それはなんて残酷な教室に向かう途中に青い顔をして走る伊地知とすれ違う。何事かと彼の来た方を見ると、スーツを着た金髪の青年がこちらに歩いてきているところだった。
「こんにちは、虎杖くん」
「だ、誰!?」
「失礼ですね。七海です」
***
「呪霊のせいで並行世界のナナミンと入れ替わった!?」
「説明ありがとうございます」
戻ってきた伊地知に二人は空き教室へ放り込まれた。なんでもこの件は緘口令が引かれているらしく、虎杖が遭遇してしまったのはよくないことのようだ。
「それにしても」
改めて並行世界の七海を見る。金髪、緑眼、スーツ。言われてみればいつもの七海だが、虎杖が気がつかなかったのには理由がある。
「…ナナミン、若くない?」
「失礼ですよ」
頬はこけておらず、眉間の皺もない。普段と違い、五条の後輩と紹介されてもああそうか、と納得できる姿だった。
「こちらの私はどれだけ老け込んでるんですか…」
「写真見る?」
「いえ、結構です。…ところで、灰原は?」
「灰原?」
七海の口から発せられる見知らぬ人の名前に首をかしげる。
「今日は鍛錬の授業の受け持ちだと言っていたのですが」
「先生なんだ?」
「え?」
「七海さん」
伊地知が気まずそうな顔で七海を呼ぶ。その声音だけで、七海は何かを理解したようだった。
「…なるほど。どうりで来ないわけだ」
「ナナミン?」
「私が老け込んでいる理由がわかりました」
***
定時に仕事を終え帰路に着く。今日は不思議な日だった。呪霊を祓った後、補助監督の伊地知くんが待つ場所に戻ると急に慌てだして高専に連れていかれ、そこにーーー灰原がいた。呪霊を祓う瞬間に並行世界の自分と入れ替わったらしい。本体は祓っているので時間が経てば元に戻るが、混乱を避けるためと謹慎すること数時間。生きて大人になった灰原と話をした。
この世界の私は呪術師を辞めることもなく、今の自分のように老け込んでることもなく、灰原と二人で健やかに過ごしているということだ。
灰原が隣にいる自分の話に羨ましいと思った。だが、それ以上に。
「私の灰原に会いたいな…」
あの灰原は例の事件を乗り越えた『私』の灰原であって、私が共に過ごした灰原では無い。あの日失ってしまった灰原こそが自分が求めているものだと改めて気づいてしまった。
「灰原…」
瞼を閉じれば君に会えるだろうか。そんなことを考えながら眠りについた。
***
『時々会いにきてるんだけどね』
寝顔を見ながらほほ笑む存在に気づくことは、ない。
***
「七海おかえりー!」
「ただいま」
謹慎すること数時間、気がつくと目の前にはいつもの灰原がいた。
「…どうした?」
「んー?並行世界の七海もかっこよかったけど、やっぱり僕の七海が一番だと思って!」
「そうですか…」
「でも、並行世界の七海と話せてよかったよ」
「何故?」
「七海、僕がいなくてもやっていけるんだなってわかったから」
「…は?」
地底を這うような声が響く。室内温度が下がった気がするが、当の灰原だけは気づいていない。
「なんだ?いなくなる予定でもあるのか?」
「ないけど、実際死にかけたこともあるわけだし、何があるかわからないからね!」
これで安心して逝けるよなんて顔色を変える七海を他所に残酷なことを言う。
「…灰原」
「なに?」
「…明日の太陽が見たいなら、それ以上しゃべるな」
「………?」
その後一週間、灰原の姿を見たものはいなかった。