ここにいるよ テディがその場に居合わせたのは、偶然以外のなにものでもなかった。なにしろ屋敷の女主人が玄関に姿を現したのは、彼女の帰宅予定よりずっと早い時間だったので。
「あ! 主様、お帰りなさいませ!」
平日の、日の高いうちに会えるなんてラッキー!
そんなふうに、テディが喜びに顔を綻ばせていられたのは、ほんの束の間だった。ぼんやりと彼の名を呼んだ主人が、くずおれるように座り込んでしまったからだ。
「主様!?」
慌てて駆け寄ったテディは、今にも倒れてしまいそうな体を支える。体調が悪いのではと考え触れた額は、案の定、燃えるように熱かった。
「ごめん……ルカスを呼んでもらえる……?」
弱々しい声で言った主人が、気だるげに息をつく。途中で苦しそうに咳き込んだ彼女の背を摩ると、テディはそのままぐったりした体を抱え上げた。
「とりあえず、お部屋へお連れしますね。そのあとで、すぐにルカスさんを呼んできますから」
肩口に預けられた頭が上下に揺れるのを確認して、テディは階段を駆け上がった。そうして病気の主人を寝室のベッドに寝かせると、彼は看病の手筈を整えるために、文字どおり屋敷中を走り回ったのだった。
「失礼します」
氷枕を手にテディが主人の寝室に戻ると、ちょうど診察を終えたルカスが部屋を辞するところだった。屋敷の医療係によれば、季節の変わり目で風邪を引いたのだろうということだ。
ルカスの診断をすぐに聞くことができたのは、ラッキーだった。一番に主人の変調に気づけたことといい、今日のテディはツイているのかもしれない。
見るからに辛そうな彼女の姿を見るのは忍びないが、人伝に倒れたと聞かされ、大丈夫なのだろうかとヤキモキするよりはよほどいい。
「主様……」
急ぎの仕事があるというルカスから主人の看病を任されたテディは、枕元に寄ってそっと呼びかけた。ぴくりと睫毛が揺れて、瞼が開かれる。
熱が高いせいだろうか。たったそれだけの動作だというのに、ひどく億劫そうに見えた。
「氷枕を作ってきたんです。少し、頭を持ち上げますね」
首の裏に手を差し込んで、筋や骨に負担がかからないように注意しながら頭を持ち上げる。空いた隙間に氷枕を押し込んでから、頭を元の位置に戻すと、主人は目を閉じて小さく息を吐いた。冷たい感触が気持ちいいのだろう。
「……ありがと、テディ……ゴホゴホッ」
「これくらい、お易い御用です。他にも俺にできることがあれば、なんでも言ってくださいね」
うん、と目を閉じたまま肯った主人が、漸う目を開ける。声を出そうとして、また咳き込んだ。
少しでも楽になってほしい一心で、テディは横向きに体を丸めた彼女の背を摩る。ベッドについた片手に熱を感じて視線をそちらに転じると、白い指先が彼の小指に触れていた。
「眠ったら……テディ、は……行っちゃう?」
その上、不安げに問われたとなれば、小さな手を振り解けるはずもない。テディは背を摩る手をそのままに、控えめに引き止めた指先を包むように握り直した。
「大丈夫ですよ。主様がお目覚めになるまで、ここにいます。だから安心して休んでくださいね」
「……よかった」
ほっとした様子で呟くと、主人は力尽きたように目を閉じた。限界だったのだろう。
やっぱり、今日の俺ってすごくラッキーかも。
不謹慎とは思いつつ、テディは独り言ちた。だって、世界でいっとう大切なひとに、こうして必要としてもらえたのだから。
主様が、早く良くなりますように。
そっと握った熱い指先に、祈りを込める。すると、辛そうに刻まれていた眉間の皺が、わずかに緩んだように見えた。
おそらくはルカスの薬が効き始めたのだろうが――それだけじゃないといいなと思って、テディは慈しむように主人の眉間をそっと指先でなぞったのだった。