変わる想い、変わらない想い月明かりに照らされる窓辺、部屋の中で影が動いた。
袖を通した衣擦れは、何も音がない場所では響く。
「…今日はまた、随分と余裕が無かったようにございますね?」
「……」
「フフ。理由は分かっていますがね」
新たに出来た傷跡を軽く手当てし、ボタンをひとつずつ閉めていく。
少しでも表情が隠れるように、といつからか着けているチェーンの付いた眼鏡は、内ポケットにしまう。
──主は、変わった。
暴君から儚君となり、誇りは野望へ。
全ての引き金は、あの女だった。
見ている限り、どちらにせよ、変わるのはあの女がきっかけだったように思う。
「閣下?どうされたので?」
「……か」
「はい?」
「…お前は、あの言い分が正しいと思うか。アルティナをああしたのは…間違いだったのか。俺が全て…間違っていたのか」
伸びた髪が、表情を隠す。
膝の上で握りしめられた拳から、感情は読み取れる。
フェンリッヒは、その手にそっと手を重ねる。
「…ご無礼をお許しください。……わたくしは、閣下の執事…シモベでございます。わたくしには、閣下のお考えが分かるほどの頭脳はございません。ですが…」
「…なんだ」
「あれが、あの時の貴方様の中では最善の策だった。今、別の歴史を歩んだ者が何を言おうと、それは閣下の気持ちを汲んだものではありません。…わたくしは常に、貴方様の正しさを信じております」
微笑む顔が、月光に照らされる。
シモベとして、いついかなる時も共に在る存在。
それは、どちらのヴァルバトーゼにも、同じだった。
「……お前は……そうか、そうだな」
何かを言おうとはしたが、先の言葉は飲み込まれ、微笑みに変わる。
先程噛んだ場所を、服の上から撫でさする。
「…悪かった、酷くした」
「…!いいえ、なんてことはありませんよ。閣下の身体も、今日は相当な負荷がかかったでしょう。さ、もうお休み下さいませ」
たまに、ヴァルバトーゼはフェンリッヒの血を吸う。
気が立っている時は、分かりやすく乱暴だ。
今日、気が立っている理由は分かっていた。“別世界”から来たという自分たち。
その中に居た別世界の主──暴君ヴァルバトーゼは、主君とは真逆の道を歩いていた。
誇りを捨てない、真っ直ぐに何もかもを信じて勝ち取ってきた、暴君。
「では、わたくしはこれで失礼致します。お休みなさいませ、閣下」
「…ああ」
服をきちんと着て、一礼した後に部屋を出て行く。
その帰り際、別の顔が見える。
「……あら?こんな夜更けに、何をしていらっしゃるの?」
「…あなたですか」
ピンク色の、短いウェーブがかった髪が視界に入る。
(──ああ、目障りだ)
ついキツくなった目付きを戻し、内ポケットから眼鏡を出してかける。
「何でもいいでしょう?それとも、わたくしは行動をする度に、あなたへ許可を取れとでも?」
「……」
「あなたもさっさと休みなさい。明日、今日のことで疲れたと言い訳はさせませんよ」
「…分かっていますわ」
眷属だか何だか知らないが、主の眷属になったということは、彼女は最早操り人形のように動いている。
だがなぜか、時に己に対して敵意のような感情を向けて来ていることが、フェンリッヒには不可解であると同時に不快でもあった。
(…今回は失敗した。だが、次こそは必ず)
あの日、死なせないという約束の元に、眷属として主が連れ帰って来た、邪魔な女。
次こそは、失敗などしない。
次こそは、あの女を仕留める。
廊下を歩きながら、フェンリッヒは、昔よく言っていた口癖を空に言った。
「──すべては、我が主のために」