再訪、きさらぎ駅『―――鉄道をご利用いただきありがとうございます。各駅停車、―――行きです』
「……ん……」
いつの間にか眠っていたらしい。電車内の放送の声で意識が浮上する。
パチパチ、と瞬きを数回。
目の前の座席には誰も座ってない。……それどころか周りを見渡すと車両の中には自分以外誰もいない。
(……あれ……?この時間のこの電車こんなに空いてたっけ……?)
言いようのない不安感を覚える。
『次は、『きさらぎ駅』、『きらさぎ駅』……お出口、左側に変わります』
再び車内に放送が流れる。その内容に、僕は弾かれるように座席を立った。
窓の外を見れば夜よりも深い闇に濃い霧が出ていた。
「……っ」
反射的に普段持ち歩いている仕事用鞄の中を確認する。
今日は既に依頼された『仕事』で消費した後。まだ新しい『札』は補給していない。
(相手次第では苦しいか……)
しかし巻き込まれてしまった以上はなるようにしかならないだろうし、するしかない。
帰還を第一に考え、元凶を倒す必要がないなら今回はそれでよし、その必要があるなら……
『間もなく、『きらさぎ駅』。どなた様もお忘れ■■のないようご注意ください。本日は■■■■鉄道をご利用いただき■■■■■―――』
聞き取りにくい言葉に眉を顰める。あちら側に引き寄せられる感覚だ。
減速する電車の左側の扉の前に立つ。
その扉は電車が完全に停車すると数刻後に軽快な音を立てて開く。
深い霧に佇む駅は古めかしく、ホームはあちこちひび割れ、金属は錆びついている。
電車から足を踏み出し、ホームに降り立つ。砂を踏む感触がする。
置かれた駅の看板を確認する。
下る先も上る先も現実世界には実在しない……してはならない駅名。
そして最も大きく書かれた文字。
「きさらぎ駅」
声に出して駅名を読み上げると同時に、真後ろで電車の扉の閉まる音がした。
次いで音をたてて出発する電車を、首だけ後ろを振り返り確認する。
行き先を示す電光掲示板は、自分が乗る時は確かにちゃんとしていたはずだが、今はバグったような表示で何の文字も読み取れなかった。
「……よし」
軽く頬を叩き、今一度気合を入れなおし、鞄を抱えなおす。
ホームで左右を見渡せば右の端の方に改札と思わしき場所が見えた。
そこに向かえば今となっては東京には当たり前に設置されている全自動改札……なんてものはなく、無人の箱が置かれているだけだった。
そこに置くべき切符なんてものは持ち合わせていない。素通りするしかない。
(前にきたときは、改札出てすぐに異常空間で化け物が湧いてきたからその対応をしたけど……)
今回は改札を出たその場所は、深い霧に囲まれただけの、ただの町のように見えた。
夜の闇よりも暗くて、灯はなく、木造の家々には人の気配が感じられない。
(前と同じようにはいかない、か……)
あまりにも静かで、自分の息遣いと、足音しか聞こえない。
それを聞きつけて襲ってくる化け物の気配もない。
これはこれで、気が狂いそうだ。
「何か、誰かいないか……探すしかない」
自分に言い聞かせるように呟いた言葉は霧に溶けていった。
* * *
それから、どれくらい歩いただろうか。
スマホは当然圏外、時計は4:44で止まっているのを駅で確認してから見ていない。
だから自分がここにきてどれくらい経ったかはわからない。
結局のところ精々数十分だとは思うけれど、何時間も経ってるように感じた。
深い霧は方向を見失わせ、並ぶ家はすべて同じように見える。
最初こそ化け物を警戒して慎重に進んでいたが、そのような気配は全く感じられず、とうとう普通に歩き出すもやはり襲い掛かってくるものは何もなかった。
しかしそれはそれで困る。
ここから脱出するための手立てもヒントもない、ということなのだから。
立ち止まり、大きくため息をつく。吐息は霧に吸い込まれていく。
(本当に……おかしくなりそうだ)
万が一今襲われたら、あっという間に負けるだろう。
そんなことはあってはいけない。
落ち着くために目を閉じて深呼吸をする。
……前に『きらさぎ駅』に来た時のことを思い出した。
あの時は僕は一人じゃなかった。肉体的には一人でも……確かにそこに、もう一人いた。
僕と争い、対立し、それでも共に歩み、共に戦い、そして去っていった人。
あの時はその人とも話をして……ああ、猶更今が惨めで苦しい。
でも同時に。
だからこそ僕は……帰らなきゃいけないんだ、そんな想いがまた沸々と湧き上がる。
「……KK」
目を閉じたまま、彼の名前を呼んだ。
その瞬間。
何者かに右手を握られ、グイっと引かれた。
「!」
反射的に目を開く。
思わず転びそうになるが何とか態勢を立て直した。
顔をあげ前を見やれば、前を歩く人物は、その右手で僕の右手を掴んで、こちらを振り向くことなく進んでいく。
僕はその後姿を、知っていた。見間違えるはずもなかった。
「KK!」
彼の歩く速度に合わせるように歩きながら、僕は叫ぶようにその人物の名を呼んだ。
彼はこちらを振り向かず、歩く速度も落とさず、
「なんだよ暁人」
それでも聞きなれた声で僕の名を呼んだ。
KKは最後の戦いが終わった後、眠りについた。
それが何を意味するのか分からないほど、その時の僕は無知ではなかった。
それでも、いや、だからこそ、僕は彼の歩いていた道を歩きたかった。
「KKの仕事の跡継ぎ、大変だったんだよ?それでなくても人手が足りなくなってたし……」
「そーかそーか、俺の偉大さがわかったか?」
「……まあ、確かに、前任の跡継ぎがこんな若造で、何回か言われたよ」
「だろうなぁ」
「まあすぐに『KKより礼儀正しいし仕事丁寧で助かる』って言われるようになったけどね」
「おい」
KKに話したいことはいっぱいあった。
彼がいなくなった後、彼の仲間……エドたちと連絡を取って、そこから彼がしていた仕事を引き継ぐようになって、それから単独で戦えるように訓練もして。
そんな話が次々と口から零れる。KKもそれに応えてくれていた。
会話の間も彼は右手で僕の右手を掴んだまま、こちらを見ることなく霧の中を歩き続け、また僕もその足を止めることなく歩き続けた。
「ま、お前はこの俺が認めた男だからな?それくらいできてくれないとな」
「そうそう、僕はKKが認めた相棒だもの」
そんな言葉のやりとりのあと、沈黙が数刻流れた。
二人分の足音だけが響く。
(おかしいな、まだいっぱい話したいことあったはずなのに……何も浮かんでこなくなっちゃった)
喉に何か詰まったように言葉が出てこなくなる。
改めて顔をあげて前を行く背中を見つめる。
「……なんだか、初めてなのに、とても懐かしい感じだ」
ふと浮かんだ気持ちがそのまま口に出る。
「何がだ?」
「こうやって男の人に手を引かれてどこかに行く、というのは……僕にとっては、ほとんどなかったことだから」
「……」
「僕が連れて行く方だった、というのもあるし……後にも、先にも……」
僅かに目を伏せるようにして呟く。言葉が急速に勢いをなくし、足元に落ちていく。
急にKKが立ち止まった。僕もあわてて止まるが彼に軽く接触した。
「ちょ、どうし」
「……暁人、寂しいか?」
僕がぶつかったことも構わず、KKがぽつりと、呟いた。
「え、……寂しいなんて、そんなことないよ」
と絞り出してから、すぐに、「いや」と続ける。
「ごめん嘘ついた、……今でも、正直、寂しい」
繋いでる右手に自然と力がこもる。
この手を離したくない。離してほしくない。
「あの時の話を当事者として話せる相手はもういない。みんないなくなってしまった。現実世界ではあの日のことは夢のように扱われてる。……まあ、その方が僕らとしても都合はいいんだけど。……僕だけが覚えていなければいけない、皆が忘れても僕だけは忘れず背負っていかなければいけない……それがしんどいと感じることはないけれど、思い出すたびに寂しくなるよ」
「……」
KKは僕の話を黙って聞いている。
「どんなにつなぎとめておきたくても少しずつ記憶からは消えていく。大事な家族の顔も、KKの声も、少しずつ忘れていく……だから、実は今ちょっとだけ嬉しいんだ。消えかけていたKKの声を、またしっかり思い出せたから」
「俺が”KK”を偽った怪異かもしれないのにか?」
「そうだとしても感謝している。……それに」
軽く右手を自分の方に引き寄せる。
「僕はあの日の相棒を間違えないよ」
この手に宿った魂を間違えるはずがない。
僕の言葉に彼は鼻で笑った。
「あっ酷いな」
「まだまだ甘いな暁人。この仕事をするからには疑いの目を持つことを覚えるんだな」
「ちぇ」
口をとがらせているとKKは笑いながら、
「ま、多分心配はいらねえと思ってたけど念のため確認しないとな。……帰りたいか?暁人」
そう、僕に問いかけた。
「……そう、だね。お別れは何度でも寂しいものだけど……僕にはまだやらなきゃいけないことがあるから。だから帰らないと」
その気持ちに揺らぎはない。
決意新たに呟けば、「だよな。わかった」とKKは僕の手を引いて歩き出した。僕もそれについていく。
間もなく霧の中に大きな鳥居が見えた。
「ここを進めばお前は帰れる。俺が案内できるのはここまでだ」
強く握っていたはずのKKの右手が、あっさり、僕の握手から離れた。
「あっ……」
「だが急ぎな、獲物がいることに勘づいている奴らが追いかけてくる。決して振り返らず、止まらず、前へ進め」
KKは霧の向こうに消えていく。消える直前にこちらをわずかに振り向いた。
「もう迷い込むんじゃねえぞ、迷子のガキの面倒は沢山だ」
一瞬だけ見えた彼の笑顔が、胸を締め付ける。
行き場を失った右手が宙を切った。
だが。
(止まってる暇はない)
右手を改めて胸の前で握りしめて意を決し、鳥居をくぐった。
前に進む。後ろから色んな声がする。音がする。僕を追いかけるように聞こえるそれを振り払うように、僕も走った。
そうしてそれは間もなく遠くなり、聞こえなくなり……
目の前で目が開けてられないほどの光が爆ぜた。
「!」
思わず目を閉じて立ち止まる。
目を閉じていても感じる程の強い光が数秒続いた後にそれは感じられなくなり、やがて耳に聞きなれた音が入ってきた。
車の走る音、クラクション、人々の話声、雑踏。
目を開いたらそこは、見慣れた渋谷の光景だった。
「……はぁ……」
大きくため息をつく。流石にもう大丈夫だろうと後ろを振り返れば、シャッターの降りた地下通路の入り口がそこにあった。
左手でスマホを取り出して時間を確認する。時刻は午前2時前。
あそこにそんなに長い時間いたわけではないようだ。……それとも僕は本当にあそこにいたのか?白昼夢でもみていたのだろうか?
いや、それでも。
この右手に残った温もりは間違いなく存在したもの。
「……大丈夫、僕はまだ……戦える」
聞いているかもしれない誰かに言い聞かせるように呟いて僕は遅い帰路を歩き出した。
ひと夏の隙間が見せた、都市伝説の幻のお話。