歌舞伎御三家の五条家の跡取りだと初めて知った日「――五条さん、あなた、御三家の五条家の跡取りだったんですか!?」
恵は禪院家での稽古を終えて帰宅するなり、漫才コンビ・祓ったれ本舗のツッコミを担当の五条悟のもとへ駆け込んできた。一方、五条と共に雑誌を読んでいた相方の夏油傑は「あれ、恵くん、知らなかったの?」と首を傾げるだけだった。
「言って無かったけ。僕、恵には歌舞伎のあれこれも多少なりと教えていたつもりだけど」
「言って無いです。言われたこと無いです。いや、確かになんでこの人こんなに詳しいんだろうとは思っていましたけど」
恵は六歳の時に五条のもとに引き取られて、今年で十六歳になる。出会って十年目で、まさか彼の実家について知ることになるとは夢にも思わなかった。
「むしろ今日まで知らなかったのは逆に凄いね。恵くん、コーヒー飲むかい? それともココアが良い?」
いや、全く知らなかった訳ではない。五条だとは思っていなかったが、乙骨に見せられた五条家が主催した公演の録画に確かに彼は居た。初めて見た夜、子役ながらに素晴らしい姿を披露した子役のことをもっと知りたくて父親に初めて電話したほど、恵はその人に興味をもったのだ。けれど、結果として父親である伏黒甚爾にからかわれた結果、今日まであの子役が五条悟だと気づかなかったのである。
「あ、コーヒーで。五条さん、なんで芸人やってるんですか? 跡継いで下さい」
「ええ、やだよ~、僕は自分の好きなように生きるって決めているの」
ぶーたれる五条に若干の苛立ちを覚えつつも恵とて引くに引けない。むしろ、あれが五条だと最初から知っていれば、もっと早い段階で彼にせがむことも出来た。それこそ、幼さを武器にすることだって出来たのに。
「五条さんの小さい頃の映像見ました。初舞台のやつ」
「ああ、あれ可愛いよね。悟がなんだかたどたどしくて」
「僕は今でも最高に可愛いです」
今のアンタはどうか知らないけれど、確かにあの頃の五条さんは天使のように可愛らしかった。かつらを被ってはいるが、美しい目鼻立ちは相変わらずだし、零れそうなほど大きな瞳は見る者の心を深く魅了したことだろう。かく言う恵とて、幼いうちから目標にしてきたのは五条の初舞台の公演だった。
彼と同じ舞台に立ちたかったと何度願っただろう。けれど、甚爾に茶化されて、すっかり病気か何かで死んでしまった薄幸の美少年扱いしていたため、叶わぬ夢なのだと最初から思い込んでいたこと自体が間違いだった。
彼は目の前にいたというのに。
「茶化さないで下さい。ちゃんと歌舞伎役者やってください」
「でも僕の両親は継がなくても養子とれば良いから好きに生きれば良いって言っているからねぇ」
蝶よ花よと育てられた悟は、稼業が歌舞伎役者だと知った時、継がないと両親に宣言した。目に入れても痛くないほど可愛かった悟の言葉に反対する者は一人もおらず、今日まで五条悟があの五条家の一人息子とは世間には知られていない。
「あいつは知っていたんですか」
「甚爾? そりゃ知ってるでしょ。恵が見た初舞台にも来ているはずだよ。まあ、僕からすれば甚爾はあの頃から雲の上の存在過ぎて喋ったことも無かったけど」
「へぇ、あの猿が」
「こーら、恵の前では甚爾のことをそうやって呼ばないって約束したでしょ。罰として今日から三日間禁欲生活する?」
「悟は平気? 三日も私に抱かれないなんて。我慢出来ないでしょ」
「ちょっと、そういうのは俺のいないところでやって貰って良いですか。親代わりのアンタらのそういうのを直接見るのはしんどいです」
「はは、ごめんね、恵くん」
ハァ、と大きすぎるため息を吐いた恵は、夏油が差しだしてくれたコーヒーに口をつけた。悔しいけれど、この人が五条さんの選んだ人だというのなら認めざるを得ない。夏油傑はかつて記憶喪失となり、一時は芸能界から姿を消した。
――十年前、彼は軌跡の復活を遂げた後、祓ったれ本舗はアメリカの最高峰のコンテストで優勝を果たし、日本人として快挙を成し遂げた。その後も、日本のみならず様々な国のメディアに登場し、ファッション誌やトークショー、映画出演など一介の芸人とは思えぬ活躍で、未だに世間を賑わせている。今はLGBTQに悩む子供たちに対する支援にも精力的で大きな注目を浴びていた。そんな彼らも、このマンションに戻ればただの恋人同士。今日も恵の前でイチャイチャし続けていた。恵はまた一つため息を吐いた。ここに来た本当の目的は、実を言うと、夏油と五条が別れた時、父である伏黒甚爾に連絡するためだった。
――五条悟は恵の初恋であり、生まれて初めて共に生きたいと願った人だったから。けれど、残念ながらこま人たちが別れる気配は未来永劫なさそうだ。そして恵もそれを望んでいた。
十年傍に居たら、この人に勝ち目がないことなんて分かってしまう。不毛だと思いつつも永久の幸せを祈らずにはいられなかった。