖かいココアだ。対するクロードのカップには、仄かに花の香りの漂うさらりとした液体が入っている。ココアには見えない。同じもので良いと言ったのに、とディアスは小さく息を吐く。声に出して指摘しなかったのは、チョコレートの乗ったパフェを食べるディアスの横に彼が座っていたことを思い出したからだ。

    「……心配して欲しかったのか?」

     代わりに問い掛ける。すると、何故かクロードもディアスの隣に並ぶように座りながら「まさか!」と言って笑った。どうして隣に座るんだ、とディアスは思った。

    「ディアスはぼくを心配しない。だから、こんな夜はあなたとの相部屋が良かったんだ」

     サイドテーブルにクロードはカップを置いた。その指が、そのまま寝台の上で渦巻くディアスの髪に控えめに触れる。女性のように手入れもされていない、長さに見合う傷んだ髪だ。その一房を丁寧に指先に絡め取り、クロードは口元へと運んだ。可哀そうに。目の前で父親をむざむざと殺され、気が触れてしまったらしい。ディアスはココアを啜りながら思った。それから、家族を奪われた直後の自分がどんな様子だったか思い出そうとしたが、上手くいかなかった。

    「ぼくがもっと強ければ、ぼくにもっと力があれば、父さんはあいつらに殺されなかった」

     ディアスの髪に唇を寄せて、クロードは言った。
     そうだ。ディアスがもっと強ければ、ディアスにもっと力があれば、父は、母は——妹は、殺されなかった。

    「でもさ、ぼくがどんなに自分のせいだ、ってぼく自身を責めても、みんなはきっと”クロードのせいじゃない”って言うんだろうな」

     そうだ。レナもそうだった。家族を殺されて、ただ一人のうのうと生き残り自身の弱さを責め立てる男に「ディアスのせいじゃない」と言っては涙を流すような少女だった。

    「そんなみんなの優しさが、多分、今のぼくには何よりつらい」

     つらいんだ。クロードは繰り返して、ディアスの髪を解放した。
     俯く青年の落ちかかった前髪は長く、その表情は伺い知れない。丸くなったクロードの背中越しの窓に、まるで場違いに浮足立った街並みが覗いている。明滅を繰り返す煌びやかな異星の夜は、肉親を喪ったばかりの青年の哀しみに全く関心を示さない。くぐもった嗚咽だけが静寂の支配する部屋に響いている。すすり泣く声に耳を傾けながら、ディアスは口に含んだココアを転がした。寝付けない妹達に絵本を読み聞かせながら飲んだものと同じ味がする。

    「おまえのせいじゃない」

     泣き声が止んだ。
     のろのろとクロードが顔を上げる。涙で濡れた頬に、こめかみに、目尻に髪が貼り付いてひどい有様だった。どうして。戦慄く唇が声にならない声をかたどった。

    「お前の父の死は、おまえのせいじゃない。おまえとオレは違う」
    「何を、言ってるんだ。同じだろ。だって、じゃなきゃぼくは」

     震える声でクロードは間一髪入れず、ディアスの言葉を否定した。縋るような必死さを感じさせた。

    「もしお前に非があると言うなら、あの場にいた全員が同じ責を負うべきだ」

     目尻に貼り付いた髪を除けてやる。何処か幼さを感じさせる大きな瞳が大きく見開かれた。

    「だから、あまり自分を責めるな」
    「……ディアスが、それを言うのか。他でもない、あなたが」

     涙の膜が嵩を増して、青い双眸から零れ落ちる。静謐に絶望しながら青年が流す涙が触れるディアスの指先を濡らした。

    「レナの優しさから逃げたくせに。自分だって許されたくないくせに、なのに、ぼくには自分を責めるなって言うのか。自分に出来ないことを、ぼくにはやれって、あなたは言うのか」

     クロードの手が、ディアスの肩を掴んだ。衝撃でマグカップが滑り落ちて床に転がる。零れたココアの甘ったるいにおいが立ち上った。まだ残っていたのに勿体ない。転がるマグカップの行方を視線で追い掛けながら、吐き捨てるようにディアスは嗤った。

    「そうだ」

     指先を滑らせて頬を撫でる。妹をあやしたときと同じだ。包むように手のひらを添えてやると、驚いたらしいクロードの身体が面白いくらい大きく跳ねた。
     愉快な気持ちになって、そのまま妹を慰めた記憶をなぞる。引き寄せたクロードのこめかみに唇を寄せると、ディアスは言った。

    「おまえなら、出来る」

     息を飲む気配が振れた箇所を通して伝わる。
     丸くなった背中に腕を回して抱え込むと、クロードは小さく身動いだ。だが、それだけだった。ディアスの腕の中から抜け出そうとする様子もなく、大人しく抱かれている。
     裏切り者、と唸るような呻き声がディアスの鼓膜を揺らして夜に溶けた。
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