共に記念日へ「フェンリッヒよ!俺とハグをしてみようではないか!」
唐突に、ヴァルバトーゼがキラキラとした目でそう言い放った。
確実に誰かに何かを吹き込まれた。
フェンリッヒは直感でそう感じる。
「…閣下、それは如何なる理由で?それと、誰から何を言われましたか?」
「む…?ハグというものには、絆を深める効果があるのではないのか?小娘も、今日はハグの日だとか言っていたぞ」
「わかりました、小娘の入れ知恵ですね。後で殺しておきますので、閣下は何もお気になさらず」
「…?何故殺す必要がある?別に今は必要なかろう…というか、仲間を殺す必要も無いだろう」
8月9日。語呂合わせでハグの日。また、人間の下らない遊びに主が巻き込まれ、その軌道修正を自分がしなければならない。
今この場にいない、フーカに殺意が募るばかりのフェンリッヒに、ヴァルバトーゼはもう一度腕を広げて言う。
「それより、別に減るものでもなし、良かろう?ほら」
「………」
フェンリッヒとて、ヴァルバトーゼとハグすることが嫌という訳ではない。ただ、小娘如きに踊らされている気がしてひどく腹立たしいだけだ。
「むぅ…そうか、嫌か…それならば、別で試すとするか、本当に絆が深まるのかをなッ!」
「──お待ちください、ヴァル様」
「…?何──だッ!?」
振り向いた瞬間、ヴァルバトーゼは自分より大きな身体に抱きしめられていた。
あまりに突然のことに、しばらく理解が出来なかった。
「貴方は本当に、わたくしの地雷を踏むのが御上手ですね。その一言が何よりも嫌なのを分かって言っているでしょう」
「な、何がだ…!?」
(天然か…末恐ろしい方だ)
「ま、待て…少し、苦しいぞ」
「どうですか?絆は深まりそうですか?」
「う、うむ…深まった、のかもしれんな…」
仕返しのつもりか、抱き締める腕に僅かに力を込める。
低い主の体温が少し高まり、少し慌てだした頃に、ゆっくりと腕を開いて解放した。
「そういう実験なら、わたくしがお付き合いすることに致します。ですので、先程のようなお言葉をもう言われませんよう。…さ、執務に戻りましょう」
妖しいような、優しいような笑みを浮かべるフェンリッヒに、ヴァルバトーゼは黙って頷いた。
そして主が少し先に行った所で、近くの壁にペンを投げる。壁に突き刺さったそれは、たかがペンの威力ではなかった。
「…よく聞け、お花畑女共。次は無い。オレは仲間だのなんだのはよく分からんし、分かるつもりもない。閣下が仲間と言おうとなんと言おうと、あまりに調子に乗るなら──殺すぞ」
凄みながらそれだけ言うと、そのまま歩き去ってしまった。
去った後、陰に隠れていたお花畑女たち──のひとり、フーカは深く息を吐いてへたりこんだ。
「こ………っわぁ〜〜…!いつから気付いてたのかしら…」
「最初から気付いてたっぽいデスね。だからきっと始め拒否したんデスよ!」
「つーか、何さっさとアタシの入れ知恵だってバラしてくれちゃってんの!?」
「多分、言わなくてもバレてたと思うデス」
「ふんっだ!こんなのでヘコたれるアタシじゃないんだからね!」
「おお、さすがおねえさまデス!その粘り強さ、なんだかラスボスっぽいのデス!!」
「ラスボスが粘り強くてどうすんのよ……」
風祭姉妹の悪巧みは、多分終わらない。
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夜、もうすぐ日付けが変わる頃。
ようやく仕事が終わったふたりは、並んで歩いていた。
そしてヴァルバトーゼの部屋へ辿り着いた頃。
「フェンリッヒ。日付けが変わる前に、仕切り直しだ」
「…ヴァル様。そんな語呂合わせに頼らずとも、いつでもお応え致しますよ」
「語呂合わせにでも頼らねば、お前は中々したがらんだろう」
「言っておきますが、昼間は小娘共の気配がしたので拒否しただけですからね」
「フフ、そうか。あまり虐めるなよ。…だが、語呂合わせで何の日というのを考えるとは、やはり人間は面白い」
「何でも受け入れないでください。何の日だと言われたところで、実践する必要もありませんよ」
「まあ、俺とて好きでやっていることだ、そう言うな。…それより、仕切り直しはどうする?」
「……お求めとあらば、お応えしましょう」
苦笑いをし、フェンリッヒは主の細い身体を抱き締める。
見ている時もだが、こうして抱き締めると、改めて主の弱体化を目の当たりにしてしまう。
(……昔は、何をしても殺せそうになくてやきもきしたと言うのに…)
ひとり、どこか寂しいような悲しいような気持ちを抱え、名残惜しくその手を放す。
「よし、これでお前と一層絆が深まるに違いないな。明日からも、よろしく頼むぞ」
「それだと良いですね。…では、おやすみなさいませ」
「うむ、ではまた明日」
いつもより別の意味でドタバタしたような今日(こんにち)が、ようやく終わった。
「釘は刺したが……諦めんだろうな、あの小娘」
歩きながら、振り回されるこちらの身にもなれ、と心の中で毒付きつつ、フェンリッヒは自室へと足を進める。
しばらくは執務の忙しさだけで済むよう、届かぬ願いを胸に。