独白 願い毎晩、日課にしている事がある。
「お帰りなさいテランス。今日も、祈って来たのね」
「ただいま。うん、遅くなってごめん」
それはメティアへ、愛する我が主の無事と帰還を祈る事。
「後は僕が片付けておくから、ゆっくりおやすみ」
「ありがとう。お休みなさい」
我が主ディオンより、前線からの離脱と、たった今寝室に入って行った少女・キエルの保護を言い渡されてから今日まで。長い様で短い日々を自治領から離れた閑静な土地で過ごした。
人々は敵襲に怯えながら、それでも必死にライフラインを整えつつ、しかし酷く消耗していた。
キエルを探し出す事については、ディオンが残したメモのおかげで割と早く事が進んだ。保護をした後は温かい寝床と食事を。その提供ができるかの設備確認は、これもまた、悲しい事にすぐにできた。寝床はあれど被る物は己の服のみ。台所はあれど、水はない。火は外で焚き火のみ。
戦場での生活も長いテランスは、ディオンが残したメモとその言葉で粗方の状況を察し、持って行ける物は共に持って行った。戦場にライフラインなんてものはない。故に全て自分で組み立てる。長年の経験はどうやらこの状況でも活かす事ができたようで、感謝をしながら事を進めた。
ディオンが戦いを終え帰ってきてくれても安心できる様に。身体を癒せる様に。
その思いが今のテランスを組み立て動かす。故にキエルの為の準備のその先は、申し訳ないが必ずディオンが居た。
「はぁ……」
食器を家で洗える様になったのは割と最近の事。
この地にテランスが、いや、“聖竜騎士団”の人間が来た事を、喜ぶ人間も居たが貶す人間も居た。
それはそうで、国を、彼らの家を、家族を、奪い傷付けたのはバハムートだったから、その言葉も思いも向けられて当然だと思ったし、だからこそ誠心誠意受け止めてケアをした。ディオンを悪く言う人間だって現れた。勿論それも受け止めた。何を言われても、黙って受けるしかなかった。そしてその代わりに、必死にこの地の整備と警備を担い遂行し、今漸く受け入れられつつある。
それに日が経つにつれ、人々の口ぶりは変わっていった。やってしまった事と、故に受けた傷が癒える事はないが、時間はその思い出を少しずつ心から離してくれる。大きな感謝の声はなくとも、来てくれて良かったと言われ始めたのも最近の話だ。しかしテランスにとって、人々からの深い感謝は不要。いずれこの地は自分達の足で立っていかねばならない。それに、空が元に戻れば自分はこの地を去り、ディオンを迎えに行く。そう決めていたから、設備整備についてはいち早く取り掛かり、動ける大人に教え、知恵を与えてきた。
自治領崩壊後、帰ってきてくれたディオンから、事の顛末は全て聞いた。己の身に何が起こり、暴走したのか。彼は言葉にできる事は全て、共有をしてくれた。様々な葛藤を抱えながら、それでも生き残り目を覚ました彼は必死に帰ってきてくれた。帰ってくれば、それをシルヴェストルを慕う誰かに知られれば、彼は殺されていたかもしれない。そんな未来があったかもしれないのに、彼はテランスに、テランスの声を聞く為に帰ってきてくれた。
もう生きていただけでも嬉しくて堪らなくて、姿を見ただけで涙が溢れた。けれど彼は駆け寄ったテランスに腕は伸ばさず、謝ってきた。
バハムートの力を失い、それでもお前に会いたくて帰ってきた哀れな私を許してほしい。
そう、言って。
力がなければ生きる価値はない。
バハムートになれないなら、ベアラーと同格。
最早テランスの隣に帰る資格もない。
ザンブレクにとって、力のある者とそうでない者の格差は明確で、力のない者が権力を握り、力のある者は虐げられる。勿論その生活を知っているディオンは、テランスに再会して最初に告げたその言葉の裏側に、ザンブレクにとって“生きる価値がない”、“この先もう死ぬしかない”と言う意味を滲ませていて、悲しい事にテランスもその思いを察してしまった。だからこそ、あの時はとても強く、でも愛おしく、彼を抱きしめた。
そこから、穏やかな日々なんてものはなく、彼は考える事を、テランスに考えさせる事をさせない様にするかの如く、再び戦場へ戻った。そして今に、至っている。
テランスにこれからする事、考えている事を話せば、全て却下されて生き続ける事になる。それを恐れた彼は、ロクに話もせずに、テランスを前線から外し、戦と言う言葉を二度と使わせないと言わんばかりに、この命令が“願い”と言う形で言い渡された。
二人は共に戦場を駆る兵士だ。互いの無事を毎日願ってきた。しかし、“生きろ”と言う意味での願いは、それこそこれが初めてだったかもしれない。ディオンが最後に残した命令は、間違いなく、テランスに生き続けてほしいと言う願いだった。ドミナントであり、石化が始まっているディオンにこそその言葉を与えたかったし、しかしもう、言えなかった。
「……だめだ、今日も外で寝よう」
後悔はしていない訳ではない。現に毎日あの時のディオンの言葉が頭から離れず、帰ってきてくれた時の言葉だって思い出される。
ディオンにはまた、傍に帰ってきてほしい。
与えられた願いと言う任務は無事に遂行し、達成した。なんなら周りの人々にも手を伸ばし、この土地の再生もした。
その報告をしたい。
全てはディオンに喜んでもらいたいから。
もう頑張らなくていい。代わりに自分が、戻ってきたディオンがやるべき事を終わらせておくから。
安心して、身体を休めてほしいから。
だからまた、傍に帰ってきてほしい。
外に出ると、水が使える様になった為に作った、薬草の畑が迎えてくれた。
キエルはテランスへ、来てくれたお礼にと薬の知識を教えてくれた。ディオンが帰ってきた時の為に、その薬を一緒に作る事にしている。
「ディオン……どうか、無事で」
月の見えない空を見て、毎日同じ事を願い続ける。
彼はテランスの声が好きで、よく聞いてくれていたから、ディオン自身の無事を願う言葉を誰よりも言い聞かせ、誰よりも祈った。バハムートの力の事しか興味がない大人達の言葉は、せめてテランスが傍に居る間は聞かせない様に努めた。だからか、正直バハムートの力を失ったと聞いた時に喜んでしまった自分は居た。もうディオンは戦場に出なくていい。後はディオンを守り続ければいいと、単純に思ってしまったのだ。
しかしディオンは、父親から言われ続けてきたバハムートと言う名に囚われている。己の名よりも聞かされ続けた神の使いの名。その名が消えれば価値はない。その結果、彼は離脱できていた筈の戦場へ戻り、一番死に近付く道へ足を踏み出した。その動機のひとつにジョシュアとの約束があっただろう。その当時はそんなつもりはなかっただろうが、今は最早それを叶えた先は死である事を、見越していた筈だ。
そこまで全て、テランスは察していた。幼い頃から親の言いつけを全て守り、真面目に清く生きてきたディオン。だからこそ己の価値を常に探し、見てもらえる事を願っていた。その姿を真横で見てきたから、死を選ぶ事くらい、すぐにわかった。わかっていたからこそ、ロズフィールド兄弟の力となり、そのまま消えると言う決断を止められなかった。
しかし、長い間傍に居続けたテランスには、最終手段とも思えるそれを隠し持っている。
それが、願い続ける事だった。
無事に帰ってきて。
その言葉は、正直肉親に下された命令よりも、強い効力を発揮する。もしかするとディオン自身は気付いていないかもしれないが……。
無事を願う言葉を毎日声に出して彼に言い聞かせたら、いつも嬉しそうにしてくれていた。バハムートにではなくて、ディオンに対してその言葉を向けている事を伝えると、少し困った顔をした事は記憶に残っている。つまりそういう事で、彼は己の無事をテランス以外の人間から願われた事がない。今でこそ、テランスの言葉は全てバハムートではなくディオンに向けられている事を理解させている。そしてそれを喜びだと思ってくれている。だから彼は、テランスの思いを受け取ろうとしてくれるのだ。
「生きて、帰ってきてくれます様に」
空から目を離し、家の裏手に回る。川の傍に一枚の布を敷いており、そこでいつも休んでいた。家の中にもきちんと自身の寝床を作ってはいるが、ほぼ使っていない。キエルを安心させる為にも寝るべきなのはわかっている。しかしそれができないのは、まだ自身がディオンに仕えている事を頭が完全に忘れようとしないから。そこは切り替えが上手くできないままだ。キエルには、敵襲に備えて警備をする為だと伝えている。実際その為もあるので間違いではないだろう。
ディオン。お願いだから、死なないで。どこに居ても必ず見つけるから、生きていて。
そう願う自分と、
自治領から帰って来てくれてから、ランデラで離脱するまでに、もっと、無理矢理にでもディオンと時間を沢山作って、話をし続けていたら良かった。この先例え生きていたとしても、もう二度と姿を現す事はないかもしれない。
そう後悔する自分が、交互にやってくる。
話されたところで説得は恐らくできなかっただろうし、だからと言って強く背中を押す事もしなかったと思う。けれど、話を沢山してあげる事はできた筈だ。その話の内容は正直今までの思い出の話でも、良かったと思う。
世界を守る為の翼になる。
そのあまりにも規模が大きすぎるその言葉に、最早力さえないテランスには簡単に理解できるものではないと、わかっている。だから逆に止める事ができない事を悟った。でも、だからこそ、彼に生きてもらう為に、隣に帰ってきていい、寧ろ帰ってきてほしいのだと理解してもらう為に、会話をしておけば良かった。
その後悔を何とか覆したくて、テランスは今日も、メティアが出る時間はずっと、願い続けている。
なんなら、この空が変わらないままでいてほしいとさえ思う程に、ディオンがまだ生きていると言う事実が欲しかった。空が元に戻れば、嫌でも決着が着いた事がわかる。当然勝利を確信し、喜びはするがディオンが生きている保証はない。心のどこかで死を願いこれ以上生きる価値が無いと思っている彼が、素直に戻ってくるとも……ディオンを完全に理解しているが故に思えなかった。
それならば願わなければいいと、そう思った瞬間も正直何度もある。けれど願う事をやめないのは、ディオンと再会できた暁にはこの大陸からも消える覚悟ができているから。当然、周りに糾弾される様な事があるなら共に命を終える覚悟だってある。
国と言う枠組みが壊れディオンを戦の道具として支配していた肉親が死んだ。更にはバハムートの力も失ったディオンは、全てから解放され自由を得た事になる。だからこそ、共に生き共に死ぬと言う願いを、“ディオン”を絶対に独りにはしないという誓いを、果たしたいのだ。
……今日も、一日が終わる。
僕はあと何回、ディオンの無事を願い続けるのだろう。
自治領崩壊の時も、願い続けた。
ディオンの名を叫び続けた。
石化に苦しむ身体であれだけの力を使って、それでもディオンは、動く身体のまま帰ってきてくれた。
僕の声が聞こえたと、言ってくれた。
暴走しても、絶望の声と叫びが舞い続けるあの時間。無事を願い続けた僕の言葉を、彼は聞いていてくれたんだ。
それがわかっているから、今回だって願う。
正直、完全に離れる事はこれで二度目で、かつディオン自身が死を願って行った事がわかっているから、本当に辛くて、苦しい。
これが正しいのかもわからない。
生き延びたところでディオンは石化に苦しんで、痛くて辛い日々を送る事になる。
人々の声だって、毒になるかもしれない。
でも、その全てを僕が払い、一緒に、ディオンと生活ができるなら……。
ディオンに、今まで本当にお疲れ様と言いたい。
もう、自分の為に生きていいんだよと言いたい。
無理矢理バハムートになる必要もない。
魔法だって、僕が守るから使わなくていい。
槍も握らなくていい。
誰にも見られず、誰も知らない場所に行って、静かに生活をしたい。
僕もディオンと共に全ての業を背負いたい。
そんな、身勝手な願いを……でももし、ディオンが受け入れてくれるなら……。
「空が元に戻ったら、必ず探しに行くから」
ディオン、僕の声を聞いていて。
君の無事を、僕は願い続けているから。
離れていても独りじゃない。独りにさせないから。
また逢える日を、僕の命が続く限り、願い続けるよ。
.独白 願い.