2人のためのハイヒール/Side:Fふーふーちゃんの助手席は、おれの専用シートだ。だってゲイは真っ直ぐ運転できない(ストレートになれる訳ない)んだもの。
俺達を乗せた車は、レストランの地下駐車場になめらかに駐車された。
「運転おつかれさま〜」
「ああ、ゆっくりおいで」
ふーふーちゃんがシートベルトを外しさっさと車外に出ているあいだ、おれもシートベルトを外し、後部座席に放り投げたエナメルのショルダーバッグをたぐりよせ-何も入らないなんて失礼だな、化粧直しとモバイルバッテリーとサプリとアトマイザーに分けた香水と、あととにかく必要なものは全部入るんだから!-からコンパクトを取り出して、スカルプをチャカチャカ鳴らしながら念のため眉間にブラシをひとなでした。おけ、まだ鼻の頭のハイライトはばっちり生きてる。
ポーチにコンパクトを戻しながら、ちゃんと鏡つきのリップを忘れてないことを確認して、高らかにファスナーを閉め、バッグに押し込んだタイミングでおれの右側のドアが開いた。
ふーふーちゃんの手が差し出される。わざわざ「お手をどうぞ」なんて言わない。当然のエスコートだもん。
黒い革手袋におれの白いネイルはベストマッチだなあと見惚れながら、手を借りて車を降りる。
ピンヒールのぶん、ぐっと世界が高くなる。この瞬間がだいすき。
おれ専属の運転手兼ドアマンは満足そうに、うやうやしくドアを閉め、あっさり手を離しそうになるものだから、そのままぎゅっと握り込んで離してやらない。
「今日のヒールはカーペットを歩くためのとっておきのものなの。こんな硬いとこでコケたらどうしてくれるの?」
なんてわざわざ剣呑な声音を作って言ってあげる。
本当はアスファルトだって、このヒールでダッシュできるのも彼は知っている。
だからせめてお店に入るまで、手を繋がせてね。
コンクリートの駐車場にヒールを高く鳴らしながら、ディナーのエスコートの序章を愉しむのだった。
とにかくこの世界には車が要る。ようやく現代のパーキングアシスト(とにかくモニタが小さい)に天運を任せるのにも慣れてきた。
「運転おつかれさま〜」
「ああ、ゆっくりおいで」
何でもない風を装いながら、いそいそと車を出る。せっかく今夜のディナーデートのために浮奇が用意してくれたコーディネートだ。ヘアセットまで気の利いたふうにアレンジしてくれたものだから、俺の不注意でガシガシと崩すわけにもいかない。
どんなに格好がつかなくても、革手袋の中で嫌な手汗をかかないこの身体に改めて感謝した。
あらためてシャツの裾と襟を整え、様子を伺うと、ちょうど浮奇がこちらを見上げてくるのと目が合った。ウインドウに自分のにやけづらまで写っていたような気がして、すばやくドアを開けて手を差し出す。
身体の向きを変えて、白い脚がそろりと地面に降ろされる。足を包むほっそりとしたハイヒールに体重がぐっと乗り、しかし危なげなく浮奇は立っている。普段よりも近い目線に、少し感嘆しながら見惚れてしまう。
ああ、ここにレッドカーペットを敷きたいぐらいだ。たとえこの調度品のような靴を普段履きしていたとしても、わずかな距離でさえコンクリートで擦り減らすのが勿体ない!
いっそ抱えてやろうかと手を引きかけたとき、逆にぐっと握り返されてしまった。
「今日のヒールはカーペットを歩くためのとっておきのものなの。こんな硬いとこでコケたらどうしてくれるの?」
どうやら俺の見解は間違っていなかったようで、しかし分からせるように重く鋭い声音まで作ってくれている。その声、大好きなんだ。分かって俺にサービスしてくれているんだろ。頬が完全に緩んでしまう。
こんなやり取りは他の誰にも見せなくないし、悟らせたくないから、せめてレストランに入ったら手を離してくれないか。すぐに降参のポーズを取りたい。今すぐにでも。きらびやかに装飾された爪が食い込まないよう、やわく握り込まれたままでは、到底振り解けそうになかった。
それは全くもって甘美な拘束だった。