心の拠所「あ――、これは帰れないなぁ」
一人で依頼を熟せるようになって久しい僕は、今日も危なげなく悪霊を退治して帰路についている。しかし駅から出ようとすると、外はバケツをひっくり返したかの様な土砂降りで、まだそんなに遅い時間でもないのに暗く視界も悪い。思わず独り言を発してしまうのも仕方ない悪天候。
その中を折りたたみ傘で果敢に挑んで行く人、ビニール傘を買って行く人、僕のように諦めて待つ人と様々な人間がいる渋谷。
丈夫そうな黒い傘をさして歩くスーツのサラリーマンには、ついあのマレビトを連想して密かに警戒してしまうが、今はもう人間が戻ってきている事も同時に実感する。
そう、今人間は戻ってきているんだ。
思い出される、服や鞄だけが落ちている地面の上に、穏やかに降り注ぐ雨……絶望的な光景。
あの一夜は確かに絶望的ではあった。だがしかし同時に、身を委ねる事の出来る唯一無二の相棒を得た一晩でもあった。なので雨は嫌いじゃなく、むしろ好きだ。沢山褒めてくれたあの声も
一緒に思い出すことができるから。
その相棒とは今、一緒に暮らしている。
ルームシェアをするに至った切っ掛けは、妹の麻里が寮付きの大学へ進学したのと、アジトにガジェットが増え、相棒の寝床が無くなり追い出された事が重なったからである。
基本一人でいる事を好む相棒……KKであったが、家賃も馬鹿にならないので、初めは渋々といった様子で共に暮らし始めた。しかし今はお互いに協力して良い暮らしができていると思う。
KKは今どうしてるかな……洗濯物大丈夫だったかな……
つい暗雲を見上げながら家の心配が湧き出す。
仕事は豪快でありつつ完璧な彼だが、家事となるとてんでダメだった。食事はカップ麺か外食、洗い物はため込む、服は脱ぎっぱなし……いくら家事が好きな僕でも、限度があるので矯正させてもらった。
気がつけば雨空は勢いを緩やかにしている。考え事をしていたら思ったより時間が経っていたらしい。あの夜と同じ雨音。
このくらいならフードをかぶって走り帰ろう。
KKとおそろいのジャケットは撥水もいいから何とかなる。
「ただいま」
ジャケットの雨粒を払い落として帰宅すると、返事がない
どころか電気もついていない。返ってくるのは屋根を打つ雨音ばかりで、居ないのか?と思えば靴はある。
「KK?電気もつけないでどうし……」
床を濡らさない様に入った部屋の中、KKはソファーで眠りこけていた。洗濯物は歪ながらも畳んで置いてあり、取り込んでくれたことを喜ぶ。
にしても、珍しい……KKは気配に敏感だ。
共に暮らし始めた頃をもう一度思い出してみる。KKの居眠り中に、音を立てず近づいてもすぐに目覚めるので、寝顔を見たことが無かったくらい。
床に落ちている左手を踏んでしまわない様、傍に来てしゃがんでみる。それでも起きない。初めて見た寝顔は穏やかで寝息もかなり静か。ゆっくりと上下する胸で、やっと彼が生きていることを実感する。
考えてみれば最近KKは依頼で一人、東奔西走かなり忙しくしていた。だから凄く疲れているはず。ソファーでは寝苦しいだろうし体も痛めてしまうから、そろそろ起こしてやらなきゃ。
「KK、けーけー!!けぇ――けぇ――!!!」
「……?」
胸に置かれていた右手を揺らして呼びかけると、
まだまだ寝たりなさそうに起きてくれた。
「――……帰ったのか暁人」
「おはようKK、洗濯物ありがとう。あと、こんな処で寝てると体痛めるよ」
「おぉ……」
薄い反応に寝ぼけているのだなと微笑ましく思いながら、洗濯物をいつもの場所へと仕舞い込む。あの様子だとご飯はまだ食べていないだろうから月見そばでも作ろう。
どうやら洗濯物を畳んだ後そのまま寝ちまった様だ。夢も見ずぐっすりと眠るのは久しぶりで、暁人が帰ってきている事にも全く気付かなかった。体は確かに少し痛むが、気分は随分とすっきりしている。
激しかった雨は落ち着いた音を奏でていて、いつかの夜を連想させた。そうか、この雨音によって睡魔に襲われたんだったか。
「KK夕ご飯まだだよね?作るけど食べる?」
「あ?おぉ、食う。さんきゅ」
暁人が料理をする音と、眠気を誘う雨音を聞きながら今回の報告書を書き始める。穏やかな時間にこれまでになく作業は進み、夕食ができる頃には完成させる事が出来た。
「月見そば、か。いいな」
「なんとなく食べたくなってさ。いただきます!」
ネギにほうれん草と月のような玉子、見事な月見そば。
いつも付けるテレビは消したまま、雨音を聞きつつ啜る。
「ん、美味い」
「そ?よかった」
蕎麦に舌鼓を打ちながら、「貴方最近丸くなったわよね。かなり」と凛子に言われた事を思い出す。その時は全否定したが、
あながち間違っていないかもしれない。
コイツと居る時間は穏やかなのだ。
「明日の依頼の話は、僕ら二人にお願いしたいらしいよ」
二人で一緒に依頼を受けるのは久しぶりだねと、のんきに笑いながら食べる暁人に、相棒とは言えど師として一応忠告はしておかなくてはならない。
「二人でってこたぁ、それだけ危険な依頼なんだろうよ。尻尾振って喜んでる場合じゃあねぇかもしれないぞ」
「そこは分かってるって!それに尻尾なんか振ってないよ犬じゃないんだから!」
喜んでるってのは否定しないのなと、ほくそ笑みながら最後の一口を飲み込む。
「美味かった。ごちそうさん」
「ふふ、御馳走様でした」
作らなかった方が食器を洗うルールに則り、暁人の食器と共に片づける。もう慣れたもの。というよりも、刷り込まれたという方が正しいかもしれない。
「僕も手伝う。最近忙しそうだったし疲れてるだろ?今日は早くベッドに入って休んだ方がいいよ」
オレが洗った食器を拭いて仕舞ってくれる暁人。本当にできた人間だよコイツは。
「お言葉に甘えるとするかね。お前も濡れて帰ってきたんだから、早く風呂入ってよく温まれよ?」
「はぁい」
風呂は帰ってきて早々に入ったため、あとは歯を磨いて寝るだけだ。心地よい雨音に、今日はよく眠れそうな気がする。
昨日から降り続く雨は、依頼の刻になっても止む気配は無い。怪異が現れるまでは屋根の下で待つ事にして、情報収集に疲れた頭を休める。
「やっぱりこういう張り込みにはアンパンと牛乳だよね」
「オマエほんと、緊張感ねぇなぁったく」
先ほどコンビニで買ってきた袋からアンパンをひとつ取り出して渡せば、KKは呆れながらも受け取って食べてくれた。
「緊張はしてるよ?でも僕ら二人なら、何が相手だとしてもなんとかなる自信があるからさ。ね、相棒?」
「言ってくれるねぇ」
KKの満更でもない様子に笑みが零れる。でも気を引き締めないとならないのは確実だ。
相手は百鬼夜行なのだから。
食べ終わるころ、唐突に都心の喧騒が遠のき、雨が地面を打つ音に加え、太鼓と鈴の音が近づいてくる音のみに
空間が支配された。
「暁人。あいつらを一掃して、呼び寄せてやがる元凶……悪霊を祓うぞっ」
「あぁっ」
二人して雨の中へと飛び出し、列成す魑魅魍魎の中へと奇襲をかける。あの夜では異界へと引きずり込まれた百鬼夜行、正常に戻ってからはそこまでには至らなくなった。
最初はKKによる炎のエーテル爆撃。たった一撃入れただけのそれは、大半のマレビトを吹き飛ばす。僕のエーテルとは比べ物にはならないその威力と重みに、また腕を上げたなと、もはや畏怖を覚えるほどだ。
マレビトがかわいそう。
「おら暁人!!オレだけで終わらせちまうぞ!!」
本人は実に楽しそうで、このままKKの技に見惚れていたら、本当に一人で片づけてしまいかねない。
「僕だって!!」
KKの業火から逃れたマレビト達の足を風のチャージラッシュで撃ち抜き跪かせ、水のチャージラッシュにて凍らせる。そうしておけば、後は流れ弾で勝手に倒れてくれる。
「相変わらずエーテルの扱い方がうめぇなぁ!!威力も技も成長したんじゃねぇか!?」
「まぁね!!すぐKKに追いついてやるから!!」
KKは髪姫と戦いながらも僕の事までよく見ているし、余裕どころか楽しんですらいる。一々目で確認しなくても、僕の位置とともにマレビトの気配を常に把握しているのが伺える。
本当にすごい。
視界を邪魔する雨粒を袖で雑に拭い瞬時に弓へと持ち替え、KKの背後に迫るマレビトの頭を的確に矢で射抜く。ついで自分に近づいて来たマレビトを、次に引き抜いた矢で直接刺し貫いた。
「そんな大胆な矢の使い方があるかよ初めて見たぞ!!一体全体誰に似たってんだ!?」
両手で二体の髪姫のコアを握りつぶすKK。
「師匠しか居ないんじゃない!!」
「違いねぇ!!さて、コイツも使ってみるか」
後半何か言った?と思い彼の方へ視線を向ければ、銃口を僕へと真っ直ぐに向けるKKと目が合う。
その瞬間、僕の中で時が止まった。
片手で真っ直ぐ銃を向けてくる彼の口角がゆっくりと持ち上がり、スローモーションで引き金が引かれる。
銃口からゆっくりと火が噴き出したと思えば、鼓膜を強く叩く破裂音、雨粒を砕きながら、真っ直ぐに僕の顔の横を突き抜ける弾……そして、真後ろで崩れ消える髪姫。
「び……っくりするだろ!?撃たれるかと思った!!」
「はあ!?オレがお前を撃つわきゃねぇだろ!!」
「分かってても条件反射で撃たれるって思うだろ!!」
「へぇへぇ悪うござんした!!それにしてもこの銃、良い威力してんなぁ!!凛子に礼言っとけよ暁人!!」
KKが銃の一撃で倒してくれていなかったら、確かに僕は危なかった。不服だけど、凛子さんには後で御礼しよう。
そして戦っているうち、次の団体が到着するまでの隙間時間に互いの背中同士が自然と触れ合う。
「ったく、雨が鬱陶しいな」
僕の背後でKKは前髪をかき上げている。
「そう?やりにくいなら、後は若い僕に全部任せてもいいんだよおじさん?」
「お前がコレを全部一人でやりきろうなんざ、十年はえーんだよ、クソガキ」
僕らを取り囲むように現れる第二陣。ざっと見ただけで先程よりも数が勝る上に、口裂まで複数体お出ましだ。
おまけにこれが最後とも限らない。
「確かに、コレは僕ひとりじゃムリだね」
「死ぬことだけは回避しろよ!!」
「アンタもね!!」
背後で聞こえたKKによる爆発音を皮切りにして、水のエーテルをチャージしながら前へと走り込む。
至近距離から目の前の団体に打ち込み纏めてコアを露出させ、全てをワイヤーで引き抜く。
その奥に控えていた口裂へと道を作り出し瞬時に麻痺札を投げ当て、背後に回りコアへ手を伸ばすも、鋏を振られてチャンスを逃した。
だがそれでめげる僕じゃない。
すぐさまコアへと再び掴みかかれば手ごたえがあり、渾身の力をもって握りつぶす。
その勢いに口裂の体は宙を舞い回転しながら霧散した。
このマレビトを相手にすると、いつも力を籠め過ぎてしまうのは仕方ないことだろう。
初遭遇時のトラウマは、簡単には消えない。
苦手な強敵を一体片づけて少し安心した僕に、別の鋏が迫る。
まずい、防げない……避けられない……少しでも油断してしまった事を悔やんで、襲い来るだろう痛みに備える。
しかし、金属のはじける音がしただけで痛みは来なかった。
何かに口裂の鋏が弾き飛ばされたのだ。
まさかと思い背後にいたKKへと視線を向けるが、彼の持つ銃口はあらぬ方向を向いている。少なくとも口裂には向いていない。だというのにKKは方向を変えながら数発発砲した。
どれも口裂けには向いていない銃口から放たれたその弾は、
それぞれ看板や壁、パイプなどに当たって跳弾し、吸い込まれる様に僕の傍にいる口裂へとヒットしてしまった。
いくつも高威力の特性銃弾を受けた口裂はそのコアを顕わにしていて、僕はすかさずそれを握りつぶす。
「ちょっとKKなにそれ!?エーテルだけじゃなくて銃の扱いもそんなに上手いの!?」
「何言ってんだオレの前職を忘れたとは言わせねぇぞ!!国の犬舐めんじゃねぇよ!!」
絶対に、警察官だったからってこんなに銃の扱いが巧いわけがない。そりゃ、少なからず訓練はしていたと思うけど……。
辞めてからマレビト相手にかなり銃を使っていたんじゃないかと考えた方がしっくりくる。
というか、マレビトに実弾って効くの?
いや今はそんなことを考えている場合じゃない。周りにいる敵に注意しないとやられてしまう。
口裂は残り三体、全てKKが相手取っている。
幸い僕の周りにはマレビトが居なくなったので、弓矢に持ち替え援護へと切り替えた。
暫く見ていなかった間にKKの戦い方は激しさを増していたようで、餓鬼童子の足をワイヤーで縛りそのままぶん回して近づきすぎたマレビト達を蹴散らし、炎のエーテルチャージをばら撒いて爆散させている。その攻撃は少なからず口裂け達にも入っていて、援護の必要性をまったく感じられないどころか、またその戦いぶりに目を奪われてしまった。
凶悪ながらも実に楽しそうな笑顔に伝う雨粒、足元で跳ね上がる水しぶきと軽い身のこなし。
だがKKに一番近い口裂けが不穏な動きを見せる。死角へと滑り込みその長い手を彼に伸ばした。
僕はそれを見逃さず、麻痺札を矢の先端に貼り付け、まさにKKを掴み上げようとする口裂けの額へとクリーンヒットさせる。札は問題なく麻痺効果を範囲で発現させ、二体の口裂けの動きを止める事に成功。
もちろんKKはこの勝機を逃すわけがなく、すかさず二体同時に、真正面からコアを両手でぶち抜いて砕き、最後の一体も炎のエーテルチャージで爆破し霧散させ、第二陣を全滅させた。
「助かったぜ相棒、ホント、お前の弓の腕は最高だな」
「僕の相棒は危なっかしい戦い方をするから、仕方なくね」
「悪かったな」
嫌な気配は未だ消えず、目的の悪霊も姿を現していない。ということは、まだまだ暴れる必要がありそうだ。
最後の最後に現れてくれた白無垢のコアをオレが握りつぶし、しばしの静寂が訪れる。
札もエーテルも弾も全て出し尽くした。こんなにも消耗する戦いはあの夜以来だろう。傷から溢れる血が雨によって流されていくのを見ながら、静かに息を整える。
「はぁ、つっかれた。もう出てくんなよぉ」
「ハァ、ハァ、流石に、無傷とは、いかなかったね……」
二人して満身創痍ながらも、姿を現した悪霊の前に立つ。悪霊は呪いの言葉を吐き続けているが、そんなものは容易く弾き返してやった。
「今更抵抗すんじゃねぇよ。諦めて消えやがれ」
印を組み、力を込め、根本から綺麗サッパリと祓ってやる。
これで、依頼は終了だ。渋谷の喧騒が戻ってきたのがその証拠。
「嫌な気配が無くなった……完了だね」
「あぁ、ちょっくら休んでから帰るか」
「賛成、応急処置もしないと」
人目につかない屋根の下へと二人で入り、座り込む。暁人は荷物を漁って治療道具を出している様だ。
今回は流石に多すぎて、二人でと采配した凛子は正しかった。対マレビト銃といい、頭が上がらねぇな。
この銃がなきゃ恐らく死んでいただろう。予想を遥かに超えた数の百鬼夜行だった。
「KKジャケット脱いで。止血する」
大人しく言われた通りにジャケットを脱ぎ、暁人に手当を任す。腕はもちろん、腹や首にまでピンキリの切り傷が出来ていた様で絶句された。
確かに、首は危なかった。口裂の鋏を寸でで躱していなかったら、胴体とおさらばしていただろう。
まぁ、そんな事暁人には一々言わねぇが。
「はい、もう無いよね?隠してない?」
「もう隠さねぇよ、約束したろ。これで全部、後はかすり傷と打ち身だけだよ」
物凄い剣幕でメンバー全員から詰められ、怪我を隠す事を止めたのは割と最近で、未だに信用して貰っていないみたいだ。
仕方ない自覚はある。
「次はお前だろ、ほら怪我したとこ見せてみろ」
「うん、KKほど酷くは無いけど頼むよ。ありがとう」
肩や腕に擦り傷、足に軽い切り傷、頬にまで血が滲んでいるが、確かにオレ程酷い怪我は無い。オレの力が後もう少しでもあれば、無傷でやり過ごしてやれたんだが……。
傷が残らない様丁重に応急処置を施しながら、僅かな悔しさを噛み締める。
「いい面になったな男前」
「なにそれ複雑」
お気に召さなかったらしい。大方、目立つところに怪我をしてしまったことが悔しいのだろう。見つかれば麻里に怒られるからな。恐らくオレも怒られるだろうから、言い訳を考えておかねぇとならない。まぁ、いつもの事だがよ。
一通り手当も終わり暁人が片付けている最中、タバコを取りだし火をつける。オレにはライターなんて必要ない。火のエーテルを指先に灯せばそれで事足りる。
勝利の一服は格別ってな。
肺の底から吐き出した白い煙は、穏やかに雨の降り注ぐ空へと消えていった。
雨……思い出される、悔しくも救われた一夜。
あの夜オレは一度死に、瀕死の暁人に取り憑いた。
心底、取り憑いたのがコイツで良かったと思う。
オレにここまでついて来られる奴は、暁人以外に居ない。
孤独だったオレにできた、唯一無二の相棒。
いや、今やオレにとって暁人の存在は、ぽっかりと開いていた心の隙間を満たす拠り所と化している。
下を向き、煙草を再び口に寄せ、今度は先程よりもゆっくり、深く吸い込み肺を満たす。隙間を埋めるように。
「最近タバコ吸う本数減ったんだって?」
片づけの終わった暁人が隣に寄ってきた。
「あ?んな事誰が言ったよ」
思わず溜めていた煙を漏らしながら聞き返せば、案の定予想していた名前が出てくる。
「絵梨佳ちゃんと凛子さんだよ。タバコのニオイが薄くなったとか、ゴミが減ったとか」
吸い殻のゴミはともかく、ニオイってなんだ。犬か何かか。
しかし自分で意識した事はなかったが、改めて考えてみれば確かに減ったかもしれない。
未だ優しく雨を注いでいる真っ黒な雲を見上げながら、残った煙を全て、ゆっくりと細く吐き出す。
「……そうかもしれねぇなぁ」
「そのまま減らしてって止めないの?タバコ吸ってると息切れしやすくなるって言うし」
「止める気はねぇ」
「即答……少しは考えなよ」
考えるまでもない。オレは死ぬまで煙草を止めることは無いと断言できる。いや、死んでも吸い続けるだろうよ。
暁人のボヤキを聞き流して、渋谷の喧騒と雨音を聞きながら、煙草を銜えて天を仰ぎ見る。両手で頭を支えながら壁に寄りかかれば、多少なりともリラックスできた。
量が減ったのはそう、暁人の存在のおかげだ。オレは一人じゃないと認めてくれた、確信させてくれたおかげ。
それで満たされたからだ。
こんな事、本人には言えっこないが……。
いつか、死ぬ間際になら伝えてみても良いかもしれない。
「服に吸い殻落ちると危ないよ」
「へぇへぇ」
「洗うの僕なんだからね」
視線を天から雨粒の跳ねまわる地面へと移し、指で煙草を支え、大量に煙を吸い込み、唇を離して煙草を持つ手を前へと伸ばす。
落ちてくる雨粒が丁度よく、短くなった煙草の先端に当たって火が消えたのを確認し、そのシケモクを携帯灰皿に仕舞った。
「悪ぅござんした」
またも煙を漏らしながら話すオレに、相棒は呆れ顔。
地面に張られた水面へと、最後の煙を全て吐き出せば満足感を得られた。吸ったのはたった一本だったのに。
「雨止みそうにないね。もうこのままアジトに帰ろうよ。どうせもうびしょ濡れなんだし」
「そうだな、帰るか」
「手当もやり直さないとね」
ケツをはたいて立ち上がり、痛む傷に気が付かないふりをする。
二人してジャケットを着なおしフードを被れば不審者だ。職質を受けない様に人目を避けて帰らないとならない。
「KKその怪我でグラップルは禁止だよ」
「はぁ!?この程度大丈夫だっての」
雨の中を並んで歩きつつ、過保護すぎると抗議の意を示せば、途端に暁人の顔がむくれっ面へと変わる。
「この程度じゃない!!KKは結構大きな怪我なんだからな!?傷が開いたら余計に服が汚れるだろ!!」
オレの心配ではなく、服の心配の方をあえて口にするのはわざとだろう。実のところ服なんてどうでもいいくせに、天邪鬼なオレに合わせてこういう事を言うようになった。
生意気なガキだ。
結局、雨に打たれながら人目を避けて回り道をしつつ、歩いて帰るはめになった。
「帰ったらすぐにお風呂で温まらないと、風邪ひきそうだね」
「何とかは風邪ひかねぇってんだから大丈夫だろ」
「KK……強制だからね?」
あぁ、これは傷に沁みるのが嫌だと気付いている顔だ。こういう事に関しては暁人に勝てない。どんなに嫌がっても洗われてしまうのだろう。
今からその痛みを覚悟しておくか……。
天を仰ぎ見て観念する。
この雨は、運命のあの夜を思い出す。
「KKってさ、雨はすき?」
「そうだなぁ……ま、気に入ってはいるな」
「なんだそれ。僕は好きだよ」
「そうか」
終