パーティー パアンと破裂音。地獄では生活音である銃声ではない。パーティー等でよく使われる、クラッカーの音だ。
色とりどりの紙吹雪と紙テープを浴びたルシファーとアラスターは、揃って目を見開いて犯人を凝視した。
「パパ、アラスター、おめでとう!」
チャーリーは満面の笑みでクラッカーの残骸を放り投げ、父親と友人を揃って抱き締めた。目を白黒させる二人。
「あー、チャーリー? コレは一体……?」
笑顔を作りながら尋ねるルシファー。チャーリーは勢いよく二人を解放し、そわそわと指を遊ばせながら大きく息を吸い込んだ。
「今日は二人の、『恋人おめでとうパーティー』をするの!」
──何だそれ?
アラスターは首を傾げた。パーティーは生前から大小様々なものに呼ばれてきたが、こういったものは始めて聞く。最近の流行りなのか、はたまたチャーリーのユニークな発想によるものか。
恋人になったばかりの男を見ると、大きな目を子犬のように潤ませて娘を見上げていた。たいそう感動しているようだ。アラスターの目が冷めたものに変わる。
「チャーリー……私たちの為に、こんな素敵な催しを……?」
「ええ。大切な二人の、おめでたいことだもの。絶対にお祝いしなくちゃって思ってたの」
「チャーリー……!」
「パパ……!」
ひしっ、と固く抱き締め合う父娘。それを後目に、アラスターはグルリとパーティー会場と化したラウンジを見渡す。
舞い散る紙吹雪。カラフルなフラッグガーランド。かけられた横断幕には、「パパ&アラスター 恋人おめでとう!」と書かれていた。チャーリーの文字だ。ハートがたっぷり描かれている。今回は下品な言葉がどこにもなくて良かった。
既にパーティーの食事に手を付けているエンジェルが、アラスターの視線に気付いてウィンクを送る。その隣でショットグラスを重ねている、最近よく遊びに来るチェリーボム。仲のいい父娘(というよりチャーリー)を微笑ましく見守っているヴァギー。床に散らばった紙吹雪を早速掃除しているニフティ。羽に絡まった紙テープに四苦八苦しているハスク。地獄の住人らしく、全員好き勝手にしていた。
それを半目で眺めるアラスターの腰に、感動父娘劇場を繰り広げていたルシファーが当然のように腕を回す。
「アル……チャーリーはいい子に育ってくれた……そうは思わないか?」
『ソウデスネー』
「ああ、私たちの自慢の娘だ」
『……あなたの娘であって、私の子ではありませんよ』
「君もチャーリーのパパになりたがってたじゃないか」
『……はい?』
思わずルシファーを見るアラスター。話が聞こえていたホテルメンバーの誰もが、地獄の王に注目する。渦中のルシファーはというと、何故視線を集めているのか理解できず、疑問符を浮かべながらキョロキョロと首を動かした。
『……あなた、アレ本気にしてたんですか』
「えっ」
ルシファーが声をあげる。彼以外の誰もが、生暖かい眼差しを地獄の王に送った。林檎のように赤い頬が引き攣る。
「……待ってくれ。冗談だったのか?」
恐る恐る見上げてくる恋人に、ニッコリと笑いかけるアラスター。パンパン。場の空気を変えるように手を叩いて、仰々しく声を張り上げた。
『愉快な王様はさておき、せっかくチャーリーが素敵な場を用意してくれたんです。楽しむとしましょう』
「待っ……違うのか 実はあれは遠回しなアプローチだったのでは? とか考えてたんだが……違う ……私だけか チャーリー! おまえもアレは冗談だと」
「えーっと……まぁ……」
一人慌てる父を宥める娘と、それを支えるパートナー。生温いやりとりを背中に、アラスターは肉料理の並ぶテーブルに足取り軽やかに近付いていった。
***
「アラスター」
酒焼けした嗄れ声。聞き馴染んだ声はハスクのものだ。ルシファーが用意した高級酒をしこたま飲んでいた彼からは、強いアルコールの匂いが漂っていた。
足取りはしっかりとしたまま、ハスクは持ってきたグラスをアラスターに差し出す。中身はルシファーが持ち込んだ上物のウイスキーだ。素直に受け取ったアラスターは、グラスを揺らして氷とアルコールが混ざる様を眺める。
「王様と一緒にいなくていいのか?」
ハスクの大きな爪が、小さな王を指さす。ルシファーは娘と彼女のパートナーに囲まれ、笑ったり照れたりと表情が忙しない。どんな話をしているのか知らないが、幸せそうだ。
『別に。常にベッタリな訳ないでしょう』
「そりゃ確かに」
恋人だからといって、一緒に居続けるのもよくない。仲のいいカップルが同棲した途端、盛大に喧嘩別れするなんて話は世に溢れ返っている。適度な距離感は大事だ。
(まぁ、王様は別みたいだが)
ハスクが話しかけてからずっと、チラチラと視線を感じる。恋心を自覚する前から嫉妬深かった男だ。頼むから誤解しないでくれと願いながら、ハスクもグラスを傾けた。
しばし沈黙のまま酒を楽しむ。切り出したのはハスクだった。
「……王様には言ったのか?」
横目で昔馴染みを見るアラスター。ハスクが蝶ネクタイを直す仕草を見せれば、途端にアラスターの眉間に皺ができる。契約のことを指していると察したのだ。
『必要ありません』
バッサリ。一刀両断。今度はハスクの眉間に皺ができる。
「秘密にし続けるのか?」
『言う必要が?』
「解決するかもしれないだろ」
『ハッ』
嘲笑で一蹴したアラスターが、グラスの中身を一気に空にする。
『必要ありません』
ハスクは獣のように唸った。
頑固な男だ。昔はもっと柔軟で奔放な男だったのに、どうしてこうなったのか。
否分かっている。首輪が原因だ。アラスターを縛る誰かの所為で、彼はずっと焦燥に駆られている。
(俺が地獄に落ちるまでに、一体何があったんだか)
この世のなによりも自分を愛し、そして自由を愛する男が何故縛られてしまったのか、ハスクは知らない。教えてもらえない。
アラスターはずっと、自分一人で抱え込んでいる。誰にも頼らずに、何年も。
(王様と付き合えば、少しは状況が変わると思ったんだがな……)
アラスターは話す気すらないらしい。殺人を楽しむ最悪の人間性をしている癖に、色恋に関してはかなり真っ当な感性をしている男だ。恋人を利用するのは嫌なのかもしれない。ハスクは盛大な溜息を吐いた。
「……何かあれば頼れよ、アル」
『君に?』
「ああ、王様のこととかな」
『…………』
「おまえよりは、よっぽど経験豊富だぞ、俺は」
不貞腐れた顔で睨んでくるアラスター。ハスクは込み上げてくる笑いを酒と共に飲み込んだ。
「アラスター」
怖い男が何か言う前に、ニフティが細い手足をちょこまか動かしながら二人の足元に滑り込んで来た。アラスターの剣呑な空気が少し和らぐ。
『何ですか、ニフティ?』
「しゃがんで、しゃがんで」
ぴょんぴょん跳ねる娘に合わせて膝を折るアラスター。ニフティはフワフワの鹿耳に顔を近付け、小さな声で尋ねた。
「王様とセックスした?」
アラスターは無言でニフティの頬をつねった。
「やったぁ! 痛いィ!」
諸手を挙げるニフティに呆れた眼差しを向けるアラスター。子どもの頃より落ち着きはしたが、エキセントリックな性質は変わらないままだ。
『ディア? 私は君をそんな子に育てた覚えはないのだが? まったく、誰の所為なんだか……』
「オイ。俺の所為だってか? 先におっ死んだテメェに文句を言われる筋合いはねぇぞ。俺はちゃんと成人するまで育てた。こりゃあコイツの個性だろ」
『それはそうだが……』
「ねぇ、今日は踊らないの?」
針のような指が赤いコートの裾を引っ張る。大きな一つ目を無垢に瞬かせて、二人を見上げるニフティ。
「おめでたい日は踊るんでしょ?」
男二人は目を丸くして、お互いの顔を見合う。顔を顰めるハスク。にんまり笑うアラスター。
早かったのはアラスターの方だった。指を鳴らすと、ハスクの手に古びたアコーディオンが現れる。懐かしい手触りにハスクは言葉を失った。
『それもそうだ。では、お手をどうぞ。レディ? ハスカー、ミュージック!』
スポットライトが大小著しい二人を照らす。音楽もなしに手を取り踊り合う姿に、慌ててハスクも手指を動かした。彼が弾ける曲は一つしかない。
アコーディオンに触るのは何十年ぶりだろうか。当然、奏でる音は拙くもつれている。アラスターは大口を開けて笑った。
『ハスカー、君、相変わらず下手だねぇ』
「下手っぴー!」
「うるせー!」
怒鳴りながらもアコーディオンを弾き続けるハスク。笑いながら、跳ねるように踊るアラスターとニフティ。昔とまったく同じ光景が、目の前にある。
ハスクは込み上げてくるものを必死で噛み殺した。アラスターの赤い目が、顔面がしわくちゃな猫の悪魔を流し見る。内心を見透かしたかのような眼差しに怒りが湧き上がった。それが音に如実に現れる。
『ニャハハハッ』
「アハハハッ」
乱れた旋律にすら楽しそうに乗りながら、苺色の二人は息ぴったりで踊っている。ホテルのメンバーが囃し立てる声に噛み付きながらも、ハスクの演奏は止まらない。
アラスターとニフティの気性を表すような自由きままなダンスは、二人が満足するまで終わらなかった。
***
久々の演奏に疲れ果てたハスクは、ようやく解放された体をラウンジのソファに投げ出した。傍らには、先まで弾き続けていた古いアコーディオン。
『それは君に返すよ』
目を細めてそう言ったアラスターを思い出す。何もかもお見通しだと言わんばかりの態度は、いつだって癪に障った。
「……どこで見付けてきたんだか」
手放した時には二度と戻ってこないと思っていたのに、今こうしてまた手元にあるなんて。ハスクは何度目かも分からない溜め息を吐いた。
こういう時は酒だ、酒。なんとか引っ掴んできた安酒の瓶を傾ける。
「アルと呼んでいるんだな」
背後から聞こえた声に、ハスクは口に流し込んだばかりの酒を吹き出す。油の切れた機械のような動きで振り返ると、ルシファーが林檎の杖をついて佇んでいた。ハスクは毛を逆立てる。
「……盗み聞きはよくありませんよ」
「聞こえたんだ。たまたま」
「それがあいつにも通じるといいですね」
ルシファーは目を泳がせた。悪いことをした自覚はあるらしい。そしてそれが、アラスターが嫌がることだということも。
ハスクはうんざりした気分で地獄の王を見上げた。
「一つ忠告しておきますがね。あいつは束縛されるのは嫌いですよ」
「……私も一つ忠告しておくがね。君とアルの会話は、傍からは夫婦のそれにしか聞こえない」
沈黙が二人に降りかかる。ハスクが横目でルシファーを見ると、口元はなんとか笑みを保っているが、蛇のような目は笑っていなかった。猫目が恐怖できゅうっと縮む。
「……ガキを育ててりゃあ、そういう会話にもなります」
「分かってる。分かってるさ」
ルシファーは溜め息混じりに言った。自分に言い聞かせるような言い方だ。なまじ子育ての経験があるから理解はできるのだろう。ただ、感情が追い付かないだけで。
付き合ったばかりの恋人にやたらと親しい男がいて、しかも一緒に育てていた子どもまでいるとなれば悋気を抱くのは理解するが、ハスクからすればたまったもんじゃない。彼は一度だって、アラスターにそういった感情を抱いたことはないのに。(だからこそハスクはアラスターから逃れられないのだが)
「……どっから聞いていたんで?」
「……君が、何かあれば頼れと言ったところから……言っておくが、客室係くんの内緒話は聞いてないぞ」
慌てた様子で付け足してくるルシファー。恐らくニフティをまだ幼い子どもだと思っている。彼女はとっくに成人しているのだが、外見と性格から幼子扱いされるのはよくあることだ。
ただ、契約の話は聞いていなかったらしい。安堵するような、惜しいと感じるような、複雑な心境だ。
聞いていれば、アラスターとルシファーの関係は破綻していただろう。だが、アラスターの首輪は外れたかもしれない。
(一挙両得とはいかねぇか)
世の中そんなに甘くはない。ハスクはガリガリと頭を掻いた。
「……私は、君が羨ましい」
ポツリと落とされた言葉にハスクはギョッと目を剥く。勝手にハスクの隣に座ったルシファーは、ホールで楽しそうに娘と踊る恋人を眺めながら続けた。
「アルと恋人になれたのは、素直に嬉しい。あの子が私へ向ける感情を愛と名付けてくれたことは、なによりの喜びだ。だが……どこか距離を感じる。全てを私に晒け出してくれた訳じゃない」
ハスクは目をぐるりと回した。付き合いの短さを考えろという呆れと、勘の鋭さへの感心が胸中で絡み合う。アラスター本人には疑問をぶつけないのもよい判断だ。
アラスターはとにかく、プライドが高い。そして自己愛に満ちている。自分と他人の境界を明確に線引し、その一線を無断で越えようとする相手を絶対に許しはしない。かなり辛抱強く信頼関係を築き、アラスターから心を開いてくれるのを待つしか、彼の内側に触れる方法はないのだ。
そういう意味では、この短期間で恋人関係にまで発展させられたルシファーはとんでもない偉業を成し遂げている。よっぽど正解の対応を取り続けたのだろう。どこぞのテレビ頭が聞いたら発狂間違いなしだ。
そんな偉大なる地獄の王は、小さな背を丸めて深刻そうに話を続けた。
「君と……あの小さな客室係くんの前では、アルはずいぶんと気安い」
「あいつは誰に対しても気安い」
「そうだが、そうじゃない。誰にも入り込めないものが、君たちの間にはある」
先のハスクの演奏中、踊ったのはアラスターとニフティだけだった。誰も三人のダンスタイムに介入することはできなかったのだ。あのチャーリーですら、ただ目を輝かせて見守るだけだった。そういった不可視の関係が、ルシファーの嫉妬心を煽る。
「……そりゃあ、あんたにも言えることでしょう」
ルシファーとチャーリーの間にも、誰にも入り込めないものがある。
あの日──ルシファーが初めてホテルにやって来た日。あんなにもルシファーに突っかかっていたアラスターが、二人が和解した途端に口も手も出さなくなった。
それと同じことだと、ハスクは言う。
「家族にまで嫉妬するのはどうかと思いますよ」
──家族
ルシファーは目を丸くした。次いで何度も小さく頷く。
「……そうか。君たちは家族なのか」
ようやく腑に落ちたらしい。ルシファーは脱力して天を仰いだ。
「……それなら私は、君に挨拶した方が良かったかな?」
「よしてください。俺はあいつの父親じゃない」
ハハッ。牙を剥き出しにして笑う地獄の王。変なところがアラスターと似ている。前々からそうだったのか、それとも一緒にい続けたから似てきたのか。それを判別できるほど、ハスクはルシファーという男を知らなかった。
──だが、これだけはやっておかなければ。
ハスクは空になった酒瓶を置いて、ルシファーに右手を差し出した。
「あいつのこと、よろしくお願いします。扱い難いやつだが、分かり易いやつでもあるんで。根気強く付き合ってやってください」
複雑な感情で彩られた猫の悪魔の顔。その瞳の奥には、確かに親愛が含まれていた。
ルシファーは面食らった顔をした後、差し出された大きな手を握る。恋人の家族からの信頼に必ず応えてみせると伝わるように、力強く。あまりの強さにハスクが苦笑した。
「さっき自分は父親じゃないと言っていなかったか?」
「ああ。あいつが息子だなんて、冗談じゃない。精々、手のかかる甥っ子ってとこです」
「客室係くんは?」
「個性的な姪っ子」
ルシファーは大口を開けて笑った。
しばらく二人で笑い合っていたら、酒瓶を両手にエンジェルが近付いてくる。
「楽しそうじゃん。何の話してんの?」
一本をハスクに投げ渡し、エンジェルは一人掛けのソファにどっかりと座り込んだ。早速新しい酒を飲むハスク。
「大したことじゃねぇよ。お前さんこそ、爆発嬢ちゃんはどうした?」
エンジェルが悪い顔でホールを指さす。そこにはチャーリーとニフティに囲まれ、半ば無理矢理ダンスに付き合わされてるチェリーの姿が。
ご愁傷さま。ハスクとエンジェルは酒瓶で乾杯した。
「……ん? アルは? どこに行った?」
さっきまでチャーリーと踊っていたアラスターの姿が、ホールのどこにも見当たらない。一気に半分ほど瓶を軽くしたエンジェルが答える。
「アラスターならお気に入りのレコード持ってくるって、さっき部屋に上がったよ」
「そうか」
いそいそと立ち上がるルシファー。お熱いことに、恋人と一時も離れていたくないらしい。
それを半目で眺めていたハスクが、お節介だと思いながらも口を出した。
「あんまりベッタリだと嫌われますよ」
ルシファーは口をへの字に曲げて、恋人の家族をじっとりと睨んだ。
「……その、“自分の方がアルをよく分かってます”って態度はやめてくれないか」
とうとう表面的な敬意すら投げ捨てたハスクは、地獄の王へ向かって堂々と中指を立てた。
***
***
ドアノブに手をかけようとした途端に扉が開いたものだから、ルシファーはたたらを踏んだ。顔面が柔らかなものに当たる。
『何してるんですか』
呆れた声が降ってくる。ルシファーより背の高い恋人が、自分の胸に飛び込んできた男を半目で見下ろしていた。
(男なのに胸が柔らかい……? あっ)
以前に見たアラスターの胸元を思い出し、ルシファーは熱くなる体を誤魔化しながや慌てて居住まいを正した。
「アルが部屋に戻ったと聞いたから、迎えに来た」
『迎えって……ただレコードを取りに来ただけです』
「知ってるさ。ただ、できる限り一緒にいたいんだ」
──駄目か?
小さな体を利用して上目遣いで見つめてくる地獄の王。慣れた様子の仕草にアラスターは片眉を跳ね上げる。
『……別に、構いませんよ』
「ありがとう」
アラスターのレコードを持っていない方の手を持ち上げ、手の甲に口付ける。途端に身を固くするアラスター。安心させるように背をゆっくり叩くと、細い体から徐々に力が抜けていく。恋人の存在に不慣れな様子はルシファーを心から喜ばせた。
「アル、愛してるよ」
『……何ですか、突然』
「何度だって言いたいんだ。君を愛してる。世界一愛してる自信がある」
愛の言葉に戸惑っていたアラスターが途端に自慢げに口角を上げる。
『私を世界で一番愛しているのは私です』
「お、おお……」
自己愛の塊な男に頷くしかないルシファー。付き合う前に散々こういった面は見てきたので、そこまで驚かない。これでめげたら恋人になんてなれないのだ。
「じゃあ、二番目……」
『二番目は母です』
「……なるほど、確かに……」
流石にアラスターを産み落とした存在にまで対抗しようとは思わない。
ならば次は父親だろうか。自分は表彰台にすら上がれないのか。ルシファーはしょぼくれる。
『だから──あなたは三番目です。自惚れないでください』
ルシファーは目を丸くしてアラスターを見上げる。
そういえば、アラスターから父親の話は一度も聞いたことがなかった。疑問が浮かび上がるが、それよりも喜びの方がよっぽど大きくてすぐに彼方へと吹き飛んだ。
──それは、実質世界一では?
それだけアラスターは、ルシファーに愛されていると実感しているということだ。自身の愛がきちんと伝わっていることが嬉しいやら恥ずかしいやらで、ルシファーの白皙の顔が緩んでいく。
「さあ、アル。早く下に降りよう。君おすすめの曲を一緒に踊ろうじゃないか」
『ええ、喜んで。ルーシィ』
恋人の細腰を抱いてご機嫌なルシファー。
その隣で一瞬、アラスターが自身の首を神経質そうに触れていたことに、浮かれきったルシファーは気付かなかった。
***
・ルシファーが迎えにくるまでのアラスター
・ハッピーエンドがビターエンドに感じられるかも
・アラスターの不自由について
──自由になりたい。
ラジオブースで一人、アラスターは我が身を抱き締め蹲って居た。口から吐き出しそうになる衝動を必死で噛み殺す。
今も一階では、ルシファーとアラスターの関係を祝うパーティが続いているだろう。ホテルメンバー総出で祝いの言葉を投げかけられ、だらしなく緩んだルシファーの顔が脳裏に浮かんだ。
──自由になりたい。
ずっとずっと願っている。首を締め付ける煩わしい枷から解放されることを。己が己であることを取り戻す日を。
その欲求は日に日に強くなっている。ルシファーとの関係が変化してからは、より一層強くなった。
──自由になりたい。
血が流れるほど唇を噛み締めるアラスターを、黒い友人が包み込む。自傷を咎めるように口に巻き付く友を、しかしアラスターは思いっきり噛み潰した。
真っ黒な友人は何も言わない。ずっと裂けた笑みを保ったまま、アラスターを抱き締めている。
『ふ……ふふ、ふ……』
──屈辱だ。こんなものを、よくも俺の首につけやがったな。
首を掻き毟る。不可視の鎖を引きちぎるかのように。土気色の皮膚が裂け、死んでもなお赤い血が流れていく。
『……今に見てろ』
契約がなんだ。鎖がなんだ。
汚辱も恥辱も屈辱も、なにもかもを飲み込んで、この身に降る災いすら糧にしてやる。
そうしていつか、望みを叶えるのだ。
『──絶対、自由になってやる』
そしたら、ホテルのことも、ハスクのことも──ルシファーのことだって。
『……ルーシィ……』
孤独に激情をやり過ごす男の姿を、影の向こうから単調な名前の誰かが見つめていた。