魔王と魔王見習いつまらない。
空虚で孤独な玉座は、いつも空っぽのように空気を感じて、温度なんて感じないのに、少しばかり寒いように思う。
魔王。
そんな呼称で呼ばれるようになってから、どれ程経っただろう。
元々は人間の勇者見習いだったというのに、いつの間にか悪魔の、それも頂点の魔王となってしまったのは、いつからだったか。
(……もう、覚えてないや)
暇を持て余し、心に穴が空き、虚ろな目で座るアルマースは、ぼんやりとそんな事を考えていた。
かつての仲間たちは、自分が魔王になると途端に立場を変えた。
幸い、寝返ったり軍門に下るような者こそ居なかったものの、己を魔王として扱うようになったのだ。
想い人との結婚も夢のまた夢と成り果てた。
周りの悪魔たちも「魔王様」と崇める始末。そんな状態が気持ち悪くなり、嫌になり、周りのお世話をと意気込んでやって来る悪魔たちに「誰も来るな」と言って、魔王は本当に孤独になった。
本当なら、自分が魔王を倒すべき立場だったのに、ともう戻らない日々を恋い慕う。
(……姫様を守るんだ、と訓練をしていた時期が懐かしいなぁ…)
今、彼が鍛えた技の数々は、大切な人を守るためのものではない。
目を閉じて、何度目か分からないため息を零す。
その時だった。
「──!!」
自分が間違えるはずがない。
寄ってくる気配に高揚感を覚えたアルマースは、抑えきれない嬉しさを込めて、魔力を溜める。
ドアが開くと同時に当たったはずの魔法は、相殺されたのか、爆発を起こして周りに白煙を撒き散らす。
先程の死んだような顔など影も見ない、ウキウキとした顔を隠さず、白煙に声を投げる。
「来てくれたんだね!」
「〜〜ッ、貴様!いきなり魔法とは、やってくれるではないか!」
「キミも撃ったんだから、お互い様でしょ?ねぇ──マオ!」
「チッ……奇襲は失敗か」
「やっぱり奇襲のつもりだったんじゃないか」
白煙の中から現れた少年──前魔王の実の息子、マオ。父親から魔王の座を受け継ぐはずだったのに、自分を倒したからと、ただの人間の勇者に魔王の座を明け渡す羽目になってしまった。
あの日から、マオは度々こうしてアルマースに挑みに来ていた。
その座を奪うため、己のために。
だが魔王の座につき、アルマースは人間だった頃とは比にならない程に力をつけていた。
それこそ、邪悪指数180万のマオの頭脳とそこからの戦闘力を差し引いても、だ。
「でも、折角キミが来てくれたのに、魔法じゃつまらないね」
「結局それか。…だが、悪魔は互いの力をぶつけ合ってこそ…力こそ全て。その考えは、否定はせん」
「フフ…さ、出来るだけ長く闘お(遊ぼ)うね?」
「ふざけおって……今にそのすました顔、床につけてやる!」
剣同士がぶつかる音。
そのたった一音に、アルマースは違和感を覚えた。
「……マオ、もしかして何か秘密がある?」
「…もう見抜いたか。そうだ。我の服は、筋力強化スーツだ。貴様とは、どう足掻いても体格差があるからな。貴様は、やたらと真っ向勝負を好むからな、対策だ」
「ふーん…?確か、2年5ヶ月と6日前に挑みに来た時も強化スーツ着てなかった?」
「な、なぜそんなに正確に覚えているのだ…気持ち悪い…」
「元々記憶力はいい方なんだよ、ボク」
嘘だった。
もう、いつ魔王になったかも覚えていない。だが、マオのことは事細かに覚えている。
こうなってしまった今、アルマースの日々の楽しみはマオと手を合わせることだけ。
だから、マオのことだけは覚えているのだ。
「…確かに前も着てきたが、今回は改良型だ。簡単に我を退けられると思うなよ!」
「それは…楽しみだね!」
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弾かれた剣が宙を舞い、床に刺さった。
木の床などではない場所に刺さる物は、余程の切れ味だろう。だが、傷一つ付かなかった。
合った目は酷く冷たい色をしたまま、口元だけが笑っている。
『期待外れ』──そう言いたいのが、ありありと伝わってくる。
「──終わり、だね」
剣を鞘に収めると、そう静かにアルマースが言う。
「でも、前に斬り合った時より長かったよ?そのスーツ、すごいね。さすがだよ」
マオが弱い訳では決してない。
彼も魔王の息子として、類まれなる血と才能がある。だが、なぜか、アルマースとの力の差が離れていく。
(何故だ…!?コイツは元々人間だぞ!!)
踵を返したアルマースは、項垂れて両手足を床につけた状態のマオにゆっくり歩み寄り、膝をつく。
「ねぇ、マオ。この『魔王の称号』──渡そっか?」
「………は?」
「もしかしたら、ボクのココロの中に、ココロ銀行から入れるかもよ?そしたら──」
「──ふざけるなッ!!」
激昂したマオは、横に刺さったままだった剣の切っ先をアルマースへ向けた。
「敗者への侮辱か!?そんなものは受け入れんと、何度言わせれば分かる!?魔王の称号が欲しいのならば、貴様から力ずくで奪い取ってみせる、そう言ったはずだぞ!!」
もう闘う力はほぼ残っていないはずなのに、それでも衰えない眼光をバッチリ目に入れ、アルマースは微笑む。
「…そうだね、キミはそういう人だよね。分かった。じゃあ、また挑んで来なきゃね?」
「……余裕綽々か。お前こそ、我の前に誰かに殺されたら許さんぞ」
「うん。この称号も──首も、キミに置いておくから、早く奪いに来てよ?」
「フン、何を言っている。称号を取り戻したら、お前を死ぬまでこき使ってやるに決まっているだろう!わざわざ殺しなどせんぞ」
まるでいい考えが浮かんだ子供のような顔で、マオはそう言い放つ。
その言葉に、アルマースは堪えきれない笑いを零した。
「なっ、何が可笑しい!?」
「あはは…ごめんね、あまりにもキミらしいから、つい」
「バカにしているだろう…?」
ジト目で言うマオに、「バカにしてないよ」と返す。
(あーあ…こんな風に声を上げて笑ったのなんて、いつぶりだろ)
「とりあえず、今日の所は帰る」
「うん。また来てね」
「……次こそその顔を歪ませてやる」
捨て台詞の後に踵を返し、ドアを開けた後に、もう一度振り返る。
「…人間は守るものがあると強いなどと聞いたことがあるが、お前みたいに守るものがなくてもなれるものだな」
「……」
それが言いたかったことで、答えなど求めてなかったのか、マオはその言葉を最後にドアを閉めた。
「守るもの、か…」
踵を返し、また玉座へと向かう。
マオは恐らく、アルマースが人間だった頃に姫様という守るべき者が居たが、今は居ないのに、といったことが言いたかったのだろう。
再び誰も居なくなった部屋の中に、答えを告げる声が響く。
「あるよ。守りたいもの。キミがボクを討つまで、ここは譲れないでしょ?」
──だから、早くここまでおいで。
孤独な魔王は、今日もひとり玉座に腰掛ける。
いつか友がこの日常を、輪廻を終わらせてくれることを願い、彼は来る者を退け続ける。
「ここは、キミ以外に譲る気は更々ないんだからね、マオ」
そう呟いて、魔王は冷たい笑みをひとつ、零した。