灰七タイムリープポクポクポクポク。木魚を叩く音が聞こえる。目の前の大きな写真は、人懐っこく笑った、灰原。
「それではみなさま、出棺の時間でございます」
灰原の親族が泣いている。喪服の人々が、立ち上がった。五条さんも、も、家入さんも、軒並み高専関係者は出席している。
夏油さんはいない。
呪詛師になったから。
灰原が棺の中、綺麗に花を添えられて眠っている。さっき、最後のお別れをしたのだった。灰原に百合の花を添えて。けれど、七海は灰原の痛ましい顔を見る事ができなかった。
「ほら、七海、いくぞ」
そう五条さんに促されて、外に出る。この葬儀場から、灰原は火葬場へと向かう。
寮の部屋に帰る。七海1人だけ生きて帰ってきて。頭を抱える。最後の灰原の言葉が忘れられない。
「後は頼んだよ」
「灰原!」
夜。校舎の屋上。
産土神が憎い。そして、何もできなかった自分が憎い。飛び降りたい。何もかも捨てて。七海の代わりに、灰原が生きていてくれたら良かったのに…。
「灰原。今、私も貴方の元へいきます」
はらっと一筋の涙を流す、七海の足がふわりと宙に浮く。校舎の屋上から転落する…いやしたのに、次に目が覚めたのは、七海のベッドの上だった。今日は、何日だ?壁に貼り付けたカレンダーを確認する。七海は終わった日付に×をつける。この日、まだ×がついていない…。それは、灰原の死ぬ当日?私はタイムリープしたのか?なんなんだ?
「おっはよー。七海!」
「灰原!」
「ちゃんと準備した?今日は遠征任務じゃん!日帰りだけど、長野っていいよね〜。静養地だし」
そんな灰原から目を逸らす事ができない。灰原が生きてる。動いてる…。
「って、おい、こら!七海!聴いて…」
「灰原!」
思わず抱き寄せて、七海が嬉し涙を流す。
「な…七海?」
只事でない七海の様子を、灰原が心配そうに見ている。このやりとり。覚えている。けれど、まだ信じられなくて。灰原…と抱きしめる力を強くする。
「痛い。七海!どうしたの?本当。って、あっ、五条さん!」
「七海、まだ寝てるの?寝汚い」
「貴方には言われたくありません!」
鼻水をすすり、泣きながらもきっと五条さんを睨みつける。この長身、イケメン、イケボ、金持ち、天は何物コイツに与えれば気が済むのか!と思う程の神々しさを持つ五条悟だが、その欠点として現れる…。
「お土産にアップルパイ買ってきてよ。街中にあって、地元のお店なんだけど、すっごい濃厚な蜜の出る林檎使ったアップルパイがあってさ。それどうしても俺食べたいんだよねぇ!」
傲慢さ。それに。
「はい」と、一応、先輩を立てて、言ったが、五条さんにこんな事を言われた記憶はない。校舎の屋上から飛び降りたのも、灰原が死んだのも、夢だったのだろうか?なんて醜悪な夢。と思いつつ、二級がいる筈の長野へと灰原と任務に向かうも、また灰原が目の前で同じように死んで、これは夢じゃない!って顔色悪くしながら、灰原の遺体と共に高専に帰ってくる。すると、五条さんに。
「大変だったな。これでジュースでも買えよ」
とお金を渡されそうになる。けれど。
「そんなものいりません!」
突き返す。また念じる。灰原を殺した、産土神が憎いと。灰原が生き返るなら何を犠牲にしたって構わない!
「うわぁぁぁぁっ」
校舎の屋上からまた飛び降りる。
けれど、次の瞬間、目の前には産土神がいて。リープした。って事に七海は気づく。けど、武器はない。そこに、灰原が現れて七海を助ける。
「どうして灰原が?」
「話は後!一旦、後退するよ」
後退して、森の中へ。
「今日は?」
携帯で日にちと時間を確認する。灰原が死ぬ日だ。けれど、時間的に、今は朝だ。湿った朝つゆの匂いからも、それがわかる。灰原はまだ高専。
「お前は?」
「貴方こそ誰?七海にそっくりな人。って、隠れて!!!」
産土神をやり過ごすも、祓わなければ!となる。
「まずは、君が何者か教えてよ」
「私は七海建人です」
「僕は灰原雄だよ」
「どういうことですか?」
2人して顔を見合わせてフリーズしていると、そこで夜蛾先生の平行世界の授業を思い出す。呪術界にも平行世界理論がある。そこでは、存在する人間は意志を持った個体としてその世界にしか存在できないけれど、神は概念として存在する。だから、その概念を破壊すれば、どの世界にも現れなくなり、静寂が訪れると。
「そう言えば、夜蛾先生の授業で聞いた事があります。彼が言うには、我々はどの世界にいても協力して、堕ちたる神になった呪霊をも消さなくてはならないと言っていました。別の世界にいる仲間を助けると思えば、やりがいもあるだろうと。五条さんは面倒くさそうでしたけど、堕ちた神、呪霊と相対する時は誰にでも平等にやってくるって…」
「それ、僕も聞いた!という事は、君は世界線の違う七海?僕の世界では七海が死ぬんだ」
「私の世界では灰原です」
「なら、ここに来た目的は同じみたいだね」
「そうですね。お互いに大切な人が死ぬ過去を改変して、生存する未来を作り出す。その為にここに来たと」
「うん!」
「ならば、ここにいる産土神を倒すまで。けど、どうやっ…」
ずるるっと伸びてきた触手に灰原が胴体を切断されそうになる。
「灰原!!!」
ぱちっと目を覚ますと、また、七海は高専のベッドの上で目を覚ました。壁のカレンダーを確認すると、灰原が死ぬ当日だ。これは夢じゃない。現実だ。上に報告しても信用して貰えない。急いで、灰原に夜蛾先生の指示で、場所が変わったと嘘をついて、灰原を補助監督と一緒に、長野から西の大阪の方へ誘導する。五条さんに相談しようにも、見つからない。なら、なんとしても七海達で倒すしかない!
七海1人で新幹線とタクシーを乗り継いで現着に向かう。昨日会った灰原を探す。けれど、いない。
どこにいる?
「七海!」
「灰原!」
「ごめん。昨日はうっかりしててやられちゃったよ。けど、リープした」
「やはり、このリープは私たちに過去を変えるチャンスを与えているとみて、間違いないでしょう。今回はそう簡単にはやられません!」
産土神現れる。2人で殺しにかかるも、けれど、逃げる事しかできない。
「ね、七海!またリープした時に、落ち合う場所を決めよう!落ち合う場所は産土神の出現する道路脇の森、そうだな、あの、産土神を封じていた巨石の側にしよう」
「わかりました」
「うおおお!」
産土神に立ち向かうも、七海が殺されそうになったところでブラックアウト。
また灰原が死ぬ当日、七海は高専の寮の部屋のベッドの上で目を覚ます。
慌てて、服を外着に着替えると、灰原が部屋にやって来る前に、五条さんを探す。
見つけた!
「五条さん!」
「あっ七海! 今日、これから任務だろう? 俺御用達のうまい長野のアップルパイ、買ってきてよ!」
五条さんの機嫌を害してはいけない。アップルパイなんていくらでも買ってやる。だって、やはり、私たち2人で産土神を祓うのは無理なのだから。
「五条さん、私たちの行く任務、実は一級案件なんです!私たちでは敵わない。だから、五条さんも一緒に…」
それに、五条さんの表情が曇る。
「そんなはずないだろ。もし下級霊ばっかだったら、どうしてくれる訳?今、傑も不安定なのに…」
「夏油さんに何かあったんですか?」
この時点で、五条さんも夏油さんの異変に気がついていたのか。
「ん、ちょっとね。何か抱え込んでるみたいで。俺、これから傑についててやるつもり。最近、傑の様子がおかしくてさ。心配で…」
「五条さんが夏油さんを心配する気持ちもわかりますけれど、本当に、今回だけ、今回だけは…」
「だーめ」
「そんな…」
「何?金足りねーの?仕方ねーな。ならばこの五条さんから、路銀を差し上げようではないか。これでアップルパイ買ってきてよ」
そう言って、お金を押し付けると、五条さんが去っていく。
視界が揺れる。
嘘だ。産土神は五条さんなしじゃ、勝てる相手じゃない!
また灰原に嘘の情報を教えて、一人で長野へ向かう。
世界線の違う灰原と合流。
産土神に立ち向かうも、七と灰、やられそうになったところでリープ。
リープを繰り返す。
「灰原はもうそちらの私と付き合っているんですか?」
「まだなんだ。この任務が終わったら、とかいずれとか考えて、告白を先送りにしてたらこの結果だもん」
戦闘中なのに、話せる余裕が出るほど、段々打撃が通るようになってきている。なぜだ?理由はわからない。けれど。
「うおおおっ」
なまくらを振りなぐ。
それでも死にそうになっては、また灰原が死ぬ当日になって目を覚ます。けれど、前より力は強くなっている気はする。もしかしたら、負の感情が、リープすることで溜まり、呪力が増幅しているのかもしれない。それを世界線の違う灰原に話す。
「確かに、僕も呪力で受身をとりやすいし、呪解の精度も上がってきてる。けれど、何万回試せばいいんだろう。いつになったら、七海を取り戻せる!」
それに、七海も。
「何度目になれば、灰原は救える?」
そう毒づくけれど、灰原と七海でできる限りの事はすればあるいは…と思うが、いつも、勝てない。
現実がわからなくなっていく七海。
あと何回リープを繰り返せばいいんだろう。絶望感に打ちひしがれる七海がまたリープして高専で目を覚まして五条さんに会ったある日。
「七海ー。これで、アップルパイ……」
「五条さん」
「ん?」
「もし平行世界というものがもしあったら、タイムリープも存在しますか?」
「なくはないんじゃない?だって誰も観測したことがない事は、ないとは言えない。悪魔の証明ってやつ?平行世界が存在するなら、タイムリープの一つや二つ存在するでしょ」
それに突拍子もない事を言い出した七海に理解を示した五条さんなら、何か知恵を授けてくれるんじゃないかと思って。
「叶えたい願いがあるとして、いくらリープしたら叶うかもわからない状態があったとして、もしそういう状況に五条さんが巻き込まれたらどうしますか?」
「何か、あるの?」
「それは言えません」
「そう」
一つ、五条さんがその長いまつ毛を瞬かせる。
「俺の場合なら、変えたい部分は変えて、変えなくてもいいところは変えないかな。現実と齟齬をきたさない形で決着をつける」
それに七海がハッとする。
「もしリープが起こる現実があるとして、それに巻き込まれているのは、当事者だけではない可能性があると?」
「そういうのもあるんじゃないの?ほら、金持って任務に行けよ」
「ありがとうございます」
なら、七海がやらなければならない事は一つだ。五条さん現着までの時間を稼ぐ。五条さんが、産土神を祓うためにここにやってくるという事実は変わらない。ただこの騒ぎが知れるのは、いつになるか。灰原と補助監督がそれを知るのは間違いに気づいてからだ。多く見積もって、3時間が限界だ。だが、車移動で、片道3時間往復6時間だから、灰原は遠ざけられる。それに、五条さん現着はその前になるだろう。遅くても、七海が現着してから、産土神と相対して2時間後。だから、灰原と七海は2時間、産土神から逃げ回ればいい。もしそれまでに産土神を倒せる呪力が身についていれば御の字だが、とりあえず、五条さん現着までの時間を稼ぐ呪力と体力があればいいのだ。
目的が見えた事で安心する七海。
敵を分析する。
「灰原!」
「七海! また会ったね」
「これで、、目ですか」
だね。
分析結果を灰原に伝え、灰原からの意見も聞いて、敵から逃げ回る。
「もしどちらかが、五条さんのお母様のようなサポート系の術式であれば良かったですね」
「うん。僕らどちらも物理系だからね。いいなぁ僕会ってみたい」
「私たちが会えるような立場にいる人間ではありませんよ」
「うん。だって、たまに高専の宝物庫の術式強化に綻びが出ていないか確認にこられる方だからね。遠くから見ても美しかったなぁ。流石、五条さんのお母様だけある。媚びたところがなくて。僕の世界線の五条さんは、その内夏油さんをお母様に会わせそうな気がするんだ」
「へぇ。もうそんなところまで。私の世界線の五条さんがそれを聴いたら、酷く羨ましがりますよ。まだ私の世界線の五条さんは、夏油さんに片想い中ですからね。けど、こちらの世界線の五条さんも夏油さんの体調を気遣っていますし、何かと、『俺は傑と歩調を合わせるんだー!!!』とか言って、今、夏油さんに気に入られる為に張り切ってます」
「そうなの?ふふ。そっちの五条さんも一途なんだね」
「しかも、夏油さんもなんだかんだ言って、五条さんにほだされてきているようですし、全く…」
「「羨ましいよ」」
声が揃った。それにお互いハハッと笑う。
「それに対して、僕らときたら…」
「まだこの時点では、告白していませんもんね」
「そうなんだよね。だって、この任務で七海が死ぬと思ってなかったし」
「それは私にも言えることです。この任務が終わったら告白しようなんて思っていましたが、大事な事は先延ばしにするものではありませんね」
「そうか。じゃ、叶えなくちゃね!七海の願い!」
「灰原もでしょう」
「そうだね!だから、今日もやるよ!!!」
「はぁぁぁぁ!」
生存時間は伸びているけれど、やはり死んでしまう。またリープする。
「七海、これでアップルパイ買ってきてよ」
「五条さん」
「なに?」
「夏油さんの事、ちゃんと支えてあげてくださいね」
「わーってるよ!ほーら」
「はい!」
任務地へ。いつもの合流地点で灰原と落ち合う。
産土神出現。
開けた大地では分が悪いので、逃げやすい森の中へ。
はぁはぁはぁ。1時間58分。そろそろ五条さん現着の時刻が近づいてきている。やっと、この時間まで逃げ回れるようになってきた。2時間では呪力はレベルアップしても、産土神を倒せる程のものにはならなかった。敵の分析はもう済んでいるというのに。これが一級か。ダメだ。格と手数が違い過ぎる。
「今日もダメなのかな」
「いえ、あと2分持ち堪えればいけます。あともう少しです」
「七海、ちゃんと生きて帰ったら、そっちの灰原に告白してあげてね。そっちの世界の灰原は七海からの告白、待ってると思うからさ」
敵。
もう少しで、この産土神を五条さんが祓ってくれるかもしれないのに。今日もダメなのか。
「いけない! 灰原!!!」
七海が灰原に向かって手を伸ばす。
「おつかれサマンサ〜」
五条さんがさんが空から降ってくる。
「「五条さん!」」
敵と七海たちを分断し。
「話は後!2人とも僕にしがみついて!」
灰原と七海が五条さんにしがみつく。
「術式順天。出力最大!!!蒼!!!」
薙ぎ倒して、産土神が消える。かっ…勝ったのか?それに。
「2人とも本当にお疲れ様」
ポンポンと、五条さんに頭を撫でられる。
「どうして、私たちの居場所が…」
「話は後。ここは呪霊が湧きやすい。まずは森の外へ。日の元へ出よう」
道路に出る。
「で、なぜ、私たちの居場所が?」
「お前に毎朝、渡してた現金がビーコンになってたの。俺の呪力を込めてたから。それで居場所を探知してたって訳。で、五条悟現着時刻にその現金を経由して、灰原と七海の前に瞬間移動して現れた、という事。わかる?」
「五条さん、頼りになりますけど、意地が悪いですよぉ!」
そう灰原が泣き言を言う。
「お前らだって、俺を巻き込んでリープしてただろ!お互い様じゃん。けど、そのお陰で傑を呪詛師にする過去がなくなって良かったと思ってるがな。全く、こっちはこっちでヒヤヒヤしたぜ。そんなそぶり、傑は全く見せないんだから」
そう真面目に五条さんが言うと、麓へ向かって歩き出す。
「恐らく、リープのきっかけは七海が屋上から飛んだ時と、平行世界の灰原が同時に、何を犠牲にしてもいいから、灰や七には死なないで欲しい!って強く願ったから。そこで、このタイムリープは始まったんだ。何か、平行世界の灰原は自身の身を危険に晒す様な真似してなかった?」
「そうですね。夜。七海を死なせた自分が許せなくて、校庭で呪力を込めた拳で、自分の顔を殴ったらリープしたので、今度は自分の腹を殴ろうとしていました」
「そう。お互い、自分の身を引き換えにしていたんだね。灰原が死んで、傑が呪詛師になって、葬式を済ませた後に、灰原が死ぬ前へと巻き戻ったから、俺には傑が闇堕ちした記憶も、こっちの世界では灰原が死んだ記憶もある。そのお陰で、傑を闇堕ちさせなくてすんだんだけど、俺はこのリープがわかった瞬間、これから七海が何をやらかすかがわかった。俺としては、七海の過去を改変して、灰原と一緒に暮らしたいという願いを叶えてやりたいと思ったよ。灰原だって死なせたくないと思った。難しいかと思ったが、七海がループする度に、俺の呪力が僅かだが上がる。それに気づいた時、これはワンチャン、俺の到着まで持ち堪えられるかもなって思った。何度もやり直す事で執着と怨嗟で、呪力がレベルアップしてた事、2人はもう気づいてるよね?」
「はい。それ、七海が指摘しました!」
「やはりそうでしたか」
「流石、七海だね。けれど、俺としては、何万回と繰り返して得た呪力で、もしう産土神を倒されると、二つの平行世界で生きている五条悟が消えてしまう可能性があった。なぜなら、五条悟が産土神を倒すという事実が維持されなくなるからね。改変された過去では、五条悟はその時点で存在しない。そうすると、俺も産土神と一緒に過去改変と共に消える事になる。それは困るし、何より、2つの平行世界が衝突して、もしかしたら、2つの平行世界が消滅するかもしれなかった。それに気づいて、七海の2回目のリープの時から慌てて、現地へと向かってたよ。ただ体感でわかってたけど、七海たちの呪力のレベルアップは、俺が現着するまでの時間まででは産土神を倒せる程の呪力を得るまでには至らない。それには悪いけど、安心したよ。だから、七海に現実と齟齬をきたさないようにしたら?とアドバイスもできた訳だし。ただ、俺には何もできなかった。俺が現着する時間まで。七海に毎朝、お金を渡して、それをビーコンにして七海達を追跡しながら、俺はただ、何度もこのリープに付き合わされた。何回、俺、七海をパシらせたんだろ。考えたくもない」
「それを、1度目の私のリープで気づいたんですか?だから、アップルパイを買えなんて言って、私に現金をしこんでいた…」
「そうだよ。俺を誰だと思ってんの。そうやって、俺は今まで2人を泳がせてたって訳。ただ、リープが終わって過去は改変されても、その手前の現実は変わる訳じゃない。七海は屋上からの転落は変わらないんだよ、このバーカ。心配させやがって。ま、運良く、植木の上に落ちて、全治3ヶ月ですんだ。平行世界の灰原もそれなりの傷を追う事は覚悟しておいて。それから、今までのやりとりや、別の世界線の灰との会話や戦った頃の記憶、そこで得た呪力のバフは、改変された世界では失われいるだろう。こうして俺がお前らの描く過去に現れる事ができた、つまり、タイムリープの終わりが見えるだけの呪力で俺が現着する時間まで敵の追尾をかわせたのは評価してやるよ。それによって未来は変化した。そして、今がある。俺は、時の見守り人、というか、この誰も信じないリープした世界の記憶を脳に残して、将来死ぬ役割みたいだから記憶が残ると思うけど、それはお前らには言わない。俺はお前らもだけど傑も大切なんだ。傑に変な影響出かねないかもだし、この事は秘匿したま死ぬ。まぁ、五条家の蔵の秘蔵の巻物の中には残すかもだけど、それだけだ。お前らは普通に元の世界の灰原と七海と仲良くやる時空に戻れ」
「二つの世界の2人の五条さんは会った事はあるんですか?」
「いやないね。会わないようにしていたから。何をきっかけにしてこのリープが止まるかわからなかったから。リープが止まったら、お前らも困るけど、傑が闇堕ちするんでね。それは困るからさ。たぶん、あっちの世界の俺もヒヤヒヤしてたんじゃないの?俺とエンカウントする事」
「そうですか」
「今回は、たまたま七海の世界にいる俺が見守ってたってだけ。本当は俺がリープに気づいてる事、言いたかったけど、二つの世界の五条悟が鉢合わせしないようにしてまでリープを終わらせないようにしてるのに、俺からリープの話をするのは地雷っしょ。知らぬ存ぜぬで黙ってた。これが事の真相!ってわけ。これからどうなるかわかったなら、ほら、灰原、呪力を込めた拳で腹を殴れ!」
「今の力で腹を殴ったら僕、死んじゃうんじゃないかな…」
「大丈夫。ちゃんと呪力で受身とって、そうだな、全治1か月ですむぐらいには自分の事痛めつけてね。七海も自分の事、痛めつけたんだし」
「そうだね。七海にばかり痛い思いさせてらんないや!」
「それじゃ、灰原」
「うん。七海」
「「幸せに!」」
「ふんっ!」
と灰原が腹を殴ろうとしたところで、目が覚めた。
白い天井。
今まで何か夢を見ていた気がするが…。頭がズキズキする。夢を思い出せない。七海の隣には、ベッドの上に両腕を乗せ、その上に頭を乗せた灰原がうつ伏せで寝ていた。
「はい…ばら…」
「ん……。七海?目が覚めたの?」
灰原がナースコールボタンを押して。
「看護師さーん!!!」
ナースステーションに向かって、灰原が部屋から勢いよく出て廊下を走っていく。そんな背中を見送ると、ふと香る香ばしい林檎の焼けた匂い。サイドテーブルには、アップルパイがある。
「看護師さん、七海の目が覚めて…」
「灰原、今、何日ですか?」
「◯日だけど」
「では、任務は?私は任務に出なくてはいけない!あんな下級霊、五条さんたちに任せると後で何を言われるか!」
「七海!落ち着いて。七海は任務の前日に校舎の屋上から転落して、任務は五条さんが行く事になったんだよ。そしたら、そこ一級案件でさ。僕らが行ってたら、死んでたって」
「そう、ですか…」
死んでた。私が?それとも、灰原が?灰原が、死ぬ?
つぅっと七海の頬を涙が伝う。
「七海、なんで泣いてるの?どこか痛い?」
「違います」
灰原が生きてくれていて良かったと七海は思う。けれど、もう一つ、灰原に似た顔をどこかで見た気がするが、よく思い出せない。
「灰原…私は何か大事なものを得て、大事なものを失った気がします」
「七海は不思議な事を言うね」
「七海さん、私の声、わかりますかー?」
看護師に問われる。
「わかります」
「意識混濁はなし、と」
確認して、看護師さんが。
「何か問題があったら、ボタン押してね」
と言って、部屋を出ていく。
「七海は何か悪い夢でも見たんだよ」
「そう…ですね」
何を夢見ていたんだろう。あれは忘れてはいけない何か、だった気がする。すると。
「七海、良かったな!目が覚めて!」
ドヤドヤと病室にやってくる、五条さんと夏油さん。
「五条さん…と夏油さん!」
「私も心配していたんだよ」
「七海。これから、俺、傑と恋愛映画観に行くんだけど、灰原を一緒にそれに連れてってもいい?」
急なハイテンションで問われて、はぁ?と顎が外れそうになる程口を開けながら、七海が首を傾げる。
「恋愛映画って、あっ、あの…夏油さんと? 僕なんかがお邪魔しちゃうのまずいですよ」
「別にいいんだよ。なんか傑の奴、自分の事追い詰めちゃってて。天内の死は自分の責任。そして、傑が任務で任されそうになった案件が呪術師の虐待というちょっと特殊な事例でね。高専が動いて、その術師たちは保護したけれど、急に、非術師の事を猿と呼んだり、呪術師だけの世界を作る!って暴れたりして手がつけらんねーの。だから、ここは乙女が胸キュン。きゅんきゅるんなラブラブ映画でも観て、傑ともラブラブしようかなぁって」
「それなら、尚更、僕はお邪魔です!」
「いいの!ああ、けど、そうかぁ。灰原も七海とラブラブしたいもんね」
「五条さん!」
そう照れて文句を言うと、「イヒ」と意地悪く五条さんが笑う。
「じゃ、俺ら行くわ。七海、しっかり身体治せよ!」
「悟…私はまだ…」
「わかってるって。けど、気分は変えるものだからさ。あと、単純にお前のメンタルが心配だし。ほら、映画の感想を言うのは、フラストレーションの発散にもなるって言うじゃん!だから、ね?一緒に見よ?」
「悟は相変わらず、強引だな」
それに、七海はクスッと笑う。
「夏油さん。五条さんの強引さは、今に始まったことじゃないでしょ」
「そうだね」
「なら、ほらさ!早く早く!」
そう夏油さんを急かすようにして、五条さんが病室を出るとき。
「折角、悟様が買ってきてやったアップルパイなんだ。有り難く食えよ!」
と五条さんに言われて。
「だから、そういう押し付けがましい愛情表現はどうかと…」
と説教をする夏油さんを見ながら、その五条さんの照れ隠しにも似た心配のされ方なんて、どうでも良くなる。自分がなぜ屋上から落ちたのかもわからない。なぜか長い、大切な夢を見ていた気もするが、これも思い出せない。ただ、これだけは言える。人は間違うもの。そして、その些細な間違いで、人なんて簡単に死んでしまうのだと言う事を。
灰原と向かい合う。
「私、灰原にお話ししなくてはいけない事があるんです」
そう七海は、何かに導かれるようにして、灰原に告白をする。それに。
「ぼっ僕もじっ実は前から…」
と言われて、嬉し恥ずかしなのだが、なぜか、七海の知らない誰かも、その人にとって大切な人と幸せになれていますように、と七海は無意識にふと願ってしまう。だが、どうして七海がこんな事を願うのか、わからない。
けれど、喜ぶ灰原から窓の外の目に痛い青空に視線を向ければ、そこには見知った誰かの笑顔が浮かんでいるような、そんな気がして。思わず、七海はその青空に照る太陽に向かって、目を細めながら微笑んだのだった。