三日月宗近の相談室 三日月宗近の最近の趣味はといえば、トランプタワーを作ることである。トランプピラミッドとも呼ぶ。
一組のトランプを使い、ピラミッド型のタワーを組み立てていく。これが、なかなか面白い。手先の器用さと集中力が必要となるトランプタワーは、のんびりとした性質であまり器用とはいえない三日月には到底向いていない趣味だったが、はじめてみると止まらなくなる。一応、組み立てるのは一日に五回まで、と決めてはいたが、最初のころは失敗してぱらぱらと崩れていくのも楽しくて、何度も何度も繰り返して飽きず組み立てたものだった。
集中して組み立てている一方で、頭のどこかで様々な考えを整理する。今日の出陣の振り返りから、次の出陣で失敗をどう活かすか、円滑に仲間と連携を取るための方法は。そんな真面目なことから、今日の夕餉の内容について、もし嫌いなおかずがでたらどう逃げるか、ということも考えたりする。あまり、揚げ物の類いは好きではないのだ。若いのに譲ってやりたいが、要領のよくない三日月はすぐに見つかって怒られてしまう。短刀たちは揚げ物が好きだから、悪いことではないと思うのだがなあ、と言い訳しても駄目だった。悲しい。
そんな、ぽやぽやとした思考のままでトランプを組み立てていると、挨拶もなしにずかずかと部屋の中に入ってくる一振りの刀がいた。その風に、ぱらぱらとトランプが崩れていく。部屋に侵略してきたその刀は、崩れてしまったトランプタワーを気にすることもなく、卓袱台、三日月の正面に座り、思い切り頭を打ち付けた。
「こらこら」
たまにはたしなめなければならないと声を掛けるが、意に介する様子は全くない。まるで地獄の底からでているかのような、低い声でその刀――鶴丸国永は呻いたのだった。
「今日も、駄目だったぜ」
「ふむ、そうか」
あっさりと流し、三日月は卓袱台に散らばったトランプをかき集める。
非番の午後は大抵、三日月は縁側でお茶を飲むか、こうしてひとり部屋で黙々とトランプタワーを組み立てている。だからこうして、相談事に訪れる刀もいた。目の前の鶴丸もそのうちの一振りである。
「まったく、困ったぜ。どうしたら諦めてくれるのやら……」
いつも飄々としている鶴丸がこうして頭を抱えている姿を見せるのは、おそらくそう多くはない。三日月の前で見せるのは、甘えよりも遠慮のなさだろう。三条と五条、縁はある。しかし、共に過ごした時間はそう多いものではない。悩み事であれば、同室でもある伊達の子らを頼ればいいと思うのだが、そうできない理由が今の鶴丸にはあるのだった。
「――伽羅坊が、俺のことを好きみたいなんだよ」
初めてそう相談を受けたのは、確か一月ほど前のことである。同じように、地道にタワーを組み立てている最中、鶴丸が襲来したのだ。
伽羅坊とは、大倶利伽羅のことである。伊達の刀、鶴丸とは馴染みの刀の一振りだ。鶴丸は経歴上、あっちにいったりこっちにいったり、墓に入ったり取り出されたり、波瀾万丈刃生を送ってきたが、奥州の地では比較的、長く在ったのだという。その時を共に過ごしたのが大倶利伽羅なのだそうだ。鶴丸は彼のことを目に入れても痛くない、と公言するものの、手合わせでは容赦なく叩きのめすし、畑ではやる気を出さないので困らせている。ただこれは大倶利伽羅だけではなく誰に対してもそうなのだ。ちなみに三日月は鶴丸よりもずっと顕現が早かったので、手合わせでは叩きのめした側だった。
さて、そんな大倶利伽羅が鶴丸のことを好きなのだという。
「気のせいではないのか」
「俺だってそう願いたいよ」
困った、という顔で鶴丸は吐き捨てる。
「あの子、仏頂面に見えてわかりやすいからな。わかりやすいくせに、自分に鈍感なんだ。これが告白でもしてくれたら断りようもあるのに、自覚していないものを、どうやって斬り捨てればいい」
顔には出なくとも、目に、感情が乗るのだ。
そう鶴丸は言う。
鶴丸は他人の感情に聡い方だ。あちこち流れに流され、様々な人や物に触れた結果、そうなった。それ故に、大倶利伽羅の自覚していない感情にも、気がついてしまった。いつの間にか大倶利伽羅の心に芽吹いてしまった感情を、どうにか鶴丸は間引いてしまいたいらしい。毎日毎日、大倶利伽羅の恋を、自覚する前に消そうと飽きもせずに足掻いている。
「だって、俺だぞ。俺みたいなのを好きになるなんて、どうかしている」
「うむ。苦労するのが目に見えている」
「……殴っていいか?」
理不尽ではないだろうか。
しかし、そうだろう。その経歴からか、もとからの性格からか、鶴丸の性根はだいぶ屈折している。こうして大倶利伽羅が気づかないうちに恋心を潰してしまおうと考えるくらいだ。
「こう、なんとか幻滅させる方法でもないかと考えたんだがな。俺にも、矜持ってもんがあるしな」
「幻滅なんて、今更ではないのか」
「マジか」
「まじだ」
ショック、と鶴丸の顔には書いてあるが、あれほど畑当番をさぼって呆れさせているのに、年上としての面子が保たれていると考える方がおかしいだろう。てっきり開き直っているものだと思っていたが。
「嫌だ……。尊敬はされていたい……」
「無理だぞ」
ぴしゃり、と三日月は断言した。
「無理かあ。いや、あの子だってきっと心の底では俺のことを慕っていてくれるはずだぞ。良い子だからな」
自意識過剰もいいところである。
「観念、すべきではないのか」
向けているのは尊敬などではない。鶴丸の駄目なところを理解し、呆れ、そのくせ生まれてしまった感情を、大倶利伽羅が自分でも気がついていないで育んでしまったものを、どうして簡単に無くすことができよう。
うう、と呻く鶴丸を余所に、三日月はトランプを捲る。ハートが書かれたそれを、なんとなしに、別に除けた。
「み、」
み、で止まった。
なるほど、鶴丸が言うとおり、確かに「良い子」なのだろう。
「気にしなくともいいぞ」
微笑みながら、三日月は三角形をまたひとつ組み立てる。鶴丸のように、容赦なく部屋に入ってきてタワーを崩す者もいるし、廊下を走る短刀たちによる振動で崩れてしまうこともある。そういうのも含めて、この趣味は楽しい。
「三日月宗近。あんた、昨夜に日誌を提出していないだろう」
「ああ、そうだった、そうだった」
昨日の近侍は三日月だった。日誌を書いて本来であれば定位置に置いておくのだが、昨夜はなにかとばたばたしていたのだ。今日の近侍は大倶利伽羅だったようである。わざわざ取りに来させてしまった。悪いことはしたなあ、と、トランプから手を離し三日月は立ち上がった。当然、トランプは呆気なく崩れてしまう。
「……別に、急ぐ必要は無かった。どこに置いてあるのか言ってもらえれば、勝手に取っていく」
タワーが崩れてしまうと、大倶利伽羅は眉を顰めた。そんなに気にすることはないのだがなあ、と呟きながら、文机の引き出しから日誌を取り出し、ついでに飴玉をふたつ、日誌の上に載せて大倶利伽羅へと渡した。
「なんだこれは」
「近頃暑いからな」
駄賃代わりだ。
これがただの甘いだけの飴玉だったら、子供扱いをするなと断られたのかもしれないが、塩飴である。おやつというよりも熱中症予防を目的とした食品であるから、大倶利伽羅も少し考えたあとに受け取って飴をポケットの中に入れた。
「……最近、」
「うん?」
「鶴丸がよく、ここに出入りしているようだが」
部隊が違うから、大倶利伽羅との共通の話題はほぼない。なので、躊躇いがちに大倶利伽羅が自分から話し始めて、しかも鶴丸のことを話題に出したので、少し驚いた。
「ああ。自由に入ってきて、勝手に喋って、それから飽きればいなくなる。本当、鳥のようなやつだな」
くすくすと笑うと、そうか、となんともいえない顔で返される。
「畑当番や馬当番のときにここに逃げ込んだら、容赦なく追い返してくれ」
「あいにく、じじいだからな。自分以外の当番は禄に覚えておらんよ。そういうときは自分で連れ戻しにきておくれ」
伊達は四人部屋だ。当番も一緒に組まされることが多い。連れ戻しに来るのは不自然ではないだろう。
「自由な鳥ではあるが、望めば案外、あっさりと手元に止まってくれるかもしれんぞ」
「そんな大人しいやつではないだろう」
「さて、やってみなければわからないぞ」
じ、と三日月が大倶利伽羅の目を覗き込めば、居心地が悪そうに大倶利伽羅は目を逸らす。残念だ、と三日月は肩を落とした。
鶴丸は大倶利伽羅の目に感情が乗るのだと言っていた。それを確かめてみたかった。だが、この態度を見るに、大倶利伽羅が鶴丸を好いているというのは、なるほど、あながち鶴丸の勘違いともいえないようである。
大倶利伽羅はそのまま日誌を持って部屋を後にした。それを見送って、さて、と再度トランプに向き直る。
今日の鶴丸は朝から畑に出ているらしい。相方が長谷部なので今日は三日月の部屋へと逃げ込んでこなかったものの、きっと、うんざりとした顔で野菜と向き合っているのだろう。大倶利伽羅に渡した塩飴はふたつだ。その意図をどこまで大倶利伽羅が理解しているかはわからないが、おそらく大倶利伽羅は飴を鶴丸に手渡すに違いない。昨年、鶴丸は熱中症で倒れたのだという。三日月はちょうど遠征中で本丸を不在にしていたが、毎年数人は出てしまう被害者のうちのひとりに、見事に鶴丸はなってしまったわけだ。馴染みの刀、同室で過ごしていれば、今年は大丈夫なのかと気にはなるだろう。
トランプを一枚捲り、その一枚を別に除け、残ったトランプでタワーを組み立てる。残念ながら今日は一度も完成させることは叶わなかったが、どこか満足感が三日月の中に存在していた。
「あ、いた」
また別のある日、三日月の部屋へとやってきたのは、太鼓鐘貞宗だった。まるで太陽の光を吸い込んだかのように、明るく眩しい、伊達の刀の一振りである。
「三日月さん、回覧板止めてるだろ」
「おや、そうだったか」
どうにも、物忘れが激しいのは、古い刀だからか、性格からか。のんびりしている方だとは自覚しているものの、他人に迷惑をかけてしまうのはよくない。
宴会などのお知らせは、基本的に掲示板に貼られるが、出欠確認は回覧板で行う。バインダーに挟まったお知らせの裏に、自分の判子を押す。顕現した刀はみんな、小さな判子を主から貰う。こういうときに使うためだ。
「まんじゅうがある。食べていったらどうだ」
「やった」
「茶を淹れてやろうな」
熱い茶は夏には向かないかもしれないが、今日は涼しい風が吹いている。おかげで、トランプタワーは全然組み立てられない。障子を閉めればいいのかもしれないが、そうすると暑さで参ってしまう。
「なあ、三日月さん」
もぐもぐとまんじゅうを食べながら、太鼓鐘はじっと三日月を見た。
「なんだ」
「最近、鶴さん、よくここにくるだろ。なに話してるのかなー、って」
「それは、まあ、ぷらいばしいとかいうやつだな」
鶴丸も自分の情けないところを見られたくなくて、わざわざここへ来るのだろう。そんな見栄を理解し少しでも庇ってやりたかったが、太鼓鐘は、伽羅のことだろ、とはっきり言い切った。なんだ、ばればれではないか。
「そりゃ、わかるだろ」
「わかるかあ」
「だって、こっちにとっちゃ、両方わかりやすいもんな」
この刀だって、あの二振りとは付き合いが長い。だとしたら、燭台切も気がついているのか。敢えて当人に指摘してやらないのは、優しさだろう。
「鶴丸は大倶利伽羅の恋を、自覚する前に間引いてしまいたいそうだ」
「そんなことだろうと思ったぜ」
やれやれ、と呆れたように溜め息を吐いた。
第三者が下手に介入したら余計にややこしいことになる。だからこうして、本人たちの前ではなく、三日月のところへやってきたのかもしれない。
「太鼓鐘はどちらの肩を持つ」
「そりゃあ、伽羅だろ」
自覚する前に摘み取られちゃあ、可哀想だ。唇を尖らせ、太鼓鐘は言った。そうだなあ、と三日月も頷きそうになる。
「だが、鶴丸は自覚する前にそうすることこそ優しさだと思っておるようだ」
一応、肩を持ってやるべきかもしれない。そう思っての言葉だが、駄目だ駄目だと太鼓鐘が手を振って否定するものだから、あっさりそのフォローは地へと落とされてしまった。
「鶴さんが気がついたのって本丸に来てからだけど、伽羅が鶴さんを好きだったのなんて伊達にいたころからだし」
「なんと」
「芽吹いているときにはもう、地中には根が張ってるんだよ」
なるほど、そういうものなのか、と三日月は茶を啜った。やはり、熱い。
それほど前から、太鼓鐘は気づいていた。だとしたらようやくその視線に気がついた鶴丸に、これはチャンスだと思ったのかもしれない。
鶴丸がしているのは、悪足掻きだ。関係が変わるのを恐れてなのか、また別の理由かは知らない。しかし長く長く根が張られたものは、間引こうとしてもまた生まれてしまうものなのだろう。
「伽羅はさあ、自分の気持ちには鈍感だけど。鶴さんのことはちゃんと見ているから、鶴さんの様子がおかしいことには気がついてるんだぜ」
「ほう」
「なんで様子がおかしいのか気がついたら、同時にようやく自分の気持ちに気がつくのかも」
太鼓鐘にとっては、本当に、ようやくというところだ。二度と同じ場所に在ることはできないと思っていたのに、こうしてまた共にいる時間ができた。夢幻のようなものであっても、泡のように簡単に消してしまうのは惜しい。
卓袱台の上のトランプを一枚、捲った。
「……実はな。鶴丸や大倶利伽羅がこの部屋に来るたび、トランプを一枚抜いている」
「なんで」
「なんでだろうなあ。そうすると、タワーを作るための枚数がな、少しずつ足りなくなっていく」
「足りなくなったらどうするんだ」
「三日月宗近の相談室も、閉業というところだな」
鶴丸が騒がしく部屋へやってくるのは楽しいときもあるし、大倶利伽羅がそれを気にしてなにかの用事のついでにそれとなく鶴丸のことを確認してくるのもまた面白かったが、いい加減トランプの枚数も足りなくなってきた。そのうち、三角がひとつだけの、タワーとも呼べないものになってしまうだろう。趣味としては、少々寂しい。そろそろ別の趣味でも、始めてみようかと思う。
「賭けでもするか」
「趣味が悪いし、賭けにはならないだろー」
三日月も太鼓鐘も、行き着く先は同じだと考えている。
そうだな、と三日月は笑った。
大体、本気で斬り捨てようと思えば、方法などいくらでもある。それをしない時点で、鶴丸の敗北は決まっているようなものだった。斬り捨てることも、引き離すこともできないのであれば、そうなる。
「では、大倶利伽羅が自分の気持ちに気がつくのが先か、鶴丸が焦れて陥落するのが先か、賭けることにしようか」
夏も、後半に差し掛かろうとしている。まだ暑い日は続くが、今日のように涼しい風が吹く日も増えるだろう。そうして、少しずつ秋へと近づいていく。
芽吹き、花が咲き、実ったものを、そろそろ収穫してもいい頃合いなのではないだろうかと、三日月は思っている。