春宵一刻 ――この本丸において鶴丸国永と大倶利伽羅は不仲である。
——と、されていた。つい数ヶ月前までは。
村雲は報告書を持って主のいる執務室へと向かっていた。夜戦明けなので眠くて堪らなく、くああ、と大きなあくびをする。報告書を提出してさっさと寝てしまいたい。
半分眠りながら歩いていたが、慣れた道である。道中、手入れ部屋を通りかかったが誰かが戦闘で負傷したのか部屋が埋まっていた。村雲たちの部隊に怪我人はいなかったから別の部隊だろうか。
「主ー。入るよ」
一言声を掛けてから部屋に入る。主はマグカップを持ち上げ、おう、と返した。
「これ、報告書。……なんか、すごいことなっているけどどうしたの」
部屋の中はまるで敵襲でも受けたかのように荷物が散乱していた。普段から整理整頓が行き届いているとは言い難いが、これは酷い。
「いやあ、普段は鶴丸が片付けてくれているんだがな。今、手入れ部屋でさあ」
手入れ部屋を使用していたのは鶴丸だったらしい。あれ、と村雲は主の言葉に首を傾げた。
「でも、昨日の出陣部隊に鶴丸って入ってなかったんじゃない」
村雲は普段、自分以外の部隊も誰が任務に出ているか確認するようにしている。鶴丸は出陣と遠征どちらの任務にも組まれていなかったはずだ。急遽誰かと交代したのだろうかという村雲の疑問に、主は大きな溜め息を吐いた。
「喧嘩だ喧嘩。本当は手入れ部屋も使われたくはなかったんだがな。負傷が酷くて」
肩を竦める主に村雲は目を丸くする。
「え、喧嘩って誰と」
「大倶利伽羅」
「ええええええ」
鶴丸は戦好きではあるが、ちゃんと自分を律することのできる刀だ。我を忘れて本丸内で負傷するほどの大喧嘩など想像できない。しかも、その相手が大倶利伽羅ときた。
ほかの本丸では、伊達に縁あるものは一緒に行動することが多いらしい。馴れ合うつもりはないと豪語する大倶利伽羅も、遠慮がない身内には抵抗する気も失せるということだろうか。
しかしこの本丸では、鶴丸と大倶利伽羅は一緒の部隊にならないのはまあいいとして、私生活でも一緒に行動しないどころか目すら合わせない徹底ぶりである。そのため、数ヶ月前まではこの本丸の鶴丸国永と大倶利伽羅は不仲であると噂されていたのだ。
それが秋のある日から劇的に関係が改善した。なにやらふたりは盛大な追いかけっこを本丸で繰り広げたらしいのだが、詳しいことを村雲は知らない。ちょうどその日は本丸を留守にしていたのだ。ゲートの不調だったらしいが、村雲が無事本丸に帰還したときにはふたりはすっきりとした顔で一緒に並んで食事を摂っていた。
「ほら、伽羅坊。俺のプチトマトをひとつやろう」
「いらん」
「なんだ、まだ苦手なのか。好き嫌いはよくないぞ」
「うるさい」
大倶利伽羅の言葉は素っ気ないが、隣の鶴丸は満足そうににこにこと笑っていた。そして大倶利伽羅の方も、愛想は悪くとも鶴丸を邪険にしているという様子でもない。
鶴丸と大倶利伽羅の気持ちがどこかすれ違っているのではないか。かつてふたりの憂いた表情を見ていた村雲にとっては自分がいない間になにやら勝手に解決している状態だったのには少し呆れてしまったが、仲違いを続けているよりはずっといいだろうと追求はしないでおいたのだ。
それからの鶴丸はほかの本丸でよく見る個体のように積極的に大倶利伽羅に構いに行き、大倶利伽羅も鶴丸から逃げずちゃんと向き合っているように見えた。伊達の四振りが揃っているところを見てほっと胸を撫で下ろしたのは村雲以外にもいるだろう。
少なくともこの数ヶ月のふたりの関係は良好に見えた。それがどうして。
「いやあ、以前から大倶利伽羅には言われていたんだよな。鶴丸を部隊長に戻せって。けれど鶴丸が完全拒否し続けていたんだな。で、俺が勝ったらお前を部隊長にする、お前が勝ったら諦めるって大倶利伽羅が言い出したんだよ。それに対して鶴丸が、隊長が誰より強くなくてどうする、きみの出す条件はそもそもが間違っていると返して」
そんで、ここで大喧嘩してこの有様。
「うへえ」
「俺が逃げて燭台切に助けを求めたときにはもうふたりはボロボロでな。腕とかぷらぷらしていたし。それで燭台切もふたりを落ち着かせようとして慌てて拳骨落としたら起きなくなっちゃった。頭蓋骨骨折」
「致命傷じゃん」
部屋を散らかした原因がそもそも鶴丸と大倶利伽羅らしい。責任を持ってふたりに部屋を片付けさせるよ、と主が再度溜め息を吐いた。
「でもまあ、いいんじゃない」
部屋に散らばった書類を村雲は摘み上げる。
「お互いに言いたいこと飲み込んだままじゃ、またすれ違うだろうし。言葉にして爆発して、そうした方が健全じゃん」
「それもそうだな」
大喧嘩をしたふたりを止めた燭台切だって、本当は嬉しかったのではないだろうか。自分よりずっと、間に挟まれていてそれでいて仲介もできなかった燭台切や太鼓鐘は色々と思うところがあっただろう。
喧嘩するほど仲が良い、というし。
「なんとかは犬も食わないってね」
鶴丸が手入れ部屋で目を覚ましたとき、すでに大倶利伽羅はとなりの布団にはいなかった。
よく寝たな、とすっきりした気分で起き上がる。枕元には水差しが置かれていて、優しいじゃないかと笑みを溢しながらグラスに注ぎ、生温いそれを飲んだ。
部屋に出るとすっかりと夜だ。春の夜は肌寒く、せっかくなら朝まで眠っていればよかったなあと頭を掻く。朝になったら主にも詫びて、部屋を片付けないと。
冷えた廊下を歩いていると、自分の部屋の前の廊下に誰かが座っているのが見えた。
「伽羅坊」
「……ん」
縁側に腰掛けている大倶利伽羅のすぐそばには酒の瓶が置かれていて、けれど封を開けた様子はなかった。朝まで寝ていなくてよかったなと鶴丸は大倶利伽羅の頬に触れる。
「冷えたか」
「平気だ」
「待ってな。すぐ戻る」
部屋へ招き入れることも考えたが、止めた。すっかりと月が昇り星が瞬く夜を、並んで眺めながら酒を飲むのはなんだか楽しそうだったから。
酒器と、それからもうそろそろお役御免になりそうだった毛布を引っ張り出す。部屋で使うには暑くなったが、外で過ごすにはちょうどいい。
ふたりで身を寄せ合って毛布を羽織る。
酒を注ぎ、乾杯、と酒器を鳴らした。
「なにに」
「無事に手入れを終えられたことに。やれやれ、光坊の拳骨は痛かったなあ」
鶴丸が笑えば大倶利伽羅も小さくではあるが笑みを溢した。
先ほどの大喧嘩など忘れたかのような、穏やかな春の夜だ。
伽羅坊、と鶴丸は囁くように名前を呼んだ。
「俺はもう部隊長をやらないよ。けじめってやつだ」
鶴丸はかつて、大倶利伽羅が折れてしまってもいいと思ったことがある。
激しい戦だった。誰が折れてもおかしくはなかったし、実際に大倶利伽羅は一度折れたのだ。御守りがなければ今頃こうして鶴丸のとなりに大倶利伽羅はいない。
周りが敵に囲まれている中で活路を開きみんなを逃そうとしたことは、間違いではないが無謀ではあった。あの頃は、鶴丸も大倶利伽羅も、ほかのみんなもまだ弱かったのだ。
あの日の大倶利伽羅の背中が、今も鶴丸の瞼の裏には焼きついている。あの苛烈さ、あの美しさ。いくら言葉にしてもきっと足りない。ずっと鶴丸が見たいと望んでいた、刀として戦う大倶利伽羅の姿。だからこそ、もう見てはいけない姿。
あの日、ただ真っ直ぐに、刀として戦い折れようとした大倶利伽羅を、鶴丸は止めることができなかった。だから、けじめだ。あの日、折れるとわかっていて大倶利伽羅を止めようとしなかった、ほかの部隊の刀たちのことも忘れて戦う大倶利伽羅の姿に見惚れてしまった自分に対して、鶴丸はこうすることでしかけじめをつけることはできない。いくら大倶利伽羅が望んでも、こればかりは。
「どんな星々よりも、あの日のきみの姿が輝いて目に焼きついている。それを最後と思う俺をどうか許しておくれ」
大倶利伽羅の肩に、鶴丸は頭を載せた。
けじめばかりではない。あの日のあの美しさをずっと忘れないために、ずっと抱きしめているために、もう鶴丸は部隊長はおろか、大倶利伽羅と同じ部隊にはならないと決めたのだ。
「あんたが、そう言うだろうことはわかっていた。だからこれも——俺のけじめだ」
大倶利伽羅がどんな表情でいるのか、今の鶴丸の体勢からでは伺い見ることはできない。そうか、と鶴丸は相槌を打ち目を閉じた。見えないけれど、わかる。大倶利伽羅は声に感情が乗るのだ。寒さを言い訳に、鶴丸は大倶利伽羅の手を取った。立派な、武人の手だ。美しく誇らしい。
鶴丸と大倶利伽羅は、どちらも謝ることはなかった。これでいいのだと思う。お互いに譲れないところがあるからこそ尊重できるところがある。
「代わりに、叶えてほしいことがある」
「うん?」
「手合せしてくれ、俺と。本気の」
ぱちん、と鶴丸は瞬きする。
「なんというか、それは」
大倶利伽羅の可愛いおねだりに、鶴丸は破顔した。
「最高すぎるな」
となりではない。後ろでもない。けれど真正面に向き合って刀で語らい合うのは、なんだかとても楽しいことのように思えた。そうか、そういう方法もあるのかと感心したほどだ。
言葉にしなければわからなかったことの先に、言葉以外の方法で語り合う方法が待っているのは予想外で、だからこそ生きているのは面白い。大倶利伽羅はいつだって、鶴丸にとって嬉しい驚きをくれる。
「戦場できみの姿を見ることはできないが、うん。そういう方法なら、いいかもな。いいだろう。やろう、本気の手合せとやら」
主には怒られるだろうが、この胸の高揚は止められない。鶴丸はあの日見た大倶利伽羅の背中をいっとう美しく思い記憶に残しているが、真正面、鶴丸と本気で戦おうとする大倶利伽羅の姿も見てみたいのだ。見比べることができるなんて、どんな贅沢だろう。きっとその姿も美しいに違いない。
「なあ、今からやろう」
「あんた、夜目が利かないだろう」
「道場で、明かりをつければ平気さ。な、はやく」
羽織っていた毛布を放り投げて向かおうとする鶴丸の手を、大倶利伽羅が引く。
「酒が入っている。せっかくなら万全の状態でやりたい」
「酒持ってきたのはきみだろうに。いいさ、じゃあ、今日は一緒に眠って、朝一番に手合せをしようぜ」
大倶利伽羅の手を逆に引っ張り、部屋の中へ転がるように入り込んだ。酒が回っているのは確かのようで、ふわふわと、浮かれた気持ちが止まらない。
鶴丸と大倶利伽羅は、もう決して同じ部隊で戦うことはないだろう。それが鶴丸なりのけじめであり、あの日のあの大倶利伽羅の姿を覚えていたいと願ったからだ。その気持ちを、大倶利伽羅も汲んでくれた。この選択が大倶利伽羅を傷つけてしまうだろうことを、鶴丸は理解している。大倶利伽羅は自分が未熟だったから鶴丸が部隊長を下りることとなったという意識を拭い去ることができないのだ。きっと、これからも。だから、代替案を出した。これが大倶利伽羅にとってのけじめの付け方だった。
「楽しい、楽しいな、伽羅坊。良い夜だ」
酩酊感の残るまま、鶴丸は口を開く。その代わりに、目を閉じた。
「きっと、明日も良い日になる」
明日、鶴丸は大倶利伽羅の新しい姿を見ることができる。竹刀を使った手合せは何年も前にやったことはあったが、刀を使う手合せなどしたことがない。ああ、いいな、と鶴丸は息を吐いた。あの美しい刀を受け止められるのか。大倶利伽羅はどんな瞳で鶴丸を見るのだろう。あの、星よりも輝く瞳は。
「あんたの刀を、一度受け止めてみたかった」
まるで鶴丸の心を読んだかのように大倶利伽羅が言ったものだから、鶴丸は笑った。
「一度だけじゃない。何度でも、何度だってやろう、伽羅坊。その瞳に、俺の姿を焼き付けておいて」
かつて戦場で見せた姿に負けないくらいに、俺も輝いてみせるから。きみに、美しいと思ってもらえるくらいに。
眠りながらではもうまともに言葉にはもうならなかったはずなのに、応える手の温もりが確かにあった。