炎と印と ドクターの部屋には小さなランプがある。
医療部の古株のブラッドブルードから何やら吹き込まれたらしい上司は、ベッドに押し倒そうとしたこちらの肩を制止し横へ座るよううながした。
「刻印? …………なくはないが」
「ほんとにあるんだ!」
どうしてそんな古臭い風習を持ち出してしかも喜んでいるのか、さっぱり理解できないエンカクはもう話題を打ち切って本日の主目的に入っていいかと物理的にドクターの体に聞こうとしたが、相手は珍しく全力で(とはいえエンカクにとってはそよ風のようなものでしかなかったが)抵抗し会話の続きを望んだのだった。
「実際はどんなものなんだい。ワルファリンは仕事で使ってるハンコだって言ってて、マドロックは堅石? なんか特別な岩石だって教えてくれたんだ。氏族によっては失伝してしまったりもしてるらしいから、てっきりエンカクもかと思ってたんだけど」
「別に聞いても面白い話ではないぞ」
「面白くないかどうかを判断するのは私だ。なぁ教えてくれよ。そうしたら……」
提示された条件はそれなりにエンカクにとって満足のいくものであったので、不承不承ながらもエンカクは古く掠れかけた記憶を脳の片隅から引っ張り出すことにしたのだった。
「火だ」
「火?」
「そうだ。炉端の、昔は家には炉があっただろう。そこに火を捧げ、生涯守る」
あまりにも古い風習であり、エンカクの祖父母の代にはすでに廃れかけて形骸化していたらしい。それはそうだろう。今のロドスの居室を思い返すまでもなく、家の中心に炉があった時代などほぼ伝承の中にしか存在していない。古くカズデルはテラの中でも工業化が早かった土地だ、便利な電気に取って代わられた古ぼけた因習など何の意味もないだろうと思うのだが、目の前のドクターはといえば目を輝かせて時代遅れすぎる儀式の話を根掘り葉掘り尋ねてきた。
「もしも火を捧げた者がどこかで果てれば、炉の火も同時に消えたらしい。事実かどうかは知らんがな」
「ええ~~いいなぁ、私にもちょうだい。今から部屋に暖炉設置する工事したらどのくらいで完成するかな」
「やめろ。ずぼらなお前のことだ、火事を起こして終わりだぞ」
「大丈夫だよ、この部屋の火災報知器とスプリンクラーはかなりいいの付けてもらってるし」
「それだけ信用がないという証拠だろう、威張っている場合か」
「煙草もその火で着けたりしてるの?」
「いちいちそんなものに面倒なアーツを使うわけがないだろう。ライターで十分だ」
「てことは、エンカクは方法は知ってるわけだ」
「……聞いただけだ、実践はしたことがない」
「十分だよ」
そうして、吟味に吟味を重ねた安全な方法として、ドクターの居室にはひとつのランプが設置されることになった。
「もっと大きいのが良かったのに」
「夜眠れなくなるつもりか?」
「眠れない夜に眺めるのにちょうどいいじゃないか」
やたらとご満悦なドクターを見下ろしながら、いつかこの炎がその身をもろとも焼けばいいのにとエンカクはありもしない空想に身を焦がしたのだった。