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    ちゃん

    @3chanchanchan3

    七五置場
    ハピエンしか書けません
    性癖が際どいやつはフォロ限だと見られない方がいるようなので
    一時的にログイン限定のパス制にしてみました

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    ちゃん

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    家事代行がお仕事の七とお笑いがお仕事な五の恋模様についてのお話
    ハラホソパロ

    妄想がおもむくままに書いてしまったばかりに
    あまりに注意点が多いので何でもばっちこいな方向けです。
    タイトルは個人的にハラホソの出囃子っぽいな〜と思ってた曲のタイトルをもじったものです。

    #七五
    seventy-five

    甘い天国 今をときめくお笑いコンビ『祓ったれ本舗』といえば、初舞台から熱心なファンを獲得し、感度の鋭いマニアからはネタのクオリティに一目置かれ、同業者からはいつか必ず奴らの時代がくると恐れられ、結成三年目には日本一面白いコンビを決める賞レースの敗者復活戦を制して、勢いそのままに「しょせん人は猿か否か」を議論するというセンセーショナルなネタで最年少優勝を果たしたコンビである。
     ネタの内容は物議を醸したが、確かに彼らはあの日、誰よりも爆笑をさらっていたし、審査員から見てもネタの構成、間、声の強弱、表情、立ち振る舞い、際どい内容を笑いへと昇華する技術は群を抜いており、審査員はみな口を揃えて「これほどまでに美しい漫才を見たことがない」と評した。コンビの見目が良いこともあって、メディアは彼らを新時代のニュースターとしてもてはやした。
     しかし、当然のことながら、彼らの存在を面白く思わない人々もいる。
    「祓ったれ本舗が優勝できたのは奴らの顔ファンのおかげだ。なぜなら、あの敗者復活戦というものは実力ではなく人気があるものが復活できるシステムだからだ」
    ワーキャー芸人を快く思わないお笑いファンのそんな声をねじ伏せるかのごとく、祓ったれ本舗は優勝の翌年も賞レースに臨み、ストレートで決勝の舞台に勝ち上がり、二度目の優勝を果たした。それだけに飽き足らず、その翌年もエントリーして優勝し、並行してコントの日本一を決める大会でも優勝してしまった。日本一のお笑いコンビを決める大会に関しては、五度目の優勝を果たすと、とうとう大会側から殿堂入りという名の出禁をくらった。その頃にはすでに彼らをワーキャー芸人と揶揄していた声はすっかり消え失せ、むしろ「日本一面白いピン芸人を決める大会でそれぞれが優勝して三大賞レースの玉座を総なめするのでは…!?」などという期待へと転じてしまった。
     しかし、祓ったれ本舗なら見たことがない光景を見せてくれるに違いない、という世間の期待を、五条は「僕たちはコンビだからピンの大会には出ないよ」の一言で一蹴した。その後に続いた
    「つーか、普段はコンビで活動してんのにピンの大会に出るって、なんかいやらしくない?」
    という発言は、お笑い界に大変な議論を巻き起こしたが、先の「僕たちはコンビ」という言葉が二人の絆の強さを印象づけることとなり、より一層ファンと世間の心を鷲掴みにした。
     こうして、祓ったれ本舗は名実ともに最強のお笑いコンビとなった。
     最強であるということは、誰よりも忙しいということでもある。最後の優勝から二年が経過しても、彼らの人気と忙しさは衰えることがなかった。自らの生活を顧みられないほどに。
    「なんだい、この部屋は?ゴミ屋敷?」
    「いっそ、そういうことにしてロケに来てもらおうかな」
    「テレビの力で片付けてもらおうとするんじゃないよ」
    夏油の言葉に適当な相槌を返し、五条は床に散乱している衣服を拾い上げた。
    「どうするんだい?これじゃあ悟の私生活よりも部屋の散らかり様に注目がいってしまうけど」
     二週間後に出演する番組のメイン企画は、売れっ子たちが私生活や自宅でのこだわりをセルフ撮影し、その映像を基にトークを行うというものである。夏油はとっくに映像を番組サイドへ提出しているというのに、五条はいまだにそれを完了していないというので、しぶしぶ夏油が撮影を請け負うことにした。そんな経緯で訪れた相方の自宅は、強盗にでも入られたのかと見紛う荒れ模様だった。
    「……傑ぅ〜」
     五条の青い目は、暗に片付けを手伝ってくれと訴えている。相方としては日頃からの手入れを怠っているせいだから自業自得だと突っぱねても良いのだが、親友としては無二の友の生活がこうも荒れていると放っておけない。何より夏油は、五条の作り出すいたいけな子犬のような目つきに弱い。
    「……最低限、撮影ができるようにするだけだよ?」
    「サンキュー傑!優しさの塊!」
    私の弱点を知っておきながら何をいけしゃあしゃあと。夏油は密やかに溜め息を吐いた。
     わざと弱いところを突かれていると自覚しつつも許容してしまうのは、自分が親友に甘いためか、親友が人を惹きつける天性の才を持っているためか。どちらにせよ、五条の頼みを引き受けた以上、さっさと片付けを遂行しなければ宿題は終わらない。
    「で?悟は何を撮影するつもりだったの?」
    「前にロケで見た目は抜群なのに味は微妙なパンケーキ食べたろ?あれを美味しくアレンジする様子でも撮ろうかと」
    「なるほど、私が撮影を引き受けて良かったよ」
    片付ける場所はキッチンだけで良さそうだね、と言いながら、夏油は目的のスペースへと足を踏み入れた。

     生クリームにまみれたパンケーキを一口頬張り、五条が「うま!」とコメントを残したところで、ようやく撮影を終えた。「微妙だったパンケーキを五条好みの味へとアレンジする」という内容から「ロケで食べた激うまパンケーキを自宅でも再現する」という内容にシフトチェンジすることに対して、五条が特に意義を申し立てなかったおかげで、片付けを終えてからの撮影はスムーズに進行できた。思いがけず掃除に熱が入ってしまったために、我を通す気力が残っていなかっただけかもしれないが。
     キッチンに並んで立ったまま、夏油もパンケーキを口にした。以前にロケで食べたものよりほどよく甘さが抑えられていて、断然美味である。とはいえ、見た目はあの甘すぎて微妙な味だったパンケーキに近しく作ったのだから、五条が炎上する未来は無事に避けられただろう。
     しばらく無言でパンケーキを食らっていると、不意に五条が「傑のとこはこんなに散らかってないの?」と尋ねた。
    「そうだね。衣食住のクオリティは人並みに保ってるよ」
    「どうやって?僕たち、この五年くらいずっと仕事が詰まってるじゃん。家には寝るために帰るだけみたいなものだし、たまの休みはこうやって掃除とか細々とした用事で潰れちゃうだろ?」
    劇場やテレビの仕事だけでなく、雑誌の取材や生放送の深夜ラジオ、イベントの司会などコンビでの仕事はもちろんのこと、個人の仕事でもそれぞれがモデル業や俳優業に誘われることが多々あるため、二人の仕事量に格差はない。コンビでもピンでもほぼ毎日何かしらの仕事をこなしていることは、夏油も同じであるはずなのに、なぜ自分の生活だけがこうも荒れてしまうのか。
     五条の疑問は、夏油がすぐに解決した。
    「そりゃあ、私は家のことはプロに任せてるからね」
    「プロ?」
    五条が目をパチクリと瞬くと、夏油は「うん」と頷いた。
    「家事代行サービスさ。CMキャラクターにもなっただろ?あそこのサービスを利用してる」
    CM契約なんて何本もやってるから覚えていられないのだがと思いつつ、五条が記憶を探ってみると、なるほど確かにそんな記憶が転がっていた。
     家のあれやこれやをスタッフが代行するというサービス内容を伝えるにあたり、どういうわけだか二人が同居しているという設定で展開されたCMは、一部のファン、特に女性ファンから熱烈な支持を受けた。CM契約自体は満期を迎えたために終了しているはずだが、夏油は五条が知らぬ間にユーザーとなっていたらしい。
    「CMキャラクターを任された以上は、実際のユーザーになったほうが印象が良いだろう?そう思って契約期間中だけと思って利用していたんだけど、案外、これが便利なものでね。仕事に集中できるからQOLは爆上がりさ」
    「ふーん。それですっかり顧客になったわけね」
    特に深い思慮もなく「傑が良いって言うなら僕も契約してみようかな」と五条が呟くと、夏油は「それが良いよ」としみじみと同意した。
    「悟は仕事、特にネタ作りとなると自分の生活を顧みないところがあるからね。二人でネタを作っているとはいえ、悟の負担を軽減するにも限界がある。生活をサポートしてくれる相手がいるというのは、私にとっても伊地知にとっても安心材料になる」
     ひっきりなしに鳴るオファーの電話に対応しつつ、多忙な二人のスケジュールを管理し、自らの生活に対しておざなりな姿勢でいる五条の健康面にも配慮を欠かさないために、いつもどこか気疲れをまとっている様子のマネージャーを想起した。
     五条は夏油と共に舞台に立っている最中に死ぬことができれば、それなりに満足な人生を送れたものとして後悔などしないのだが、そのせいで夏油が独りになってしまうのは忍びない。それに、伊地知はきっと五条が死んだのは自分のせいだと自らを責め立てるに違いない。
     さんざん迷惑や面倒をかけてきた二人に心労を与えていたという事実に、五条の胸中でにわかに申し訳ないという気持ちが起こってきた。
    「傑。その会社のサービス内容、もうちょっと詳しく教えてくれる?」
    五条の言葉に、夏油はにこやかに首肯を返した。




     五条が抱いた最初の印象は「金色」である。次いで、深い翠と見るからに生真面目そうな雰囲気、最後に、なぜ家事代行スタッフという職に就いたのかが不思議に思える体の厚み。筋トレが趣味なのだろうか。
     なかなかパンチの効いたスタッフが派遣されたものだなと、数分前にインターホンのモニター越しに見た印象より濃厚な生身の存在感に、五条のアンテナがビビビッと反応した。彼を観察していると、何か面白いエピソードのタネが生まれるかもしれない。
     五条の思惑など露知らず、男は自らを七海建人と名乗った。
    「本日は、本契約前のお試し利用ということでお伺い致しました」
    「うん。それは聞いてる。部屋はそのままにしておくようにって言われたから、片付けとか一切してないんだけど、本当に大丈夫なの?」
    「はい。普段の様子を拝見して、ヒアリングの際にお見積りなどを出させていただきますので」
     五条に促されるままにリビングに入室した七海は、玄関に立った時点で若干刻まれていた眉の皺をさらに深いものにした。淡々とした声色なうえに仏頂面であるが、存外に分かりやすい男である。
    「……なるほど」
    「いや、僕もそのままにしておくのもな〜と思ったよ?こんなに散らかってるわけだし」
    玄関先には捨てようと思いつつまとめたままになっていたゴミ袋が放置され、部屋の至るところには洗濯をしたのだかしていないのだか不明確な衣服が散乱し、机上には番組の事前アンケート用紙や、収録前の情報収集のために読んでいたレギュラー番組の過去および次回ゲストが執筆した本が山積みとなり、床には棚や卓上に所在を得られなかった細々とした物が雑然と放置されている。
     これが五条悟という人間だと思われるのは心外だが、もう随分と生活が荒れざるをえない日々を送っているため、誤解を甘んじて受け入れるよりほかない。それでも言い訳はしたくなるのが人の心というものだ。
    「本当は不要な物の分別くらいはしておきたかったんだけど、とにかく仕事が立て込んでて、そっちまで手が回らなくて…」
    「いえ、かまいませんよ。そういった方々のために我々がいるんです。サービス内容や延長料金等、こちらの具体的な動きを把握できたほうが、五条様も安心できると思いますから。まずはお部屋のお掃除から始めさせていただきます」
    とは言いつつ、作業前に七海が小さく溜め息をつく音を五条は聞き逃さなかった。人間観察も仕事のうちである五条でなければ、気づくことはなかっただろう。
     今までの様子から察するに、そもそも七海は労働というものがあまり好きではないのだ。七海に限らず、ほとんどの社会人は労働なんぞクソ食らえと思っていることだろう。それでもみんな不平を胸の内に秘めて働いている。例に漏れず七海も同様なのだろうが、表情筋が死滅しているかのごとく愛想笑いのひとつも浮かべないくせに、彼の内面はしごく単純で分かりやすい。
     五条はますます七海に興味がわいた。

     さすがプロフェッショナルといったところか、それとも七海が特別に質の良いスタッフなのか、初めてサービスを利用している五条には判然としない。しかし、先ほどの溜め息は、ともすればスイッチを切り替えるためのルーティンだったのかもしれないと思うほどに、七海の迷いない動きには目を見張るものがあった。
     手伝いとして作業に参加する五条へ、整理整頓のテクニックやゴミをまとめる際の効率的な方法など、プロの知識を惜し気もなくレクチャーする七海が歩いた後には、一つとして物が落ちておらず、リビングにはみるみるうちに足の踏み場が現れ、雑然としていた光景は七海の七三に分けられた前髪のごとく整然と整えられた。
    「この部屋ってこんなに広かったんだ…」
     鼻を抜ける空気にどこか爽やかさを感じる。そんな錯覚を覚えて五条が深呼吸をしていると、七海が時間が余っているから他の部屋も掃除しておこうか、と申し出た。五条は少し考えて、
    「料理もしてくれるんだっけ?」
    「ええ。ご予算を設定していただければ、その範囲でお作りいたします」
    「じゃあ昼ごはん作ってくれる?冷蔵庫にあるもの何でも使って良いから」
    料理の腕も見ておきたいしと注文すると、七海は「承知いたしました」と頭を下げてキッチンへと赴いた。
     ほどなくして、ダイニングテーブルの上には卵でとじられた餡掛け肉うどんがあらわれた。ほかほかと立つ湯気に乗って鼻腔をくすぐる香りは、否応なしに口内に唾液を分泌させた。
    「いただきまーす」
    ふうふうと息を吹きかけ、ズルズルと小気味良い音を立てながら麺を啜った。出汁の風味が餡のとろみと相まって、手料理の温かさを思い知らせてくれる。甘辛く味付けられた牛肉からは生姜のパンチが感じられて、つゆが絡むとまた変わった表情を覗かせる。
     要するに美味すぎた。冷蔵庫の中にろくな食材など残っていなかったはずなのに、限りある素材でこんなにも贅沢な気持ちを起こさせるとは。
     この感動を伝えようにも七海の姿は見当たらず、キッチンから何やら物音がしているのみだった。
     五条は惜しみながらうどんを早々と完食し、キッチンにいる七海のもとへ急いだ。
     七海はキッチンを掃除していた。以前に夏油が熱心に磨いていたシンクは、はるかに輝きを放っていて、親友の苦労の面影が失せていた。
    「おや、もう食べられたのですか?熱かったでしょうに」
    「凄すぎない…?」
    七海の質問に答えず、手料理の感想を伝えることも忘れて五条がシンクを見つめたまま放心したように呟くと、七海は「仕事ですから」と素気無く目を逸らし、シンクの掃除を再開した。
     ある程度の目処がついたからと、七海は掃除を切り上げた。資料を提示しながら、対面する五条へサービス内容について説明する声は、やはり淡々としている。
    「え?つまり、こんなにいろいろやってもらったのに、延長料金はかかってないの?」
    「はい。できる限りそのようなお金が発生しないように迅速に動きますので、よほどのことがない限りは、こちらのプランで充分なサービスをご提供できます」
    七海が示すサービスプランの概要を聞き終えるより早く、五条は「じゃあそれで」と契約を即決した。七海はわずかに瞠目した。
    「本契約のご検討は、今回のフィードバック後でも良いのですが…」
    「最初から契約するつもりでお願いしたんだから、別にかまわないよ。申し分ない仕事っぷりだしね」
    五条が微笑むと、七海はどこか拍子抜けした様子で「では後日、本契約の手続きにお伺いします」と言った。

     会社に戻るという七海を見送りに玄関までやってきた五条は、せっかくだからとサービス精神で背を向けている七海の尻に手を伸ばした。みんなが大好きな祓ったれ本舗の五条に触れられるのはさぞかし嬉しいことだろう。仏頂面の七海も照れるかもしれない。
     期待を込めつつ、仕事への礼も兼ねてふざけて触れた五条の右手は、瞬きより速く七海の右手に囚われた。手首が捻られる間際になって、七海はピタリと動きを止めた。
     武道の達人は組み合った瞬間に相手の力量が分かるもので、五条は七海に手首を掴まれた瞬間に七海の強さを知り、七海は五条の強さを知った。そして、七海は自分は五条に勝る技術を持っていないことを悟り、五条は七海が自分に及ばないことを悟った。
     それでも七海は五条の手首を解放せず、警戒心を露わに五条を睨んでいた。
    「…どういうおつもりですか?」
    「オマエ、僕ほどじゃないけど、なかなかやるね。傑と初めて会ったとき以来だよ、ガキの頃に習わされた護身術を使いそうになったのは」
    ますます険しい表情になる七海へ、へらりとおどけた笑みを向けて、五条は「ファンサだよ」と答えた。
    「ファンサ?」
    「あれ?知らないの?祓ったれ本舗。何年もときめいてるお笑いコンビ。僕はそのボケ担当。たまにツッコミ」
    「知りませんね」
    「……マジ?」
    七海の目つきは鋭いままで、五条のような冗談は一切感じられなかった。
     五条はようやく合点がいった。好きなお笑いコンビランキングの首位記録を現在進行形で更新し続け、抱かれたい芸人ランキングの記録も更新し続けている五条と間近で相対して、あまりにもリアクションが薄かったのも、表紙を飾った雑誌の束を無遠慮に縛れていたのも、七海が祓ったれ本舗を知らなかったことが原因なのだ。となると、長身で白髪青眼という、初見の人間であれば奇異の視線を向けずにはいられない五条の見た目に対して、七海の目が一切の感情を乗せなかったことは、偏見を持たない七海の人間性の表れということになる。
     思いがけず、五条は七海に好感を抱くこととなった。しかし、七海のほうは五条と真逆の気持ちが作用していた。
    「ファンサだとして、なぜ勝手に尻に触れるのですか?」
    「僕がゲイだから」
    突然の五条の告白に、七海は大きく目を見開いた。そのリアクションに、七海は本当に五条という芸人を知らないのだなと思った。
     五条がゲイであることが広く知られるようになったのは一年前からである。
     ある日のライブで相方とキスをするという罰ゲームが敢行された際に、五条が「好きな男と手を繋いだことすらないのになんで初キスが傑なんだ!」と叫んで断固として拒んだことをきっかけに、ライブシーンを中心として、数年前から芸人仲間とファンの間では周知されていた。高専で出会った夏油はコンビを組む以前から五条の性的指向を知っていたために、親友が色眼鏡で見られることを危惧していたが、五条自身の飾らなすぎる人柄と破天荒なキャラクターが相まって、存外にファンを含めた周囲の人々は五条に対する態度を変えることはなかった。
     そんな折に、五条はイケメンでスタイルが良くて白髪で青眼で常にサングラスを掛けていて実家が大富豪のお坊ちゃんで超が付く甘党で超が付く下戸で誰が相手でもタメ口で軽薄な振る舞いなのに恋愛経験皆無のピュア野郎だということで、大人気トーク番組「ハレトーク」に「キャラが特盛芸人」のリーダーとして出演した。幅広い視聴者層を獲得している番組で、五条はいつかのライブのようにさらりとゲイであることを公表し、世間にあまねく知られることとなったのである。
     五条の言を聞き終えた七海は、憮然とした表情のまま質問した。
    「……つまり、ゲイであることもキャラのひとつ、ということですか?」
    「だからそれは違うって。そう思われるのが迷惑だから公表したんだよ。そもそも僕はいまだにあのテーマには納得してないんだけどね。こんなに正直に生きてるのにキャラ扱いされるなんてさ」
    歪められた形の良い唇には、鮮度を保った不服が表れていた。七海は五条の言葉に嘘はないことを感じたが、だからといって五条の非礼を容認するわけにはいかなかった。
    「ファンサと称して無断で尻に触れるなんて、そういうことをしていては、他のゲイの方々への偏見を煽ることになるのでは?」
    「なに?説教?」
    五条が生意気な表情で片眉をあげると、七海の眉間に出会ってから最も深い皺が刻まれた。
     正義感が強い奴なのだなと、七海の観察を進めつつ、五条はへらりと笑みを浮かべた。
    「心配しなくても、とっくにネット上では叩かれまくってるよ。でも僕としては、僕だけの行動を見てゲイの人間性を決めつける輩のほうが軽率なんだから、叩くべきはソイツらじゃないの?って思ってる」
    「……そうは言っても、影響力のある立場なのであれば、ある程度は品性を備えておくべきだと思いますが?」
    「初対面なのになかなか言うね。これから顧客になるっていうのに」
    のらりくらりと立ち回る五条の言葉に、七海は不規則な風に舞う木の葉を掴まえようとするような感覚を覚えた。
     会話を続けるだけ時間の無駄だと判断したのか、スンと表情を消すと、七海は五条の手首を放した。
    「…出過ぎたマネをしました。お許し下さい」
    毛ほども思っていないだろうに謝罪の言葉を口にした七海は、深く頭を下げた。
     七海のつむじを眺めながら、五条は一抹の名残惜しさを感じた。
     人間性としてはありきたりなのに、なぜだか七海には人の気を惹きつける不思議な求心力がある。それは外見のためなのか、短時間の間に触れた人柄のためか。
    「ねぇ、たしかスタッフって指名できるんだよね?」
    訝しい表情を浮かべながらも、七海が「ええ。指名料は発生しますが」と頷いたのを認めると、
    「じゃあ、七海建人サンを指名します」
    指を突きつけ、ニヤリと口角をあげる五条に対し、七海は迷惑そうに唇を引き結んだ。
    「言っとくけど、別にオマエが好みの男だからってわけじゃないから」
    勘違いすんなよ?と釘を刺すと、七海の無表情が崩れ、心底からうざったそうな渋面が立ち現れた。


     楽屋にて五条から事のあらましを聞いた夏油は、顔も知らない七海に憐れみを抱きながらも「満足しているようで何よりだよ」と、ひとまず五条の生活の充実を肯定した。
    「それで?トークライブのネタになりそうな事件は起こったのかい?」
    「いや、全然。顔合わせることなんて滅多にないからね。僕の要望に忠実に応えてくれてるから文句の付け所もない」
    「そう。ま、週に三回の利用で、まだ契約して二ヶ月しか経っていないんじゃそんなものか」
     テーブル上のペットボトルに手を伸ばし、夏油は緑茶を一口含んだ。五条は種々雑多なケータリングからどの菓子を食すかを悩んでいるようだ。
     その手つきから、夏油は五条の密やかな楽しみを汲み取った。
    「七海ってヤツはそんなに良い男?」
    チョコ入りマシュマロを手にキョトンとした表情を浮かべる親友へ「話してる間、ずっと楽しそうだったから」と付け加えると、「ああ」という相槌の後に「優しいヤツだと思うよ」と五条は答えた。
    「仕事中にどんなにくだらない話題で話しかけてもちゃんと答えてくれるからね。しかもかなりに真摯に。前は『色素が薄いあるある』で盛り上がったっけ。でも眉間に皺を寄せながらだから、邪魔臭いとは思ってるんじゃない?」
    「仕事の邪魔になってる自覚はあるんだ?」
    「七海の態度が面白いからやめられないんだよ」
    「悪いヤツだね。悟は」
    夏油がわざと大袈裟に溜め息をつくと、五条は悪びれる様子もなく笑った。
    「七海のこと、けっこう好きになってるだろ?」
    「いやいや。ないない」
     無造作に口内へ放り込んだマシュマロで片頬を膨らませ、顔と手を何度も真横に振って五条は否定を表した。夏油は少しつまらなそうな顔をした。
    「アイツ全然タイプじゃねぇもん」
    「そうなの?そもそも悟の好みってどんな男なの?」
    「知らね。好きになったヤツが好みなんじゃね?」
    「その価値観でよく好みのタイプ云々で否定できるね?」
    夏油が小首を傾げると、五条はムッと顔を顰めた。
    「今、『そんなんだからピュアピュア野郎だってイジられるんだ』って思ったろ?」
    おや鋭いなと、内心で感嘆しつつ、夏油は五条の指摘に否定を返した。
    「私としては、まっさらな悟に恋人ができて目立ってくれれば、祓ったれ本舗としてまた話題作りができるから都合が良いと思ったまでだよ」
    「……オマエも悪いヤツじゃん」
     今度は否定も肯定も返さず、夏油はハハッと短く笑った。
    「もし恋人ができたとしても、あまりすぐに公表はせず、情報を小出しにしていこう」
    その方が息が長く続く。とのたまう夏油へ、五条が言葉を返そうと口を開くと、楽屋扉からノック音がした。
     収録の開始時間が迫っていることを告げに来たスタッフへ返事をすると、夏油はさっさと立ち上がってスタッフについて行ってしまった。
     その後ろ姿にじとりとした視線を投げかけつつ、五条は「七海が恋人になる可能性はゼロだ」という主張を渋々飲み込んだ。




     リビングに足を踏み入れた七海は、視力の弱い人がそうするように、わずかに目を細めた。
     そんなことで目の前の光景に対する答えが現れるはずもない。妙な誤解をされる前にと、五条は七海の疑問を解消してやることにした。
    「今度の単独ライブの衣装だよ」
    「ああ、そうですか。それなら良かったです」
    すでに何かしらの誤解が生じていたと思しき言葉を残して、七海はさっさと仕事に取り掛かった。
     あまりに淡白な態度に、五条はむぅと頬を膨らませた。
    「劇場にサイズの合う衣装がないからわざわざ買ったんだけどさぁ、七海はこの衣装どう思う?」
    「五条様は売れっ子芸人だとうかがっていましたが、最近よくエンカウントしますね」
    「単独が近いからスケジュールに余裕もたせてるんだよ。稽古しなきゃだし、新ネタ作らないとだし。つーか、『五条様』はやめろって言ったよね?」
    テキパキと風呂掃除を始める七海へ端的な返事をよこした五条は、話を逸らすんじゃねぇとねちっこく喚いた。
     これなら発情期の猫のほうがまだ静かだ。せめてもの抵抗としてあからさまな溜め息をついてみせた七海は、気怠そうに五条を振り仰いだ。
     五条は女子高生の制服に身を包んでいた。
     白い頭髪はペールトーンの髪飾りで装飾されており、クリーム色のオーバーサイズのカーディガンから覗く胸元の青いリボンが印象的である。灰色のスカートは随分と短く、カーディガンに隠れているせいでぱっと見ではその存在が認識できない。白くて長い膝下はルーズソックスでひた隠しにされている。
     記号化されたギャルの姿に、七海は「記号化されたギャルみたいですね」と思ったままの感想を述べた。五条は「うーん」と唸り声をあげた。
    「架空のギャル語でマウントを取り合うギャルのコントだから、その感想は狙い通りなんだけど、もうちょっと思うところはないの?」
     そのネタは何が面白いのだ、という言葉を返してしまったが最後、五条は今以上に粘着質になってしまうだろう。七海は再びまじまじと五条の姿を観察した。
    「スカートが短すぎるような気がします。あるいはカーディガンが長すぎるのか。いずれにしても、スカートの存在感が希薄で気が散ります」
    「あー、やっぱり?それはスカートをチェック柄にしても解消されない感じ?」
     てっきり「えー?それって僕がスカート穿いてないとざわざわしちゃうってことなのー?七海のムッツリ〜」などとふざけた調子でいやらしい笑みを浮かべるものと予想していた七海は、思いがけず真剣な眼差しの五条に面食らった。
    「…解消されないと思います。そもそもスカートが隠れすぎているので。チェック柄にすればギャル感が増すとは思いますが」
    「スカートをもっと見えるようにしたうえで、だろ?でもそれだとあからさまなんだよね。ほら、僕ってそもそも派手な外見だからさ、あまり見た目のギャル感が強くなると肝心のセリフのインパクトが薄まると思うわけよ」
    「そういうものですか」
    ほんの少し仕事に関心を寄せた様子の七海に頷いてみせると、五条は
    「感想ありがと。やっぱ七海の視点は参考になるわ」
    と言い残し、迷いない足取りで脱衣所を立ち去った。
     途端に静かになった浴室で、七海はひたむきに仕事と向き合うギャルの姿を想起した。
     初対面から馴れ馴れしい彼にも真面目な一面はあるのだ。
     五条に対する認識を改めて仕事を再開させようとしたところで、また五条がひょっこりと顔を覗かせた。
     改善点が見つかってひと段落したから今度は邪魔をしに来たのか。
     更新した認識を再度改める準備をしながら「まだ何か?」と七海が尋ねると、五条は「今日の晩飯って何?」と尋ねた。
    「メインは唐揚げの予定ですが」
    「やった!僕、七海の唐揚げ好きなんだよね」
    屈託のない笑みを浮かべてあっさりとその場を去ってしまった五条に、思いがけず七海はまた面食らった。


     どうしたものかなと、五条は内心で呟いた。
     ファンと思われる一組の男女が五条の背後をつけていた。
     珍しく時計の針が頂点を過ぎる前に帰宅できるからと、電車を利用してしまったことが間違いであった。ざわめきにざわめく電車内で隠し撮りを試みる輩を見つけ次第、カメラ目線でピースサインを送っていたら、一部のファンを調子づかせてしまったらしい。駅前のくせにタクシーは一台も停まっておらず、おかげで五条は自宅マンションとは真反対の方向をぐるぐると歩き回る羽目になった。
     一般人の日常の刺激になれば双方ともに愉快な気分を味わえるに相違ない。今ではそんな悪戯心を働かせてしまった自分が恨めしい。
     後悔の最中、五条は「いや待てよ?」と、なぜに電車を利用しようと思ったのか、その起源を辿った。
     そもそもは、定期的にジムに通っているとはいえ、タクシー移動がほとんどであるから運動不足なのではないかと常々引っ掛かっていた。笑いに全てを捧げ、自らの生活に無頓着だった五条がそんな懸念を抱くようになったのは、健康的な食生活を送れるようになったためである。その食生活を提供しているのは七海である。ということは、健康志向を芽生えさせたのは七海が原因なのだから、この状況は七海が作り出したも同然だ。おのれ七海。許すまじ。
     夜中であってもどんよりと暗いことが分かる空の下、理不尽な怒りに頬を熱くする五条の視線の先に、ふらりと見覚えのある後ろ姿が現れた。光明の錯覚は五条の怒りを晴らし、長い足を小鹿よろしく飛び跳ねさせた。
    「なっなっみーんっ!」
     背後から一方的に肩を組むと、七海はギョッとした表情を浮かべた。
    「五条さん…!?一体何を」
    「猿につけられててさ、ちょっと協力してくんない?」
    「猿?」
    「僕らのファンのこと。優勝したときのネタから取って、自分たちで勝手に名乗ってるみたいよ?」
    もっと自分を大切にしてほしいよねぇ、などと暢気ながらもコソコソと話す五条の顔はどこか疲労が滲んでいる。
     瞬きほどの逡巡の後、七海は「私はどうすればよろしいのですか?」と尋ねた。
    「とりあえず友達のフリをしてくんない?あの子たちもずっとついてきてるから、僕が一人にならないことが分かれば、すぐに諦めてくれると思う」
    「なるほど。では、まずは少し離れて下さい」
    「なんでだよ。人の話を聞いてなかったのか、オマエ」
    そもそもオマエのせいでこうなったんだぞ、という訳の分からない五条の言い分を聞き流し、七海は五条の胸にそっと触れた。
    「これは友人の距離感ではありません」
    胸に触れる七海の掌に徐々に力が込められていった。
     七海の言い分に納得して体を離した五条の胸に、どこからともなく熱が染み出した。五条にはこの熱の源泉が分からなかった。
    「七海に『友人の距離感』が分かるなんてね」
    言外に匂わせた失礼な意味合いに、七海は無表情で答えた。
    「狭く浅くではありますが、私にだって友人はいますよ。お互いにオフだったので、今日はその内の一人と呑む予定でした」
    「だから私服なのか。七三じゃない七海ってなんか新鮮」
    無遠慮に髪を撫でる手を顰めっ面で払う七海が可笑しくて、五条は喉の奥で密かに笑った。
    「呑む予定だったわりには全然酒臭くないね」
    「向こうに急な仕事が入ったので流れてしまいました」
    そう答える七海の横顔は、相変わらず無表情である。しかし、五条には分かってしまった。
    「楽しみにしてた約束が潰れてショックだったから、一人呑みに切り替える気分にもなれなかったんだ?」
     七海は無言だった。ほとんど答えてくれているようなものだった。
    「ソイツ、親友?」
    「……まぁ、それに近しい存在だとは思います」
    「そこまで思えるなら親友だろ。なんで濁すんだよ?」
    五条の疑問に七海は答えなかった。沈黙を間に挟んでしばらく待ってみたが、七海に口を開く気配はなかった。
     まぁ強いて知りたいことではないからと、五条が別の話題を振ろうとした瞬間、七海がおもむろに口を開いた。
    「あまり親しくなると、別れが辛くなるじゃないですか」
    五条は目を瞬いた。
    「何それ?まるでそんな別れを経験したことがあるような口振りじゃん」
    「ええ。子供の頃に…」
    そこまで言って、七海は口を閉ざした。待てども待てども言葉は続かない。
    「……おい。まさか、教えてくれないつもり?」
    「……話す筋合いはないかと」
     前を見つめたまま逃げおおせようとする七海の横顔へ、五条は不満を爆発させた。
    「今さら何言ってんの?筋合いあるだろ。気になるところで切りやがって。ネタにしないから教えろよ」
    「ファンの方々、諦めたみたいですよ?良かったですね。では、私はこれで」
    「そんなことはとっくに分かってんだよ!また話を逸らそうとしやがって。僕はオマエと話がしたいの!」
    「誤解されそうな言い回しはやめて下さい」
    歩幅を広げて立ち去ろうとする七海の腕を五条が掴み、それを引き剥がそうと七海は拘束する腕を掴み、拘束する腕を剥がそうとする腕を剥がそうとして五条は七海の腕を掴んだ。
     なんて間抜けな事態に陥ってしまったのだろうか。と五条は思った。
     しかし力を緩めるわけにもいかない。と七海は思った。
     力が拮抗している二人の胸に去来するのは、「この事態を打開するための鮮烈な何かよ、起これ!」という神頼みのみである。
     そんな二人を見かねたのか、神は哀れみの稲光を走らせた。宵闇のアスファルトに二人の影が落ち、雷鳴が轟いた数秒後、ポツポツと雨粒が降臨した。にわかに立ち込める雨の匂いに五条は、夜中に雨が降ることを気象予報士が液晶テレビ越しに教えてくれていたことを思い出した。
     予報を外すことで有名なあの予報士がついに的中させたのか。一人で感慨にふける五条は、それはそれとして傘を持っていない事実をどう切り抜けようかと思案した。
     不意に、雨粒の感覚を狭めていく曇天が、銀の骨が放射状に走る黒い空へと変貌した。頭上と睨めっこしていた視線を落とすと、七海が折り畳み傘を差し出していた。

     大きな雨粒が都市を叩いていた。七海の折り畳み傘は、土砂降りの雨から二人の大男を匿うには頼りなさすぎた。
     防御力のほとんどを五条に傾けている七海の肩は、すっかりしとどに濡れている。それでも七海は涼しい顔をして、五条を雨粒どもから守っている。当たり前のように犠牲になる優しさに、五条は七海の幼少期の思い出を聞き出す意欲を萎ませた。
     五条の自宅マンションが近くなった。それまで沈黙していた五条が「シャワー浴びてく?」と濡れた肩を示しながら尋ねると、七海は首を横に振った。
    「お気遣いなく。この程度ならハンカチで拭けばどうとでもなります」
    「でもカバンもびしょびしょだろ。中身は大丈夫なの?」
    「ご心配には及びません。それより、あなたのセクシャリティが知られているというのに、私と一つの傘を共有して、あなたの部屋に入る様子を目撃されるほうが面倒なことになるでしょう」
     七海の懸念を五条は否定できなかった。すれ違う人々は通り雨に気を取られて、野郎同士の相合傘にはさほど注目していないようだが、五条は念のために帽子を深く被り直した。
    「確かに、記事になったら面白半分に拡散されるかもしれない。けど、七海に風邪なんかひかれちゃったら、さすがの僕でも申し訳なく思うぜ?」
    だからせめてハンカチではなくタオルで体を拭いておけ、という五条の気遣いを七海は断固として拒んだ。
    「私はスタッフの一人なので風邪をひいたところでいくらでも代わりがいますが、五条さんの代わりは誰にも務まらないでしょう。こんなことであなたの仕事に支障が出てしまったら、私こそ面目が立ちません」
    「オマエと噂が立ったところで仕事に影響ねぇよ」
    七海は駄々をこねる子供を見るような目で五条を一瞥した。
    「どうして、そこまで意固地になるんですか?」
     深い溜め息と共に吐かれた言葉に「意固地になってるのはどっちだよ」と返そうとした五条は、ふと我に返った。
     どうして自分は七海にこうも執着しているのだろうか。どうして彼が風邪をひいて会えなくなるかもしれないと思うと気持ちが焦るのだろうか。
    「五条さん!」
     不意に強い力で腕を引かれた五条は、抵抗する間もなく七海の背後に引っ張られた。直後に五条が歩いていたすぐ側を自動車が駆け抜けて、アスファルトに溜まった水たまりを撒き散らした。
    「……うち来る?」
    犠牲の勲章をシャツの裾から滴らせながら、七海は観念したように頷いた。

     よもや七海と共に帰宅をする日が来ようとは。
     常ならば五条が留守のうちに七海が仕事をこなし、業務が終わればあっさりと部屋を出る。仕事中に五条が帰宅することも、五条がすでに在宅しているうちに七海が訪れるのも、半年を過ぎた契約期間の中ではごく稀な出来事である。
     だからだろうか。七海が浴室に入っている間に濡れた衣服を洗濯機に放り込み、タオルを置いてきた五条は、肝心の着替えを用意しておくことを失念していた。
     最寄りのコンビニで適当な下着を購入し、せめてコレだけでも置いておこうと脱衣所の扉を開けると、むわりとした湿気が五条を出迎えた。
    「……せめてノックをしてくれませんか?」
    じとりとした視線をよこす七海に、五条は言葉を返すことができなかった。
     毛先から滴り落ちた熱い水滴が、七海の頬と顎を滑って鎖骨に落ちた。鎖骨の背後に聳える僧帽筋は山のように盛り上がっており、肩を組んだときに感じた岩壁を思わせる堅牢さの正体がそこにあった。鎖骨の窪みから零れ落ちた水滴は、押し寄せる大波のように広がる大胸筋を辿り、腹部で均整を保って美しく並ぶ六つの隆起の上に留まっていた他の水滴と合流した。彼の性格と呼応しているのかと錯覚してしまうほど整った腹筋の上を勢いよく走り抜け、水滴は七海の下生えの中に消えた。
     逆三角形の頂点に当たる腰は細い。だというのに、そこから伸びる腿は太く、幾重にも重なるしなやかな筋繊維の存在をありありと物語っている。直線に走るふくらはぎの輪郭は、男性的な筋肉の在り方の手本のようでもある。
     片手に持ったタオルで頭髪の水分を拭うために上げられた腕と肩の繋ぎ目から、無防備な腋窩が現れた。そこには頭髪と同じ色の暗い黄金の森があった。木々は、それぞれが浴室の熱気に乗せて、七海の中に潜む雄としてのフェロモンで脱衣所を満たそうとしていた。当然のことながら下生えも腋窩の体毛と同色である。その隣で宙ぶらりんに下げられたままの左手には、重力に逆らって上ろうとしている血液が集中し、白色灯の光がゴツゴツとした手の甲に膨らんだ血管の陰影を暴いていた。
     緩くコントラポストを描く佇まいは偉大なる彫刻家の作品を彷彿とさせる。むしろ嫉妬するのではなかろうか。自分が生涯をかけて生み出そうとした理想の肉体美は、生きている彼には到底及ぶことがないと。
     五条が市販の灯りの下で不相応な美しい陰影を浮き上がらせている男に言葉を失っていることなど、当の七海は知る由もない。
    「どうかされましたか?」
    と、訝しむ七海の声かけでようやく放心から脱却した五条は、
    「あ、えーと、下着買ってきたから」
    ふざける余裕も揶揄う余裕も失ったまま、面白みに欠ける返事をしてしまった。

     五条の私服を着た七海の姿を見て、五条は密やかに安堵した。五条のほうが背丈が高いために、パンツの類はすべて裾が余ってしまう。だというのに上半身の厚みは七海のほうがたくましいため、シャツの類はすべてパツパツに生地が張ってしまって苦しげである。
     そんな己と七海との差異をひとしきり笑った五条は、七海にハーフパンツとオーバーサイズのTシャツを貸すことにした。
    「これでやっとピッタリだね」
    笑ったおかげで数分前のドギマギとした感覚が薄れた五条は、七海と自分の正しい距離感を誤らずにすんだ安心感から、爽やかな笑みを零した。七海は「最初からこの服を貸してくれれば良かったのに、着せ替え人形扱いしやがって」という不満顔を浮かべていたが、ただの家事代行スタッフと契約者の関係であるのに温かなシャワーや衣服を貸してくれた恩の手前、それを言葉にすることはしなかった。
     ひとまず落ち着いたことだしと、五条がコーヒーを淹れるためにキッチンに立つと、リビングからソワソワとした気配がした。気配のもとへ目をやると、ソファーで七海がリビングをキョロキョロと所在ない様子で見回していた。
     五条には経験がないが、好きな人の部屋に上げてもらえた男の挙動は多分あんな感じなのだろうなと思った。
    「もう何回も来て勝手知ったる部屋でしょ?なにソワソワしてんの?」
    来客用のマグカップを手渡しながら五条がソファーに腰掛けると、七海は
    「この部屋で仕事をしていない自分が落ち着かなくて」
    と答えた。
    「真面目すぎて毒されてない?オマエ。せっかく転職して好きな仕事に就いたのに」
    「好きだから今の仕事に転職したわけではありません。どうせ働かなければならないなら、より精神的な負担が軽くて適性があるものに。そう思っただけです。労働という概念に向いている人間なんて、この世に存在しませんよ」
    「あっそ。まぁでも、今はオマエがお客さんなんだから、そんなに緊張しなくて良いよ?」
     そう言って五条が砂糖たっぷりのコーヒーを一口飲むと、逡巡したのちに七海は急に立ち上がった。
    「やはり五条さんのお宅では落ち着きません。今からトイレ掃除をさせていただきます」
    「なんでだよ。時間外労働が何よりも嫌いだって言ってたじゃん」
    「いえ、問題ありません。今のうちにトイレ掃除をしておけば、次回お伺いしたときの作業内容を省略することができます」
    未来の自分のための時間外労働であれば問題ない、という七海の主張は暴論にしか聞こえなかった。
     数分前に労働に適性がある人間云々を語っていた男の発想とは思われない。舌の根が乾かないうちから働こうとする七海は、もうすでに仕事に毒されているのかもしれない。哀れなる男である。
    「じゃあトイレ掃除は良いからさ、何か美味い夜食の作り方を教えてよ」
     今は客人の七海に掃除なんぞさせられない。しかし自分がキッチンに立てば七海の気持ちが落ち着かない。ならば二人で動けば良いではないか。
     歩き回ったからお腹空いちゃったと続ければ、七海は渋い顔で頷いた。

     キッチンに立った七海は冷蔵庫の中身を確認しながら、五条に明日の予定を尋ねた。丸一日休みだと答えると、
    「では遠慮なく」
    言うなり七海はキャベツを五条に手渡した。
     遠慮しますと七海は言ったが、五条は七海も一緒に食えと言って、頑として折れなかった。結果としては溜め息混じりに七海が折れてくれたため、二人分の夜食を作ることになった。
    「で?何を作るの?」
    指示に従ってキャベツを千切りにしながら五条が尋ねると、七海は豚肉を炒めながら「豚のニンニク焼きです」と答えた。
    「生姜焼きじゃなくて?」
    「ガツンとしたものが食べたいとおっしゃるので。明日がお休みであれば、匂いを気にする必要もないでしょう」
    言いながら、七海は豚肉から漏れ出た脂がジュージューと音を立てるフライパンへ、くし形切りにした玉ねぎを加えた。
    「調味料は主に醤油、みりん、酒です」
    「分量は?」
    「適当です。よほど変な気を起こさなければ不味くなるはずがない組み合わせなので。今回は私の好みの味付けにさせていただきます」
     調味料を投入すると、たちまち香りが立ち、その芳香に五条の胃袋は催促するようにキュルルと鳴いた。
    「ここでニンニクを投入します。チューブのものでかまいません」
    七海に促されてチューブからおろしニンニクを搾り入れると、七海は「まだです」と言った。
    「え?まだ入れるの?」
    「えぇ」
    恐々と五条が追加すると、七海は冷静な口調で「まだです」と言った。
    「そんな…!これ以上入れたら大変なことになっちゃう…!」
    ニンニクが追加されて芳しさを増した香りは、すでに五条の食欲を暴力的な魅惑で刺激している。口内から染み出す唾液をもう何度飲み込んだか分からない。
    「ご心配なく。お口に合わないようでしたら、私が責任を持って片付けますから」
    「あ…っ!七海、そんな、いっぱい出しちゃ…!」
    「変な声出さないで下さい」
    五条のおふざけに七海が悪ノリするはずもなく、豚のニンニク焼きは完成した。
     もう遅い時間だし洗い物が増えると億劫だという理由で、丼に控えめに白米を盛り、その上に五条が千切りにしたキャベツと艶めく豚肉を重ねた七海の所業は、控えめに表現しても罪深いものがあった。五条の胃袋がひときわ大きな音で鳴いた。
     ダイニングテーブルに対面で座り、二人は丼を食した。
    「どうですか?」
    一口頬張ったきり項垂れて沈黙している五条に七海が話しかけると、五条はしみじみと呟いた。
    「美味い…!!」
    「そうですか」
    「ニンニクがめちゃくちゃ効いてるのが良い…!醤油と酒とみりんの黄金トリオのバランスが絶妙だし、これが豚肉に絡んでるのもはや事件だよ。玉ねぎとキャベツの存在が背徳感の緩衝材になってるのに、タレと脂を吸ってるから美味い要素を逃してなくて、実は一番悪いことしてるっていう裏切りが堪らない…!!」
    思わず食レポじみた感想を述べる五条に、七海は「お気に召したようで良かったです」と返した。
     カメラを向けられていても不味いものは真正面から「不味い」と言い切る五条から絶賛されているというのに、七海の関心は千切りキャベツに向いていた。
    「よく料理をされるんですか?」
    五条がキョトンとした顔を浮かべると、
    「切っていただいたキャベツの厚さが均等ですし、包丁の扱いに慣れていらっしゃるようだったので」
    七海の言葉に、五条は「あぁ」と短く相槌を打った。
    「実家から仕送りがあったとはいえ、売れる前は限られた金で生活をやりくりしなきゃだったからね。自炊はよくしてたよ。まぁ、売れてからもできる限り自分で作るようにはしてたけど」
    「それはなぜですか?」
     五条はいつかのようにさらりと答えた。
    「ゲイだから」
    七海は腑に落ちない顔をした。無言の疑問に答えるように、五条は何食わぬ顔で言葉を続けた。
    「ゲイだからさ、将来のこと考えたら、ひと通りの家事くらいは当たり前にこなせないと駄目だと思ったんだよね。将来誰かと一つ屋根の下で一緒に暮らせてるとは限らないから、一人で生きていけるだけの生活能力は身につけておかないとって感じ」
    「…それはセクシャリティに限った話ではないでしょう」
    七海の指摘に、五条は「確かにね」と笑った。
    「でも、当時の僕は本気でそう思ったんだ。一人っ子なのに家の跡を継ぐ気はないうえに、代わりの跡継ぎを遺すこともできないんだから、いつか必ず独りになるって。だから、炊事とか洗濯とか、やらなくなったらやり方を忘れちゃいそうで怖かったんだよね」
     話に区切りを付けて茶を啜る五条の表情は、いたって涼しげである。
     七海は契約を交わしてからの五条の部屋を思い起こした。
     契約前に訪れた部屋は凄惨な有様だった。五条が片付ける暇がなかったと零した言葉を言い訳としか受け取っていなかった七海だが、ほどなくして真実であることを知った。
     七海が一度部屋を掃除し、五条が単独ライブのために時間を調整してからというもの、七海はこの部屋でやるべきことのほとんどを失っていた。訪れた日には大抵すでに掃除機がかけられていたり、前日に五条が作ったと思しき料理の残り物が冷蔵庫で鎮座していたこともしばしばだった。
     家事代行サービスなど必要ないではないかと、何度思ったか知れない。しかし、五条の話を聞いた七海は、その考えを改めた。
     彼は寂しかったのかもしれない。一人ではないことを確かめるために、誰かの気配を感じていたかった。だから今でも契約を続行して、仕事中の自分に遭遇すれば邪魔ばかり仕掛けていたのだろう。
    「ま、七海が来てくれるようになってからは、あまり家のことはやらなくなったんだけど」
    七海のせいで駄目になっていっちゃうよと、おどける顔は美しく笑っていて、七海が推測した孤独への寂しさを微塵も感じさせなかった。
     七海にはそれがひどく寂しかった。




     ここ一週間ほど、朝の五条は上機嫌である。冷蔵庫を開けば自然と笑みが零れる。
     冷蔵庫の中には苺ジャムがある。七海にシャワーを貸した夜に、五条が催促して作らせたものである。
     クイズ番組の優勝商品として貰った赤くて丸くて大きくて美味いと評判の苺をジャムにすることに関して、七海はあまり良い顔をしなかった。せっかくの高級品を素材で味わわないなんてもったいない、という七海の主張に、五条は「だからこその贅沢じゃん」と言って聞かなかった。最終的には、五条の苺なのだから五条の意に従うべしと判断したのか、七海は首を縦に振ってくれた。
     終電があるからと、下ごしらえをした苺を冷凍庫に仕舞い、自分の衣服を五条の部屋に干したまま七海が帰宅した二日後、仕事から帰ってきた五条は、ダイニングテーブルの上に食パンと置き手紙があるのを発見した。歪みなく整った文字は、先日の礼と借りた衣服はチェストに仕舞ってあること、食パンは行きつけの店で買ったものだから差し支えなければ受け取ってほしい、ということが書かれていた。
     冷蔵庫を覗いてみると、赤いジャムが閉じ込められた瓶があった。朝まで待ちきれなくて、五条は七海が作ってくれていた夕食より先に、ジャムを掬って舐めた。
    「んふふ」
    知らず笑み崩れた五条は、一枚だけと固く心に誓って食パンを手に取った。
     大切に消費して最後の一枚となった食パンにジャムを塗り、サクリと至福の音を立てながら、五条は伊地知から送られたスケジュールを確認していた。すると、メッセージアプリに通知がきた。夏油からである。
     開いてみると、「ニュースになってるよ」という一言と共にネット記事のリンクが貼られていた。
     見出しには『ついに祓ったれ本舗の五条に恋人が…!?』とあり、内容は要約すれば、雨の中、仲睦まじく相合傘をして五条の自宅アパートに消えた、というものである。目撃したことをそのまま描写しつつ読者の妄想を誘導しようとしている文章には、五条とお相手男性がただならぬ関係であるという証拠が何一つとしてない。
    「ははっ!しょーもな!」
     ジャムとトーストのハーモニーを味わいつつ、ひとまず夏油を安心させるため、五条は白い猫が爆笑しているスタンプを送信した。

     楽屋に入った五条が開口一番に放った言葉は
    「あの折り畳み傘、あんなに小さかったんだねぇ」である。
     夏油はうっすらと笑みを浮かべて
    「そりゃあ、あんな大男たちで共有することは想定されていなかっただろうからね」と返した。
    「で?実際はどうなの?」
    「たまたま会ったうちの家事代行スタッフ。雨から守ってくれたから冷えた体を温めてあげただけ」
    「なるほど。ちなみに温めたのは誰?」
    「うちのシャワーに決まってんじゃん」
    「そうかい、つまらないな」
    「ああん?」
    五条がガラ悪くメンチを切ると、夏油は興味を失ったように顔を逸らした。
     一連の二人のやり取りを見守っていた伊地知は、おどおどと尋ねた。
    「この男性とは、本当に何もないのですか?」
    「しつこいな。何もねぇよ。一緒に飯作っただけだよ」
    「仲睦まじいじゃないか」
    笑いながら夏油が突っ込むと、五条は子供のようにむくれた。
    「では、ただのお友達なのですね?」
    「いや友達ってほどでもないんだけど…」
    七海は自分にとって何なのだろうか。
     一緒にいると安心する感覚は夏油に近しい。しかし、少しだけ落ち着かない。それは過ごした時間の長さによる差異なのか、はたまた別の何かなのか。では別の何かとは何だろうか。
    「……とにかく、今度ラジオで話すわ。誤解されたままだと向こうも迷惑だろ」
    「面白く話してくれよ?」
    挑発的に夏油が片眉を上げると「当たり前だろ」と五条は不敵に笑った。


     五条初の恋愛スキャンダルは世間を大いにざわつかせた。五条は面倒臭いというシンプルな理由でSNSアカウントを所持していないため、本人の生の声が聞ける深夜ラジオに人々は注目した。
     ラジオ生放送当日、五条は流暢に回る舌で件の記事について言及した。ぬるりと始まった注目のトークはどんどんと笑いを生み、夏油の相槌と鋭いツッコミがそれを増幅させていった。脱線に脱線を重ねるトークと変わらぬ五条の調子も相まって、あの記事はまったくの誤解だったのだという認識を世間に与えることに成功した。
     人々の興味の移ろいは早く、記事の内容に信憑性がないことが判明すると、世間の関心はすぐに別のスキャンダルへと向けられた。
     これで静かに過ごせると安心した矢先、五条は七海から担当を外れることになったと告げられた。
    「五条さんのおかげで誤解は解けたのですが、一度噂が立った相手のお宅を出入りするのはあまりよろしくないだろうとの判断で…」
    申し訳なさそうに眉を下げる七海へ、五条は屈託のない笑みを浮かべて言った。
    「まぁ仕方ないよね。会えなくなるのはちょっと寂しいけど、今までありがと。楽しかったよ」
    あっけらかんとした調子に、七海は救われたような、どこか寂しそうな表情を浮かべた。
     どちらともなく胸がツキンと痛みを生んだが、誰もその誕生に気づけなかった。

     体がとても熱かった。覆い被さる体も同じ熱を持っていた。指先が触れると電流が走り、吐息がかかると溶けそうになった。汗ばんだ皮膚がしっとりと吸い付きあって、このまま一つになれたらどれほど幸福だろうかと、鼻の奥がツンとした。
    「泣かないで下さい」
    と優しい声がした。そんなことを言われたら余計に泣きそうになってしまう。
     視線を上げると七海がいた。
     目が合うと、七海は触れるだけのキスをした。このまま死んでも良いと思った。

     覚醒した五条の心臓は、壊れそうなほどに脈を打っていた。
    「…なんちゅう夢だよ」
    重い体を叱咤してむくりと起き上がると、下半身に違和感があった。
     まさか、よりによって七海相手にそんなはずは。違和感を確かめた五条は、顔を覆って溜め息を吐いた。
     七海が来なくなって三日が経っていた。ジャムはとうに食べ切ってしまっていた。




     「ピンチャン」は心優しきツッコミの髙羽と夏油の双子の兄であるボケの羂索によるお笑いコンビである。
     多くの者は、夏油と羂索はなぜ双子漫才師にならなかったのか?という疑問を抱くが、羂索の人となりを知れば、夏油がこんな兄とコンビを組むはずがないという結論に帰結する。
     実の弟である夏油に「母の胎内に人として備えておくべき道徳のすべてを置いてきた」と評される羂索は、自らの知的好奇心が満たされるのであればどんな犠牲も労もいとわない、はた迷惑な快楽主義者である。羂索の享楽のために無為な解散に至ったコンビは数知れず、運命の人と憎しみ合う仲になった恋人たちも数知れない。
     夏油はそんな兄を心の奥底から軽蔑している。その嫌悪の度合いは、とある生放送番組で羂索を「お兄ちゃん」と呼ぶ、という罰ゲームが敢行された際に、拒否感から蕁麻疹を起こし、本気で自らの舌を噛み切ろうとしたほどである。五条と髙羽をはじめ、周囲のタレントが壁となって夏油を囲み、顎を抑えて放送事故を阻止する中、羂索は愉快そうに高笑い、その醜悪な笑みに夏油はますます嫌悪感を膨らませた。
     以来、夏油は羂索との共演を断固として拒み続けていたが、自らが企画した「客の要望に応える」というライブでとうとう憎き兄と共演する羽目になってしまった。祓ったれ本舗とユニットでネタをしてほしい芸人を募ったところ、圧倒的多数でピンチャンが推挙されたのである。どう考えても悪ふざけとしか思われないが、要望に応えると銘打った手前、突っぱねることができなかった。
     ピンチャンとの共演が確定した際に発せられた「猿共が…」という夏油からファンへのどす黒い呪詛が、五条はいまだに忘れられないでいる。
    「どうしたんだい?祓本のじゃない方じゃないのにモテない方?何か気掛かりでもあるのかな?」
     誰がモテない方だ!と返す余裕がなかった。七海のことが頭から離れない五条にとって、数日前に見た夢は気掛かり以外の何ものでもなかった。
     すぐに言葉を返さなければ、勘の鋭い羂索に遊ばれてしまう。しかし喉がつかえてしまって声にならない。
     「おや、図星かい?」と、表面上は五条を気遣っている風の、優しくも腹黒さが滲み出ている声に、夏油は顔を顰めた。
    「許可なく喋らないでくれないか?空気が腐る」
    「じゃない方なのにモテる方には聞いてないんだけど?」
    ニコリと返す言葉に夏油は無言で立ち上がり、空気清浄機のスイッチを入れた。
    「まぁまぁ、そんな恐い顔すんなよ!芸人なんだから、もっと楽しくいこうぜ!」
     自分が笑顔にならなきゃ誰も笑ってくれないぞ!と変顔を披露する髙羽に免じて、夏油はネタ作りの輪に戻った。
     ユニットコントの大筋が決まり、夏油が台本にまとめて一週間後に内容を確認することにして、その日は解散となった。
     五条が荷物をまとめていると、髙羽がスススッと近づいてきた。
    「この後、暇?久し振りにどう?」
    グラスを傾けるジェスチャーに、五条は眉を寄せた。とてもそんな気分ではなかったし、そもそも酒は好きではない。
     しかし、気分を曇らせている原因は早く解明しておかなければ、という思いもあった。
     七海のことについて、何となく夏油に話すのは憚られる気がしていた。かと言って羂索なぞもってのほかである。その点、髙羽はバカだが優しいし、義理堅い性格をしている。解決しなくとも、話すだけで気持ちが楽になるかもしれない。
     そう思い直した五条は、「うん、いいよ」とあまり期待を込めずに了承した。

     「躊躇なく個室で呑めると売れたって感じするよな!」と言う髙羽に、若くして売れた五条はあまり共感しなかった。しかし、いい歳したおじさんの無邪気なはしゃぎ様を見ていると、鳴かず飛ばずの地下芸人だった髙羽が、日本一のコンビを決める賞レースで優勝できたことは、素直に喜ばしく思える。相方が羂索でなければもっと喜んでやれたことだろう。
     料理を食しつつ交わされる会話は、ユニットコントの内容や夏油と羂索の仲の悪さなど、当たり障りのないものばかりである。髙羽がそんな話を求めているとも思えず、かと言って自身の悩みを打ち明けるタイミングも掴めず、五条にとって無為な時間が過ぎていった。
    「ビールってぬるくなると不味いんじゃないの?」
    話のネタが尽きた頃。ずっと気になっていた、髙羽の前で汗をかいているだけのグラスに言及すると、焼き鳥を頬張りながら髙羽はこたえた。
    「酔ったまま話を聞くわけにはいかんだろ」
     五条は瞠目した。よもや、髙羽は五条が悩みを抱えていることに勘付いていたというのか。
     髙羽は自身の発言に欠片のおかしさも覚えず、五条の様子にキョトンとした表情を浮かべている。
    「まぁ、話したくないなら別にいいんだけど。誰かと居るだけで気が紛れることもあるだろ」
    手付かずのグラスへ手を伸ばした髙羽を止めたのは、五条の小さなで呟きだった。
    「……羂索には絶対言うなよ?」
    「誰が言うかよ」
    当たり前のことに屈託なく笑った髙羽は、グラスを元の位置へ戻した。

     五条の打ち明け話を静かに相槌を打ちながら聞いていた髙羽は、やがてテーブルに両肘をついて顔を預けると、乙女のような表情で期待に胸を躍らせながら尋ねた。
    「そうか。つまり……恋、しちゃったんだ?」
    「…たぶん?」
    「あれ?お気付きでない?」
    髙羽は煌めいていた目をパチクリと瞬かせた。五条は美しい眉間に判然としない思いを刻んでいた。
    「髙羽は恋だと思う?」
    「夢にまで出てくるんだろ?キスされたぐらいだし」
    「でも本当に何とも思ってない奴なんだよ」
     何とも思ってない奴とキスする夢なんて見るものか。と髙羽は疑問に思ったが、ごく稀にライブのノリでキスした同性の芸人と夢の中でもキスすることがあるため、強く否定はできなかった。
     しかし、髙羽にとってその夢は悪夢に近いものであるが、話を聞く限り、五条自身は夢に対して嫌悪感はなく、むしろ戸惑いが勝っているらしい。
     深層で好意を抱いているが、恋愛経験のない五条はそれを恋だと認識できていない。
     髙羽はこの推理が的を射ているのだろうと思った。だが、いくら髙羽が「それは恋だ」と後押ししたところで、五条が納得できなければいつまで経っても自覚はできまい。
     ふーむと思案するような呼吸をしてから、「これって聞いて良いことなのか分からないんだけど」と前置いて、髙羽は静かに尋ねた。
    「五条って、何をきっかけに自分がゲイだと気づいたんだ?」
    「そりゃ、男を好きになったからだよ」
    「そうだろうけどさ。五条から浮いた話を全然聞かないんだよな。アイツを好きらしいぞとか、フラれたらしいぞとか」
    だからキャラだと思っていた。という髙羽の告白に、五条は目を丸くした。
    「…マジで?」
    「マジで。正直かなり驚いてるよ。五条に気になる男ができたってことに」
    「僕に気になる男…」
    自身へ向けられた言葉を他人事のように呟く五条の脳内に、忘れられない影が蘇った。
     随分と幼い頃に、五条はとある男の子と知り合った。男の子はいつもツバの広い紺色の帽子をかぶっていた。そのために顔はほとんど覚えておらず、声は疎遠になってから真っ先に忘れてしまった。
     歳をとってから産まれた一人息子を両親は溺愛してくれた。その愛がたまに幼心にわずらわしくて、逃げるように訪れた五条家の屋敷近くの公園で男の子と出会った。男の子は人見知りなのか、無口な子で、一緒に遊ぶことはほとんどなかった。いつも木の陰で並んで座っているだけだった。五条は男の子と風に吹かれることが好きだった。
     一度だけ、男の子が目元を真っ赤にしているのを見た。静かだけれど酷く落ち込んでいる横顔に悲しくなっていると、男の子は「なんで悲しそうなの?」と言った。見透かされていたことが気恥ずかしくて五条が全力で否定すると、その勢いが面白かったのか、男の子は珍しく笑みを零した。意図せぬ綻びに五条の心は気まずさを忘れて、心地よいむず痒さを起こした。
     ほどなくして、男の子は五条にもう会えなくなることを告げた。声は震えていて、五条は何と返したか覚えていない。ただ胸がツキンと痛くて仕方なかった。
     それから、男の子は本当に公園に現れなくなった。いつもの木陰に座り、一人で風に吹かれていた五条も、やがて公園を訪れなくなった。
     思春期になり、クラスメイトが誰を好きになっただの、誰に告白しただの、誰と付き合っているだのと浮き足立った話題で盛り上がっている輪を眺め、五条はあの男の子のことを想起した。そのとき、五条はあれが初恋だったことを自覚した。
     あの男の子以来、五条の心を大きく震わせた人は現れていない。七海への動揺は、夢の中とはいえ思いがけない相手から口付けられたことに起因しているとしか思われない。
     黙り込んでしまった五条に、髙羽は「じゃあさ」と口を開いた。
    「その好きになった相手と、今気になってる相手に感じた共通点を探してみるっていうのはどうよ?」
    「…共通点?」
    「そうそう。同じくらいドキドキしてたとか、会いたくて仕方なかったとか」
    「どっちもないんだけど」
    「まぁ探すだけ探してみろよ。違ってたらまた相談に乗るからさ」
    「…もしかして、髙羽って優しいというよりお節介?」
    五条が小首を傾げると、髙羽はハハハッと快活に笑ってぬるいビールを嚥下した。

     髙羽の提案に乗って、男の子に感じたことと七海へ感じていることの共通点を探ってみたが、一向にこれだと思える点が見つからなかった。
     男の子にはいつか会ってみたいが、七海に会うのは少し恐ろしく感じる。まったく真逆の思いを抱いている七海への感情が、とても恋だとは思えなかった。
     深夜。番組アンケートへの回答という宿題を終えた五条は、少し空腹を覚えてキッチンに立った。冷蔵庫には豚肉と玉ねぎとキャベツがあった。
    「そういや自分で作ったことなかったな」
    暢気に呟いて、七海に教わった通りの手順で調理した。
     初めてにしては上出来といえるだろう。芳しい香りは七海のものと遜色ない。ニンニクはガツンと効いていて、味も申し分ない。
     しかし、何かが物足りなかった。
    「ったく。七海がちゃんとした分量教えてくれないから…」
    七海の味にならないではないか。そう文句を垂れると、不意に、胸にツキンとした痛みが生じた。小さな穴が開けられて、じわじわと沁み出していく感覚に襲われた。
     もう随分と七海の存在を感じていない。
     新しく派遣された女性スタッフは、とても気さくで愛想が良く、要望にしっかり応えてくれるし、五条が話しかけても嫌な顔ひとつしない。サービス内容にはとても満足している。しかし、充足感は得られていない。
     七海に会いたい。
     唐突にすとんと落ちてきた思いに、存外にも五条は驚かなかった。
     ツキンと、先ほどよりも強い痛みが生じた。
     七海に会えたら、とても嬉しい。だけど言葉を掛けることはできない。ヘテロの七海がゲイの五条の思いを受け取ってくれるとは思えない。優しい七海のことだから、五条を傷付けないように言葉を尽くしてくれることだろう。想像するだけで、その優しさがとても苦しい。
     だから七海に会うのが怖い。あの優しい眼差しで、気遣うように困った顔をして拒まれたら。
     ツキン、ツキンと胸が痛む。思い出の男の子に感じたものと、まったく同じ痛みである。
     視界がじわりと滲んだ。あの男の子への思いが薄れてしまうことを寂しく感じた。
    「………七海の方が好きになっちゃった」
    呟いてから溢れた涙に、五条は初恋の終わりを知った。




     五条はタクシーの車窓から一向に眠る気配のない灯りの集合を眺めていた。
     初恋に別れを告げ、人生二度目の恋を認めた五条は、まず七海の代わりに派遣された女性スタッフに、七海はどうしているのかと尋ねてみた。七海は今もスタッフとして働いているらしいと知り、それとなく派遣されている場所を聞いてみるも、やんわりと濁されてしまった。当然の対応である。
     ならばと、同じ代行サービスを利用している相方の夏油にもさりげなく尋ねてみた。しかし、夏油も同じスタッフを指名し続けているため、七海にサービスを担当してもらったことはなかった。
    「そもそも七海のことを知ってたら、初めて悟から聞いた時点で伝えてるさ」
    「それもそうだよなぁ…」
    声を落とす相方に何かしらの変化を感じ取っているらしいが、夏油は特に追究することはしなかった。五条はその優しさに心の中で感謝した。
     五条が恋心と向き合って一週間が経過した。七海へと繋がる道は、いまだ見つからないままである。
     五条は七海について何も知らなかった。
     パンが好きで、生真面目で、作る料理はどれも絶品で、ストイックで、無表情なのに心が読みやすくて、愛想がないくせにお人好しなほどに優しい。そんなどうでも良いことしか知らない。
     しかし、そんなどうでも良いことを知れたことは何よりも喜ばしく、もっとどうでも良い七海について知りたいと思うくらいに、彼は五条の心の真ん中に深く根差している。
     七海のことを、しょせん人生においてほんのひと時しか関わることのない相手だ、と思い込んでいた自分の浅はかさが、今になってとても恨めしい。
     もう二度と七海に会えないのは、この自分の浅はかさへの天罰かもしれない。そう本気で信じてしまえそうなほどに、五条は二度目の恋の成就をほとんど諦めていた。
     夏油から家入に呼ばれていることを伝えられたのは、ちょうどその頃のことである。
    「なんで硝子が僕を家に呼ぶんだよ?珍しい」
    「前に番宣で出た特番のゲームコーナーの商品としてスイーツを貰ったらしいんだけど、いらないから悟に持ち帰ってほしいんだってさ」
    酒好きで甘いものが苦手であることを周知されている女優が参加するコーナーに甘味を用意するとは。家入が内心で打ったであろう舌打ちの音が聞こえた気がした。
    「甘いものが貰えるのは嬉しいけどさ、傑が代わりに現場で預かって持って来ても良いんじゃないの?ドラマで共演中なんだし」
    暗に面倒臭いことを仄めかせると、夏油は困った様子で顎に手を当てた。
    「硝子と現場で顔を合わせることはほとんどないからなぁ。ま、久し振りに同級生と話すってのも、たまには良いんじゃない?」
     半ば強制的に話を終えられてしまったため、じゃあ事務所経由で送らせれば?もしくは差し入れとして現場で食べれば?という五条の意見は、提案されるタイミングを失った。
     タクシーの座席に身を沈め、あの時の夏油の無言の圧を振り返り、アイツは一体何を企んでいるのかと訝しんだ。何も閃かないまま、タクシーは家入の自宅マンション周辺に到着した。
     まぁ行けば分かるかと思い直し、五条はあっさりと降車した。

     家入に案内されて部屋を訪れた五条は硬直した。
    「いや本当に助かるよ。私はこういうの得意じゃないし、コイツは『貰うわけにはいかない』って頑なだし」
    家入に「コイツ」呼ばわりされた七海は、五条を凝視したまま放心したような声で「規則ですから」と答えていた。
     お互いに硬直したまま数分が経過し、家入に促されてようやく動きはじめた七海はキッチンに消えた。その様子をぎこちない動作で見送った五条は、家入に詰め寄った。
    「な…!?なんで七海が!?」
    「なんでって、私も家事代行サービス使ってるからだけど?アイツ良いよね。仕事が丁寧で」
    「そ、れは分かるけど…。傑から何か聞いた?」
    「何かって何?」
    片眉を上げる小さな顔は涼やかだ。さすが女優。表情ですべてを伝えることが巧みなのはもちろんのこと、表情から何も読み取らせない術もお手のものである。
     質問に答えられないでいる五条をしげしげと眺めていた家入は、
    「夏油から、指名してたスタッフが派遣されなくなって五条が落ち込んでるって聞いてたんだけど、本当だったんだな」
    と答え合わせをするような声で言った。
    「前に七海の仕事カバンから五条の服っぽいのがチラッと見えたことがあったからさ、もしかして五条が指名してたスタッフは七海のことなのかなぁ、と思って引き合わせてみた」
     家入の言葉を五条はゆっくり咀嚼した。七海が持っていた五条の服というのは、いつかの雨の日に貸したもののことだろう。その頃から家入は七海と知り合っていたということか。なんて世間は狭いのだ。いや、それよりも聞き捨てならない名前があった。
    「……傑と一緒になって僕をはめたってこと?」
    だとすれば、夏油には七海への恋心がバレているということになる。下手をすれば家入にも。疑念を込めてじとりと睨むと、家入はわずかに眉を寄せた。
    「んなわけあるか。私が面白いからやってるだけだよ」
    五条だけでなく七海の驚いた顔も見られたのは愉快だった。と家入が締めくくるのと、七海が二人分のコーヒーカップを持ってきたのは、ほとんど同時だった。
     家入が思い出したように五条に手渡すスイーツを取りに去ってしまった。部屋に七海と二人きりで残された五条の心臓は、そわそわと落ち着きがなくなった。
     あんなにも焦がれていたのに、いざ目の前にすると何と言葉をかければ良いのか、皆目見当がつかない。自分はどうやって七海に接していたのだろうか。さして遠くもないのに、記憶までもがおぼつかない。
     ちらりと七海に視線を向けた。澄ました顔に疲労の色は感じられない。七海が息災であることは嬉しくもあるが、自分と会えなくなったからといって、彼には何の支障もないことが虚しくもある。
     やるせなさをごまかすように、五条はコーヒーカップを手に取った。事前に注がれているミルクの優しさが甘やかな期待を起こした。
     コーヒーにはいつもミルクと角砂糖を六個投入していた五条のこだわりを、七海は覚えてくれていたのだろうか。
     よもやそんなことはあるまいと、都合の良い願いに現実を突きつけるべく、コーヒーを含んだ五条は思わず目を瞬いた。
    「…お口に合いませんでしたか?」
    静かに尋ねる七海に、五条はぶんぶんと首を横に振った。
    「いつもの味だよ」
    そう答えるだけで精一杯だった。七海は安心したように静かに息を吐いた。六個分の角砂糖を凌駕する甘やかな気持ちは、五条の胸にたしかな充足感をもたらした。
     お互いの近況を確かめ合う暇もなく、家入は紙袋を持って戻ってきてしまった。家入とダベるという名目でもう少し居座っても良かったが、七海が居ると思うと気がそぞろになっしまう。
     そうなってしまえば、聡い家入は五条が七海に特別な感情を抱いていることに気付くだろう。ともすれば、夏油の話と自分の様子からすでに察している可能性も高い。演じることを生業としているだけあって、家入も人間への観察眼が優れているのだ。
     よしんば気付かれているとして、家入は五条の恋路をからかいもしなければ手助けもしないだろう。しかし、高校からの友人に静かに見守られるというのは、妙な気恥ずかしさを覚える。ならば、なるべく早くおいとまを果たすほうが心の安全のためというものだ。
     そう判断した五条がさっさと帰り支度をはじめると、家入は意外そうな顔をした。
    「あれ?もう帰るの?」
    「うん。明日も早いから」
    「ふーん。あっそ。七海とは連絡先交換しなくて良いの?」
    七海が傍に居るにも関わらず、会えなくて落ち込んでたんでしょ?と首を傾げる家入の言葉に真顔を突き通せた自分を褒めてやりたい、と五条は思った。
     しかし、そのリアクションは誤ちであったとすぐに後悔した。
    「別に落ち込んでないよ。元気にしてるかなー?とは思ってたけど」
    元気そうで良かったと微笑みかければ、七海はいつもの無表情で「ええ。五条さんも」と返した。
     全然元気ではないのだが?毎晩夢にオマエが出てくるのに全然会えないから毎朝涙を堪えているのだが?とぶちまけてしまえれば、こんなにも恋に苦労することはない。微笑みを貼り付けたまま、内心で七海と繋がるきっかけを自ら手放してしまった失態に焦っていると、
    「ところで、七海って祓ったれ本舗のライブに行ったことある?」
    唐突な家入の質問に、五条と七海は目を瞬いた。
    「いえ。ですが今度、友人に誘われて観に行くことになってます」
    「え!?マジで!?まさかピンチャンとやるやつ?」
    「ええ、たしかそう言っていた気がします。彼のほうが詳しいので私にはよく分かりませんが」
     「ほえー」と呆気に取られた様子で、五条は間抜けな相槌を打った。
    「七海がお笑いライブを観に来るって、意外すぎる…」
    「呑みの約束をドタキャンしてしまったからそのお詫び、ということらしいです。私自身は特に興味はありませんが、すでにチケットを取った後だったらしいので仕方なく」
    「本人を目の前にしてよく『興味がない』とか『仕方なく』とか言えるな」
    歯に衣着せぬ率直な言葉に、五条は思わず笑声を漏らした。いつも七海とはこうして接していたのだと、ようやく思い出した。
    「じゃあ張り切ってお仕事しないとだね。七海の笑顔が見られるの、今から楽しみにしておくよ」
    「あまり期待はしないでおきます」
     本当に一切の期待が込められていない言葉に、はっきりとした笑い声をあげて、五条は家入の自宅を後にした。
     帰りのタクシーの中で家入から着信があった。トーク画面には菓子を持ち帰ってくれたことへの礼と、次は上手くやりなよ?というお節介が表示されていた。
     やはり、家入は五条の気持ちに気付いているらしい。ならば、夏油もとっくに気付いているのだろう。
     五条の心は気恥ずかしさで身悶えた。しかし、不思議と勇気づけられている心地がした。
     あの二人に見守られるなんて、これほど心強いことはない。




     本番を前にして忙しない様子の五条へ、夏油はからかい半分に「初舞台を思い出すね」と声をかけた。
    「どのくらいお客さんが入ってるかって、舞台袖に何度も見に行ってさ」
    「あ?そうだっけ?」
    「そうだよ。今日はあの日の比にならないくらい入ってるのに、あの日より緊張してるように見える」
    のんびりとした口調で夏油が指摘すると、五条は少し瞠目して、
    「笑ってほしいヤツが来てるから」
    と言った。
     思いがけず素直に返された言葉に、今度は夏油が瞠目した。
    「…へぇ。ソイツは楽屋に呼ぶの?」
    「スタッフにはライブが終わったらここに案内してもらうように言ってある」
    「そう。じゃ、私の分まで感想を聞いておいてくれ」
    親友の意中の人を想像しながら柔和に目を細める夏油へ、五条は「なんで二人きりにさせようとするんだよ」と照れ隠しにツッコミを入れた。
     定刻通りにライブが始まった。出囃子と共に舞台に姿を現すと、歓声と拍手が二人を出迎えた。
     センターマイクの前に立って早々、掴みの小ボケをかましつつ、舞台から客席へ目を走らせた。五条の立ち位置側後方、薄暗い中にぼんやりと浮き上がる金糸があった。
     七海の姿を捉えると、五条はネタに入るきっかけのセリフを放った。七海の隣に座る黒髪の男が、七海へ顔を寄せた。耳打ちを聞き取るために、金糸が黒髪に傾いていく様子が目の端に映った。
     アレが友人だろうか、と五条は思った。人懐っこそうな丸い大きな目が犬を想起させた。
     七海はヘテロだから、あの男と友人以上に発展することはないだろう。しかし、それでも五条の心はざわめきを訴えた。
     友人に向けている眼差しも、意識も、すべてを独占してしまいたい。五条の最初のボケに夏油がツッコミを入れると、会場から大きな笑いが起こった。黒髪の友人は歯が見えそうなほどに大口を開けて破顔している。七海の視線が舞台に向けられた。五条はそれを逃すまいと畳みかけた。
     ネタが展開するにつれて、会場を満たす笑声はどんどん膨らみを増していった。地響きのような笑いが起こる中、七海は一人、表情を崩さなかった。
     五条は恋心を忘れていた。
     七海につまらないコンビだと思われたくない。その一心でネタを進行させた。五条の熱量に感化されて、夏油のツッコミも自然と熱を帯びていった。
     渦巻く笑いと拍手の中で漫才を披露していた五条は、高揚を覚えた。夏油も同じく集中の極地に達していたが、神がかり的な漫才を披露している現実に気付いていなかった。すべてが真ん中を突く最高のタイミングでボケとツッコミが繰り出される中、全能の気分で五条が客席に視線を向けると、七海と目が合った。
     五条がボケを放つと、七海の口角が微かに上がった。濃密な喜びが五条の全身を駆け抜けた。
     大多数のくしゃくしゃの笑顔より、たった一人のアルカイックな笑顔を無上の喜びとする自分は、プロ失格なのかもしれない。
     どうしようもなく愛している。その熱のすべてを残りのセリフに詰め込んで、五条は声を張り上げた。

     ライブを終えて楽屋に戻った五条は、真っ先にソファに倒れ込んだ。全身が怠くて仕方がないのに、初めて優勝を果たしたとき以上に心が満たされていた。
    「お疲れ」と言いながら夏油が差し出したペットボトルを受け取り、五条は喉を潤した。
    「今日の漫才、最高の出来だったよね…!?」
    珍しく興奮を露わにする夏油へ、勢いよく起き上がった五条は何度も頷いて共感を示した。
    「完全にゾーンに入ってたわ。ユニットコントもウケてたし、けっこう良い企画なんじゃない?」
    「そうだね。羂索とは二度とやりたくないけど」
     ライブ終盤のトークコーナーでやたらと絡んできた相方そっくりの顔を思い起こし、五条は顔を顰めた。
     羂索は稽古の様子を話しながら、いやに五条との距離を詰め、無駄に体に触れ、終いには冗談とも本気とも取れるようなテンションで「後で楽屋に行っても良い?」と耳打ちしてきたのである。髙羽がツッコミを入れてくれたおかげで、羂索は祓ったれ本舗のBL営業を揶揄しているというノリで落ち着き、笑いとなったものの、舞台上に立っていた三人には羂索がそんな単純な悪ふざけをしているとは思えなかった。
     しかし、常軌を逸した思考回路を有している羂索の真意なぞ、誰も想像することができない。自分たちの身を守るためにも、何かを仕掛けられる前に先手を打つべきだろう。
    「とりあえず、悟は先に帰りな。楽屋に呼んでるヤツには、後で私から話しておくから」
    「えー?打ち上げもなしに帰っちゃうのかい?それは寂しいな」
    板の上であんなにアピールしたのにと、羂索は拗ねたようにわざとらしく唇を尖らせた。
     五条と夏油はすぐに伊地知を睨み付けた。伊地知は「すみません…!断りきれず…!」と何度も頭を下げた。
    「あーあー、萎縮しちゃって。可哀想に」
    言葉とは裏腹に哀れみを一切感じさせない笑みを浮かべ、羂索はどかりと五条の隣に腰を下ろした。夏油は警戒心を露わに眉をひそめた。
    「何のようだ?」
    「つれないこと言わないでよ。一緒にライブを盛り上げた仲だろう」
    「オマエとはこれっきりだ。二度と共演はしない」
    「だからこそ、一緒に打ち上げをやって、思い出を作りたいんじゃないか」
     白々しい言葉に二人はますます顔を歪めた。羂索が何を企んでいるのか探りを入れるべきか考えあぐねていると、羂索が「今日の君たちの神がかり的な漫才について話を聞きたいし」と続けた。
    「……もしかして、僕たちがウケすぎたから癪に障ったの?意趣返しのつもり?」
     祓ったれ本舗が起こす笑いに、舞台袖で苦笑いを浮かべていた髙羽の姿を思い起こし、五条は核心をついたつもりで尋ねた。羂索はフンと鼻を鳴らした。
    「まさか。私をそんな心の狭い男だと思わないでくれよ」
    「じゃあ、なんでやたらと悟に絡むんだ?オマエの変な絡みのせいで、せっかくの空気が台無しになるところだった」
    「だからライブ中にも言っただろう?…と言ったところで、頭の硬い君たちには理解できないだろうね」
     だから行動で示そう。
     言うやいなや、羂索は体を五条のもとへ傾けた。不意の出来事に五条は対処が間に合わず、不覚にも押し倒される形になってしまった。
    「ちょっ…!羂索!オマエ何やって」
    「何って…五条に私のことを意識してもらおうかと思って。やっぱり弟のほうが良いかい?」
    「気色が悪いことを言わないでくれ!さっさと悟から離れろ!」
    「け、羂索さん!さすがにそれはマズイです!」
     四人の男がソファの上でそれぞれの抵抗を繰り広げていると、不意に第三者の声がした。
     視線を向けると、暗い金の髪色をした男が呆然とした表情で立っていた。隣には黒髪の男もいる。
    「あ、ななみ…」
    「…五条さん、私は何を見せられているのですか?」
    「なに?その『コイツ何人の男と関係を持ってるんだ?』と言わんばかりの目」
     七海の眼差しを五条は心外だと思った。しかし、冷静さを取り戻した脳で自身が置かれている状況を客観視してみると、どの角度から見ても三人の男たちとソファの上で組んず解れつ絡み合っている、いかがわしい構図にあることがイメージできた。
     瞬間的に五条の全身から血の気が引いた。夏油も事態に気付いたようで、青ざめた顔をしている。
     すると、それまで静観していた七海の友人が、おもむろに口を開いた。
    「……ごめん、七海。僕、てっきり七海が五条さんのストーカーになったから、スタッフ側から注意されるんだって思ってた。だから呼び出されたのかと…」
    「灰原、少し黙っててくれないか」
    「でも違ったみたいだね。五条さんにはこんなにも沢山の恋人がいる。七海は恋人がいる人には絶対手を出さないもんね」
    「いやコイツら恋人じゃないんだけど。相方と相方の兄貴とマネージャーなんだけど」
    「まさか、祓ったれ本舗のBL営業が本物だったなんて…」
    「だから違うってば。なんだコイツ。マイペースにもほどがあるだろ」
     何を納得したのか灰原は何度もうんうんと頷き続け、伊地知は顔を強張らせたままそれぞれの表情をぐるぐると見やり、夏油は脳を振り絞ってカオスへの打開策を思案し、羂索は我関せずという顔で五条を抱き寄せようとし、七海はその様を目の当たりにして眉をひそめ、五条はそんな七海の反応に焦りを募らせた。
     ますます混沌の様相を呈する楽屋に、天は更なる使いをもたらした。
    「羂索ッ!オマエこんなところに居たのか!」
    ネタの反省会するって言ったじゃん!と続くはずだった髙羽の言葉は、まったく想定外だった光景によって飲み込まれてしまった。
     見知らぬ二人の男が祓ったれ本舗の楽屋にいる。伊地知と夏油は立ち尽くしている。ソファでは相方が五条を押し倒している。そして、当の五条は大変に弱りきった表情をしている。
     視界にある情報を順番に精査した髙羽の脳裏に、ライブ前に五条が、スタッフに暗い金髪の男をライブ後に楽屋に案内するよう注文していた記憶が蘇った。
     じゃあ、この男が五条の好きな人かぁ…!と、七海に向かって一瞬ほわほわとした微笑を浮かべた髙羽は、しかし羂索と目が合うとその笑みを喪失させた。
    「ま、まさか…!いつから気付いて…!?」
    わなわなと唇を震わせる髙羽に、その場に居た全員が訝しげな表情を浮かべた。ただ一人、羂索を除いては。
    「気付くって何をだい?」
    五条の髪をポンポンと撫でながら尋ねてくるその表情から、髙羽は相方の狙いを汲み取った。理解が及ばない男と評される羂索の思考を汲み取れるのは、相方である髙羽くらいのものである。
    「すっとぼけるな!オマエ、五条に好きな人がいることを知りながらこんな掻き回すような真似をして!一体何が楽しいんだヤベ言っちゃった…!」
     好きな人ができたことを周囲には内緒にしてほしい、と前置いて打ち明けてくれた五条の秘密を口走ってしまったことに怒りの流れで気付いた髙羽が、慌てて自身の口を塞いでも時すでに遅かった。
     夏油は見るからに「あちゃー」という表情を浮かべているし、羂索は笑いを堪えている。黒髪の男は五条の想い人へチラリと視線をよこしている。
     あれ?意外とみんなそんなリアクションなの?と髙羽が五条に目をやると、五条は酸欠の金魚のように口をパクパクと開閉していた。なんだその反応は。
     すでに夏油には勘付かれていることを承知していたとはいえ、第三者から声高に好きな人がいることを好きな人の目の前で暴露された挙句、周囲に確たる事実として認識されてしまった羞恥に五条が言葉を失っていることなど、髙羽は知る由もない。目を丸くしているのは伊地知と七海くらいのものである。
     各々の異なるリアクションが、髙羽を更なる混乱へと陥れた。
     奇妙な沈黙で満たされる楽屋内に、不意にボソリと呟きが転がった。
    「五条さんには、お好きな方がいらっしゃるんですね」
     それは七海の呟きだった。独り言のように零された音は、どこか寂しげだった。
    「……なんで、そんな顔してんの?」
    まるで何かを諦めたような優しい口元に、五条の心臓が早鐘を打った。七海へ伸ばそうとした腕は、無情にも羂索に絡め取られた。
    「酷いなぁ、五条。私は眼中にない」
    「兄さんッ!」
     唐突に発された耳馴染みのない呼称に、羂索は思わず言葉を失った。声のしたほうへ視線を向けると、夏油が屈辱に頬を染めたまま睨んでいた。
    「…兄さん、ちょっと外へ出よう」
    「……無理しないほうが良いんじゃない?蕁麻疹出てるよ?」
    「良いから!」
    乱雑に腕を掴み、夏油は力任せに羂索を五条から引き剥がした。
     「素晴らしい友情だね。気色が悪い」と笑みを浮かべる羂索に舌打ちで返事をしてから、憎き羂索を「兄さん」と呼んだ事実に驚嘆していた伊地知と灰原と髙羽も巻き込み、夏油は楽屋から立ち去った。
     残された五条と七海は呆然としていた。
     よもや夏油が羂索を兄と呼ぶ日が来ようとは。ネットニュースものである。五条は動揺が抑えられなかった。
     先に回復したのは、夏油と羂索の関係性を熟知していない七海のほうだった。
    「あの方が、あなたの好きな方ですか?」
    「あのって…どれ?」
    「髪を下ろされていた方です」
    七海の返答に、五条は顔を歪めた。
    「それ羂索じゃん。あんなヤツ好きになるわけないだろ」
    「では、髪をまとめられていた方ですか?それとも伊地知君?」
    「傑は親友で相方だよ。伊地知はただのマネージャー。…なんで伊地知を知ってんの?」
    「彼は高校の後輩でした」
    「…マジで?」
    「私も驚きました」
    七海は淡々と答えた。衝撃的なことが起こりすぎて、もはや七海と伊地知が知り合いだった事実にさしたる驚きを感じられない。
     すべての力みを抜き去るように、五条は大きな溜め息を吐いた。ソファの背もたれに身を預け、すっかり弛緩してしまった五条へ七海はおずおずと尋ねた。
    「あの中に五条さんの好きな方はいらっしゃらない、ということで良いんですね?」
    「あー?そうだよ。あの中にはいらっしゃらないよ」
    ほとんどおうむ返しに答えると、突然七海がしゃがみ込んだ。
    「ちょ!どうしたんだよ?」
    慌てて五条が傍に寄ると、祈るように合わせられた手のひらの隙間から、安堵の溜め息が漏れた。
    「良かった…。安心しました。…いえ、まったく安心できる状況ではないのですが」
     顔を俯けたまま何やらゴニョゴニョと呟いている弱った様子が珍しくて、新たに見られた七海の表情に五条が内心でときめいていると、唐突に顔が上げられた。驚きに目を丸くする五条の視界に映るのは、決心の裏に嘆願を滲ませた男の表情である。
    「五条さんにお好きな方がいるのは承知で、ズルいことを言っても良いですか?」
    「う、うん…?なに」
    「あなたが好きです」
     返事を聞くなり食い気味に発された告白を、五条の脳は処理しきれなかった。
     五条が何度も言葉を反芻させて意味を噛み砕こうとする最中、七海は訥々と言葉を紡いだ。
    「最初は、なんて馴れ馴れしい人なのだろうと敬遠していました。仕事の邪魔ばかりしてきますし、あなたの家はそもそも私の手が必要な現場だとは思えませんでした。ですから、五条さんのご自宅にお伺いすることを面倒に思っていました。なのに、軽薄だと思っていたあなたの人となりを知るに連れて、いつの間にかあなたのことが頭から離れなくなっていった。あなたを好きだと自覚したのは、家入さんのお宅で再会したときです。久し振りにあなたに名前を呼ばれて、微笑まれて、私は」
    「ちょっと待って。今すごくパンクしそう」
    止まる気配のない七海の独白を制止して、五条は知恵熱を発しつつある脳を冷やそうとした。
     七海は五条の指示通りに沈黙を守った。真摯で愚直な視線はブレることがなかった。
    「えーと…?そもそも七海って女の子が好きなんじゃないの?」
    いくつもの疑問が駆け巡る中、最も不可思議に思えたことを五条が尋ねると、七海は至極あっさりと
    「いえ?女性だけではありませんが?」
    と答えた。五条は「は?」と目を瞬いた。
    「私はバイセクシャルなので、男性も女性も恋愛対象です」
     思いがけない告白に、五条は好意の告白以上の喫驚を表した。
    「バっ…バイって!?オマエ今まで付き合ってたきた人の話、女子ばかりだったじゃん!」
    「あなたが女性を前提とした話ばかりを振るからですよ」
    「だからって僕に隠す必要ある!?」
    「プライバシーというものがあるでしょう。わざわざ自分のセクシャリティを話す必要もないですし」
    さも当たり前のように真顔で答える七海に、五条は何度目かの全身の力が抜ける思いを味わった。
     今まで自分が感じていた葛藤は何だったのだ。心をすり減らして過ごしていた日々が走馬灯のように五条の脳内を駆け巡る中、七海は気を取り直すように咳払いをした。
    「…お好きな方がいるのに、私が一方的に心を軽くするためにあなたへ告白してしまって、本当に申し訳ありません。混乱されていることでしょう」
    律儀に頭を下げる七海へ、五条はひらひらと力なく手を振った。
    「いいよ…もう。確かにめちゃくちゃ混乱はしたけど。つーか今も混乱してるけど」
    夏油や羂索たちと付き合っている、という七海の誤解が解けたのならばそれで良い。
     ふにゃりと笑う五条をじっと見つめていた七海は、やおら口を開いた。
    「また、ズルいことを言っても良いですか?」
    「良いよ。ついでだし」
    五条が促すと、七海はおずおずと
    「私と友達になってくれませんか?」と言った。
    「……もしかして『いつかお付き合いすること前提』で?」
    五条が片眉を上げると、七海はグッと唇を引き結んで気まずそうな表情を浮かべた。
    「……ええ。あなたがいつか、お好きな方と結ばれるなら、それで構いません。それまでにあなたに振り向いてもらえるように、私は全力を尽くします」
     最後にボソリと付け足された「あなたの恋が成就しないに越したことはありませんが」という呟きには、七海の独占欲が垣間見えていた。
     五条の唇は知らず震えた。それが歓喜によるものなのか、涙しそうな心に共鳴してのものなのか、五条には判然としなかった。
    「……やはり、いけませんか?」
    眉を下げる七海に、五条は
    「うん、嫌だ」
    と答えた。
    「友達なんてすっ飛ばしてよ」
     願いを否定され、諦念で俯いていた七海が顔を上げると、真っ赤な顔をした五条が一心に見つめていた。宝石のように輝く瞳に、吸い込まれる思いがした。
    「僕だって、七海のことが……」

     「好きなんだ」という言葉を五条は続けることができたのだろうか。聞こえはしないが、それは声が尻すぼみになってしまったからだろう。
    「あーあ、本当にくっついてしまったようだね」
     皆が扉に耳を当てて顛末を見守る中、一人扉から離れて残念そうに呟く羂索の表情は、どこか愉快そうに見えた。
    「…もしかして、オマエ恋のキューピッドになろうとしてた?五条とイチャイチャしてるところを見せつけて、七海って人の気持ちを煽ろうとした的な?」
    髙羽の質問に羂索は答えなかった。退屈そうに大きなあくびを一つ漏らしただけだった。
    「オマエ、どこまで把握してたんだ?」
    夏油が質問を重ねると、羂索は小指で耳の穴をほじりながら「さあね」と答えた。
    「ま、『引き裂くばかりというのにも飽きたから』とだけ答えておこうかな」
     そう言い残すと、羂索は興味を失ったようにさっさと自身の楽屋へ帰ってしまった。
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    Replies from the creator

    ちゃん

    DONE家事代行がお仕事の七とお笑いがお仕事な五の恋模様についてのお話
    ハラホソパロ

    妄想がおもむくままに書いてしまったばかりに
    あまりに注意点が多いので何でもばっちこいな方向けです。
    タイトルは個人的にハラホソの出囃子っぽいな〜と思ってた曲のタイトルをもじったものです。
    甘い天国 今をときめくお笑いコンビ『祓ったれ本舗』といえば、初舞台から熱心なファンを獲得し、感度の鋭いマニアからはネタのクオリティに一目置かれ、同業者からはいつか必ず奴らの時代がくると恐れられ、結成三年目には日本一面白いコンビを決める賞レースの敗者復活戦を制して、勢いそのままに「しょせん人は猿か否か」を議論するというセンセーショナルなネタで最年少優勝を果たしたコンビである。
     ネタの内容は物議を醸したが、確かに彼らはあの日、誰よりも爆笑をさらっていたし、審査員から見てもネタの構成、間、声の強弱、表情、立ち振る舞い、際どい内容を笑いへと昇華する技術は群を抜いており、審査員はみな口を揃えて「これほどまでに美しい漫才を見たことがない」と評した。コンビの見目が良いこともあって、メディアは彼らを新時代のニュースターとしてもてはやした。
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