原作雑土で連載してみる03「ただいま戻りました」
休日の夕刻。きり丸と共に長屋へ帰っていた土井が、職員室長屋へと戻った時、山田はちょうど補習内容を考えていた。
折よく帰ってきた土井とも相談しようと思った山田が口を開くより先に、土井が言った。
「あのぉ、山田先生。ちょっと、ご相談があるのですが……」
言いにくそうな土井の顔を見ただけで、山田は眉を寄せた。土井が面倒な事を持ってきた。それを察したからだ。
「何ですか」
「ちょっと、厄介な相手と関係を持ってしまいました」
「……聞きますよ」
大きなため息の後に山田がそう言うと、土井は山田の向かいに座った。そして、遠慮なく全てを話した。
雑渡と成り行きで関係を持った事と、持ってから気持ちに気付いた事と、雑渡にバレている事と、そこから今まで、時々関係が継続している事だ。
話が進むたびに、山田の眉間の皺が深くなっていった。
それでも、土井が全部話し終わるまで、山田は待った。そして、土井が「という訳でして」と言い終えた途端に、爆発した。
「この忙しいのに、何でそんな面倒事を抱えた!!!!」
「すみません〜」
山田に怒鳴られ、土井は小さくなる。そんな土井へまだ怒った顔を見せながらも、山田は内心、困り果てていた。
この頃、もっと言えば色の実習先の調査をした頃から、土井の様子が変わった事には気付いていた。
相手がいるのも、何となく察していた。
土井はまだ若いし、独り身の男だ。たまには息抜きも必要だろうと放っていたのだが、まさか相手が雑渡とは。
しかし怒ってばかりいても仕方ない。困った所で解決はしない。山田は頭を切り替えて、土井に向き直った。
「雑渡に惚れているのか?」
「まあ、少し」
「少しも何もあるか!」
「はは……」
土井は気まずそうに笑って、頰を掻く。
「はぁ……。それで、雑渡はどういうつもりだ?」
「問題は、そこでして」
雑渡は意図をまるで見せない。
身体を繋げるだけが目的という訳でもなさそうだが、情報を取りに来るでもない。話といえば、どうでもいい雑談ばかり。
まさか、雑談をしに来ている訳でもないだろう。
土井は雑渡の意図を探りたいようで、色々と山田に話す。
あまり知りたい話ではなかったが、山田は逐一聞いた。
土井は照れるでも恥じるでもなく、冷静だった。忍務の報告の時と同じように、雑渡の事を話す。
自制はあるようだ。
そして土井は最後に、こう付け加えた。
「ただ頻度は落ちています。ですから、終わるのも時間の問題かとは思います」
淡々と話す土井の顔に、感情は特にない。先ほど聞いた話からすると、恋情があるのは土井の方であるはずだ。なのに、曰く「土井で遊んでいるだけ」の雑渡に対する怒りや悲しみといったものが、まるでない。
「ふむ。終わるのならば、それで良いだろう」
「はい。ただ、意図がわからないのが気になります」
目的がわからない事が、土井を落ち着かなくさせていた。土井は長く忍者であり続けており、裏を読むことに慣れている。
ましてや、相手はあの雑渡昆奈門だ。何かあると、思い込んでいる。ある意味、術中にはまっているとも言えた。
山田は腕を組み、土井を見た。
「思い付くものはあるな」
「何ですか?」
土井が身を乗り出す。山田はちらりと土井を見る。そんな事も分からないか、という目で。
「気まぐれだ」
「えぇ……」
土井はがっかりした声を漏らすが、山田からすればそうとしか思えない。
「あり得るだろう。普通の相手に飽いて、変わり種に手を出しただけの話だ」
「うーん……」
「納得できんか?」
「いえ。今まで考えた中では、いちばん納得できます」
「腑に落ちたという顔ではないぞ」
図星なのだろう。
土井は苦笑いして、「はい」と答える。
「いえ、理屈としては納得できるんですよ。そういう事も、有り得るのはわかります。ただ、雑渡がそうだと思えないだけで」
「あんたねぇ」
山田は呆れた声で、土井の言葉を制した。
「あの男だって、たまには気まぐれの一つや二つは起こすだろうよ。人間なんだから」
「それは、そうなんですが……」
「やれやれ。やはり冷静ではないようだな」
土井には自覚がないようで、まだ不思議そうな顔をしている。決して鈍い男ではない。であるのに、この有様なのだから、恋は盲目とはよく言ったものだ。
いいか、と言いながら、山田は土井の目を見る。
「一人の人間の言動すべてに意味があるはずもない。考えすぎだ」
「考えすぎ……」
「なら、試しに想像してみればいい。先程の話を、他人の話として聞かされたら、どうだ?」
「……」
土井は考え始めた。そして何度か唸って、最後には頷いた。
「確かに……山田先生のおっしゃる通りかと」
「そうだろう。奴の言動に何か意図があって欲しいと、あんたが思っているだけだ」
意図がないとなれば、結論は絞られる。つまり土井が好きで構っているか、本当に単なる気まぐれで土井はどうでも良いか。
前者はないと、土井は断言する。ならば答えは後者だ。しかしそれは、雑渡に惚れたと言う土井として、受け入れたくはない答えだろう。
「惚れているから、判断を誤る。わかるな?」
土井は、静かに頷いた。
「……はい。冷静でいたつもりですが、そうではなかったようです」
「うむ。わかればいい」
「……それだけですか?」
拍子抜けしたような声だった。
「何だ」
「いえ。もう少し、こう、小言があるのかと」
「いい大人にそんな手間をかけるか。最後は自分で決める事だ」
本来ならば、止めるべきだろう。
だが山田は困ったものだと思いつつも、内心では、少しだけ嬉しかった。
出会った頃は手負いの獣のような目をしていた青年が、おそらく生まれて初めてであろう恋に対して、右往左往している。
もちろん、相手は良くない。大問題だ。もっと素直に喜べる相手を連れて来て欲しかった。せめて土井を大事にできる相手であって欲しかった。
だが山田から見ても、雑渡が土井に惚れているとは思えない。
土井は雑渡に惚れている。振り回されてもいる。だが、浮かれてはいない。
恋に溺れて越えてはならない線を踏み越えることは、ないように思える。
ならば、一度くらいは、苦い恋を味わうのも悪くはないだろう。雑渡にしても、忍術学園との交流を続けたいのなら、禍根の残るような真似はするまい。
山田にできるのは、見守ることだけだ。土井が道を外さないように、雑渡が土井を利用しないように。
「あまり深入りはするなよ。最後に泣くのは、おまえだぞ」
「ええ……わかっているのですけどね」
初めて、土井の顔に感情が現れた。痛みを堪えるような笑みは、初めて見るものだった。
本当に、惚れているのか。
山田は一瞬言葉を失い、口を引き結んだ。雑渡に対する腹立ちが、一気に湧き上がる。
土井半助は、山田にとって、もはや息子のような存在である。その土井が遊ばれているだけという状況に、腹が立たないはずがない。
「……苦無の一本くらいなら良いか?」
口の中で、小さく呟く。
大人同士の付き合いだ。首は突っ込むまい。
しかし、そのくらいは、あの男の顔面にお見舞いしてもいいのでは?
「何かおっしゃいましたか?」
「いや。何でもない」
この場にいない男への殺意は一旦仕舞い込み、山田は何でもない顔を作った。
「それより、他の者にはバレないように。特に、生徒には」
「はい。もちろんです」
土井は頷いて、続けた。
「生徒に知られたら、あの男と別れて学園も去りますよ」
あながち冗談でもない調子で言うから、山田はもう少しで「そこまで追い詰めなくてもいい」と言う所だった。
代わりに、
「ほどほどにな」
あらゆる意味を込めて言った。わかっているのかいないのか。頷く土井を見て、山田は頼むから面倒なことになってくれるなよ、と心底から思った。