七誕2025「誕生日おめでとー!」
七月三日の昼休み。いつものように雄のいる教室の扉を開ける。途端に人が集まってきてとんがり帽子や『今日の主役』と書かれたタスキを装着させられた。外そうとすると面倒なことになると察知して早々に抵抗をやめる。
「…なんですか?」
自分たちがやり始めたことなのに『意外』とでも言いたげな顔でこちらを凝視されるのは心外だ。
「いや、怒んねーんだなって」
「何がですか?」
別に、この程度のことは慣れている。…いや、何故慣れている?雄と出会うまで友人と呼べるような関係を周囲とまともに築いた事なんてないのに?
「何がって…とにかく、誕生日おめでとう!」
雄を抱えて座ると目の前の机に祝福の言葉と共にお菓子が積まれる。一通りお礼を言った後、雄の鼻に自分のそれを近づけた。
「雄は?私に言うことはないのか?」
「近い!顔が近いよ!お誕生日おめでとう!ほら、プレゼント!」
胸を強く押され紙袋を渡される。未だに顔を近づける事に慣れない姿に可愛いなと和んでいると、受け取ったばかりのプレゼントに周囲がツッコミを入れ出した。
「それ、プレゼントだったん?」
「なんか意外」
折り曲げただけで封もしていない無地の紙袋の中に硬い感触。
「開けてもいいか?」
「もちろん!っていうか、読んでもらわないと僕も困るよ」
喜んでくれるといいんだけど、という謙虚な声をBGMに中身を取り出す。
「これは…!」
「本?」
「ボロッボロじゃねえか」
周囲の驚きの声に雄が顔を曇らせる。
「これしか見つけられなくて…」
「こんな…こんな素敵な物を…!?」
袋の中に入っていたのは、数年ずっと探していた、一番好きな作家の一番好きな話が掲載された短編集の初版本だった。
***
柄にもなくはしゃぐ七海を見て胸を撫で下ろす。一方、珍しい様子を不思議がったクラスメイトがこちらに疑問を投げかけてきた。
「灰原が渡したアレ、そんなにすごいのか?便覧に乗るくらいには売れた作家なんだし、今でも新品が本屋にあるだろ?」
「便覧に載ってんのか」
「知らなかった」
「この作家は戦前が全盛期なこともあって改訂が多くて、手が加わってない状態の初版は中々出回って無いんですよ!」
「へえ…」
周りの野次に七海がすかさず反応する。よっぽどお気に召したのか、珍しく僕の腰から腕を離し大事そうに持った本のページを一枚ずつ丁寧にめくっていた。
「よく本を読んでるって話は聞いてたけど本当だったんだな」
「基本ここじゃ灰原しか見てないもんな」
「それにしても灰原、よくそんなピンポイントな本を見つけられたな」
「へへっ」
頑張った!と胸を張る。同じ作家の中でも元の発行部数が少ないそれを探すのは大変だった。
「…ところで私、雄の前でこの短編の話、というかこの作家の話しましたっけ?」
「し、したよ!」
前世の話だけど、と心の中で付け加える。昔の記憶を使ってプレゼントを用意するのは卑怯だとかチートとか言われそうだけど、今回ばかりは背に腹は変えられなかった。
***
「灰原の奴すげーな」
「七海のあのプレッシャーを受けてなおそれを上回るもん用意しやがった」
「七海の奴、クリスマス商戦かよってくらい前々からアピールしてたもんな」
皆で思い出すのは先月の初めのこと。
「七海様ー!ノート見せてくれ!」
「雄の有益情報と引き換えです」
テストまでの残り日数が両手で数えられるくらいになった頃。仲間内の一人が七海のクラスに行き嘆願したのが始まりだった。
「だよなー!でも流石にもうネタ切れ…あ」
見慣れぬ教室を見まわしていると目に入ったのは三か月分の暦が並んだカレンダー。それを見てふと思い出したことがあった。
「灰原ってさ、いつも昼飯は米だよな」
「そうですね」
当たり前だと言わんばかりに七海が頷く。
「だけどさ、一日だけパン食べてた日があって。なんかチーズとかハムとか挟んであるフランスパンみてーなやつ」
「はあ」
「あの日は親父の誕生日の前日だったから日付まで覚えてんだ。いつだかわかるか?」
「…?」
「だーかーらー!去年のお前の誕生日に灰原がお前の好物食べてたって言ってんだよ!七月生まれの七海クン!」
灰原の事だ、きっと七海の事を知っていての行動だったのだと当たりをつけると見事大正解。その日の昼休みはいつも以上に騒がしいことになった。
「なんで直接祝いに来なかった!?」
「そもそも罰ゲームじゃなかったら会いに行くつもりなかったからね!?」
「だからなんで!?」
「なんででも!って、七海こそなんでそんなこだわるの!?」
「それは雄からの『誕生日おめでとう』の言葉が聞きたいからに決まってるじゃないか!」
痴話喧嘩は苛烈を極めたが、外野は七海のノートを見てテスト対策を行いながら静観するにとどまった。
***
「あの日から七海の灰原に対する圧がすごかったもんな」
今年こそは祝ってもらうぞという七海の執念はすさまじく「私の誕生日まであと何日」と毎日灰原に圧をかけていた。
「無事に終わってよかった」
「ああ…にしても」
付き合い始めてまだ一年未満。そんな短期間で相手の好みドンピシャのプレゼントを持ってこれるとは。
「相手が七海だから霞んでるけど、灰原も十分にハイスペック彼氏だよな」
現世での二人しか知らないクラスメイト達は灰原の手腕を褒めたたえる。
「七海の希望は大体叶えるし、サプライズも外さないし、浮気もしないし」
「あげませんよ」
「いらねえよ」
どこから聞いていたのか、顔を険しくした七海から牽制の声がかかる。
「雄が素敵だからって取らないでくださいよ。私だって無用な争いはしたくありませんから」
「取らねえよ」
いくらハイスペックといえど他人のものを奪う趣味はないし、何より同性の恋人はいらないというのが満場一致の意見だった。
「惚けるのは俺たちがいない所でやってくれ」