屋根裏の妖精さん「ただいまー!…あれ?」
家に帰ると、いつもなら出迎えてくれる伊地知の姿がない。外出の予定は聞いてないのにと広い屋敷内で彼を探していると、滅多に使わない客間にその姿はあった。
「伊地…」
呼びかけるのをやめて気配を消す。家業の舞踊で身に着けたそれは効果覿面らしく伊地知はこちらに気が付く様子はない。そんな彼は普段と違い険しい表情をしていた。虚空を見つめるその口は半開きであり、目を凝らすと多少動いていることがわかる。その様子に大まかな見当をつけ声をかけた。
「伊地知」
「…!…おかえりなさいませ。すみません、出迎えもなく」
突然現れた(ように見える)灰原に頭を下げる。平身低頭な姿から変な所は見当たらない。
「気にしないで。それより聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか?」
「誰と話してたの?」
「何の話でしょうか」
「天井裏に潜んでいる、誰と、お話ししていたのかな?」
本人から直接聞いたわけではないが、今まで一緒に暮らしてきた中で彼の前職は隠密…所謂忍者だろうとあたりをつけていた。だが既に引退して七海家の家令になっている彼に忍者と接触する理由はないはず。笑顔で圧をかけて真実を問うが伊地知は動じなかった。
「いやだなあ灰原さん、この屋敷の天井裏に人がいるわけないじゃないですか」
気のせいですよと話を終わらせようとする伊地知。だがその冷静さがかえって怪しい。どうしたものかと瞬時に考えた結果、灰原は奥の手を出すことにした。
「刺股と薙刀、どっちがいい?」
「はい?」
「今から家中の天井を突いてまわろうと思うんだけど、刺股と薙刀どっちがいいかな?」
「やめてください!」
灰原の言葉に食い気味で反応する伊地知にこれは当たりだと畳み掛ける。
「じゃあさっき、誰と、何をしていたのか教えてくれる?」
「教えます!教えますからどうかご勘弁を…!」
涙目の伊地知に少しだけ申し訳なさを感じつつも真相を聞き出すことを優先した。
***
「屋根裏に潜んでいた奥さんと話してた!?」
「はい…」
申し訳なさそうに先ほどの件を説明する伊地知だが、灰原としては前提条件の方が気になって仕方なかった。
「結婚してたの!?いつ!?」
「ここに来るより前の話ですね…」
職場結婚をした二人は結婚後も変わらぬ生活を続けた結果、奥さんは今も同じ職場で仕事を続けているらしい。そんな奥さんが七海家の天井に潜んでいた理由はというと。
「不定期で来てくれている女中さんって、伊地知の奥さんだったの!?」
この家に来た当初、旦那様の希望で女中や下男は置かない方針を決めた。だが二人で住むにはだだっ広い家。日中時間があるとはいえ伊地知と灰原だけで家事をこなすのは限界がある。はずだったのだが…。
「いつの間にか部屋が掃除してあったり洗濯物が畳まれたりしていたのって、伊地知の奥さんのおかげだったんだ…」
灰原の知らぬ間に家事が片付いていることがあり、最初は伊地知やってくれたのだと思っていた。だがそうだとすると伊地知が分身していないとおかしい事に気づいた結果、『妖精さんの仕業』と楽観的に考えていた。
「ちゃんと紹介してくれればよかったのに…」
「仕事柄顔が割れるとまずいのと、夜目に慣れるためにあまり明るい所に出たがらないので…」
ここで灰原はある事に気が付いた。
「無給で働いてない?」
一応七海家の家計は灰原が管理している。だがその中に彼女への給金の項目はなかった。
「まさか!七海さんから彼女へ直接十分すぎるほどの給金をいただいています!」
「…ならいいんだけど」
旦那様の私財ではなくちゃんと家計から彼女の給金を出すようにしなくては、と灰原は頭で数字の計算をはじめる。そのことで話が終わったことに伊地知は安堵した。
***
「なんで教えてくれなかったの?」
同日。珍しく定時で帰宅した旦那様を食事中に問い詰めた。
「言ってませんでしたか?」
首をかしげる彼に具体的に誰が不定期女中として来るかは聞いてないと言うと素直に謝罪した。
「すみません。私もたまに出くわすような形でしかお会いしないので、紹介するという考えが抜けていました」
「そっか…」
家主公認の家事を引き受けてくれる妖精さん。給金の事はもちろん、まだ見ぬ彼女にお礼がしたいと灰原はあることを思いついた。
「旦那様、お願いがあるんだけど…」
***
後日、七海邸の居間に神棚とは別に妖精さん宛の差し入れ棚が設置され、そこにお菓子や手紙をお供えする奥様の姿が見られたという。