甘やかしてもらいたくて仮病使う凛ちゃんの話(いさりん)「大丈夫かー凛」
潔が部屋に入ってきた。よく見えないが、きっとすごく心配した顔をしているんだと思う。声が優しい。今日の潔は、めちゃくちゃ優しくしてくれる。
「顔真っ赤だなー。あとで冷えピタ買ってくるからな」
水を置いて立ちあがろうとする潔の服の裾を弱い力で掴む。
「いさぎ、行くな、どこにも」
ここにいろ。最後は声が小さすぎて聞けていなかったかも。潔は一瞬止まったあと、ガバッと覆い被さってきた。
「行かないよー!こんな弱ってる凛置いて、どこにも行くわけないだろー!?」
布団の上からだけど、ぎゅうぎゅう抱きしめてくれる。やばい。今日やばいぞ。ぶりっ子攻撃が潔にまともに通っている。なんと潔は今日、仕事を一件キャンセルして今ここにいる。土曜日だけど、サッカー教室のコーチだか、サッカー番組だかの仕事が午後入っていたはずだ。サッカーに関することならば、自身が不調だろうとなんだろうと遂行しようとするあの潔が。俺のために。
先にネタ明かししてしまうと、俺は風邪なんか引いていない。酔っ払っているだけだ。俺はとても酒に弱くて、少し飲んだだけでも真っ赤になってしまう。頭ははっきりしたまま、行動が制御できなくなるタイプの酔い方をする。今だって、手も足も言うことを聞かない状態だ。
どうして具合が悪いふりをしているのか。きっかけは昨日の昼休み、気心知れたモブに言われた一言。「そんなんじゃ潔さんに愛想尽かされちゃうよ?」だ。
愛想つかす?まさか。あんたは潔がどれだけ俺にメロメロか知らねぇだろ
でも潔さん皆に優しいじゃない!糸師さんだけじゃないんだから!潔さんすごくモテるから、他の人に取られちゃうよ!
あいつにとって、俺以上に魅力的な人間が存在するもんか
そういう態度がダメなんだって!これ見てもそう言える?ねぇ、最近デートしてる?会話してる?ちゃんと大好きって伝えてる?
モブが突きつけてきたのは週刊誌だった。潔選手熱愛発覚。潔がこういう内容で見出しを飾ることは、今までだって何度もあった。潔はお人よしだし、八方美人だし、付き合いがいい。こいつが言う通り潔は誰にでも優しいから、勘違いされる、そして定期的に週刊誌にすっぱ抜かれるのだ。もちろん気分がいいものではない。でもそのあと、潔が焦って否定して俺の機嫌を取ってくるのが、案外心地良かったりする。
しかし、今回の記事を見て俺は、平静を保っていられなかった。だってこの記事のことは、知らされていない。本人が知らないわけがないのに。当然、詫びも入れられていない。それに、相手の女性の雰囲気が、なんとなく俺にそっくりだったのだ。潔より背が高くて、黒髪でストレート、心なしか服装の趣味も俺に似ている気がする。俺に姉か妹がいたらこんな感じか。こいつ、サッカーやってたらどうしよう。敵わないかもしれない。
俺、振られるのか?こいつに潔を取られるのか?狼狽える俺に気心知れたモブは、よく話し合って、それから可愛げのない態度を改めた方がいいよ、と言って席を立った。
帰宅すると俺は、すぐさま家事を全て済ませた。俺はサッカーがうまい上に家事もできる。こんなやつ、なかなかいないだろう。潔だって自慢に思っているはずだ、こんなできた恋人を持って。うまい飯も作った。潔が帰ってきたら俺の作ったものを食わせて、褒めさせてからとことん話合おう。いや、たくさん文句を言ってやろう。そう意気込んでいた。
ダイニングでずっと待っていた。けれどなかなか帰ってこない。待ちくたびれた俺は、いつの間にかテーブルに突っ伏して寝てしまったらしい。目が覚めたのは午前5時。慌てて料理にラップをかける。俺も手をつけていないため、丸々残っている。全部ダメにしてしまっては流石に勿体無い。周りを見回すが潔は帰ってきていないようだ。あの野郎、本当に浮気しているのか。もうどうでもいい気がしてきた。やぶれかぶれだ。俺は、潔が酒を隠しているクローゼットに手を伸ばした。
結局潔が帰ってきたのは朝9時。俺は4時間、ダラダラと飲んでしまった。下戸なのに。顔は真っ赤だし、足は全然言うことを聞かない。缶を持つ手も震えている。潔の「ただいまー」という声を聞いて慌てて空瓶や空き缶を片付けた。間一髪のところで隠せた。が、リビングに向かおうと立ち上がろうとした時、足に力が入らず勢いよく尻もちをついてしまった。潔が慌ててこちらに駆け寄ってくる。
「凛!大丈夫か?は?!」
「いさ、おそかったな」
「凛?凛、どうした?」
お前がどうした?膝から崩れ落ちたかと思ったらいきなり俺を抱きしめる潔。そして俺の額にでこをくっつけてた。近い近い。最近キスもしてないから、突然こんな至近距離は緊張する。
「熱あるじゃないか!顔も真っ赤だし、フラフラしてる。脈も早いんじゃないか。くそ、連絡くれれば早く帰ってきたのに!」
熱?あ、風邪引いてると思ったのか。
「ベッド運ぶからな。夕飯、待っててくれたのか……それで風邪引いちゃったのか?」
俺が声を出さないからどんどん勘違いしていく潔。早く誤解を解かなきゃ、と思うのに酔っ払ってるから言葉が出てこない。
「今日一日そばにいるから。思う存分甘えろ、な」
予定変更。このまま具合悪いふりをしよう。もしかしたら振られる前の最後の思い出になるかも知れない。そうだ、目一杯世話焼いてもらおう。最後に全部嘘だったって言って、嫌われよう。
「頭痛くないか?」
「大丈夫だ。いやちょっと痛いかも知れない。もっと撫でてくれ。髪を掬う感じで。そうだ」
「おかゆ作ったけど食べれる?冷蔵庫の鯛ダシ勝手に使ったよ」
「アーンしろ」
「へ?」
「手が重い。フーフーしてから口に運べ」
まるで凛は子供に戻ってしまったようだ。幼い子のように扱えと要求してくる。でも正直、可愛くて仕方ない。ゆっくりであまり呂律の回っていない喋り方、伺うような上目遣い、だるさゆえか緩慢な動き。それに俺がどんなふうに触っても嫌がらない。最近は凛の冷たさに辟易し距離を置いていたから、倦怠気味だったことも相まって胸の高鳴りがすごい。
「病院は……午前診療間に合わないな。午後は15時からだったか。市販薬何飲ませたらいいかな」
「薬、のまない」
「そんなわけにいかないだろ。咳は出てないよな。お腹は痛い?吐き気する?」
「のまない、いかない」
凛が、慌てた様子で頭まで毛布をすっぽりかぶる。
「わがまま言わないで。元気になったらなんでもおねだり聞いてあげるから」
「いつまで。ずっと一緒にいるかなんて、わかんないだろ」
「ネガティブになっちゃった?大丈夫だから」
「キス。キスしろ。そしたらよくなる」
「えー?じゃあほっぺね。ほら可愛いお顔見せて?」
怯える小動物のように様子を伺いながらゆっくり顔をのぞかせる。俺はあまりの可愛さに吹き出しながら、凛のほっぺに唇を寄せた。
「今のでなおった」
「そんなばかな。目、トロンってしてる。眠いの?寝ていいよ」
「て」
「て?ああ、手ね。眠るまでずっと握っててあげる」
「起きたとき離してたらころす」
「はいはい、わかりました。おやすみ」
握っていた凛の手の力は少しずつ弱くなっていき、やがてストンと真下に落ちた。俺は手を掴み直し、布団にしまってやる。寝顔を見ていたいが、ゆっくりはしていられない。起きたらすぐ病院に行けるように準備しなくては。まずは片付けするか、と台所に向かい、そこで違和感に気づいた。
「凛のやつ、どんだけ酒飲んだんだよ」
ゴミ箱の後ろに置かれた大量の空き缶、空瓶を見下ろしながらため息をつく。
看病している途中から、ちょっと様子がおかしいなとは思っていたのだ。過去に一度、凛がインフルエンザをもらってきたことがあった。その時は、感染るから近寄るな!飯なんか一人で食える!勝手に病院に行く!仕事行ってこい!とろくに看病なんかさせてくれなかったのだ。それなのに今回は、素直に世話を焼かせてくれている。これは一体全体どう言うことか。理由は簡単、風邪なんか引いていないからだ。
「かまってほしかったのかな」
空き缶を一個ずつ潰し、空瓶を軽く濯いでいく。だって最近の凛は、なんていうか、感じが悪かったのだ。単純に。まるで女王様。愛されるのが当たり前だという態度。俺は焦ってしまった。凛が正しく自分の魅力に気づき、俺と見合っていないことに気づいてしまったのかもしれないと。サッカーをしない俺は、ただの、普通の男だ。見た目が特段いいわけでも、気がきくわけでもない。サッカーをしている俺は誰にも負けない自信がある。けれども凛と過ごす大半の時間、俺はただのつまらない男だと自覚している。いつまで俺と一緒にいてくれるのか。俺が釣れない態度を取り続けたら、凛はそのまま離れていってしまうのだろうか。
いや、そんなことより、とこの度の凛の謎行動を振り返る。ふと、俺はあることに引っかかり、首を傾げた。
暗闇の中、目が覚めた。手は繋いでいない。両手を重ねた状態で左頬の下敷きになっている。
「いさぎ」
声を出しても返事はない。出ていってしまったんだ、いよいよ捨てられたのだ、俺は。いい子じゃないから?ふと、あの雪の日の兄貴の背中が脳裏をよぎり、涙がとめどなく溢れてしまった。
「あ!凛起きた!ほら熱測れ!」
「や!いやだ!さわるな!」
「うるさい!抵抗すんな」
嫌がる俺を無視して潔が俺の脇に体温計を突っ込む。これはまずい。だって熱なんかあるわけないんだ。仮病なんだから。冷や汗がダラダラ流れる。頭も痛い気がしてきた。グラグラする。とにかく涙が止まらない。
「泣くなよ、凛。俺がついてるから」
弱ってるだけだから、と言い涙を拭いてくれる潔。
「うそつき。俺を捨てるくせに」
「捨てるわけないだろ。そもそもお前が俺のものだったことなんかないじゃん」
「て、もっててくれなかった。うそつき」
ピピと音がなって体温計が引き抜かれる。結果を見た潔が驚いたように目を見開いている。バレたんだ。もういいか。
「もういいだろ。俺のことなんか、放っておけよ」
「放っておけるか!すぐ病院行くぞ!いや救急車呼ぶか?!」
「は?」
突然潔が騒ぎ出した。なんだ、何が起きてる。
「潔?おい、落ち着けって」
「落ち着いていられるか?お前、熱すごいあるじゃん!!」
なんでさっさと薬飲まねんだよ!いやそれより病院!土曜の夜開いてるとこってどこだ?
熱なんかあるわけないのに。
「熱、ない」
「あるんだよ!よく見ろ、って見えないの?目ウルウルで?可愛いね。じゃなくて!この体温、男の生殖機能死ぬ体温だからな?!まぁお前は出なくてもいいのか。いいわけあるか俺のばか!」
もう潔が何言ってるかわかんない。
「おこるな、いさぎ」
「怒ってないよー!?ごめんね!怖かったよね?よしよし、大人しく病院行こうな」
潔が寝ている俺の体の下に腕を入れ、持ち上げた。体が浮いた瞬間、俺はブラックアウトした。意識が途切れる直前、いい大人なのに大泣きする潔の喚き声が微かに聞こえて、俺はなんか、満足した。
「なんで、仮病なんて。いや実際風邪引いてたけど」
俺は病院のベッドの上、うさぎりんごを齧りながら憔悴しきっている潔を眺めている。風邪をこじらせただけだったが、大事をとってしばらく入院しろ、ということになったらしい。大丈夫なのに。
「風邪なんかひいてない。酔ってただけだ」
「酒飲んだだけであんな弱るわけないだろ?!あの日一晩中飲んでたの?ご飯も食べず?あんな薄着で、寒い部屋でずっと俺のこと待っててくれたの?かわいそうに。そもそもおかしかったんだよな。たくさん酒飲んだとしたって、そんなに長い時間アルコール抜けないないんてことないよな」
「自惚れるな。待ってなんかない。ただ、お前と別れ話をしようと」
「だから!なんで!別れるってことになってるの?」
潔が布団をバフバフ叩く。うるさいですよー、ここ病院ですよーと看護師さんに声をかけられるが、聞こえていないだろう。
「俺、別れたくないよ、凛」
「女がいるんじゃないのか?それじゃなくても、もう俺のことどうでも良くなってるんだろ。だから最近全然触ってこないし、フライデーされても詫びも入れない」
「だって凛、イチャイチャしたくても冷たく返してくるし、感じ悪いから。フライデーって何?俺知らない」
「〇〇ホテルに黒髪の女と入って行ったって」
「〇〇ホテル?知らな、あ、それ凛のお母さんじゃない?ほら、去年みんなで東京観光した時の。はとバス乗ったよね。凛のご両親が東京のホテルとってあるって言ってさ、チェックイン手続きするから誰かについてきてほしいって、一緒に行ったんだ、俺が。確かそん時写真撮られたな。潔の本当の恋人はその人の息子なのにって皆に笑われたじゃん。え?その時のこと言ってる?」
嵌められた!あのモブに!どうりで件の雑誌がどこにも売ってなかったわけだ。去年の話だから!俺たちの不仲を案じて、状況が好転するよう一石を投じてきたのだあいつは!いや、投じてくれたのか。ありがとうというべきだな。今度何か奢ってやろう。特製日替わり定食でいいか。
「心配かけて、悪かった」
「俺もずっと嫌な態度取ってたよ。ごめん。早く良くなって」
家に帰ったら、いっぱい甘えよう。酒の入っていない状態で。
眠くなってきた。今言わなきゃいけない気がして、なんか適当に、愛してる的なことを言ったと思う。言えたと思う。潔が何かまた騒いでいる気配がした。薄れゆく意識の中、「糸師さん!!」と看護師さんの叱る声が聞こえた。