煙草は恋の仲立ち[炎博♂]「君の吸ってるその煙草のメーカー、倒産したらしい」
黒々としたバイザーのその奥は相変わらず何を考えているのかわからないぽかりとした空洞で、だがその口から唐突に一般的な世間話のような言葉が飛び出してきたものだから、エンカクはついうっかりと相手に続きの言葉を発する隙を与えてしまったのだった。
「もともと狭い範囲にしか流通していなくて、値段の安価さから固定客はそれなりにいるものの原材料の供給が不安定だった。そこに親会社の経営悪化が響いて、先月正式に撤退が発表されてたよ」
「あそこにはこれしかなかった。特に意味はない」
黄ばんだ白い箱に角の生えた頭蓋骨。カズデルに流通する物資は他の地域では見かけないものが多かったらしく、製薬会社の一員として各地を回りながら見慣れた品々が見当たらぬことに当初は戸惑いをおぼえることも多かった。そんな日々の中でも数少ない以前からの嗜好品のひとつがこの煙草であったのだが、彼の言葉を信じるならば嗜好品のひとつだったと過去形で語らねばならないのだろう。とはいえ彼に告げた通り、エンカクは別段煙草の種類にこだわりを持っているわけではなかった。ただ単純に選択という手間を省いていただけで、さらにいえば愛煙家というほどのものでもなかった。まさか彼の目には自分が煙草に執着するような人間であると映っていたとでもいうのだろうか。自分の思いつきにおかしみをおぼえ、つい唇の端を歪めてしまったところ、彼は相変わらず茫洋とした真黒の眼差しをこちらへと向けた。
「それ、最新のパッケージのモデルはかの殿下らしい」
「そんなことをするからつぶれたんじゃないのか」
「君は、あの地に残るという選択肢だってあったはずだ」
「そうしていつか来るかもしれないお前を待てと? 気の遠くなるような話だな」
「彼の采配は苛烈だと聞く。君の経歴をもってすれば給料だって向こうのほうが上だろうに」
「給与査定の面談ならは先月済ませたはずだが。それとも落として来る首の数が足りなかったか?」
「いいや。この半年、過不足なくぴったり指示通りだったとも」
男の言葉はその平坦すぎる口調通りに行き先不明だったが、少なくとも自分にとって不愉快な結論がそのフードの中に詰まっていることだけははっきりとわかった。だからエンカクは肺の奥深くまで吸い込んだ煙をひといきにその不愉快な黒へ向かって吹きつける。
「うわっ何をするんだ」
「お前のその防護服は煙草の煙ひとつ防げないのか? とんだ特注品だな」
「このコート匂いが残るんだよ。最近アーミヤに怒られたんだ、隠れて吸っていたりしませんかって」
つまりは見当はずれの八つ当たりということだったらしい。匂いがつくような行為は他にもあるのだが、それを口にしない程度の良識はこの男にも残っていたのだろう。
「お前の寄越す敵は脆弱なものばかりだが、その眼前に立ちふさがる敵がそれだけではないことは明白だ。せいぜい、その時まで上手く使うがいい。これで満足か」
「ああ、うん。十分だ。君がまだ見放さないのなら、望みどおりのものがあるかはわからないけれど連れて行ってあげる」
バイザーの奥の目が初めてこちらを見た。ほんの僅か、またたきひとつの間に交錯したものを何と呼べばよいのかエンカクにはわからない。わかる必要もない。甲板を抜けていく風はこの季節にしては生ぬるく、確かにその気持ちの悪い温度は自分たちに似合いのものだった。
「ところでその煙草、私の部屋にまだ何カートンかストックがあるんだが」
「……お前が時々とんでもなくわかりやすいのは何かの罠なのか?」
結局、部屋をひっくり返して見つけたカートンは当然湿気ていてすべてダストボックス行きとなったが、以降エンカクは時折『煙草を』目当てに彼の部屋に入り浸ることとなったのだった。