幕間は甘味と共に〖一ヶ月目〗未完進捗 乱歩と出会い、二人で事件を解決した。
──通称、〝天使殺人〟事件
あの後何を思ったか乱歩は福沢に良く懐いた。人間相手に懐いたという表現も如何なものかとは思うが、まるで子型犬かのように傍を纏わりついて離れず変わらぬ破天荒さと爛漫さで笑っていた。
そんな乱歩にも少しは慣れ、事後処理やら彼と共に暮らすための用意やらで慌ただしく日々が過ぎていく。
漸と落ち着いたのが今日日、そんな〝天使殺人〟事件からひと月経つか経たないかの頃だった。
怒涛の日々を過ごしていると一人の頃には感じなかった疲労と少しの充実感。淡々と過ぎる日々とは確実に違う新鮮さに、心が浮つかないと云えば嘘になるだろう。ただ相手はあの嵐の権化と云っても善い乱歩だ。何度投げ出そうと思ったか数えるのはとうの昔に止めた。あれ相手に馬鹿馬鹿しいと思ったからだ。
そもそも、何故ひと月程たった今も福沢の家で共に過ごすようになったのか……。
それには大した理由がある訳では無い。
ただ、あの日の依頼が続いているからに過ぎなかった。
福沢が江戸川乱歩の仕事を斡旋する——。
一度だけだと言ったはずだが、俺の家に泊まった翌日、片頬を赤くし目を腫らした乱歩はそれを感じさせないほどの飄々さとよく回る口で
「でも現状何も変わってないよね? それって依頼完了と言えるのかな? というか僕みたいな異能者である名探偵じゃあ普通の仕事は出来ないよね? 出来ないですよね? 勿論福沢さんがお仕事を見つけてきて呉れるんですよね? 福沢さんはそんな途中で放り出すような、無責任な事をする大人じゃないよね?」
と、捲し立てた。頭が痛くなった。
最早気を失いかけたと云っても善いだろう。
泊めたことを後悔するくらいには。反対側の頬も叩いてやろうかという思いが過ぎるぐらいには。勿論これらは心の中で思うだけだが。福沢はそんな心情は表に出さず眉間に少し皺を寄せるだけに抑え乱歩を見詰めていた。
毎度の事乍ら、福沢に鍛えられた忍耐力がなければ不可能であっただろう。
其れにしても感心するところでは無いが、本当に頭の回転が早い少年だ。
しかし、現実逃避ぐらいさせて欲しい。其れくらい言葉に表せない疲労感がどっと福沢に伸し掛かったのだ。
乱歩の口車に乗せられた訳でも、口では勝てなかった訳でもないが、昨日の様に自身の仕事に着いてきてもらい、そこで仕事の伝手があれば紹介する、という形で収まった。
乱歩の能力を持ってすれば生半可な場所では働くことも出来ず、かと言ってその様な特殊な職場がすぐに見つかるわけでも無い。
それまで当面の間は福沢の家で暮らす。
福沢自身が乱歩を焚き付け危険に晒したことも、又、彼を助けるためとはいえ嘘をついた罪悪感もある。
己の発言には責任を持つ——。
乱歩も同じような事を云っていたが、大人として当然の権利であり義務である、と福沢は考えている。
出会ってからの数日間、何度も考えたことだ。
彼の力は異能の力では無いにしろ、齢十四で一人世界に放り出されて善いものでは無い。
あれはまだ世間を知らぬ子供だ。
彼の両親が行おうとした様に、然るべき時に自分の力に気付き、然るべき時にその力を振るう場所を見つけ、然るべき時に傍に居るべき人を選ぶべきなのだ。
これは然るべき時では無い今、力を持った子供がその力に押し潰されないように、偶然居た大人が支えているに過ぎない。
乱歩が拐かされた時、胸の痛みと共に福沢の心に浮かんだ感情。
あの時は雰囲気に流されてつい福沢自身でも驚くような考えを頭の中に浮かべていただけだと。
己の愚かさも分からぬ子供が痛い目に遭うのが、焚き付けた幼子が福沢のせいで死んでいくのは目覚めが悪過ぎるだけで、ただ一個の人間として誰もが持っている良心という部分が傷んだからに過ぎないのだ。
決して、それ以外の感情は無い。
其れに、俺は誰かと一緒に居ていい人間では無い。
俺も、この家も、その力も。
仮住まい、ということだ。
いつか乱歩が本当の意味で自身の力に気付くまで…任せられる第三者が現れるまで。
それはいつかきっと訪れる。
それくらいの間ならば、傍に居るのが俺であろうと問題ないだろう。
「それにしてもさあ僕お腹空いたんだけど。福沢さん、何か無いの?」
捲し立てるように喋り出したと思えば二言目が此れだ。既視感だが、福沢は思った。
————矢張り今からでも遅くない。
————窓から放り出そうかな?
***
ひと月程前の乱歩と出会った翌日のことを思い出していると、その日云われた言葉と同じ言葉が聞こえ意識が浮上する。
「福沢さん、考え事?」
返答が無かった為そう問われ、顔を上げれば乱歩の切れ長の吊り目から覗く瞳とぶつかった。相も変わらず何もかもを見通すような吸い込まれる目だ。あの目は光に反射して綺麗に光って見える時がある。
お前の事を考えていた。
と云える筈も又、推理される訳にもいかず、福沢はその問いには答えず「如何した 」とだけ答えた。乱歩はそれに対して気にする様子は無く、然し口を尖らせている。
「だからあ……僕、お腹空いたってば! もうお昼だよ! 何かある? 何も無いなら僕作るけど……」
これが先程、福沢の意識を浮上させた言葉だ。
二度云ったのだろう乱歩は「もう…僕の話、ちゃんと聞いててよね!」と、愚痴愚痴と文句を云っている。
拗ねているのは其の所為か。
「否、俺が作ろう。待たせて済まないな」
傍若無人を絵に書いたような乱歩だが、このひと月生活を共にして気付いたことがある。
この子供は、変な所で律儀なのである。
泊めた翌日のあの図々しさは何だったのかと疑う程に居候が決まったその日から乱歩は律儀だった。一応は何もしないで生活だけしている負い目はあるのか、福沢の行く先々を着いてまわり何か手伝えることは無いか、と聞いてくるのである。其れは乱歩の御両親の教育の賜物なのだろう。
然し、出来るか如何かは別だ。
今もさも料理が出来ると云う風に声を掛けてくるが、別に乱歩は料理が出来る訳では無い。 前にも同じような事が有り散々な結果に終わったのだ。失敗した、料理とも言えない残骸を目の前に項垂れながら謝罪する姿を見て、俺は何を思ったのだったか。
図々しさと律儀さを兼ね備え、全てを見通す力を持つがそれ以外はからきしな少年——。
それからは、まず出来る事を教えて貰いその後出来る事を少しずつ増やそう、と云う事になった。
これからの為にも、乱歩自身の為にも。
***
今日乱歩に振り分けた家事は、出来た料理を運び箸と湯呑みを並べる事。
そろそろ食器を洗う方法を教えるべきか。
掃除の仕方が先か?
布団を干すくらいならば乱歩も簡単だろう。
然し、あの乱歩では布団を抱えるのも困難か?
用心棒の仕事をする為、依頼人の指定された場所まで徒歩で向かう。今回は依頼人の貴宅だ。そういう契約だからと勿論乱歩も着いてくるのだが、いつも通り福沢にじゃれつき乍ら止まらない口が永遠に何かを発している。
今日のご飯の内容。この時代歩きばかりの移動はどうか。甘味が食べたい。疲れた。まだ着かないのか。ご褒美はなにか。名探偵に肉体労働を強いるとは何事か。等々……。
これにもいい加減慣れてきた。
慣れとは恐ろしいものだ。
目下、其れを聞き流しつつ次に乱歩に何をさせるか考えているのだから。
「今日はどんな依頼? 福沢さんは何を護るの?」
「………依頼内容くらい覚えておけ」
「嫌だ! 面倒臭いッ! 福沢さんが覚えてるんだからいいでしょう?」
そう云い乍ら乱歩は此方を窺うように見詰めてくる。
そう云った問題では無い。
そう思ったが口には出さなかった。乱歩がこうなのは今に始まったことでは無い。現にまあ、ある体に云ってしまえば乱歩の云う通りだからでもある。これは福沢への依頼であって乱歩への依頼では無い。拠って、必ずしも乱歩が依頼の内容を熟知している必要は無いのだ。
「ある一家に脅迫状が届いたのだ。娘を殺す。
娘を失いたくなければ一千万円程を用意しろ、とな」
「ふーーーん。……古典的な話だねえ」
「………然し、其れ程の大金を用意出来る筈も無く、此の侭では娘をむざむざ殺す羽目になる」
「其処で福沢さんに白羽の矢が立った訳だ!」
「…そう云う事だ」
乱歩なら、と。
そう思ってしまっている自分がいる。
あの日乱歩に出会ってから、彼の才能に魅せられている自覚があるのだ。彼ならば、誰も傷付けず犯人を云い中て解決まで導けるのではないか、と。他者に過度な期待をしてはいけないと判っていても、あの少年に対する想いが強まっていく。
そんな想いを知ってか否か、乱歩は福沢の方を見ながら腰に手を当て胸を反らして自信満々に話し出す。
「でも僕が居るもんね? 安心してよ、福沢さん! どんな難事件もこの名探偵が異能ですぱっと解決してあげるから!」
「……無茶はするな」
「わかってるって!」
張り切っているところ悪いのだが、抑々これは福沢への依頼であって乱歩への依頼では無い。
そして、本当に解っているのだろうか?
確かにあの事件以降乱歩は自分の命を掛け金にする様な真似は一切していない。だが其れは、あの事件の様な大層な事件が起こっていないからだ。福沢が持つ依頼は全てがそう簡単な仕事では無く、いつ前のような事件が起こるかも分からないのだ。それもあって、福沢は口が酸っぱくなる程同じ事を乱歩に云い聞かせていた。何時も小言を云うと良い顔をしない乱歩も、何故かこの件に対しては頬を緩ませるのであった。
「それと依頼人の前では粗相の無い様に呉々も頼むぞ」
「ソソウ? 別に僕、そんな事した覚えないし。
図星を指されてあっちが勝手に怒るだけでしょ」
矢張り別の小言を入れると、笑っていた乱歩はムッと拗ねた表情をした。その反応、それが粗相だと解っているのではないか。
「お前には何もかも見えているかもしれないが、真実だとしても世の中には云って善い事と悪い事がある」
「何それ、そんなの知らないよ。
どうして周りに合わせないといけないの?」
眉間に皺を寄せ不満を顕にする乱歩に思い浮かぶ言葉をひとつ掛ける。
「…………お前の為だ」
乱歩の為、勿論其れは福沢の本心だった。
集らきちんと何故かを説明したかった。言葉を以てして乱歩にきちんと伝えたかった。お前の孤独を無くす為だと。周りと軋轢が生じないように、態々周りを遠ざける様な言動をしない為に。福沢の脳裏を様々な言葉が駆け巡った。だが肝心のその言葉が、乱歩へと上手く伝えられる言葉が見つからなかった。
そんな福沢の言葉を聞いた乱歩はそっぽを向いて小さな声で呟いていた。
「…………なにそれ、僕には全然解らないよ……。どうしてそれが、僕の為になるのさ」
福沢の誠実さだけは伝わったのか理解はしていないが不満は消えている様だ。
然し、笑顔は戻ってこなかった。天真爛漫な乱歩が笑っていないと何故か居心地が悪くなる。
「先ずは依頼だ。……この話は後程行うぞ」
「……あ、うん。……任せて! 」
福沢はこの件で乱歩を納得させるような言葉の手持ちが無かった。
先んじて目の前の依頼に集中しよう。
その後また一緒に考えればいい。
家事よりもこちらの教育の方が先かもしれんな。後で時間を作るか。
福沢は心の内でそう独り言ちる。
長い道のりだ。
未だ未だやらねばならぬ事が多い。
***
依頼人の住居は建てて時間が経ったであろう和洋折衷の立派な屋敷であった。
「えっと……福沢殿、此方の方は?」
依頼人の貴宅に着き、玄関口にてそこの御夫婦と対面する。福沢は先ず名刺を渡し軽く自己紹介をした後に発せられたのがこの質問だ。
勿論、問われているのは福沢の後ろに居る乱歩の存在である。
いつもの溌剌さは如何したのか遠慮がちに福沢の後ろから夫婦を見ている。
「……乱歩?」
「……あっ、江戸川乱歩……です」
福沢に声を掛けられ慌てて名乗った。
何時もの様に名探偵だ異能者だと豪語し高笑いをするものとばかり思っていたので流石の福沢も面食らった。
何かあったのか?
続く……。
続き、頑張ります。