ホワイトデー七灰2024「いつもより色気のある灰原が見たい。三倍は無理だろうから三割増でいいぞ」
三月十四日はホワイトデー。バレンタインデーのお返しに何を渡したらいいのかわからない灰原は本人たちに希望を聴くことにした。たち、といっても相手は二人。同級生の七海と先輩の家入だ。なぜ男性の七海から女性の灰原がチョコをもらったのかは割愛する。
七海からは「一緒に食べられるもの」と無難なものを提示され胸を撫で下ろしていた所に先程の家入の発言である。予想外の難題に灰原は困惑した。
「色気、ですか?」
「なんでもいいよ。胸とか尻とか、灰原がこれだと思うやつ」
「…」
これだと思うもの。胸の谷間とか、チラ見えするお腹とか。それらと共に苦い思い出が蘇り灰原は顔を歪めた。
「…どうした?」
「僕に色気なんてカケラもないです…」
涙声になりながらなんとかそれだけ答える。いつもと調子が違う彼女に家入も慌てて「何かあったのか?」とフォローを入れた。
「私でよければ話くらい聞くよ」
「家入さんは…」
「ん?」
「家入さんは、僕が七海を好きだってことはご存知ですよね?」
今まではっきり口にしたことはないが、普段の態度から周りにバレているだろうなという自覚はあった。
「あ、ああ」
「七海が僕を同級生としか思ってないことは知ってます。だけど少しでも意識してもらいたくて、胸を強調した私服を着たりお腹をチラ見せしたりしたことがあるんです。でもどれだけ色仕掛けしても青筋を立てて怒られてしまうだけだったんです」
前者は七海の上着を掛けられ、後者はタオルを巻かれてしまった。母親かよ、と呆れる家入に自分も同じことを言って火に油でしたと笑う。二人でひとしきり笑った後、家入が話を切り出した。
「灰原、七海へのお返しはもう用意した?」
「はい。パン屋さんのパウンドケーキを今日買って来ました…」
「よし、じゃあ今から私が灰原をめかし込んでやるからそのまま七海の所に行け。お返しはそれでいい」
「え!?」
「返事は?」
「は、はい…」
さすが普段から最強二人を相手にしているだけはある。有無を言わさぬ言動に圧倒される灰原だった。
***
「…というわけで、ちょっと早いけどバレンタインのお返しを渡したくて…七海?迷惑だったかな?」
「いや…」
家入曰く「めかし込み」をされた後、携帯で七海を談話室に呼び出した。今日は最強二人や他の人も出払っているから、ここにいるのは二人だけだ。
「…他に、家入さんは何か言ってたか?」
「七海に『お返し期待してるぞ』って伝えとけって」
「ハーーー」
伝言を伝えると七海は片手で目を覆いため息を吐く。いつもと違う反応に灰原は軽く身構えた。
めかし込む、と言われたが、灰原の見た目はぱっと見変わっていない。それもそのはず。家入から変えられたのはただ一点。足元だけである。
普段灰原は皆と同じ上着とカスタムした短いキュロット、足をガードする黒タイツを着用している。それが今は家入の手によりタイツではなくオーバーニーソックスに変わっていた。
少しでも肌を露出すると苦言を呈する七海のことだ。気がつかないわけはないだろうと怒られる覚悟を決める。だが、予想していた怒声は響かなかった。
「それは、甘いものか?」
何事もなかったかのように灰原の手元の物を確認する。
「お返しのこと?パウンドケーキだよ」
手元のそれを差し出すと七海は恭しく両手で受け取った。
「丁度小腹が空いていたんだ。一緒に食べよう」
「う、うん!」
七海の逆鱗に触れなかったことに安堵して、お返しを自分も食べてしまったことに気がついたのは数日経った後だった。
***
ホワイトデー当日、3倍×2人分相当と思われるタバコを手渡した後「来年もよろしくお願いします」と頭を下げた七海に「やっぱり足派だったか」と笑う家入だった。