猫舌あかしくんの赤黒どうしてか、忘れられない日がある。
あの日は、珍しく赤司くんと二人で帰っていた。何故かはあまり覚えていない。たぶん、他の皆んなは何かしら用事があるとかで、部活後は早めに切り上げて帰って行ったのかもしれない。
もう夜に近い校舎の外は真っ暗で、風が少し冷たかったことは記憶にある。だいぶ秋も深まって、少しずつ冬への支度を始めているような、そんな気候だった。激しい運動で火照っていた身体が、じんわりと冷えていく。汗を掻いていた指先は、夕刻の気温であっという間に冷たくなってしまった。
「やっぱり、朝と夜はだいぶ冷えてきましたね」
「風邪引くなよ」
「気をつけます」
赤司くんと二人きりは珍しくて、何を話して良いのかもよくわからず、けれどなんとなく、話は途切れることなく続いていた気がする。バスケの話がほとんどだったと思うけれど、好きな本の話や、勉強の話、今朝見たニュースの話なんかもした。赤司くんは、とっつきにくそうに見えて意外と話しやすかった。姿勢良く歩く姿はぴんと背筋が伸びていて、話す様子は時事ニュースを読み上げるアナウンサーみたいに澱みなく、声も凛と澄んでいてきれいだった。とても同い年には思えない。かっこよくて、憧れで、ボクを導いてくれた、神さまみたいな人だ。
そんな人を眺めていたら、ボクのお腹が「ぐぅ」と鳴った。
「…ふっ」
「…すみません…」
「もうすぐご飯時だしね。早く帰ろうか」
「はい…」
往来だから聞こえないと思ったのに、ちょうど良いタイミングで車通りもなく、静かな夜道でその音は思ったより響いてしまった。どこかの飲食店からいい匂いが漂ってくる。それが余計におなかの虫をぐるぐると刺激した。
ふと見れば、数メートル先には青峰くんや黄瀬くんとたまに寄り道をするコンビニがあった。今まではアイスを買って帰ることが多かったけれど、季節は変わって、今では中華まんののぼりが立っている。
「赤司くん、少し寄っていきませんか」
「ふむ。寄り道は感心しないな」
「えーと…少しだけです。ほんの少し」
「ふふ。良いよ。少しだけだよ」
「はい!」
吸い込まれるようにコンビニの店内に足を踏み入れると、店の中はほっこりと温かかった。外との気温差に、やっぱり今日は寒かったんだと実感する。セールのポップが立ったレジ横の中華まんのケースを指差せば、赤司くんは物珍しげにしげしげとそれを眺めた。
「よかったら半分こしませんか?全部食べると夕飯が食べられなくなっちゃうので」
「それは良いけど…」
「何が良いですか?先週お小遣いを貰ったばかりなので、ボクが払います」
「黒子の好きなもので良いよ」
「えーっと、じゃあ…」
店員さんになかなか認識されなくて困ったけれど、赤司くんがすかさず助け舟を出してくれて何とか会計を済ませることが出来た。
店員さんがショーケースを開けると、ふわっと湯気が立ちこめる。包み紙に入ったほかほかのあんまんを受け取って外に出ると、ひやっと冷たい風が頬を撫でた。
「どうぞ。半分こです」
「ありがとう」
コンビニ脇の電柱の近くであつあつあんまんを半分に割る。手のひらサイズの片割れのあんまんを両手で持って、赤司くんはなぜかじーっとあんまんを見つめていた。ほわほわと上がる湯気が、電柱の街灯のせいできらきらと光って見える。
「赤司くん…?あんまん、すきじゃなかったですか?」
「いや…食べたことない」
「えっ」
そう言われて、あんまんと睨めっこする赤司くんの姿を観察する。そうだ。彼はおぼっちゃんだった。少し前まではマジバも行ったことがなかったと言っていたし、コンビニだってほとんど行かないだろうから、こんなレジ横で売られた中華まんなんて食べたことあるわけないだろう。高級中華の点心ならまだしも。
彼の口には合わないかもしれない。ボクがあわあわとしていたら、赤司くんはようやく決心がついたのか、ふうふうと湯気を冷まして、上品なお口でぱくりと半分のあんまんに食いついた。
「…」
「ど、どうですか…」
「甘いね」
「お口に合いませんか?」
「いや?おいしいよ」
でも、ちょっと熱いね、と言って、また赤司くんはふうふうと息を吹きかけながらあんまんに齧り付いた。その姿は、ボクが思っていた、格好良くてきれいで何でもできる神さまの赤司くんではなく、ただの同級生の、ちょっとだけ子供っぽい、普通の中学生の男子に見えたのだ。
「…何?」
「いえ…赤司くんって、かわいいんですね」
「…?意味がわからない。黒子のほうがかわいいだろう」
「えっ!?」
「よく黄瀬や桃井からも言われてるじゃないか。黒子はかわいいって」
「ああ…。いや、かわいくないです。ボクだってかっこいいって言わせてみせますよ」
「ふふっ…」
「笑わないでください」
その日食べたあんまんは、今まで食べていたものと同じなはずなのに、とても美味しく感じられた。あまくて、ふわふわで、ふかふかのお布団みたいだった。
二つぶんの湯気がふわりと夜の街灯に反射している。彼を、初めてかわいいと思ったその日から、もしかしたらこの想いは始まっていたのかもしれない。
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秋も深まる、十月下旬。
例年よりも暖かさは残るものの、夜になるとやっぱりだいぶ冷えた。暗い夜道を歩いた先に、コンビニの明かりがぴかぴかと灯っている。
「赤司くん、久しぶりにあれ食べませんか」
あれ、とボクが指差したのぼりを見て、赤司くんは良いよと言って笑った。二人してコンビニの自動ドアをくぐる。
相変わらず店員さんに認識されない。そうしたら赤司くんが颯爽とボクの前に出て注文してくれた。会計は電子マネーで。こんなすらっとしたイケメンが中華まん一つだけを注文するなんて、チグハグに見えて仕方ないのに、バイトと思われる若い女の子は目をほとんどハートにしながらあんまんを包み紙に包んでいる。なんだか面白くない。
「はい、半分こ」
きれいに二つに分かれたあんまんの半分を、赤司くんはボクに渡した。ありがとうございます、と受け取って、ほかほかのあんこにかぶりつく。甘めのこしあんがふかふかの皮にくるまっていて美味しい。もぐもぐとボクが食べ進めている間にも、赤司くんはもう半分のあんまんを持ったままにこやかにボクを眺めているだけだった。
「ふふ。食べないんですか」
「食べるよ」
「そんなに熱くないですよ」
「わかってる」
そう言うと、歯並びのいいきれいな口を控えめに開けて、ぱく、と赤司くんはあんまんを齧った。はふはふと浮かぶ湯気はだいぶうすくなっている。
「甘いね」
「甘くて美味しいですよね」
「うん」
「中学の頃を思い出します」
「ああ、あったね。一緒に寄り道したこと」
「あの時、赤司くんのことを初めてかわいいと思いました」
「ふぅん。今は?」
「今もかわいいって思ってますよ」
猫舌なところも、本当は寒いのが苦手なところもかわいいし、けれど昔と変わらず、凛と背筋を伸ばして、誰よりもひたむきに努力して人の上に立つ姿は、世界で一番かっこいいとも思う。彼のかわいいところも、かっこいいところも、中学生のあの頃と比べたら、今では溢れるくらいたくさん言える。「かわいい」と言われて、微妙な表情をするその顔もかわいい。
「帰りましょうか。今日は冷えるので夜はおでんにします」
「いいね。帰ろうか」
たまには特別サービスで、ふうふうしておでんを食べさせてあげてもいいでしょう。もうすぐ、キミと過ごす何度目かの冬がやってくる。