手を繋いで帰ろう♪〜夕焼け小焼けで日が暮れて
♪〜山のお寺の鐘がなる
秋は、日毎に深まっている。
悪魔執事の主人は、担当執事を務めるミヤジに誘われて、屋敷の裏に広がる森の小路を散策していた。
乾いた空気に晒された下草や落ち葉が、足を動かすたびにかさかさと音を立てる。姿を隠した鳥たちや虫たちも、澄んだ声を響かせており、森の中はちょっとした音楽会のようだ。
「主様、疲れてはいないかい?」
先導するミヤジが問うが、屋敷を出てからまだ十分も立っていない。心配性の執事に、女は「やっと体が温まってきたところだ」と元気いっぱい答えた。
二人はゆっくりと森を進んでいく。予定では、湖畔まで行って、少し休憩をしてから屋敷に戻ることになっていた。
しかし、秋の日は釣瓶落としとはよく言ったものだ。道程の途中で傾き始めた太陽は、一気に滑落してゆく。二人が湖畔に着くころには、空はすっかり茜色に染まっていた。
帰りは、暗闇の森の中を歩くことになりそうだ。水辺をそよぐ風にウォーキングで温まった体を冷やされて、女は少し心細い気持ちになった。
彼女は縋るような気持ちで、隣で湖畔を眺めているミヤジを見上げた。彼は湖を囲む紅葉した樹々を見つめ、心地よさそうに目を細めている。
全身に夕日を浴びるミヤジは美しかった。
白に近い銀の髪は夕映えの色に染まって、キラキラと輝いている。海の色をした瞳も、沈む日と混ざりあって常とは異なる色合いに見えた。すらりとした鼻梁に影がかかって、それさえ一つの芸術のようだ。
「……ミヤジ」
女は思わず、ミヤジの服の裾を握りしめていた。茜色に照らされた彼はあんまり綺麗すぎて、そのままどこかへ攫われてしまいそうだった。
「主様? どうしたんだい、そんなに不安そうな顔をして……」
女は答えない。ただ、彼の服をくしゃくしゃになるまで握るだけだ。
どこにもいかないよね、と。言葉に出したら、恐れていることが現実に変わってしまいそうで、できなかった。
「主様」
ミヤジの大きな手が、震える女の手に重なる。彼は服の裾を取り返すと、握るならばこちらにしなさいとばかりに彼女の手を握り返した。
それからミヤジは腰を折って、女と視線を合わせた。柔らかく微笑む彼は、夕日に染まって美しくはあったけれど、そこにはもはや解けて消えてしまいそうな儚さは感じられなかった。
「大丈夫だよ。私はどこにもいかない。あなたのいる場所が、私の生きる場所なのだから」
抱いていた不安を言い当てられて、女は目を丸くした。
「なんで……」
「ふふ……あんなふうに一生懸命捕まえられたらね。それに、私はあなたの担当執事だから。わかるよ」
答えるミヤジは、どことなく嬉しそうで、誇らしげだ。なんとなく悔しい気持ちになりながら、けれど女は微笑みを返した。
遠くを見つめ、死を思っていたミヤジが、生きることに喜びを見出してくれたなら。彼女にとって、それ以上に嬉しいことはないのだから。
「さて、そろそろ帰ろうか。思ったより暗くなってしまった」
屈めていた腰を伸ばして、ミヤジはするりと手を解こうとする。それを捕まえて、女はいつもの位置に戻った顔を覗き込んだ。
「ねえ、ミヤジ。帰るとき、手を繋いでいてくれる?」
「……そう、だね。暗いから、そのほうが安全かもしれないね」
彼の躊躇いを示すように開かれていた手のひらが、ややあって小さな手を握り返す。離れないように、しっかりと。
日の入りを迎えた空は、薄闇にまばらな星を散らしている。ミヤジと女は手を繋いだまま、来た道を引き返し始めた。
準備のいい執事が持ってきていたカンテラの明かりが、行く先を照らしている。暗い森を進むには頼りない光だが、触れ合った場所から伝わる温度のおかげか、心細さは感じない。
「ミヤジの手、冷たいね」
「冷え性だからかな。私の手のせいで、寒くはないかい?」
「ううん、大丈夫。あのね、ミヤジ。手が冷たいひとは、心が暖かいんだって」
「……そうか」
「うん」
「では主様は、手も心も温かいんだね」
「そうかな」
「ああ」
やがて木立の向こうに、屋敷の明かりが見えてきた。女がホッとしてミヤジのほうを見ると、彼も彼女のほうを見ている。目が合って、二人はどちらともなく微笑みを交わした。
♪〜おててつないで みな帰ろう
♪〜カラスと一緒に帰りましょう