降誕祭の魔法使い(ノエルくらい、一緒にいられるとおもったんだけど)
「…とうさま…」
窓の外にちらちら舞う雪を見ながら、窓の縁に組んだ腕をのせて涙目のディオンは独りごちた。
3週間前に過ぎたサン・ニコラの日に願った贈り物は、今年も果たされることがないようで悲しくなってくる。
この国でルサージュといえば誰もが知っているような大企業ではあったし、その社を統べる社長その人が自分の唯一の肉親であるのも事実だ。
それ自体はとても誇らしいことなのだけれど、生憎この父親はなかなか家に寄り付かず、たまさか帰って来たところで一言二言言葉を交わせたらいい方だ。
それでいて、仕事上の体面は大切なのか客の訪問があった際には着飾ったディオンを伴って、事も無げに自慢の息子だ、と宣うのだ。
何せ、ディオンは聡明な子供だった上に亡くした母親に瓜二つの、大層愛らしい容姿をしていたため外野にうけが良かったのだ。
母親の居ないこの広い家は、実際のところ数人の家政婦と初老の乳母が回している。
えくぼがチャーミングなその乳母が、今日は厨房に混じって自分の為だけに大層なご馳走を用意してくれているのは知っていた。
それでも、大切にしてくれている彼女らを差し置いても、この日だけは父親と共に迎えてみたかった。
幼稚園に通うようになってこの方、クラスの友達が口々に話す家族の団欒が羨ましくて、サン・ニコラの日に向け拙い文字で手紙を書いた。
「プレゼントはいりません。いいこにするから、ノエルをとうさまとすごせますように」
乳母は確かに届けたと言っていた筈なのに。
朝楽しみに起きてみたら、いつもと変わらず父は不在のままで、代わりのようにもみの木の下に幾ばくかのプレゼントが積み上がっていた。
しょげかえるディオンを慰めようと家政婦達は朝からとびきり美味しいココアを作ってくれたし、乳母と参加したミサの帰りには欲しかった星座の本もプレゼントとは別に買って貰った。
そして昼下がりの今、厨房からは香ばしくて甘い香りが漂ってくる。
乳母や家政婦達の作る数種類のベニエと、料理番の得意とするフランが焼ける幸せの香り。
好物の香りを吸い込んでも気分が晴れないまま、ディオンは諦めきれずに外を眺める。
家の前の通りに面した二階のこの部屋は、外から帰ってくる父親を見つけるのにはうってつけだ。
今日は珍しく朝から雪が降っていて少々視界が悪いが、父の乗った車が今にもそこの角を曲がって来やしないかとまだ明るい街路に目を凝らす。
しかし程なくして、ディオンは奇妙な光景を目にして思わず身を乗り出した。
「…くまちゃん……!?」
外の垣根に添ってひょこひょこと大きな熊のぬいぐるみらしきもの、その頭が見え隠れしている。
柔らかそうなふわふわの耳を揺らして、茶色のそれが雪の中をふらつきながら歩いているようだった。
いやまさか、ぬいぐるみが一人で出歩く筈はないのだが。
ディオンは思わず身を乗り出して、どこに行くんだろうと行儀悪く窓のガラスに頬をくっつけながらそれを眺めていた。
窓が吐息で曇るのを擦りながら見ていたが、徐々に見えない角度になって残念な気持ちになる。
反対側の角部屋の窓からならまだ見えるかしらと冷たいガラスから身を引き剥がしたあたりで、今度は家のドアベルが鳴った。
玄関の位置からして、タイミングが良すぎる。
あれ、まさかさっきのくまさんがうちに遊びに来たの?
ノエルの魔法にでもかかったのかな、と考えながら子供部屋を飛び出した。
「あらあら、いらっしゃい。こちらへどうぞ」
一足先に出迎えたであろう乳母の笑いが混じった声を聴きながら階段をかけ降りて、玄関ホールを走り抜けてそのまま彼女の背中に取りつく。
恐る恐る、開け放たれた玄関を覗き込むと果たして、そこには先ほどのぬいぐるみがぬっと立っていた。
雪で少ししっとりした顔に、愛嬌たっぷりのグレーの瞳。
首に結ばれたリボンはすべらかなブルーで、手も足もどこもかしこも大きい。
「Joyeux Noel ディオン」
おまけに喋った!とディオンが驚いた瞬間に熊の横からよく知った顔が現れて、思わずあ、と声が出る。
「……テランス!」
「えへへ。驚いた?」
「すっごくびっくりした!」
幼稚園で同じクラスの友人が、寒さで鼻を真っ赤にしながら熊のぬいぐるみに埋もれている。
テランスの家は同じ区画の端同士に位置していて、幼なじみの彼らは時たま休日に互いの家を行き来する程に仲が良かった。
「はい、どーぞ。」
丸い頬を笑みの形に彩ったテランスは、腕に余るぬいぐるみをそのままよいしょ、とディオンに差し出した。
「これ、ディディにプレゼント。僕がリボン選んだんだ」
「わ、ほんとに…?いいの?」
彼しか呼ばない愛称で話しかけるテランスのはにかむ顔を見ていると、帰ってこない父親のことなどすっかり頭から飛んでいってしまった。
ディオンを笑顔にすることについて、この幼なじみの右に出るものはいない。
転んで膝を擦りむいた時も、幼稚園の誕生会に父が来てくれなくて泣きそうな時も、いつもテランスが見つけ出して慰めて、悲しくなくなるまで側にいてくれるから、ディオンは彼が大好きだった。
腕を一杯に開いて、テランスから受け取ったぬいぐるみを抱きしめる。
「ありがとう。おっきいな、この子」
大きくてふかふかの手足にちょこんと突き出た鼻先。
見た目の割に軽いのは、中の詰め物のせいだろうか?
「もしかして、おばさまたちの手作り?」
「そう!僕とお揃いでおねがいしたの」
僕の子はね、茶色い目で白いリボンのくまさんなんだよ。
嬉しそうにふくふくと笑うこの少年の母親は、こと折に触れてディオンを気遣ってくれる。
彼女の暖かさを体現したような笑顔はテランスにも引き継がれていて、ディオンは面映ゆさを感じてぎゅうとぬいぐるみに顔を埋めてしまった。
「ーーー、うまくいったか?」
「あ、大にい!」
自分より少し背の低い少年の後ろから、そっくりな面立ちの青年が垣根を超えて顔を出した。
「僕ころばなかったよ」
「ごきげんよう、大きい兄さま。Joyeux Noel」
「うん、ごきげんようディオン」
Joyeux Noel、と返しながらこちらに来たテランスの長兄は、よかったなぁと朗らかに弟の肩を叩いた。
「落っことさないか心配でね」
「大丈夫だもん」
ディオンに向けるものとは少し違う、甘ったれの弟の顔をしてテランスは兄に言い返す。
テランスの家はそれなりに大所帯だ。
大学生の長兄に始まり、テランスには兄と姉が二人ずついる。
家族仲も良く、休日は兄弟皆で分担して料理を拵えてゆっくり食事を楽しむのだとテランスから聞いていた。
きっとこのぬいぐるみも、お願いを承けて彼の母と姉たちが忙しい時間の合間を縫って用意してくれた物なのだろう。
そして、今日はノエルであった。
基本的には、家族で団欒を囲む日である。
幼なじみとはいえそんな日に訪ねて来てくれたテランスと、この訪問を後押ししてくれたであろう彼の家族に心がきゅうと暖まる。
「ありがとうございます。お名前何にしようか…」
ぎゅうぎゅうとぬいぐるみの胴にしがみつき、うっすらとクローブの香りがする被毛をすんすん嗅ぎながら、ちら、と縫いぐるみの影から乳母を仰ぎ見た。
憂鬱を吹き飛ばしてくれた素敵なプレゼントには、それに見合うお礼をしなければ。しかし。
「ばあや、あのね」
「はい、なんでしょうね坊っちゃん」
子供たちのやりとりをにこやかに見つめていた乳母に向き直り、おずおずと提案する。
「その…くまさんのお礼をしたいんだけど、何をお返ししたらいいんだろう」
まだ子供の自分に出来るプレゼントが、さほど多くないことをディオンは知っていた。
子供部屋の玩具は勿論今朝買い与えられた絵本さえ、自分の物といいながら父から「養育費」として預かった金銭で賄われているそれらを勝手によそにやったら、きっと父に叱られてしまうだろう。
「プレゼント、用意してないし……」
当然ながら、来ると思っていなかった友人に手渡すプレゼントもない。
テランスを待たせて、今から小遣い片手に急いで買いに走ると言うのも気が引ける。
思えば今まで「必要だから」と一方通行でただ買い与えられてきただけで、プレゼントの「遣り取り」をやったことがなかった。
こういう時、何をどう返すのかが、経験のないディオンには解らない。
途方に暮れかけるディオンを安心させるように微笑んで、すい、としゃがんでディオンと目線を合わせた乳母は、内緒話をするように密やかな声でディオンの耳元に囁いた。
「嗚呼坊っちゃん、こういうのは如何でしょうか。今から、お二人をお茶の時間にご招待するんです。ベニエもフランも、食べきれないほど作りましたからね」
「お茶に?」
「そうですよ。ご家族様の分は、お土産を包んでお渡ししましょうか」
ディオンの背後に向けて茶目っ気たっぷりにウインクした乳母は、どうなさいますか?とディオンを促す。
「いいの?…みんなのがなくなっちゃわない?」
元はと言えば、ディオンを慰めるべく使用人総出で用意してくれたものだ。
せめてささやかに、彼女らとノエルを祝うために。
「山盛り沢山ありますから大丈夫ですよ。それに、丁度焼きたて揚げたてです」
さあ、頑張ってお誘いなさって。乳母が笑顔で背中を押してくれる。
特別な日の特別なお菓子を、大好きな友達と一緒に。
お礼をするのは此方なのに、ディオンにとっても、それは大層魅力的に思えた。
振り返るとそわそわと此方を伺っているテランスの瞳が、期待に揺れている。
今か今かと、ディオンの言葉を待っている。
「ーーテランス!これから一緒におやつはどうだ!?兄さまも!」
思わず腹に力が篭って、大きな声が出た。
気が昂って少し突っ慳貪な言い方になってしまったが、果たして彼らはディオンの不器用な誘いを正しく理解したようだった。
愛らしい瞳をくしゃ、と細めてテランスが笑う。
「うふふ。喜んで、ディオン」
「おや、俺までいいのかい?」
良く似た顔をこれまたそっくりに破顔させながら、兄弟は頷いて「お邪魔します」と玄関に入って行く。
ああ緊張した。
少しだけほうと息をつき、ディオンはこれからの予定に想いを馳せた。
「ばあや、「お客様」だから食堂でおやつにしてもいい?」
「もちろん、坊っちゃん。ではご案内しましょうね」
案内と支度をするために下がった乳母と、促されて先に向かう兄の背中を見送り、ぬいぐるみを抱えたままテランスを伴って食堂へと歩いていく。
熊に視界を半分塞がれながら案内していると、見かねたテランスがぴったりと側に寄り添った。
「半分持つよ」
そのまま器用にぬいぐるみの足を掬って歩き出す。
「今日、お父さんは?」
「…ん~……まだお仕事なんだ」
頭から追いやっていた憂鬱がまた少し顔を出し、ディオンは何となく声を潜めて返事をする。
テランスは思わずぴたりと足を止め、ディオンの顔を覗き込んだ。
「そっか、……ごめん」
「ううん、仕方ないよ」
サン・ニコラへの願い事は、彼にだけは話してあった。
それでも、今朝方感じた冷たい孤独感は幾分か和らいだように感じる。
「だけどほら、テランスが来てくれたから」
寂しいのなんて、彼が来てくれた時からどこかへ行ってしまった。
「ありがとう、テランス」
そう言って先に進もうとするディオンの手を掴んで、テランスは自分の方に向き直らせる。
弾みで落としたぬいぐるみが足元で尻餅をついた。
「……あのね、」
正面から向き合うと、静かな興奮の中にわずかな緊張が混ざった顔のテランスが真っ直ぐにこちらを見ている。
「ディディ、僕は…僕ね、いつだって君のとなりにいるよ」
「!」
絞り出された幼い誓いが、耳を揺らして意識に染み込んでゆく。
「さみしいのも、つらいのも僕がやっつけるから」
繋いだ手を引かれ、テランスの腕が背中に回された。
きゅう、と優しい強さで抱き締められて、額と額をこつりと合わせられる。
「にこってしてて。僕、君が笑ってるのが好きなんだ」
そう言ったテランスの方が余程、とろりと潤んだ目で笑うものだから。
ああきっと、魔法を使えるのはこの幼なじみなんだろうとディオンは確信した。
だっていつだって、彼は自分が真に欲しいものを見つけてきてそっと手渡してくれるのだ。
ただディオンを笑顔にするために。
一番に見つけて、すぐとなりに居てくれる大好きな友達。
「うん…!」
照れた顔で抱擁を解かれて、蚊帳の外になっていたぬいぐるみを再度二人で抱え上げる。
その時ふと、ディオンの頭に閃きが走った。
寂しい時も、つらい時も側にいて守ると約束をくれたテランス。
ならば、彼から手渡され、今日から一緒にいてくれるこのぬいぐるみの名はこれしかないだろう。
「決めた」
「?」
「この子の名前」
きょとんと首をかしげてこちらを見上げる可愛らしい幼なじみ。
手元のぬいぐるみは、そんな彼によく似ている。
柔らかで、抱き締めると彼の家の優しい匂いがして、目に映る度に彼のことを思い出す。
きっとそれは、これ以上ない名案だった。
「テリ」
「…僕?」
大きな瞳をぱちりと瞬いて、テランスが自らを指差している。
「うん。この子、テリって名前にする」
自分だけが呼べる、二人で決めたテランスのあだ名。
焦げ茶色の被毛、グレーのお目目に、ふっくらした口元。
ブルーのリボンは、丁度今彼が着ているセーターの色にそっくりだ。
そして何よりも。
「いつでも、隣で一緒にいてくれるんだろ?」
どんな時でもきっと、「テリ」は側に居てくれる。
そう考えると嬉しくて。
「…そうだろう?テリ?」
彼が好きだと言ってくれた飛び切りの笑顔を添えて向き直ると、みるみる顔中を見事に赤く染めたテランスがぱくぱくと口を開閉させている。
「...…もちろんっ」
ずーっと、一緒だよ。
叫ぶように返事をした友の真っ赤な耳元を横目に、ディオンは彼ごとぬいぐるみを半ば引きずるように食堂へと歩き出した。
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「ほんとはね、」
「ん?」
「僕のくまさんも、ディディって名前なんだ」