「このあたり……か」
ガサゴソと茂みを掻き分けると、広い道に出て、肩にかかった葉っぱを振り払う。
「ルイに言われて、ここまで来たが……本当にこんな所にいるのか?」
背中に感じるのは複数の気配。何もしては来ないが、ツカサの様子を遠くから見ているようだった。
ツカサがいるのは魔物の森。そこは別名『禁忌の森』と呼ばれていて、魔物たちが跋扈し、森へと踏み込んだ者は神隠しにあうという噂もあるばかりだ。
しかし、そんな森にツカサはある用事があった。……まぁ、ここまで来るのに、木から毛虫は落ちてくるわ、目の前からいきなり虫が「こんにちは」するわで中々、前途多難だったが……
「うーむ、このあたりか……?」
ルイから貰った地図を片手に、周りを見渡す。怪しく木々がざわめいている中、ツカサ以外誰もいない。
だが、音も立てずに、いきなり茂みの中からツカサに向かって、何かが襲いかかってきた。
鎌鼬のような鋭く、ツカサは何とか躱したものの、避けきれずに頬に赤い線が入ってしまう。そのままツカサを攻撃した対象は、背後で止まって、素早く彼の方と振り向いた。
『この森は禁足地だ。今すぐここを去れ』
唸り声に近い低い声で、目の前の彼はツカサに言い放つ。しかし、その声はツカサの耳には入らずに、彼の『容姿』に全ての意識がいっていた。
白を基調とした服に、青いマントを羽織っていたが、金色の髪の毛も金色の瞳、そして顔立ちもツカサと瓜二つの顔の男がそこにいた。
「……ルイが言っていた通りだ」
「君と似ている子がいるから、会いに行っておいで」と言われたものの、半ば冗談としか受け取っていなかった。現に、この森には人間は住んでいないと聞いている。
気を取り直すように、ツカサはゴホン、と咳払いして、改めて目の前にいる彼に話しかけた。
「オレは貴君に用があってここに来た」
『オレに……?』
怪訝そうに聞き返すと、目の前の彼は左足を後ろに引いて、すぐにでも腰の剣を取れる体勢になる。
「名はなんと言う?」
『聞くなら、先に名乗るのが『礼儀』ってやつじゃないのか?』
「ふーむ、それもそうだな。オレはツカサだ!」
『……............シュヴァリエ』
「そうか!シュヴァリエというのか。いい名ではないか」
明朗快活にそう言ったツカサを横目に、シュヴァリエは完全に腰の剣に手を掛けていた。
『貴様はオレに用事があるかもしれんが、オレは貴様に用事などない。今すぐここを去れ』
「……去らないと言ったら?」
『この場でオレが貴様を殺す』
「なるほど……やれるものならやってみろ」
『ほざくな』
シュヴァリエは低い姿勢のままツカサへと襲いかかって、脚を狙って、剣を横に薙ぐ。ツカサはまるで、それが来ることを分かっていたかのように、その場で軽く跳躍する。
そして、幅数センチもない剣先を足場にして、後ろに飛んで距離を取る……と思いきや、地面を思い切り蹴って、一気にシュヴァリエとの距離を縮める。
その手には、瞬時に召喚した旗が手に持っていて、長さもツカサの身長と同じくらいに大きいもの。
その旗の棒の部分を、シュヴァリエの喉元めがけて突きを入れようとした。
シュヴァリエもその攻撃を見切っていたようで、最小限首を横に動かして、向かってきた旗の棒をガシッと掴む。
そして、少し自分の方へと引っ張ると、旗ごと後ろへと投げ飛ばした。ツカサも一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐに状況を把握して、上空で身体を一回転さながら地面に着地した。
「やるではないか。これほどまでに手応えがある相手と手合わせするのは、久方ぶりだ」
その言葉をシュヴァリエは無言を貫いていたが、妙に木々が騒がしい。まるで、森自体がツカサに警告しているような。「今すぐに帰れ」と言わんばかりにざわめき出していた。
『……そんな軽口を叩けるのもここまでだ』
顔をぶるっと、震わせると上に茶色の三角の耳が出てくる。それは、狐よりも少し大きく、フェネックの耳よりは少し小ぶりなくらい。
そして、剣を地面に置いて、手足を地に着けると、目を閉じて、再び瞳を開ける。
その目は人間らしいまん丸な瞳ではなく、獣のような尖った瞳孔になっていて、そのまま体ごと前のめりに倒れ込む。
「────、─────」
ツカサに聞こえないくらいの小さな声でシュヴァリエは呟く。すると、その周りを囲うようにぶわっと、煙が巻き上がった。
その風圧は凄まじいもので、ツカサも少し後ろに押されてしまう。轟音と共に、吹き抜ける風に飛ばされないように、何とか旗を地面に突き刺して、体を支えていた。
シュヴァリエを囲う煙が無くなると、そこにいたのは一匹の狼。神々しい金色の毛並みに覆われて、ツカサに向かって咆哮した。
『ウォォォーーン』
「まさかとは思っていたが……まさか狼族だったとは」
人間ではないと薄々気づいていたが、 狼族は数少ないし、ツカサもこの目で見たことがなく、ずっと『空想上の存在』として考えていない。だが、その存在が実際に目の前にいて、その光景にツカサも瞠目していた。
『狼の姿で行かせてもらう』
シュヴァリエは、地面に落ちていた剣を器用に口に咥えて、そのままツカサに向かっていく。
その攻撃も速度が上がって、素早く横に剣を右に左に振るう。それは最初に茂みからの不意打ちで、傷を負ったものと同じ。
ツカサも少々押され気味だったが、その攻撃も徐々に見慣れてきて、シュヴァリエの攻撃をいなしていく。
(これでは埒があかん……だったら)
ツカサはシュヴァリエの攻撃を全ていなすと、少しだけ距離を取る。そして手に持っていた旗を再び地面に突き刺すと、ツカサは目を閉じた。
『この地に宿る力よ、我を守る刃とならん』
目を開けると、ツカサの周りに風の刃が身体の周りをぐるぐると回る。そして、腕を前に向けると、それはシュヴァリエめがけて一直線に向かっていった。
この風の刃は目に見えない。だから目視で躱すことは到底不可能だが、シュヴァリエは冷静に風を読んで、上へ跳躍して躱していた。
『甘いな、こんな攻撃当たるとでも……』
「それはどうかな」
そう言った矢先、風刃は進路を曲げて、背後からシュヴァリエを狙う。辛うじて反応はできたものの、防御体勢には入りきれてない。
そして、それはシュヴァリエが咥える剣先に当たると、くるくると上空に剣が舞うと、そのまま地面へと突き刺さった。
『ヴーーーッ……』
剣が吹き飛ばされてもシュヴァリエは威嚇をやめない。今すぐにでもツカサに飛び掛ろうと、金色の体躯を前のめりにして、耳を後ろに下げている。
それは、まるでどれだけ劣勢に立たされていても、勝機を信じて敵に挑み続けるようで、同時にツカサが探し求めていたピッタリな人材であった。
「これなら……申し分ないな」
ツカサは旗を瞬時に仕舞うと、手を前に出す。シュヴァリエは次の攻撃が来ると思い、歯茎を剥き出しにしながら、眉間に皺を寄せて威嚇を強めた。
「我が手に宿る魔力よ、命を慈しむ者に与えられん」
詠唱が終わると、シュヴァリエの身体は、温かい光に包まれる。そして、その光はゆっくりと、傷ついた身体を癒していく。それは、シュヴァリエ自身も理解が追いつかなかった。
『何故……』
「言っただろう?オレは貴君と戦いにきたわけではないと」
ツカサはそう言ったものの、シュヴァリエは呆気に取られているまま。少し時間が経って、ようやく状況を理解したのか、はたまた威嚇する必要もないと感じたのか、シュヴァリエからも敵意は感じなかった。
『…………貴様が言っていた用件はなんだ?』
「今度、国で騎士団を作ろうと思っていてな……だが騎士団の団長を誰にするか決めあぐねているのだ。そこで、君にその団長をやってもらいたくてな」
『随分と突飛な話だな……どこでオレの存在を知ったのだ?』
「ルイ…………うちの魔導士が言っていたんだ」
『……なるほどな……』
「説得してから、後々手合わせもしようと思ったが…………強さも全く申し分ない」
そう言って、ツカサはシュヴァリエとの距離を詰めて行く。そして、右手を前に差し出した。
『シュヴァリエ、オレと一緒に来ないか?』
「まったく……これだから人間は……」
ツカサの勢いに負けて、シュヴァリエは、はぁ、と大きくため息を付く。
しかし、その表情は満更でもないもので、白い煙と共に、シュヴァリエは狼から人型へとその姿を変えて、自分の左手を差し出していた。
『いいだろう。オレがお前の行く末を見届けてやる』