クロディ追加5 店の外に出ると、斜陽が突き刺さり眩しさに目を細めた。日も傾きかけているというのに、職人の町に立ち並ぶ尖塔のように空に突き出た煙突からは、相変わらず煙が立ち昇っている。
黒煙と西日を受けて輪郭を金色に滲ませる雲のコントラストを見上げるクロードの後ろで鐘の音と共に扉が閉まった。視線を地上に引き戻すと、路地裏にディアスが佇んでいた。会計をしている間に店の外へ出て行ってしまったので、置いて行かれたと思っていたが違ったらしい。
ディアス。名前を呼ぶと赤い双眸がクロードを見上げる。店の出入り口は路地裏より少し高い位置にあって、普段見上げている長身の男のつむじが見える。慣れない位置関係は、クロードを不思議な気分にさせた。
ラクールの武具大会でも、観戦席からディアスを見下ろす機会はあった。だが、そのときより距離も近く、何より彼の目はしっかりとクロードを捉えている。
「今日は付き合ってくれてありがとう」
ディアスに近付きながらクロードは言った。隣に並び、いつものように彼を見上げる。
すぐに赤い視線は逸れて、ディアスの足は大通りに面した宿へと向かう。クロードは置いて行かれないように、慌てて長い髪と外套に覆われた背中を追い掛けた。
「また誘っても良い?」
「もっとおまえといて、楽しそうなやつを誘え」
「え。ディアスはぼくといて、楽しくなかった?」
「楽しそうに見えたなら、おまえの目に映る世界はさぞおめでたいんだろうよ」
ディアスが鼻で笑いながら見下ろしてくる。人を小馬鹿にしたような笑みだ。だが、不思議とクロードは嫌な気持ちになることはなかった。それどころか、表情の固い彼の笑みという物珍しい光景に目が離せなくない。
一際強く風が吹いた。欅に似た木の枝葉が、大きく戦慄いている。梢から零れ落ちる西日がクロードの視界の端を焼いた。
もしかするとぼくはディアスのことが好きなのかも知れない。クロードは思った。
「ディアスは、ぼくのこと抱ける?」
問い掛ける。ディアスの表情から笑みが引いた。眉根を寄せて、怪訝なものでも見るかのように目を細めた彼は、クロードを黙って見詰めてくる。こちらの真意や意図といったものを測りかねたような、探るような、胡乱な眼差しだ。
「ぼくとセックス出来るか、って訊いた」
クロードは付け加えた。ディアスの眉間の皺はますます深くなる。そうかと思えば、急に周囲に視線を巡らせ始めた。
今自分たちがいる場所は、路地裏とはいえ人の往来のある公道であることをクロードは思い出した。
「やめろ」
「その反応を見る感じ、脈はないみたいだな」
分かり切っていたことだ。クロードは肩を竦めた。
「残念。今まで、ぼくをそういう目で見て来る奴が全くいないわけじゃなかったから、イケるかなって思ったんだけど」
「……チキュウの文化は分らん」
「地球の文化ってわけじゃないよ。たださ、ぼくはこの通り母さん譲りのブロンドのかわいいひよこちゃんだ。父さんに手が出せないなら、ぼくの方をどうにかしてやろう、って考える奴らもいたってだけの話」
全部返り討ちにしてやったけど。誤解されると困るので、念を押す。だが、ディアスの眉間には深く皺が刻まれたままだ。
「そもそもオレは、おまえの父親がどんな男なのかも知らん」
吐き捨てるように言われた。ディアスにしては珍しく、「嫌悪感も露わな様子にクロードはたじろぐ。
そんなに嫌がらなくても良いのに。クロードは少しだけ悲しい気持ちになった。
「まぁ、男が同性愛に走るときの心理は、相手を抱きたいって思うより、相手に抱かれたい、ってなるらしいから、ぼくのことを女みたいに扱おうとした奴らは全く違うんだろうけど」
地球でクロードを性的な目で見ていた男たちの目的は、あくまで英雄である父を貶めることだ。その手段として、英雄の延長、その末端を手籠めにし、征服欲、或いは支配欲に似た何かを充たそうとしていただけだ。クロード・C・ケニー個人への情は存在しない。
ディアスは黙り込んでいる。先に続く言葉を促す沈黙ではなく、クロードに何と声をかけるべきか考えあぐねている様子だった。だから、クロードも黙って待つことにした。
やがて、ディアスはゆっくりと薄い唇を開いた。
「オレはオレなりに、おまえを認めてはいる。おまえ個人の実力を」
初めて会ったときから、行動を共にするようになった今も、ディアスのクロードに対する見方は変わらない。その事実に安堵と落胆を覚える。
「ディアスがそんな風だから、ぼくはあなたに認められたいと思うようになったし、その先も望んでみたくなるんだよ」
「……確かに、おまえの置かれていた立場を考えてみれば、英雄とやらの息子という色眼鏡は常について回っただろうな」
だが、とディアスは言葉を切り、細く息を吐き出した。眉間の皺は消えていたので、溜め息ではなさそうだな、とクロードは思った。
「おまえがエクスペルに来てから出会った人間はみな、英雄の息子ではなくただのクロードしか知らない……お前の望む先とやらの相手は、何もオレである必要はないだろう」
「それこそ相応しいのはレナだとでも言い出しそうな口ぶりだな」
半ば予想通りのディアスの言い草がおかしくて、クロードは笑った。
「でも、レナにとっても最初のぼくは、光の勇者さまだったんだよ。英雄の息子が勇者にすり替わっただけだ」
「……まぁ、確かに、レナは、昔からそういうところがあるからな」
歯切れ悪く、ディアスは言った。珍しく、申し訳なさそうな、居た堪れないような表情でクロードから目を逸らして俯く。付き合いが長い分、夢見がちなレナの暴走に彼が巻き込まれたのも一度や二度ではないのだろうな、とクロードは思いを巡らせた。
「だからさ、エクスペルで本当に、一番最初に、ただのクロード・C・ケニーを見てくれたのはディアス、あなたなんだ」
深い、緑の淵に落ちた濃い影を覚えている。苔生した大地が、クロードの斬り伏せた異形の男の流す血を少しずつ吸っていく。その光景を、クロードの太刀筋を、凝り固まった血のように赤い眼が無感動に見下ろしていた。
今は消えてしまった、そしてクロードたちが取り戻さなくてはならない、エクスペルの紋章の森の深部での出来事だ。あのとき、初めてクロードはただの自分を、ただ認められる悦びの片鱗に触れた。その悦びをクロードに教えたのは、今目の前にいる男だった。
「ぼく、ディアスならいいよ。抱かれてもいい」
「オレはごめんだ。おまえ相手に勃ってたまるか」
クロードは言った。ディアスは重く深い息を吐き出して、クロードを置き去りに歩き出した。これは溜め息だ。分かる。
クロードはディアスの背中を追い掛けた。
「えー?ぼく、かわいいのに」
「黙れ。どれだけ弛い貞操だ」
「失礼だな。ディアスだからいいんだよ」
「違うな。自分のことを認めてくれる相手であれば、誰にでもケツを差し出すタイプだおまえは」
断言された。視線も合わせてくれない。酷い。
「誰にもなわけないだろ」
「どうだか」
「後ろ盾があるわけでもない。純粋に自分の実力だけで周囲に認められてきたあなたの強さを目の当たりにして、何もない自分の弱さに打ちひしがれたりもした。だからさ、そんな妬ましいくらい眩しい人が、打算なく認め始めてくれたことが、ぼくはただ嬉しかったんだ」
ディアスだからいいと思ったんだよ。クロードは繰り返した。
ディアスの歩みが緩やかになる。丁度、広場に差し掛かったところだった。宿泊予定の宿はすぐそこだ。町の出入り口がよく見える。
「オレはそんな大層な人間じゃない」
レナから聞いてるだろう。ディアスは言った。過去の、二年前、彼の家族が亡くなったときのことを言っているのだろうな、とクロードは思った。
「それでも、ぼくはディアスへの憧れでここまで来れたと思ってるよ」
ディアスの視線が困惑に彷徨う。夕暮れの気配が迫る日差しが、輪郭を薄っすらと朱色に彩り、双眸は赤みを増して鮮やかな光を宿している。
クロードも言葉に詰まり、ディアスから目を逸らした。そこではたと気づく。
「……さっき、何か見てたよな」
長身の背後に町の出入り口の方を見留めながら、クロードは言った。クロードの言葉を受けて、ディアスも振り返る。そしてそのまま動かなくなってしまった。
「やまとやに入る前。入り口の方、気にしてたろ?」
心当たりを促す為に補足する。すると、ディアスは得心がいったのか、小さく顎を引いた。
「あの天才とやらの家での、おまえのことを思い出していた」
「ミラージュさん?」
紋章兵器研究所跡で、十賢者に対抗する手段を見付けた。反物質を用いた武器の形をした兵器だ。その話を、確かに天才と呼ばれる女性の家でしていた。
「あの女の言うことはオレには何も解らなかったが、おまえとは会話が成立していただろう」
「成立したって言っても、最低限の受け答えをしただけだよ。先進惑星の、それもぼくは軍属だからね。知識だけならあるさ」
「それだ」
「……どれ?」
意図を計り兼ねて訊き返す。すると、ディアスは真っ直ぐクロードを見下ろして言葉を続けた。
「おまえは文明の進んだ世界の住人でありながら、オレを—–オレたちを、見下すことはなかっただろう」
一瞬、ディアスが何を言っているのか解らなくなった。翻訳機が壊れたのかと思った。
「剣などというおまえたちから見れば原始的な武器を振り回して、狭い世界で剣豪だ何だと担がれているオレを、星の海の果てからやって来たおまえは嘲笑うことも出来たはずだ」
「……まぁ、未開惑星保護条約も、あったし」
何とかそれだけを返して、クロードは黙り込む。
文明が進んでいることをアドバンテージに、ディアスを見下すなんて考えたこともなかった。
ディアスの口角が、微かに持ち上がる。
「おまえたちの取り決めだけが理由なら、正体が割れた時点で態度が変わってもおかしくなかった。化けの皮が剥がれるように。だが、おまえはエクスペルを離れても、何一つ変わることなくおまえのままだった」
極彩色の花弁の舞う異界の花園で「おまえはおまえだ」と告げたディアスの声音が、クロードの鼓膜の裏側に蘇った。
「ほんと……ディアスのそういうとこ」
抗議の声を絞り出す。けれどディアスには届かない。本当にままならない。
「ディアス、ぼくで勃たないなら、ぼくに抱かれてくれない?」
「……その話、まだ引きずるのか」
うんざりした様子でディアスが言った。口角は下がり、いつもの仏頂面はいつもの彼だった。
まただ。また、クロードの胸に安堵と落胆という二律背反が去来する。
これ以上話を長引かせたくないのか、足早に宿へと向かうディアスの背中を追い掛けながら、やっぱりぼくは彼のことが好きなのだろうな、とクロードは思った。