ホワイトデー進捗自分の知る試着室と思うと、中で悠々と歩き回れてしまえる程広い空間で、これまた自分の知ってるものより上質な生地が使われているとわかる服に袖を通す。着替え終えてはみたものの、自分から外に出るのは見てくれと言わんばかりで気が引ける。
「どうだ?」
意味もなくきょろきょろしていると、物音が聞こえなくなったからかスラーインが外から声を掛けてきた。待たせるわけにはいかないと、深呼吸してカーテンを開ける。
「これで、いいだろうか」
値段は比べようもないが、普段自ら選ぶものと近しいコーディネート一式。ふむ、と僕のボディバッグを肩からかけたスラーインが頷いた。くるりと鏡へ向けさせられると、背面も眺めてから両肩を叩かれる。
「予想通り似合うな。次も頼む」
「はい、こちらです」
すかさず店員さんに横から差し出された新たな一式を受け取ると、また試着室に戻された。似合うけれど他のも試せということかと、汚さないように気を付けて脱いで着替える。
「どうだ?」
「いいな、次」
「こっちは」
「それも似合う、次」
「何回やるんだ?」
「よし、次」
「……ちゃんと考えてるか?」
「考えてる。これはそのまま着ていこう」
「かしこまりました」
丁寧な所作で服のタグが外されると、別の店員さんから見たこともない大きさの紙袋を受け取っているスラーインのところへ案内される。
「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」
あれ?と首を傾げているうちに美しいお辞儀に見送られて、口を出すわけにもいかないのでとりあえず店を出る。車に向かってすたすた歩いていくスラーインの横に並んで紙袋の中を覗けば、先程着た四着全て、そして僕が元着ていたものもぴっちり並べられ収まっていた。
「……全部買ったのか?」
「あぁ、これだけあれば当面は着回せるだろう」
「もしかしなくても、僕が、だよな?」
「当然だ」
何の迷いもなくその紙袋を車に積むと運転席に乗り込んでいくので、慌てて助手席に乗る。すぐ出発するかと思ったが、ハッとした表情をしたスラーインが顎に手を当てている。その間に今持ち合わせている分だけでも支払おうと、僕は財布を取り出した。
「……鞄と靴も揃えるべきだったな」
「待ってくれ。さすがにそこまで一気に出費がかさむと後が心配だ」
「何故おまえが心配する」
心底理解できないという顔にあるだけのお札を差し出すと押し返されてしまった。
「いや、せめてこれだけは受け取ってもらわないと」
「受け取る理由がない」
「じゃあこれはどういう服なんだ?」
「ホワイトデー」
端正な顔がさらりと告げた単語が僕の知っている単語とは別のものに聞こえて、しばし沈黙が落ちた。
「……今年のバレンタインは、君と一緒に作ったよな?」
「おまえが準備していたものを手伝っただけだ」
なるほど、だからお返しをする必要があると判断したわけか。という説明では到底納得できない金額に頭を抱えた。
「これは三倍返しどころじゃないぞ」
「それ以上贈ってはいけないというルールはないはずだ」
「受け取れない」
「受け取らなくてもおまえの部屋に置いておく」
「君が着ればいい」
「サイズが合わん」
何を言っても打ち返されているうちに、車が発進した。返品も支払いも全く受け付けてくれないし、僕が着なければクローゼットの肥やしになってしまうだろう。
「じゃあ、君が払った分には及ばないだろうけど、僕からもお返しをさせてくれ」
「マカロン」
「ん?」
「シトラリがうまいと言うマカロンが食べたい」
この服達に見合うマカロンを作るには、材料費は如何程かければいいかという考えが頭を過ぎった。
「そんなものでいいなら、喜んで作るけど」
「よろしく頼む」
嬉しそうに口元を綻ばせる横顔はなんだか子供っぽく見えた。彼のような人となると、お金をかけるよりも手作りの方が喜んでくれるのかもしれない。これは気合いを入れて作ろうと、いつ材料を買って作るかスケジュール表と相談する。そうこうしているうちに車が止まったが、いつものマンションの駐車場ではない。夕飯を食べに行くとは聞いていたが、一体どこに行くのだろうとスラーインの後ろからついていくと暖簾付きの入口、を通り過ぎた横の屈まなければ入れないような小さめの穴を潜っていった。
「……っ!」
入った瞬間声が出そうになったがなんとか飲み込んだ。四、五人座れるかというこじんまりした空間だが、上質そうな木を基調とした店内。掘りごたつになっている席の中央には、まな板と包丁、そして強面の大将。所謂回らない寿司だと、つい無知丸出しの感嘆が出そうになって口を押さえた。
「久し振りですねぇ。今回も見ましたぜ」
「そうか、どうだった?」
「目新しい展開でおもしろかったですよ。あんちゃんもすごかったなぁ!」
「あ、りがとうございます」
促されて大将の正面の席に座る。どうやらスラーインの行きつけの店のようだ。買ってもらったセットアップを着ていなければ逃げ帰りたくなるような場所。落ち着かずそわそわしていると、おしぼりとお茶が出された。こういうときにはおしぼりの温かさに心底ほっとする。
「食べられないものはあったか?」
「ううん、大丈夫」
「なら今日は丁度いいもんが入ったんでねぇ。あっしに任せていたたいてよろしいですかい?」
「よろしく頼む」
夕飯どきの時間帯ではあるが、他にお客さんが来る気配はない。それとなく聞いてみると、ここは一日一組限定の予約制だからという。それこそまさにすごいところに来てしまったと身体が硬くなるが、スラーインに背を撫でられた。
「あまり気負わなくていい。今後行くときの参考になればと思っただけだ」
「そうですぜ。なんなら今日は練習だと思って気になることはなんでも聞いてくだせぇ」
ばあちゃんとは人のいる場所より家で僕が作ったものや、デリバリーを楽しむような生活をしていたから、ホテル最上階のレストランも老舗料亭も、どれもスラーインが連れて行ってくれて初めて経験した。尽く奢られて一回も払わせてもらえていないのだが、その分マナーを覚えていけと言われている。今回もそれだろうということで、存分に勉強させうつもりで大将の披露してくれる魚情報を聞きながらスラーインの真似をして食べる。
「んん!」
鯛の昆布締めや穴子、鰹のにんにく醤油漬け、中トロ大トロの半炙りや鮑の食べ比べのような普通の寿司から、茗荷寿司、いくらの酒粕和え、スッポンのスープ、ウニの半蒸しという変わり種もどんどん出てくる。その度おいしいを通り越して唸るしかない味に舌鼓を打つ。食材の組み合わせも然ることながら、何より新鮮なネタがあってこその味だ。これはここでしか食べられない。大将に勧められるままに次々と平らげ、自家製デザートまでいただいてようやくおまかせコースが終了となった。
「おいしかったー!」
帰宅してすぐベランダに出て、途中で買ったカフェのカップ片手に夜景に向かって声を上げてみる。あのお店の周囲は上品な雰囲気が漂ってはしゃぐのが憚られたので、やっと気持ちがすっきりした。どうせなら外で飲もうという提案に付き合ってくれたスラーインが、後ろから小さく笑いながらやってくる。
「気に入ったならいい。あそこは一見お断りの店だからな。次はおまえも予約できるぞ」
「自分で予約して行く日が来るかわからないけど、ありがとう」
手摺に凭れていれば背中からスラーインの腕ごとブランケットを掛けられる。確かに春が近付いてきたとはいえ、まだ肌寒い気温だ。お酒もいただいた僕と違って運転のために控えた彼とでは体感温度も異なるだろう。付き合ってくれる間身体を冷やさないようにとその胸に寄っていくと目を丸くされた。
「そういう意味じゃないのか?」
「……おまえの考えた意味も兼ねているだろうが、そうではない」
「じゃあどういう意味なんだ?」
「さぁな」
謎かけみたいな言い回しをすると、ぶっきらぼうに話を横に流して後ろから抱き締めてきた。
「ほら、寒かったんだろ」
「……もうそういうことでいい」
すり、と髪に頬が寄せられる。カフェ代は僕が出したものの、全身スラーインに買った服に包まれている上、本体までくっついてきている。奇妙な状態に思わず口から笑いが溢れた。
「なんだ」
「今の僕、スラーイン塗れだと思わないか?」
「おまえは、そういうところだ」
「どういうところだ?」
家で一日二人でいることはよくあるが、一緒に出かけたりするのは珍しい。そして出かけるときは決まって必ずいい思い出が増えていく。ホワイトデーなんてここまであまり気にしたことはなかったが、こうして出かけられる口実になるならいい日だなと、飲み終わるまで夜景を眺めながら他愛のない話をするのであった。
「スラーイン、今年は僕に貢ぐの禁止だからな」
「…………何故」
もうすぐホワイトデーだと浮かんだときに、去年のことも思い出して先手を打つと、鳩が豆鉄砲を食ったかのようなきょとんとした顔をされた。先に言っておいてよかった。何も言わなければこれ幸いと贈られたもので部屋が溢れていたかもしれない。
「ただでさえ毎シーズン服とか買ってもらってるのに、これ以上受け取れるわけないだろ」
部屋に備え付けられていたウォーキングクローゼットは、大きさの割に僕の持ち込んだ服の数が少なすぎて最初はとても簡素なものだった。一目見れば何があるかすぐわかったのに、今となっては探すのも一苦労だし、季節ごとに手入れをして衣替えをしなければならない量になっている。去年のホワイトデーを皮切りに理由をつけては買われ続けて今に至る。遠慮しつつも押し切られていたから、さすがにこれ以上甘やかしてはいけないと釘を刺すことにした。
「あって困るものではないだろう」
「君からもらったものだから一つ一つ大事に使いたいんだ」
むんっと今回は譲らないぞと徹底抗戦の構えを見せると、スラーインがしゅんと俯いて小さくなっていく。物理的に小さく屈んでしまった顔を覗き込むように一緒に屈むと、悲しそうな瞳が髪の隙間から見えた。
「俺の唯一の楽しみが……」
「もっと自分のためにお金を使ってくれ」
「使い飽きた」
ついには床に指でくるくると円を描く。こんな典型的な拗ね方をする人がいるのかと疑いたくなるが、普段隙のないスラーインは毎回こういう反応をする。昔からしっかりしていて甘えるということを知らなそうな彼が、僕には拗ねてますの体を見せてくれると嬉しくなってしまう。だがそれで絆されてきたんだろうと頭をぶんぶん振る。
「とにかく!今年は常識の範囲内にしてくれ。僕があげた分の三倍まで!」
「予約しているものはどうすればいい」
それは想定していなかった。今日はもう既に僕達の休みが合う日まで一週間をきっている。
「……キャンセルは」
「構わない。その分キャンセル料を払えばいいだけだ」
言えばそのままキャンセルしてしまいそうだ。この時点でキャンセル料の話が出てくるということは、今回も相当予約が取りにくいところに違いない。それは準備してくれた彼にも、お店の人にも申し訳ない。
「……予約のやつだけなら」
「わかった」
「本当に予約のやつだけだからな?」
「予約のものだけだ。約束しよう」
敬虔な信徒のようにスラーインが片手を胸に当てた。その予約の内容が怖くもあるのだが、こればかりは仕方ないと腹を括って受け入れることにした。
「ここだ」
予約当日。タクシーで連れて来られた場所が銀座というだけでもう嫌な予感がしていたが、店の佇まいを見て僕はやばい金額になると踵を返した。しかし予想されていたのか、こちらを見もせずに腕を掴んで引き留められた。
「約束通り予約のものだけだぞ?」
「絶対受け取ったらダメな気がするからやめておく」
「観念しろ」
背中を押されて中に入ると、様々なネクタイやジャケットが美しく陳列されている。値段を聞かなくても、僕が持っているリクルートジャケットなんか比ではないことが生地を見るだけでわかる。最近ようやくバディDの撮影で質の良いジャケットを見慣れてきたとはいえ、この空気感だけで尻込みしてしまう。スラーインが何やら手続きをしているのを後ろで聞いていれば、紙のメジャーを肩からかけたテーラーの人がやってきて訳も分からぬうちに採寸される。その間にスラーインが生地について話していたらしい。何枚も当てて確認された後に、相談もなく勝手に決めてしまった。どうやら僕の意見を聞かないつもりだ。口を開けばノーと叫びそうだったから懸命ではある。だがフルオーダーのスーツとは別に礼服もと聞こえたときにはさすがに小声で止めに入った。
「スーツだけでいいから」
「折角採寸したんだ。いつ何時機会があるかわからないから持っておけ」
話は終わりだとばかりに屈んで寄せてくれていた顔が離れる。僕が見ていないうちに支払いは済ませてしまったようで、服とは思えない重厚な予約表を受け取って店を後にした。何やら書類が封筒にまとめられている間に桁が違う金額が見えた気がしたが、すかさずスラーインの手に視界を覆われてしまった。店を出てから問い質してみたものの、見間違いだろうとはぐらかされる。
「わかった……本当にこれきりだからな。帰ろう」
回れ右をしてタクシーを探そうとしたが、ぽんと肩を叩かれた。振り返ると立てられていた指が頬に刺さる。
「誰が予約が一つだと言った?」
「えそれは聞いてない!」
「聞かれなかったからな」
上機嫌でスラーインが反対へ歩き出す。そういえば今日は珍しくタクシーでここまで来たのだが、あれはこの伏線だったのか。周りを見渡してみるが間が悪くタクシーが一台も見当たらない。電車という手もあるが、変装しても僕の背の高さだと注目を集めてしまうのでマネージャーから乗るのを禁止されているのだ。ついていった結果は明白なのだが、にこにこ笑顔で手招きしてくる彼の楽しみを奪うのは申し訳なくて、今度こそこれが最後だとその後ろに続くことにした。
「……ここか?」
「ここだ」
この辺りを通ったときに見たことのある金色の不思議なデザインの扉。その脇には警備員さんが立っていて、近付くと扉を開けて中に入らせてくれる。当然中も豪奢で、吹き抜けの階下にテーブルが並べられたホールが見える。てっきり僕らもあそこのうちのどれかに座るのかと思っていたら、案内された先は個室だった。十人分の席くらいは余裕で用意できそうな中で、給仕の人が椅子を引いて座らせてくれる。これは何回かこういう場に連れてきてもらってようやく慣れた。人がいなくなったところで身を前に乗り出す。
「ここならわざわざ個室じゃなくてもよかったんじゃないか?」
格式高い場所においては僕らがいても騒ぎ立てられないし、なんなら著名な人が大勢いて全員がお互いのプライベートに干渉しないようにしている。食前酒のシャンパンを口に含んだスラーインがふっと笑った。
「おまえとの時間を邪魔されたくなかったからな」
普段から年下扱いではあるが、こういうときは対等、いやそれよりももっと大切そうに振る舞われるのは恋人みたいだ。今相当なことを言ったと思うが照れたりすることはなく、きっと同じように連れてきた誰に対してもこういう接し方なのだろう。何だか胸の辺りが重たくなった気がしたが、早速前菜が運ばれてきてそれどころではなくなった。料理が皿の上を芸術的に彩っている。庶民の感覚では理解できなかったこの皿の余白に最近やっと順応してきた。ちらちらと淀みのない所作で食べ進めるスラーインを見て真似ながら、キャビア以外よく聞き取れなかった長い名前のものを口に運ぶ。先程は個室でなくても、なんて生意気なことを言ってしまったが、この拙い食べ方を見られるのは恥ずかしさはあるので感謝しなければ。
「……おいしかった」
フレンチは各皿の量はそれ程なくても組み合わせというか、徒党を組んで胃袋を殴りにくるから全部食べ終わる頃の満足感がすごい。今腹の中ではオマール海老と牛フィレ肉が暴れ回っている。外に出る頃にはとっぷりと暗くなっていることで余計に輝きを増している金色の扉を背に、夜道を進んでいくスラーインの横に並んだ。夜道とはいえ、街道の両脇からビルの明かりが照らしていて暗さは感じない。世間的に言えば平日であるため休日より人通りは疎らな上に、大通りから一本外れているこの場では更に少ない。今のうちだと隣の腕に抱き付く。
「どうした?」
驚きの表情を浮かべたのは一瞬で、大通りに向かっていたであろう動きを変えてすぐに角を曲がった。こういうときでもスマートさを発揮してしまうのが面白くなくて手を離すと、今度はスラーインから肩を抱いてきた。コース料理のペアリングで出されたワインを二人共全て飲み切っていたから、酒には強いとはいえほろ酔い状態なのだろう。正直自分でも何故あの奇行に出たかは説明できないが、伝えたいと思ったことはある。
「その、あんまり高いのは受け取れないって思ってただけで、服もご飯も嬉しかった。ありがとう」
申し訳なくてなるべく貰わないようにという考えばかりが先行していて、ちゃんとお礼を言えていなかったと感じたまま素直に笑ってみせれば肩を抱く手にぐっと力が籠った。首を傾げて見上げると、視線を逸らしたスラーインを天を仰いで長く息を吐き出した。
「……もう一件バーにでも行くか」
「行かないぞ。それ予約してないやつだろ」
「今から予約すれば」
「今年のホワイトデーはこれにて終了でーす」
もう日付にも大して拘っていないので、ホワイトデーというよりはスラーインが僕に遠慮なくお金を使うデーになっているのだが、それも今年で終了かと思うと少し寂しい気持ちになるのであった。
「ただいまー」
「おかえり」
リビングに続くドアを開けて顔を覗かせれば、スラーインが何かをじゅうじゅうと焼いている。基本僕の帰る時間について何も言わない彼から、今日は真っ直ぐ帰って来い、帰る前に連絡しろと指令が出た。言われた通りに連絡をしていたから、帰宅に合わせて何か夕飯を作ってくれているのだろうとわくわくしてしまう。少し前まで怒涛のスケジュールが詰め込まれていたから、こうして夜二人でゆっくり過ごせるのは久し振りだ。いそいそと部屋着に着替えて戻ると、スラーインに案内されテーブルの椅子に座らされた。そこにどんどん料理が並べられていき、中央にデミグラスソースハンバーグが置かれる。写真で載せられているような綺麗にふっくらとした形で、食べる前から口の中に一気に唾液が出てくる。
「今日はどうしたんだ?」
「ホワイトデー」
年々不定期開催になっていくイベントが、今年は今日開催されるらしい。真っ直ぐ帰って来いと言われただけで色々な期待はしていたが、ホワイトデーだと教えてくれていたらもっとテンション高く帰って来たというのに。貢ぐのを禁止したので、今回はこうして手間暇かけて作ってくれたのだろう。時間を使わせて恐縮してしまうが、スラーインのご飯はどれもおいしいのでたまらなく贅沢なお返しだ。
「先に食べているといい」
「できれば一緒に食べたいんだけど、ダメか?」
「ダメなわけがないだろう」
先にある程度片付けておくつもりだったのかもしれないが、適当にざっと寄せた音がしたと思ったら向かいに座ってくれた。
「いただきます!」
冷めないうちに早速メインのハンバーグを切ると肉汁と一緒にチーズが中から出てきた。
「ん!」
ソースを絡めて口に入れると想像以上のおいしさで、目を輝かせてスラーインを見ればくくっと喉を鳴らして笑われた。
「ゆっくり食べろ」
そう言いながら自分の分の一番おいしい箇所であろう真ん中を切って突き刺したフォークをこちらに向けてくる。それはできればスラーインに食べて欲しいとも思うのだが、これまでの経験上僕が食べた方が喜ぶのでぱくりと食べてみせる。すると幸せが滲み出したような表情を浮かべるので、こちらが嬉しくなってしまう。ただでさえおいしいハンバーグがこれで更においしくなるのだから不思議な魔法だ。
「おいしい。ありがとう」
「あぁ」
会えていなかった分、何があったここでこうしたという話を次々にしていれば、あんなにあった料理がぺろりと全て腹の中に消えてしまった。
「すまない。明日の分に残しておけばよかっただろうか」
「食べ切るだろうと思って作っていたから気にしなくていい」
片付けようと立ち上がろうとした僕の両肩が押されて座り直させられた。スラーインが着々と片付けてデザートまで持って来てくれた。またスラーインが座るまで待っていると、いつの間にかこの空間から姿が消えている。
「あれ、スラーイン?」
「呼んだか?」
つい声にしたら廊下に続く扉が開いた。
「ごめん、あの一瞬でどこに行ったのかと思って」
理由を説明しながら、目はこちらに向かってくるスラーインの手にある紙袋に向いてしまう。彼が愛用しているブランドロゴが刻まれたショッパー。これはもしやとじとりと見詰めれば目を逸らして頬を掻いた。
「これはただ単純におまえに似合うだろうと思って買ったものだ。渡す機会がなかっただけでお返しではない」
そう、ホワイトデーの高額お返しが禁止になっただけで、日頃の買い物については別枠なのだ。どうせならとそちらも禁止するつもりだったのだが、それはどうしても譲れないとスラーインに押し切られてしまった。実際頑なに断ったとき、僕に贈ろうとした形のままで部屋の片隅にしばらく置かれていたのを見て折れるしかなかったのだが。このプレゼントも僕が開かなければ日の目を見ないだろうと、ありがたく受け取らせてもらうことにする。
「ありがとう。中を見てもいいか?」
「好きにしろ」
開けてみると揃いのデザインの財布とキーケース。なんとこれで普段僕の身の回りのものは全てスラーインから贈られたもので構成できるようになってしまった。たぶん彼は被らないようにしただけで狙ってはいないはず。また知り合いに会う度に、スラーインから貰ったのかと尋ねられる要因になりそうだが今更なので気にしないことにする。
「ありがとう。大事に使わせてもらうよ」
「そうしてくれ」
貰った僕よりも嬉しそうな微笑みを浮かべる。その純粋な笑顔を裏切ってしまうようで居た堪れない気持ちになってしまうが、言うならここだと離れていこうとする服の裾を掴む。
「寝る前に君の部屋に行ってもいいか?」
多忙により久しく行っていなかったので確認をとる。だがこのお願いを断られたことは一度もないので、確定事項のつもりで告げたのだがスラーインが顎に手を当てて考える仕草をした。これは初めて拒否されてしまうだろうかと一人でショックを受けていると、顔に出てしまっていたのか頭をくしゃくしゃと撫でられた。
「断るわけではない。今回は俺がそちらの部屋に赴こう」
「僕の部屋?」
「嫌か?」
「嫌じゃない!」
「そうか。なら先に風呂でもどうだ」
「行ってくる!」
給湯器のリモコン表示で用意してくれていることはわかっていたので、紙袋を抱えたまま浴室まで走っていく。そこで体良く後片付けをしないよう追い出されたことに気付くが、それどころではない。紙袋を置きに一度部屋に戻るついでに粗方部屋を片付けてベッドを整える。スラーインの部屋より狭いベッド。ここであの淫らな行為はしたことがない。これまでは場所が違ったから思い出さずに眠れたが、今度から僕はここで寝れるのだろうか。そんな心配が過ぎるが、もうこのベッドがすごくえっちに見えてしまって、内心叫びながらまた浴室へと走っていった。