エリアゼロでさようなら。 「届かない手紙」
拝啓
花の便りが相次ぐ今日この頃。
私は、彼が隣りに居たらと思う毎日を過ごしております。
ガラスペンを滑らかに走らせ、丁寧に文字を綴る。
春の陽射しが差し込む窓辺のデスクは、ぽかぽかと暖かくて、次第に瞼が重くなった。
微睡みながらペンを握る手が、小ぶりの瓶に当たってうっかりインクをこぼしてしまう。
白いグローブを付けたままの手はあおく染まった。
時はふたりの会話へ遡る。
「ねぇ、エリアゼロに行ってるんだって?」
「ギクッ」
(バ、バレてる…!)
なんとか誤魔化そうと、言葉を選ぶ。
だが、右上を向いた視線でいとも簡単に見破られてしまった。
「…やっぱり。あんたがどこで何をしようが、僕には関係ない。
でも、あそこは危険だよ」
(関係ない、かぁ…)
私たちは深い仲ではない、ずっと気持ちは一方通行。
「確かにパラドックスポケモンは凶暴です。でもその為に…『違う』」
グルーシャさんが言葉を被せてくるのは珍しい。
「僕が言いたいのは、そこじゃない」
「?」
「…子どもは知らない方がいい」
心配してくれるのは嬉しいよ?
けれど、チャンピオンになった今でも変わらない子ども扱いに、なんだかムッとした。
「じゃあ、ふたりで行きましょう!」
――この時、もっと忠告の[真意]を理解していたならば…。
浅はかな考えしか出来ない私は、彼からしたら所詮ただの幼い子どもだったに違いない。
神秘的、この表現が最もしっくりくるエリアゼロ。
もしもこれが映画なら、物語が始まりそう。
そんな幻想的な場所に足を踏み入れた私たち。
「…やっぱりここは、綺麗だね」
「グルーシャさ…ん?」
その発言は、この場へ立ち入るのは初めてではないことを表す。
「ちょっと、暑い……」
ジーッと上着のチャックを開け、はらりと厚手のコートを脱いだ姿に目を疑った。
「グ…グルーシャさん、それっ…」
彼の首から下は、透き通った結晶で出来ていた。
グルーシャは知っていた。
エリアゼロはヒトの身体を侵食していくことを。
ゆっくり…、じっくり…と、それはそれは、自分では気づけない程自然に進行する。蝕まれるグルーシャにいち早く気付いたオモダカは
「もう此処へ来てはいけません」と、彼に釘をさしていた。
それ以来近づくことはなかった。
(…近づくつもりなんて、なかったのにさ)
あんたがキッカケで、心の奥底に蓋をしていた興味が再熱したんだ。
「有難う、アオイ。
アオイがいなきゃ、簡単に此処へは入れなかったよ。
それにあんたも…。大穴の魅力に取り憑かれているみたいだね」
「……え?」
ほら、見てご覧。と、促された箇所に視線を落とすと、そこには結晶化した肌色、血の気を感じないクリスタルと化す己の両手があった。
「綺麗……」不思議と抵抗感はなかった。
「初期症状は瞳孔に現れるんだ。近くでよく見ないと、気づけない。
その結晶化は、ここに居る限りもう止まらないよ」
「…全部わかってて、誘いに乗ったのですか?」
「あんたは僕に嘘をつこうとした。
人って嘘をつく時、右上を見るんだよ」
どんな会話でもいつだって目を見て話すグルーシャは、アオイの瞳孔が動いた時に一瞬、キラリと光ったのを見逃さなかった。
どうせ言い聞かせても、この子は自由人。
辞めろと言っても行くんだろ。
だったら僕と共に――…
腰のボールに手をかけ、一斉に解き放つ。主の意図を汲んだ彼らは各々去っていった。
「この先は特に危険。だからこの子たちは連れて行けない。長い間、僕と歩んできた彼らはエリアゼロで生きていけるくらいに強い。アオイの手持ちも…、そうでしょ?」
「なっ…やだ、やめて…!正気に戻ってよ、グルーシャさん!」
アオイの叫びを無視し、タイムマシンを無理矢理起動させるグルーシャ。
「この先はどんな未来があるのかな?
アオイ…、僕と一緒に見に行こうよ」
さぁ、と手のひらを差し出す想いびと。
(あぁ……、私は間違いを犯したんだ)
こんなことになるのなら、ふたりで行きましょう、なんて言うんじゃなかった――…
「ほら、今すぐ掴んで?あんたなら来てくれるよね」
正直迷った。迷って、迷って…、遂に私は、体温のないその手をぱしっと振り払う。
「私は仲間を、皆を裏切ることはできない。
たとえこの手を手放したとしても……」
どうして?と、私を見つめる眼差しは元々綺麗なスカイブルーの透明度が増していた。その瞳に感情は残っていない。
…もう手遅れ、ここで長い時間を過ごしすぎたんだ。
「いってらっしゃい。グルーシャさん……」
眩い光が彼を包む、一目惚れした背にこの声が届くことはなかった。
――ぽたり ぽたり
続きを書く文があおく滲む。
もしもあの時、別の道を選んでいたら未来は変わっていたでしょうか。
もしもあの時、迷わず連れ帰っていたら今頃笑い合えていたでしょうか。
ごめんなさい、無知な自分で。ごめんなさい、無力な自分で。
もう一度、あの時に戻れるならば、想いを伝えどうか止めてください。
僅かな希望を貴女に託し、この手紙を送ります。
○月○日 過去の私様
壊れて動かないタイムマシンに封筒を添えると、視界が濁る。
私も、もう時間がないみたい……。さようなら、この時代の私。
僅かな希望は春の訪れとともに儚く散った。
少女が最期に残した言葉は「永遠にさようなら、だいすきでした」
…………
「届けたい『ただいま』」
とある場所に、ぽつんと佇む建造物。それはパルデア唯一の美術館。
ひとつのアートが人々の心を掴み、有名だといわれている。
作品名は『想い願う 独りの少女』
時はXXXX年、無理矢理動かしたタイムマシンで辿り着いたのは、あれから何年先か分からない未来。突如現れた眩い光の中、無感情で固まる僕をひとりの研究者が拾った。
その名はフトゥー、彼はAIで出来たポケモン博士。
最新技術を駆使し、固まった心臓の核を再生、そして僕は再び息を吹き返した。
「せっかくだから、ソトの空気でも吸いにいこう」
彼に連れられ、エレベーターのような箱に入り、上へ上へと進む。
…一体何階まであるのだろう?
時間をかけて昇り、ようやく箱が止まった。
ウィーンと、自動扉が開く。
「ソトに出たよ」の言葉を聞くまでは、まだ研究室の中かと思った。
高層ビルの中にいると思っていたが、実際は違った。
新たなるパルデアの街は、深い深い地下につくられた大都市。
徹底的に隔離された空間で人々は生活している。
空は無機質な素材で覆われ、風も太陽の光さえも遮断されており、木、地面、思い出深い雪山も何もかも全てが人工物。
まるで生を感じない息苦しい世界。
…これが、ずっと、ずっと、興味を抱いていた未來なのか?
僕が知っている豊かな大地なんて、どこにもなかった。
憧れを簡単に破壊する現実は、残酷に僕の世界を閉ざそうとする。
「寿命がないボクは、パルデアの終わりと新たな始まりを全てこの目で見たよ」
日が経つにつれ、数が増すテラレイド結晶。その破片が粒子となり、吸い込むと人類はたちまち結晶化が始まってしまうという恐ろしくも美しい疫病が流行った。主な症状は身体硬化・精神支配。汚染されたとパルデアを去る者もおれば、魅了されるような美しさに憧れを抱き、その姿を切望する者もいた。特にテラスタルを日常的に使う者ほど、精神症状が重いという研究結果が後に発表された。パルデアを愛し、パルデアで生涯を終えたい人々は、それから数百年の時と多くの犠牲を引き換えに、特別な技術を獲得した。
「…長い道のりだったが、結晶化の進行を抑える研究に成功してね。
体内にチップを埋め込み、胸にある装置で進行度合いを調整出来る様になっている」
身体の結晶化が馴染み深いものとなった今の時代では、タトゥーのようなファッション感覚で取り入れられているよ。と、博士は話してくれた。
「ここは新パルデアの最上階、ここだけが外の空気に近い場所だ。
そして、あの美術館が唯一この場に建てることが許されたパルデアの最重要建造物。数多くの現代アートが展示されているから、是非みていくといい」
美術館に足を踏み入れると、息苦しい世界が一瞬広がった。
神秘的、初めてエリアゼロへ立ち入った時と同じ感想を抱いた。
ずらりと並ぶ透き通る石像、おびただしい程の量が、ひとつひとつ丁寧に展示されている。右を見ても、左を見ても、僕の心を惹きつけて仕方がない。
どこまでも続く展示物は、奥へ進むごとに制作年数が古くなる。
…もっと、もっと、見せてくれ。
自身の足音だけを響かせて、まだ見ぬ世界を追いかけた。
とあるエリアへ入ったとき、失ったはずの全身の感覚が震えた。
頭上にはこの先メインルームの案内表示。
広々とした室内にあるのは、煌めく結晶の中で祈りを捧げる少女を描いた一枚の水彩画。
「ア…オイ……?」
もうひとりの足音も響く、背後から博士が語る。
「周りを見てご覧。ここにある作品達は、キミの生きるはずだった時代のものだ」
魅了され、絵画にしか焦点がいっていなかったから、気付けなかった。
「これは…、コルサ…さん……?」
だけじゃない、他にも見知った顔が揃う。
結晶化すると生気と共に感情は消え、そこで人生に終止符が打たれる。
だが彼らの表情は心なしか喜んでいるようにみえる。
…共にパルデアを引っ張ってきた戦友は皆、望んでこの姿になったんだ。
「そしてこの少女は、パルデアで初めて完全結晶体となった子だと言われている。…キミも、知っている子のはずだ」
知ってるも何も、この子は共に未来へ来たかった僕の想いびと。
どうして、アオイだけが絵画なの?どんな気持ちで結晶体を望んだの?
誰を想い、何を願っているの?知りたい…、教えてよ。それと………
「…一体どんな顔をしているの」
絵に表情は描かれていない。でもどうしてだか、悲しそうにみえた。
「実物を、見に行くことは出来ますか」
彼の問いに博士は答える。
「結論から言うと不可能だ。キミが知っているエリアゼロと違い、今の最深部に人類が立ち入ることは出来ない。結晶体を持ち出そうと何度も試みたが命がいくつあっても足りなかった。だが、少女の生きた証を残したいと考えた末に描かれたのが、この代物だそうだ」
「なるほど。『今』じゃなかったら、見れるのですね」
「…ッ! …その返答は予測出来なかった」
「動かせますか、タイムマシンを」
「ボクに、キミの行動を制限することはプログラミングされていない。
だが、これだけは覚えておいてくれ――…」
この時代に辿り着けたことは奇跡そのもの、その逆もまた然り。
過去へ戻った時の行動で未来が変わる。
過去での些細な行動が、未来を壊す可能性もある。
そして、タイムマシンは一方通行、過去にこれを作れる技術者(ボク)はいない。
二度と戻って来れないと思いたまえ。
いつの時代に飛ぶかわからない。
…それでもいい、僅かな希望があるのなら。
もし、エリアゼロへ立ち入る前へ戻れたら…
また彼女と会話が出来る日に戻れたら…
もう一度奇跡が起こってくれるのならば、秘めていた想いを伝えよう。
僕は再び眩い光に包まれた。
晴れてゆく視界。
目の前の景色は見覚えのある神秘的な空間、そして独り固まる結晶体。
僕の傍らには、壊れて動かないタイムマシンと見覚えのない封筒。
カサッと中から三つ折りの便箋を取り出した。
――想いを伝え、どうか止めてください
女性らしい文字で綴られるのは、激しい後悔と繰り返す謝罪。
そして彼女らしい控えめな告白と、所々あおく滲む涙の跡。
一言一句しっかりと、したためた手紙を記憶に残した。
彼女は僕を想い、僅かな希望を願い、迫り来る最期を迎えたのだ。
「……ッ。僕たち、同じ気持ちを抱いていたんだね………」
未来をみてきたけど、僕の望むものはなかったよ。
でも、ひとつ良いことが知れた。
あんたのいない世界だなんて、生きる意味がないって分かったんだ。
だったら選択はひとつ。
迷うことなく、胸の装置に手を伸ばす。
置いて行ってごめんね。
独りぼっちで寂しかったよね。
僕は、この結晶を溶かすことは出来ないけれど、側にいることは出来るから。
僕も一緒に朽ちていくよ――…
またゆっくりと始まる結晶化、周囲の煌めきが僕に集まってくる。
残された僅かな時間で、固まった少女を精一杯抱きしめる。
透明なカケラが優しく包み、おかえりなさいと閉じ込めた。
「アオイ…、ただいま」
これが、僕の最期の言葉。
濁りゆく視界の中は、虹色の世界。
あぁ、僕の望んだ世界はここにあったんだね。
ゆっくり、じっくり、長い長い時間をかけて、ふたつの結晶体は溶け合うことを許された。二度と引き裂かれぬよう、誰にも壊されぬよう、かつての仲間達が一箇所に集う。
そして、主人だった結晶体を守り抜いた。
結晶化、それは生と死以外の新たに出来た、もうひとつの選択肢。
――遠い遠い、遥か昔。
願いを胸に儚く散った少女に、ひとりの青年が寄り添った。
そして結ばれない男女は、その地で最も美しい結晶となりました。
こちらはパルデア最古の結晶体、悲しい愛のお話を元にした作品です。
作品名『寄り添い交わる ふたりの結晶』
紹介文を読み終えたフトゥーAI。結ばれなくとも幸せそうに抱き合う男女の姿、ほころぶ表情が印象的な水彩画。
淡いあおで描かれるそれをみて、流れるはずのない雫で床を濡らした。
「…驚いた、幸せな未来に変わるのは初めてだよ」
今日も最奥のメインルームでは叶わぬ願いを届けたい。と、人々が集う。
現在のパルデア美術館は、縁結びで有名な場となりました――…