刑事けけと428最強暁人君 1「おい、そこのオマエ」
突然呼び止められた暁人はしまったと思ったものの努めて平静に振り返った。
渋谷とはいえ建物の明かりも街灯も少ない裏路地に浮かぶ細長いシルエット、くたびれたロングコートに細身のパンツと短い髪形、そして細く上がる紫煙。
警察だなとアタリをつけて暁人は「えっと、僕ですか」と首を傾けた。
「他に誰がいるんだよ」
この辺りは再開発の余波をくらい住民もほとんどいなくなってしまった。男とはいえ大学生が帰宅途中に通る場所にはそぐわない。まして暁人は服装こそは真夏の夜には少しばかり暑いもののごく普通のタクティカルジャケットだが、
「怪我はしていないようだがその服どうした?」
腹の辺りが鋭利な刃物で切り裂かれている。警察の言う通り掠めただけで傷はないが、普通に考えて服がこうならないことは暁人もわかっている。
「バイト帰りなんですけど、さっき酔っ払いの喧嘩に割って入って……あっ、もう止まったので大丈夫ですよ」
「……そうか」
この警官全然信じてないな。
暁人は直感でそう思った。多分相手も直感で暁人を疑っている。
無実を証明するのはなかなか難しい。まあ今回は幸いにも一番言い逃れが難しい弓を持っていないので大丈夫だろう。
暁人は「職質ですよね」とボディバックを差し出した。
「学生証も財布の中に入ってます」
「いやに聞きワケがいいな」
バックを受け取りながら警官は鋭い目つきでこちらを見てくる。
素直に応じても抵抗してもこうなのでやはり警察は厄介だ。
時折点滅する街灯の下に移動して持ち物を検分される。
スマホ、サイフ、ハンカチとティッシュ、マスクと携帯ケース、のど飴とミントタブレット、Bluetoothイヤホン、シリアルバー、そして。
「何だコレは……お札か?」
ごく一般的な男子大学生の所持品の中で唯一浮いているソレは折りたたまれてもいないので当然見つかる。
「広川神社のものです。 ここに書いてあるでしょ。 僕、たまにそこでバイトさせてもらってるんですよ」
「オマエ数珠も付けてるもんな」
今流行のスピリチュアルかと思ったがと言われて笑って濁す。そうといえばそうだしそんな生ぬるい物ではないと言えばそうだ。
「おまわりさんさんも一枚どうです?」
とクーポンチケットを配るような軽さで手渡す。
まず間違いなくそれで切り抜けられるはずだった。お札を正しく持った警官の手が、血管が淡く光るまでは。
「えっ!?」
「あぁ!?」
困惑する二人を無視して札が発動しアスファルトの上に青々とした茂みが広がる。しかも急激に成長したにもかかわらず二人を傷つけることなく自然にまるで身を隠すように。
「なんだこりゃ……ホンモノか!?」
「何で発動したの!? ……あっ!」
時すでに遅し。この勘の鋭い警察官はすぐに気づいてしまう。
「……つまりオマエはコレがこういうモンだと知ってるんだな」
先程よりも更に低い声に暁人の笑みも引きつる。
「……マジックだって言ったら信じます?」
8月21日の夜はまだ始まったばかりである。
警察署で話すのはマズいと言うと理解してもらえたので暁人は凛子に連絡してアジトに連れていくことになった。
「リンコ? アジト?」
「僕のバイト先のひとつで、凛子さんはそこのボスです」
「マジシャン事務所か?」
乾いた笑いで濁す。冗談は言えるようだし、少しは警戒を解いてくれたのかもしれないと前向きに捉えておく。
「あの、歩いていくと時間かかるんで、僕にしがみついてもらっていいですか?」
「は?」
意味がわからないといった様子だ。まあそうだよねと暁人は頬をかいた。
もしも暁人がおじさんに「しがみつかせろ」と言われたらやはり「はあ!?」と返すだろう。
しかし土曜日の夜はこれからだ。色々な意味で。
「申し訳ないんですけど時間がないしまとめて説明した方が早いので安全のために僕にしがみつくか一か八かで僕が片手で掴んでいくか選んでください」
やや早口でまくし立てると刑事は無精ひげを指先でなぞり数秒考えるとわかったと首を縦に動かした。
「賭けは好きじゃねえ」
警察だもんねと納得して返してもらったボディバッグの位置を直す。
「右腕は使うから左側に掴まってください。 あと目は開けててもいいけど舌を噛むから口はしっかり閉じて」
「おい、どんなアトラクションが始まるん──ッ!?」
いつもの通り天に手を伸ばし天狗を捕まえる。そもそもこの警察に声をかけられるまさに直前、グラップルをしようと天狗を喚んでいたのだ。
裏路地からビルの屋上まで飛び上がり、そこから次のビルの屋上へ。渋谷は暁人の庭のようなものだ。途中で青白い影を見つけたが弓もなければ荷物も引っ付いているので無視して突き進む。
アジトまでは十分と少しでついた。いつもより重かった分遅くなったがイレギュラーは伝えているので許されるだろう。そもそもイレギュラー自体が問題なのだが。
建物の入り口でようやくアスファルトに降りると刑事はしゃがみこんだ。
「着きましたよ……酔いました?」
「いや……大丈夫だ」
さすが警察官、タフだ。感心して暁人はあの部屋が見えるかと指さす。
「普通にボロアパートの一室がどうした?」
「やっぱり見えるんだ。 じゃあ行きましょう」
「……階段を使わせろよ」
グラップルのほうが早いのにと思いつつ、しかし煙草臭いおじさんにしがみつかれる趣味はないので暁人は先行し、先程示した部屋の前に立つ。
「またお札か」
「触らないでくださいね」
危ないんでと制して印を結ぶ。いつもの手順で解放すると警官はとんだマジックショーだなと苦い顔をした。
まあ気持ちはわかるので何も言わず古びたドアを開ける。
「ただいま戻りましたー」
「暁人さんおかえり!」
セーラー服姿の少女が出迎えるので刑事がぎょっとする。
「こいつがリンコか?」
「彼女は絵梨佳、理由があって保護している……仲間です」
「おじさんがお巡りさん?」
「交番勤務じゃねえ、刑事だ」
そう言われれば警察官の服ではなくスーツだ。所謂サスペンスに出てくるタイプなのでもしかして普通の職質ではなかったのかもしれない。
「そういや名乗ってなかったな、オレは」
「ちょっと待って!」
テレビで見た通り警察手帳を広げようとするので暁人は慌てて止めた。
ああ!?と刑事が低い声を出す。
確かに警察官としては名乗れと言われたことはあれど名乗るなと言われることはなかなかないだろう。
「危ないから僕に本名を言わないで! 名前だけとかあだ名にしてもらえませんか?」
「危ないってなんだよ」
「……呪ったり、祟られたり……刑事さん仕事柄他人の恨みを買ってそうだし」
余計なお世話だと噛みついた刑事はしかしまた無精髭をしばしなぞってから
「KKだ」
と答えた。
「「けーけー?」」
暁人と絵梨佳の声が重なる。
「小難しい名前だからな、通称でいいならイニシャルで呼べばいい」
「ハンドルネームみたい」
絵梨佳の言葉にそんなものかと納得して暁人はもう一度KKと呼んだ。
「それじゃあゴーストバスターのアジトにようこそ、KK」
凛子は奥の部屋、モニターとパソコン、ガジェットという名のガラクタに囲まれて暁人たちの帰還を待っていた。
「おかえり、報告の後に色々あったみたいね」
「そうなんです……」
凛子が椅子に座ったままKKを睨み、KKもまた仁王立ちで凛子を睨み返す。
「警察の上に適合者だって?」
「はい、札が発動して結界も見えるので間違いないと思います」
凛子の言葉に暁人が返す。やれやれと肩を竦めてエドと呼ぶと今度はメガネの白人が出てきた。
暁人たちを見て何故かボイスレコーダーを取り出す。
『お疲れさま、アキト』
再生された音声に驚くことなく暁人はただいま戻りましたと返した。
エドは頷き暁人とKKを見比べる。
『こちらで調査するから暁人は着替えて妹に連絡を取るべきだね』
「そうだ! そうします」
一度失礼しますと暁人は来た道を戻った。部屋の外で通話するのだろうか。デイルさんもただいまと声が聞こえる。
どれだけ登場人物が増えるんだよと辟易するKKに凛子は時間が取れるかと聞いてきた。
「忙しいならお帰り願ってもいいんだけど」
「あのな、ここまで不思議現象を見せつけられて帰れると思うか?」
ましてKKは警察で、事情があってあの辺りを張り込んでいたのだ。
凛子は嘆息して絵梨佳にコーヒーをいれるように頼む。
「インスタントだけど」
「ブラックなら何でもいい」
じゃあそこに座ってとリビングのソファーに案内される。ものは多いがそこそこ整理された部屋だ。
『検査するからリラックスして右腕を出してくれ』
言う通りにすると血圧計のようなものを腕に巻かれる。凛子はデスクチェアを持ってきた。
「その間に説明するわ。 そういえばアナタは連絡しなくても?」
「ああ、問題ねえよ」
最初から半分仕事で半分趣味。ましてやサービス残業だ。家に帰っても出迎えてくれる家族はもういない。
そう、と素っ気なく反応した凛子は続いて
「幽霊や妖怪を見たことはあるか」
と聞いてきた。
いやいや、田舎の祖父母の家では河童や鎌鼬を探して野山を走り回ったが一度も見つけられなかった。人の死は何度も見てきたが幽霊も見たことがない。
『数値は浅いね……まだ目覚めたての雛のようだ』
「暁人君と接触した影響かな……あたしらは幽霊や妖怪、都市伝説上の化け物はマレビトと呼んでるんだけど、そういうのを退治してるの」
聞けば暁人の服がボロボロだったのも戦いの余波らしい。
「そういう……霊能力?を持つ人を私たちは適合者って呼んでるの」
コーヒーを持ってきた絵梨佳が言うのでカルト宗教みたいだなとKKは率直に述べた。
「否定しない。 でもここに来るまであなたも色々体験したでしょう?」
凛子の言うことは尤もで、マジックで誤魔化せるレベルを超えている。
「まあ私はまだ修行中で、凛子はそんなに能力は強くない。 エドは実は適合者じゃないけど研究者なの。 デイルはちょっと特殊で、エドの手伝いと力仕事担当」
つらつらと絵梨佳が説明する。高校生だと思うが擦れたところはなく人懐こい。
「暁人は?」
つい消えた名前を出してしまう。すると何故か絵梨佳が控えめな胸を張った。
「暁人さんは鬼強いよ! 渋谷最強ってウワサされてる」
「絵梨佳ちゃん……それは猫又のリップサービスだよ」
連絡ついでに着替えたらしい暁人が七分丈の白シャツとジーンズで出てくる。
「大体他の祓い屋を見たことないし」
「ゴーストバスターとか言ってたな」
「そうです。 依頼や目撃談から困ってる人を助けたり悪い霊を祓ったり」
事業者登録はしているのかと問えば探偵事務所兼超次元研究所ということになっていると言う。間違ってはいない。
税理署に確認してもいいよと凛子が言う。
「疑いは晴れました?」
「……大分胡散臭いがオレの件とは無関係はのは認める」
良かったと笑みを浮かべた暁人はそれからすぐに眉を下げた。
「すみません、僕のせいで……えっと」
「オレが力に目覚めた?」
はい、と今度は頬を赤らめる。流石に厨二病や漫画のような台詞が恥ずかしかったのだろう。
「多分僕と一緒にいなければこれ以上おかしなことにならないと思うから……今度裏路地で見つけても見逃してくださいね」
「……わかった」
KKもオカルトごっこに、例え本物だとしても、首を突っ込みたいわけではない。
念のためと白い数珠を渡されて解放されたKKはやっぱり宗教みたいだなとぼやいた。