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    ・🐶🎍未満
    ・最後の世界線捏造
    ・火事⚠

    #イヌ武
    inuwake

    陽炎の向こう側① 遠くで誰かの声が聞こえる。

    (ここはどこだ…)
     つぶやいたつもりだったが、それは音にならなかった。
     周りを見渡そうとしても、身体が言うことをきかない。諦めて見える範囲から状況を判断しようとするも、元々薄暗いのだろう部屋は、全体に靄がかかったようで数センチ先ですらよく見えない。
     感じるのは座る床の冷たさと、預けた背に触れるガラスの感触、カビた空気に混ざるオイルの臭い。そして、顔や体中に走る軋むような痛みと口内に広がる血の味。
     何から何まで不快な要素だらけのはずが、妙に懐かしく心地良い。

     声が聞こえる。

    「――……すか?」

     何を言っているかはわからない。ただ、自分の鼓動がドクリと大きく打つのを感じた。
     胸に熱い炎が灯ったようで、思わず伸ばそうとした手は、今度は意志の通りに動いた。
     その手を、目の前に立つ誰かの手が力強く掴む。
    は口を開いた。
     
    「この命、オマエに預ける」


     また同じ夢。物心がついた頃から何十回何百回と見た夢だ。何度見たって欠片も変わらない。靄が晴れることはないし、相手の言葉がはっきり聞こえることもない。そして、あの心の昂りも消えることはなかった。
     過去の記憶であるわけはない。伸ばした手は今よりも大きく、自分の喉から発せられた声は低かった。

    「なら、未来なんじゃない?」
    「真剣に聞いてないだろ、ココ」
    「そんなことないって」
     俺、乾青宗と同じくランドセルを背負った少年、幼馴染のココこと九井一が呆れたように笑う。実際この話をココにするのも何度目かわからない。幾度聞かされても内容は代わり映えせず、同じ問答の繰り返しなのだから呆れもするだろう。
    「オレは超能力者じゃない」
    「じゃあ、ただの夢だ」
    「…どうしてもそうは思えないんだよな」

     あの夢で感じる臭いも味も痛みも、未だ現実では経験したことのないものばかりなのに、全ての感覚があまりにリアルで、何度見ても途中から夢であることを忘れてしまう。そして、遠く聞こえるあの声に引かれて、いつも手を伸ばしてしまうのだ。握られた掌の熱さがそいつの存在を力強く主張してくる。なんとなく、あれが幻影だとは考えたくなかった。

    「ココは見てないからわからないんだ」
    「そりゃあ、イヌピーの夢だしさ。んじゃ、またなー」

     ココは大して気に留めた様子もなく、あっさりと帰っていく。結局今回も理解を得られなかった。

     *

     今日もココと一緒に学校から帰っていると、後ろから俺の五歳上の姉である乾赤音が声を掛けてきた。
     図書館に行こうと誘われるが、眠いし本に興味もなかったから、二人と別れ、一人先に帰ることにする。
     ココは赤音のことが好きだ。それを赤音の弟である俺にも隠そうとはしない。自分の姉相手に頬を染め、意識して普段しないような言動を取る親友をそばで見ているのは、なんとも気恥ずかしく居心地が悪い。
     
     家に帰り、二階の自室に向かう。ランドセルを置き、そのままベッドに身を預けた。宿題もあるが、今はとにかく眠くて仕方がない。このまま勉強したとして、欠片も頭は働かないだろう。これは効率良く勉強するために必要な仮眠なのだ。誰に言うわけでもない言い訳を頭の中で並べながら、俺は深い眠りに落ちていった。

    「…ん」
     どのくらい眠っていたのだろう。変な時間に寝たせいか、全身寝汗が酷く、その不快感で目が覚めた。服が体にべったりと張り付いている。
    「なんか、あつ…」
     目を擦り、緩慢な動きでベッドを抜け出す。水でも飲みに行こうかとドアを開くと、

     そこは火の海だった。

    「……え、何?なんで火が」
     慌ててドアを閉める。一体何が起きてる?
     よく見ると、窓の外にも火の手が回っている。この部屋は二階だからまだ無事だが、火はすでに一階から階段を超えて、部屋の前にまで迫っていた。
     ドアの外も窓の外も火に囲まれている。どうするべきか必死に頭を回すも、とうとう部屋のドアに火が燃え移ったようだった。木製の扉に火はどんどん燃え広がり、赤い炎が部屋の出口を塞いでしまった。徐々に火の手と白煙が迫る中、じりじりと部屋の奥に後退するしかなくなり、逃げ場を失っていく。
    (どうしたらいい)
     火まではまだ少し距離があるものの、部屋に充満する煙に視界を遮られ、自分の立ち位置すら把握できなくなってきた。
    「クソ!」
     苛立ちに任せ言葉を吐き捨てた瞬間、反射で吸い込んだ煙が喉を刺し、大きく咽せた。
    「ケホッ…ゴホゴホッ…」
     慌てて右腕で口元を抑える。煙は目をも刺激し、じわりと涙が滲んだ。
     家具を伝って火が迫る。逃げなきゃ、ここから出なきゃ助からないのはわかっているのに、体は震え縮こまるばかりで動くことができない。周囲を煙に覆われる中、満足に呼吸ができず息苦しさが襲う。なんとか酸素を取り入れようとするが上手くいかない。焦りから速度を上げる鼓動が、さらに息苦しさを加速させた。
     足腰から力が抜け、思わず床にへたり込む。
    (意識を保て…!助けを待つんだ)
     霞がかる頭の中で、自らに発破を掛け、意識を手放さないようなんとかギリギリで踏み留まるが、それも限界が近かった。
     口を開く力もなく、吐息のように言葉が漏れる。
    「だれ…か、たすけ…。しに、たくな…い」
     かろうじて薄く開いていた目から涙が零れた。瞼が重くなるのに任せ、ゆっくりと閉じる。

     その時、
      
     ガタッ、バターン。

    「イヌピー君!赤音さん!いたら返事してください」

     突然聞こえてきた声の主がドアを開けた勢いで、少し室内の煙が動く。それでもその姿はよく見えない。しかし、確かに人影のようなものが見える気がする。失いかけていた意識を必死に繋ぎ止め、気力を振り絞って声を発した。
    「こ、こだ…!ここに、いる…」
     精一杯の力で上げた小さな声は酷く掠れ、燃え上がる炎の轟音に掻き消される。だめだ、こんな声じゃ届かない。だが、もうこれ以上体を動かすことはできそうになかった。意識が朦朧とし、完全に力が抜ける。

     その腕をあたたかいものが掴んだ。

    「よかった!見つけた!」

     そこにいたのは俺よりも幼いであろう黒髪の少年。

    「もう大丈夫っスよ、イヌピー君。オレが絶対に助けます」
     正面からまっすぐに俺の瞳を見据える。こんな絶望的な状況の中、そいつは不敵に笑っていた。
     力強く輝く、その青い瞳に捕らわれる。
     俺はこの笑顔を知っている。いつだったか、誰かに同じことを言われたことがある。その時のそいつもこんな顔で笑っていた。この笑顔を見ると、心強くて安心できた。どれだけ絶望的でも、こいつが戦っているなら、諦めないなら、俺達はまだ大丈夫だと心が奮い立つ。
     今だってそうだ。
    「…たのむ…オレをたすけてくれ…!」
    「もちろんです」
     掴んだ手が、諦念に沈みかけた俺の気持ちごと引っ張り上げる。不思議だ。あんなに動かなかった体が、僅かとはいえ動かせるようになった。
    「イヌピー君、乗ってください!」
     屈んだまま背を向けたそいつの肩に腕を掛け、その背に体を預ける。俺よりも幾分小さいその体で、俺を背負って立ち上がる。その感覚にもまた覚えがある気がする。

    「火の中を走り抜けます。熱いだろうけど、耐えてください」
    「…ああ」
     そいつは助走をつけて、勢いよく部屋を飛び出した。そのまま迷いなく階段を駆け降り、一階にたどり着く。俺は振り落とされないようしがみつくのに必死で、体に触れる炎に構っている余裕はなかった。
     奥を見遣ると、やはり一階は二階よりも早く火に覆われたらしく、壁や家具が黒く焼け落ちていた。
    「あと少しです!」
     ラストスパートとばかりに、「おおおぉぉ」と雄叫びをあげ、炎を突き破りながら玄関までを一気に駆け抜けた。
    「抜けたー」

     ドスッ。

     さすがに限界を超えていたのか、走った勢いのまま転んでしまう。その拍子に離れた俺の体も、地面に強かに打ち付けられた。
    「ぐっ…」
    「タケミっち」
     金髪の小柄な少年がこちらに駆け寄ってくる。
    「…マイキー君」
    「大丈夫か?」
    「オレは大丈夫。それよりイヌピー君を…だいぶ煙吸っちゃってるみたい」
    「わかった」
     マイキーと呼ばれた少年は、倒れ込んだ俺を地面から引き起こし、そのまま自分の背に担ぎ上げる。もう一パーセントだって力は入らなかった。されるがまま、マイキーに身を任せる。
    「マイキー君、赤音さんは?」
     突如出た赤音の名前に心臓が跳ねる。赤音も帰っていたのか?自分のことだけで精一杯で、赤音がいるかもしれないなんて欠片も考えられなかった。今見える範囲に赤音の姿はない。無事でいるのだろうか。
    「一階で見つけた。軽い火傷は負ってるけど無事だ」
    「よかった」
     それを聞いてほっと息をつく。どうやら赤音はこのマイキーという少年が助けてくれたらしい。
    「もうすぐ救急車が来るから二人を乗せるぞ」
    「うん」
     少し歩いたところで、地面に座り込み泣く赤音と、そのそばに寄り添うココの姿が見えた。
    「…よかった…」
     悪夢は終わったのか。そう安心した途端、一気に睡魔が襲ってきた。甲高い救急車のサイレンが近付いてくるのを聞きながら、俺は意識を手放した。
     
     *

     
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