No title #3空には星が瞬いた。
大輪の花が咲き誇る。
7月7日、七夕の夜。
――話は一週間前にさかのぼる
日差しが強くなってきたことで人気の無くなりつつある屋外のテラス席に座って、浮奇はライムの浮かんだトニックウォーターを口にした。
「…暑いし、日焼けしちゃうんだけど」
「そんな、長袖着てるから暑いんじゃない?」
隣ではアルバーンが食堂の夏季限定メニュー、冷やし中華のトマトときゅうりをせっせとサニーの皿に移していた。
錦糸卵とわかめ、チャーシューのみが残ったそれは彩もなにもあったものでは無い。
「俺は夏好きだけどな~。暑いのも強い日差しも」
野菜が増えて具材たっぷりになった冷やし中華を啜りながらサニーが笑う。
冷たい食べ物がおいしく感じるしね、とアルバーンとうなずきあっているのは仲がよろしくて何よりだが、夏バテ気味の浮奇はそもそも食べ物を食べる気が起きない。
ひんやりと冷たいテーブルに頬を押し付け熱を逃がすがすぐにぬるくなってしまう。
汗で首筋に張り付いた髪が煩わしい、もう少し伸びていれば結べたのにこの長さではそれすらもできない。いっそ刈り上げてしまおうかと自暴自棄になりかけていたところに元気な声が響く。
「ただいまー!」
少し遅れて席へとやってきたユーゴがファルガーを伴って戻ってきたようだ。
二人のトレーにはそれぞれカツカレーとラーメンが鎮座している…俺以外はみんな元気そうで何よりだ。
少しでも暑さから逃げるためにトニックウォーターのグラスを首筋にあてる。暑いし虫は多いし本当に夏って嫌い。
「浮奇、これなら食べられるかと思って買って来たんだがいるか?」
「…え?なに?」
そう言ってふーふーちゃんから差し出されたのはひんやりとしたカップの
――7月限定スイーツ、七夕ゼリー
「ふーちゃんレジ前でめちゃくちゃ悩んでたよ。アイスは身体が冷えすぎるとか、栄養がある方が良いかな?とか…」
ユーゴ!というふーふーちゃんの焦った声にサニーとアルバーンの「おーにょーーーーw」という声が重なった。
「ふーふーちゃん!」
左隣の彼にぎゅっと抱きつく。前言撤回、夏最高。俺だけが夏バテで良かった。
気温のせいだけではなく、真っ赤になった顔を覗き込む。
「ありがとう」
「いらないなら俺が食べるから!」
カツにスプーンを突き刺すふーふーちゃんを横にぺりぺりと蓋を剥がしてプラスチックのスプーンを突き立てる。
まだ溶け切っていないのか、シャリッという音を立ててスプーンがめり込む。フルーツともソーダとも言えない絶妙な甘みが口の中で少しずつ溶けていく。
さっきまであんなにも煩わしかった熱も、この冷たさを感じさせてくれるなら確かに悪くないかもしれないと思った。
「ところで来週、七夕だしみんなで祭りに行かない?」
なんでも来週ユーゴの家の近くはで七夕祭りが開催されるらしい。出店がでるだけでなくあまり多くは無いが花火も上がるそうだ。
「良いねー!俺は暇だしバイト休みにしてもらお!」
「それ暇じゃなくないか?」
みんなのやり取りを聞きつつ自分の予定を確認する。来週の夜はなにも特に用事はなかったはずだ。
「俺も大丈夫だよ」
――じゃあ決まりな!来週の19時に○○駅集合で!
――おっけ~!じゃまたね~
早々に食べ終わった三人の背を見送りながら残りのゼリーを口に運んだ。
「…晴れるといいな」
「来週はずっと快晴の予定だよ」
晴れてほしいけど暑いのはいやだな~。と愚痴をこぼす。
ライムの残ったトニックウォーターのグラスが同意を示すようにカラン、と音をたてた。
…で、俺たち来週みんなで七夕祭りに行くんですよ!
「へ~!それってめっちゃPOG!俺もみんなを誘ってみようかな」
良いと思います!あとこれは内緒なんですけど…浮奇とふーちゃんの初デートだと思うんで二人っきりにしてあげようって三人で計画してて…
「初デート!?夜のお祭りなんて最高だね!」
そうですよね!来週がめちゃくちゃ楽しみなんですよ〜
「楽しんできてね!友達の恋も応援してるよ!!」
あ、じゃあこれで失礼します。練習付き合ってくれてありがとうございました!
「こちらこそありがとう!良い週末を!」
――七月七日。
19時五分前、待ち合わせ場所に指定されていた改札横にはアルバーンとサニーの二人しか居なかった。サニーの母親が用意したのであろう揃いの甚平に身を包んだ二人はすっかりお祭りモードだ。
「おまたせ、ふーふーちゃんとユーゴは?」
「二人ともちょっと遅れるみたい」
そう。と漏らして人の波にさらわれないよう壁際に身を寄せる。二人は楽しそうにかき氷は絶対イチゴと練乳だとかフランクフルトとチョコバナナは外せないなどお祭り談議に花を咲かせていた。
「悪い、遅れた」
背の高いサニーに遮られ気が付かなかったがふーふーちゃんが到着したようだった。
「え!?何その浴衣!」
「すごく似合ってるよ~!」
二人の壁から顔をのぞかせるとそこには
黒と白で織られた水面。
足元には鮮やかな錦鯉が泳ぎ。
腰元にはそれらをまとめ上げる深いガーネットの帯。
軽く結い上げられた髪と普段は見えない項。
恥ずかしそうに目を背けた美しい人がそこに居た。
「…ふーふーちゃんすっごく綺麗」
腰に手をあて、そっと引き寄せる。普段のふーふーちゃんも素敵だけれど今日のは特別な装いもあって一層、綺麗に見える。
「親戚とその友達がいきなり家に来て…」
祭りに行くなら浴衣を着ろ!
…折角なら髪も綺麗にやって行こうね。
そうしてあれよあれよという間に流されて着付けに髪結い、最後に楽しんで来いとお小遣いまで渡されて送り出されたらしい。
「…だから少し遅れたんだ」
ところでユーゴは?とあたりを見回すふーふーちゃんにサニーが実はと切り出す
「ユーゴ、まだ着かないって連絡があったから先に二人で回っててよ。俺たち待ってるからさ」
ユーゴが着いたら連絡するからそしたら合流しよ。
…でも俺も待たせたし、と食い下がるファルガーにアルバーンが「こんなとこで4人もたむろってるの邪魔だし行ってきなよ」とすげなく言う。
なんだかうまく行き過ぎているような気がするけれど、ふーふーちゃんと二人っきりになりたくて「行こう」と彼の手を握って歩き出した。
人の流れに沿って、頭上を飾る七夕飾りに見送られながらゆっくりと進む。
ふーふーちゃんはたこ焼き、俺はブドウ飴を片手に気になる屋台を冷やかしたり、射的に挑戦したりした。
ヨーヨー釣りでは狙っていた淡い紫色を釣り上げ満足げなふーふーちゃんを見られただけで、あの屋台には200円以上の価値があったと思う。
途中でかき氷を買い足した俺たちはそろそろ始まるであろう花火を見るために大通りから少し外れたガードレールに腰かけた。
「…全然連絡こないけどユーゴのやつ大丈夫か?」
スマホのグループメッセージには俺とふーふーちゃんが送ったものしか表示されておらずユーゴどころかサニーやアルバーンの既読すらつく様子はない。
――折角五人で遊べると思ったのにな。
と呟く彼に、そうだね。と思ってもいない言葉を返す。
(俺はふーふーちゃんのこと独り占めできて最高だったけどね)
――刹那
空に大輪の花が咲いた。
ドン、と遅れて鈍い音が響く。
わー!という歓声が遠くで上がり浮奇も空を見上げた。
パラパラと小さな花火が続けざまに上がるのを通りすぎて、横に座るふーふーちゃんを盗み見た。
強い光に照らされていつもより、あの初めてふーふーちゃんを見つけた教室よりもっと美しく輝く横顔を見つめる。
熱心に見すぎたのか、空を見上げていた横顔がこちらを向き「どうした?」と微笑んだ。
この二か月、色々なふーふーちゃんの表情を見てきたけれど、
――あぁ、やっぱり笑った顔が一番
「…好きだな」
思わず口から零れた言葉を拾い上げたのだろう。
驚いたように目を見開いて、恥ずかしそうに目を泳がせたのち、少しだけこちらに身を寄せながらふーふーちゃんがそっと呟く。
――俺も、
「すき」
耳元に落された二文字は安っぽい恋愛ドラマとは違って花火の音に掻き消されたりはしなかった。
思わず近づいた身体を抱きしめて自分よりも高い位置にある唇に口付けた。
かき氷で冷えた咥内にゆっくりと熱を移していく。
祭りの喧騒も、花火の音も、どこか遠くに聞こえていた。
今はただこの夏の暑さに二人で溶け合ってしまいたいと、それだけを星に願った。
ルカ
音楽学部 声楽科二年 声楽専攻
今回は無自覚ファインプレーお兄さん。
音合わせなどに付き合ってくれる音楽学部の良き先輩。
教室にはルカ一人しか居ないのになぜか女性の声が聞こえる学校の七不思議がある。
ヴォックス
芸術学部 絵画科二年 日本画専攻
ファルガーの従兄弟。(Luxiemはみんな知ってるNoctyxは知らない)
入学時、学校関係者と間違えて声をかけてきたミスタを何かと気にかけている。
今回は弟分の恋の予感に際して、青春の一ページに彩を添えてあげようという親切心から浴衣持参で着付けまでしてあげた。
シュウ
芸術学部 デザイン科→映像メディア学専攻
ミスタの従兄弟。
学部の垣根を越えてサポートをしてくれる先輩。
映像メディア学は学部を持たない独立した専攻学科であるためいろいろな学部棟に居る。
今回はヴォックスに連れられてファルガーの髪の毛を結った。
ミスタ
芸術学部 デザイン科二年 デザイン専攻
シュウの従兄弟。
常人では思いつかないような奇抜なデザインで人目を惹く天性の才能がある。
入学時パニックになり先生と勘違いしてヴォックスに声をかけた。
今回は未登場。
アイク
音楽学部 器楽科→音楽文化学 音楽教育専攻
ルカとミスタの面倒を見つつヴォックスを受け流す。絵画科では対人のプロと呼ばれている。
食堂自販機の炭酸飲料が売り切れだと気分が憂鬱になる。
今回は未登場。