秘め事[Sco博♂] 作戦中のオペレーターのプライバシーなどあってなきが如きもの。ましてや指揮官の肩書を持つ身ともなれば。
「――以上でミーティングは終了だ。では各自配置に戻ってくれ。ああ、Scout、君は少し残ってくれるか」
呼び止められた上司への憐れみの眼差しを投げかける部下たちに小さく手を振りながら、男はやや足早に作戦机の前に立つ痩身の指揮官の元へと歩み寄った。
「ドクター、何か気がかりなことでも?」
「ああ、少し……いい、片付けの残りは私と彼で済まそう。そもそもここは私の天幕でもあるしな」
片付けの手を止めた後方支援担当の若手オペレーターたちは戸惑いながらも、暗に示された人払いの指示を見誤ることはなかった。めいめい手にした書類や機材をまとめながら、上官たちの邪魔にならぬよう速やかに去っていく。そうしてがらんとした空間に残されたのは、先ほどまでのざわめきの温度だけを残した空気と二人の男だった。
「ドクター?」
このように作戦中に秘匿任務を受けることは、そう珍しいことではない。この組織はまだ形が出来て間もなく、彼やかの女傑たちの頭脳をもってしてもなお問題課題は数え上げるまでもなく山積している。そんな状況の中で自身を”使いやすい”ものとして扱われることは、Scoutに何物にも代えがたい充足感を与えた。ましてやその関係性にもうひとつ新しい名前が追加された今となっては。
「ああ、大したことではないんだが」
「アンタがそう言って大したことじゃなかったことのほうが珍しいんだ、どうした?」
「本当に今回ばかりは違うんだ、その、」
珍しく歯切れの悪い言葉に、わき立つ胸騒ぎのままに一歩を近寄る。すると、彼ともあろう者がビクリと身体を跳ねさせ、狼狽をあらわにしたものだから途端に天幕内の空気が凍り付く。
「怪我か? それとも体調不良か? 今日の護衛はAceだったはずだがアイツは何をして、」
「だから、本当に違うんだ。何もどこも悪くない。私の基準ではいたって健康体だ」
意固地になった彼の逃げ足は相当なものだ。だからまずは身動きを封じねばならない。ひと呼吸のうちにできるだけ痛くないよう捻り上げた腕は相変わらず枯れ枝のように細く、補給食をせめて高カロリーのものに切り替えられないかと思案しつつ男は言葉を投げかけた。
「医療チームのテントまで背負われるのと担がれていくのとどっちがいい」
「私のバイタルは正常だよ、詳細は端末を出すから自分で確認してくれ。ああ、まったく……しかしこれはこれで本懐を遂げたといっていいのか?」
ごそごそと片手で懐から取り出した端末を器用に操作して見せられたのは、すべてのグラフがギリギリ黄色におさまっている見慣れた画面。決して褒められた状態ではないが、緊急というほどでもない。安堵のため息とともに、ようやくScoutは彼の言葉の後半について考える余裕が出来た。
「……本懐?」
「君は耳が良い上に記憶力まで抜群だな! どうして聞き流してくれなかったんだ」
「アンタの声を? そりゃ無茶というものだ」
もう逃げないから腕を離してくれないか、という懇願に素直に従えば、脱力した身体はふらりとバランスを崩す。慌てて抱き留めた腕にかかる重みがおかしいと気がついたときには、彼の細い両腕はScoutの背中へと回っていた。
「用事はね、これだよ。最近忙しくてなかなか二人きりになれなかったから」
ふ、といたずらが成功した子供のような吐息がバイザーの中で反響している。まるで頭を撃ち抜かれたかのような衝撃だった。互いの分厚い装備に阻まれているが、彼のやや低い体温を男は知っている。知ってしまったのだ。
「職権乱用だと笑ってくれ。だが少しばかり……耐えがたくて」
彼の静かな述懐に、ぐうっ、と心臓が軋む音がした。耳から入ってくる言葉が理解できない。いや、理解はできているのだ。あまりの衝撃に処理が遅くなってしまっているだけで。何かを確かめるように彼の両腕はしみじみと男の背をかき抱き、その手指ひとつひとつの動きに跳ね上がりかける尾を必死に気力だけで押さえつけながら、とうとうScoutは深く、深く息を吐いた。
「ドクター、それ外せるか」
心得た、とばかりに彼の指がフードに接続されたバイザーごと跳ね上げ、その疲労の色濃くにじんだ顔があらわれた瞬間には彼の薄いくちびるにかじりついていた。
「ん、っふ、ぅ……」
技巧も何もあったものではない。互いの飢餓を解消するためだけの暴風雨のようなキスだった。煙草の舌を焼く苦み、いつもより濃い唾液の味、夢中で擦りつけ合う無精ひげのざらりとした感触さえ愛おしくてたまらない。一秒にも千年にも思えた時間は、しかし断固たる決意で中断された。
「ッ、ふ、……これ以上は、帰艦してからだ」
「あー、げほっ、あぁ、つまりは帰ってからのご褒美というやつだな」
「怪我一つせずに帰りたくなるだろう?」
「なる。なった。ああ、確かにこれは、生存確率を引き上げてくれる。有用だ」
すき間もなく密着した身体にこもる二人分の熱は誤魔化しようもない。だがその続きが今すぐには望めないことを忘れない程度には頭は冴えたままだった。バイザーの金具を留め、よれた覆面を整え、最後に同時に熱のこもった吐息を落としてしまえば、そこに立つのは作戦司令官と古株のオペレーターの姿となる。
「自分が目の前にぶら下げたニンジンが効果を発揮するタイプだと初めて知ったよ」
「俺もだ、ドクター。最近は自分がティーンの若者になった気さえしている」
「君の小さい頃はかわいかっただろうな。写真などは残ってないのか」
「残念ながら。目の前の冴えないオッサンをかわいがってくれ」
「ふふ、帰艦してからの楽しみがもうひとつ増えてしまった。覚悟しておけ、Scout。私は自分のものを愛でるのに全力を尽くすタイプだ」
「アンタのお望みのままに、ドクター」
「それはそれとして、二人きりになるのは見られてるからカバーストーリーは必要だろう。この前加わった新しい部隊、どうもどこかと交信してるみたいだからちょっと見て来てくれないか。私の予想では今晩あたり数名脱走すると思う。その行き先の方向だけ確認してきてくれればいいから」
「畜生、アンタは本当に俺を転がすのが上手いな!」