ドッペルゲンガー、恋を知る。とある幕間、その2 欲しいものがあるんだと鶴丸が大倶利伽羅へと声を掛けたのは、鶴丸がようやく療養を終え明日から普段通り任務に出られることが確定した日のことである。
「欲しいもの?」
大倶利伽羅は首を傾げる。
季節は夏。本丸はうるさいほどの蝉の鳴き声が響いている。欲しいものついでに、風鈴を買ってきて部屋に吊すのも悪くないかもしれないなと鶴丸はそう思った。風によって涼やかな音を奏でる風鈴があれば、この酷い暑さも少しは和らぐかもしれない。
万屋にあるものはどれも興味が惹かれる。食べ物も雑貨も、棚に並べてあるだけできらきらと輝いて見えた。
「それで、結局なにが欲しいんだ」
なにも知らないで着いてきてくれるのだから、いいやつだと思う。鶴丸が本当にもう元気に動き回れるのか気にしているのかもしれない。大倶利伽羅は誰かが連れ出さない限り万屋に来ることはないから、鶴丸と同様、興味深そうに周囲を見渡していた。
「日記帳さ。本当はあの春に欲しかったんだが。顕現して一年経つ記念にってな」
まさか本丸に帰還したらそれ以上の月日が経っているとは。驚きである。
「きみ、日記を書いていたろ。俺も同じようになんか書いてみようかと思って」
顕現してからいろいろなことがあった。
無力に打ちひしがれることはあったし、それら全てを良い思い出だったと済ませるには、喪ったものの存在が重すぎる。
でも、覚えていたかった。全てを取りこぼさずにいるには難しくとも、鶴丸の視点で鶴丸の感じたことを覚えていたいと思った。
鶴丸なりのやり方で、過去の思い出を大切にしていたいのだ。
「俺の日記は面白みがないだろう」
「ま、そうだな」
大倶利伽羅の言葉に、鶴丸は素直に笑った。
大倶利伽羅の日記は、日記というよりも記録だ。そこに大倶利伽羅の感情は一切描かれていない、ただ日々そこにあった出来事を書き連ねているだけである。
日記に娯楽性を求めるのは間違っているが、面白みがないことは事実であった。
「でも、たった数行で終わる内容に自分の名前があることが嬉しいもんさ」
自分が確かに大倶利伽羅の世界に存在するとわかるから。
「そんなものか」
「そんなもんさ」
棚に並ぶ一冊の日記帳を手に取る。
真っ白な表紙に真っ白な中身。こういうのは筆よりもペンの方がいいのだろうか。
ぱらぱらとページを捲っていると、それを取り上げる手がある。
「買ってやる」
どういう風の吹き回しやら。さっさと自分を置いてレジへと向かう大倶利伽羅の背中を鶴丸は追いかける。
「快気祝いか?」
「それもあるが」
普段給金をあまり使わない大倶利伽羅の懐に余裕があるのは鶴丸も知っているが、今までこうやってなにかを奢ってくれることなどなかったため鶴丸としては少々驚いてしまった。
「多分、お前が書くのは俺のことばかりになるだろうから」
「……………………」
平然と言ってのける大倶利伽羅に、鶴丸の方が呆気に取られてしまった。
買ったばかりの日記帳が入っている紙袋を受け取り、抱きしめる。
「なんというかきみ、自分が俺に愛されている自信がありすぎるな」
「事実、そうだろうが」
そう大倶利伽羅が鼻で笑うものだから、鶴丸はぽかりと大倶利伽羅の肩を叩いた。
きみだってそうであるくせに。
「困ったな。本当にきみのことばかり書いてしまいそうだ」
たとえば、今日きみが作った煮物のにんじんが飾り切りだったことだとか、そういうことばかり書いてしまうだろう。
本丸に帰ったら、まず真っ先になにを書こう。
きっとこれから先だって、楽しいことばかりであるとは限らない。また、悲しい別れや悔しい思いをするかもしれない。
そんな日々を恐れないためにも、今日あったことを忘れないでいたい。
今日という日、大倶利伽羅が自分のとなりにいたことを忘れないでいたい。
そのために、鶴丸は日記帳を開くだろう。