I forgive you who can't forgive yourself 彼の機嫌が急降下したのは何が切欠だったのか、どれだけ頭を捻ってもわからなかった。朝は普通だった。彼に予定を伝えて、隊の編成をし、安全を確保しながら駐屯地へ。昼食を共にして、各々団員への指導を行った。それが今、どうしてこんなことに──?
我も我もと打ち合いに食い下がる者は今日は珍しくおらず、ディオンは若干の拍子抜けの気分で駐屯地内の自室へ戻ろうとした。悲しいかな、書類仕事を持ってきたので、それを片付けるつもりだった。その前に、とテランスが担当している練兵場へ向かう。彼をピックアップするついでに、指導の様子を盗み見するのも良いと思った。
普段、己には見せないテランスの表情を見るのがディオンは好きだった。それに、勉強にもなる。
しかし、練兵場へ近付くにつれ、ディオンは雰囲気が妙なことに気が付いた。エーテル溜まりの只中にいるかのようだった。入口付近に立っていた兵卒に問うと、動揺している様子で「親衛兵長が、その……」と言って場内を見やる。瞬間、「私心で、国が、民が守れるか?」と他者を圧する声が響く。テランスの声だった。
団員の誰もがその言葉に項垂れる。何があったのだろう? ディオンはその場に留まり、様子を見ることにした。幸い、向こうからは見えない位置取りだった。気配を消してしまえば気付くのはテランスだけだろう。
「我が君は……」
言いかけた団員をテランスが視線で刺した。
「我らが守護したいと思うお方は……」
別の団員の言葉は途中で消えた。
「違えるな」
テランスは厳しい口調で言った。そうして、「忠誠を誓ってそれで終いにするな」と言い、「……忠誠の意味も分からないのなら」と続けて剣を鞘から抜く。団員のひとりに剣の切っ先を向け、顎をしゃくった。来い、ということだろう。その言葉に、震えを纏いながらひとりがテランスに向かっていった。そして、他の者も。
「いきなりなんです」
そう言った兵卒に他言無用と約させ、ディオンは踵を返した。何があったのだろう。テランス自らのことではないとディオンは思う。己に関わることの可能性のほうが高い。あれらの言葉のみでは具体的に何が起きたかは分からないが、彼は己の前では何事もなかったかのように振舞うだろう。それは予想できた。
§ §
果たしてその夜。ディオンの予想通り、テランスは普段通りにディオンに接した。堅苦しいまでの口調も時折崩れ、冗談を交えつつ明日の予定を確認し終える。そうして、寝支度に入ろうかという段になって、ディオンとテランスは「さて」と同時に言葉を発した。互いを睨むように見据えることしばし、テランスが目線で促したのでディオンは「何があった?」と直截に訊ねた。
「時々あることです」
テランスの口調は半ば吐き捨てるようだった。曰く、聖竜騎士の身でありながら、自らを見失う者がいると。「我が君」に思慕するあまり、最も傍近くにいるテランスに逆恨みの念を抱く者も多い。一騎打ちを望む者も。だが、それはどうでもよいのだとテランスは言った。そんなことよりも。
「貴方の目指す先を理解せず、自らを誇示する……私心を優先させる……。それが許せないのです」
そこまで言って、テランスは視線を逸らした。唇を噛みしめ、作ったこぶしを震わせる。
「だから、私は自分が許せない」
彼の懺悔を聞き、ディオンは仄かに心に火が灯ったような気がした。テランスを引き寄せて額を合わせる。
「まったく、其方は」
ディオンは苦笑した。彼らしくて、それでこそ愛しいと思う。
しかし、額を合わせてもテランスは表情を変えなかった。その顰め面もディオンには一層愛しいものに思った。
「自らを許せない其方を私は許そう。其方ほど私の想いを理解している者はいない……「私」だけではなく、「公」においても」
そう言ってディオンが微笑むと、テランスは少しく目を瞠った。そのようなことは、と言い切れないだろう彼に口づける間際、「許す」とディオンは恋人の耳元に囁いた。