誕生日八月六日の太陽が彼の白い肌を焼いた。
オーエンは草むらに転がった制帽を拾うことも、日陰に移動することもせず、只、地面に倒れた魔物の跡を眺めていた。草花が生い茂る中、そこだけ不自然に凹んでいる。なぎ倒された植物は座り込んだ彼を表情ない顔で見ていた。
彼は死んだ魔物に同情しているわけでも、折れた草花に謝意を感じているわけでもなかった。只、過去の光景と現在を重ね合わせ、選択した己の行動について考えていた。
その回想が10回を超えた頃、彼は他の魔法使いの気配を感じとった。
────さいあく、何で帰ってきたんだよ。
制帽を回収し、この場から立ち去ろうとする。しかし、口から出たのは、呪文ではなく血だった。無理もない。彼の腹は穴があき、両腕は肘から下が無くなっていた。傷口から血液が止めどなく溢れ、緑の上に赤い水溜まりができる。赤い水面は太陽を照り返し輝いていた。
間もないうちに「オーエン、いるんだろー」という大きな声が森に響いた。
オーエンはウンザリとした。死にかけた姿で話したくも会いたくもなかった。───いっそのこと死んでやろうか、と彼は考えた。だが、意識ない体を好き勝手され、我慢できるような魔法使いでは無かった。
彼は目を閉じた。苦肉の策だが、1つ芝居を打つことにしたのだ。
「ッ……オーエン!!大丈夫か!!」
直後、大きな足音と声が、彼の鼓膜を突き抜けた。駆け寄った男、カインは血まみれの身体を抱きかかえた。
「……う……さい」
彼は早々に芝居を打ち切った。その必死な呼び掛けに、つい答えてしまったのだ。
「よかった!……生きてる!」
男が息を吐く。
太陽が男の髪を燃えるような色に。瞳を蜂蜜と光を溶かして混ぜたような色に見せる。
────そんなに慌てて馬鹿みたい、と彼はおもった。
とても眩しく。目を細めずにいられなかった。
「今すぐフィガロの所に……」
男がそう言うと、彼は鋭い目付きで睨んだ。
「……わかったよ。フィガロは絶対に嫌なんだな」
男は彼の意図を正しく読み取ると「口を開けてくれ」と魔法で生成したシュガーを差し出した。
「……」
彼は顔をそむけた。北の魔法使いである彼にとって、他者から援護を受けることは屈辱でしかなかった。
「……なぁ、俺、今日、誕生日なんだ。だから今日だけ、今日だけの俺のお願いを聞いてくれないか?」
しかし、男は彼の"生"を諦めなかった。仲間が死ぬ姿はもう二度と見たくない。その思いが、岩のように砕けぬ男の意思を形成していた。
「…………」
オーエンはゆっくり顔を正面に戻し、口を小さく開いた。男の力を借りたくなかったが、男の前で死にたくもなかった。それ故、お願いを聞いてやってもいいだろう、という気になったのだ。
「ありがとう。最高の誕生日プレゼントだ」
男はそう言って笑うと、シュガーを血が付いた唇にあてた。
◆◇◇◆
カインは魔法で作ったシュガーをオーエンに与え続けた。そのかいがあり、オーエンの体はみるみると回復していった。その再生力は驚異的なもので、数分後には臓器・骨が完全に再形成されていた。
「…………お前が倒した魔物……アイツの石、食べたの」
オーエンは窪んだ野原を眺めながらそう尋ねた。
「いや、魔法舎に寄付したよ。エレベーター用に」
「ハハッ……かわいそうに。おまえが生まれた日におまえが奪った命は、もっと生きたかっただろうね。もしかしたら、子供がいたかもしれない。今頃、そいつらは他の魔物に喰われているかもよ」
彼は意地が悪い言葉を吐いた。カインが石を食べなかったことに苛立ちを感じ、同時に妙な安堵感も覚えていた。
「何回も言ってるが、俺の行動には目的がある。だから、おまえの言葉に惑わされないし、後悔もしない。それに、俺は騎士だ。目的のために命を奪う覚悟は出来ている」
「おまえ、呆れるくらい詰まらないね。いつか、王子様にも民衆にも捨てられちゃうんじゃないの。僕に負けた時みたいにさ」
「俺は捨てられてなんかない。全く、怪我人なのに、よく喋る奴だな」
カインはそう言うと、1粒づつ彼の口に入れていたシュガーを一度に4・5粒も口の中へ放り込んだ。彼は必然と黙る以外の選択肢がなくなり、自然とこの話は終わってしまった。
二人はそのまま黙り出す。
「……ミスラがオーエンなら森にいるって教えてくれたんだ。俺と双子先生がこの場所を離れた後、アイツと喧嘩したのか?」
沈黙を破ったのは、カインの方だった。
「……ブラッドリーもいた。アイツがいなかったら、もっと上手くやれた」
「珍しいな。おまえが2人とも相手にするなんて。ブラッドリーがミスラについたら、勝ち目がないだろ」
《ガリッ》
オーエンは男の指に噛み付いた。
彼だって、自分に勝ち目が無いことを初めから分かっていた。だからこそ、魔力が底尽きるまで、戦闘を続けた自分が分からなかった。
「イテッ!……今のは俺が悪かったよ。よっぽど、許せないことを言われたり、されたりしたんだよな……?」
男は噛まれた指を引き抜かなかった。まるで手負いの獣を相手にするように、 彼が怒った理由を冷静に考え、痛みを受け入れた。
「…………そうなの?」
対照的に彼は素頓狂な調子だった。
「え?俺に聞かれても」
「は?おまえが言ったんだろ」
「それは、想像して言っただけで……でも、勝ち目のない勝負を態々する理由なんて、それ以外にあるか?」
「…………ないかも」
彼はそう言うと、呆然とした顔で男を見つめた。
「……、どうした?」
「……べつに」
「ははっ、変なやつだな」
男が屈託のない顔で笑う。
「……」
オーエンは不貞腐れたように目を逸らした。────おまえに言われたくない、という文句が浮かぶ。しかし、彼は口に出さなかった。
「……ねぇ、何で僕を探しにきたの」
変わりに、そう尋ねる。
「あっ!そうだった。おまえにプレゼントを渡しに来たんだよ」
男は本来の目的を忘れていたようで、慌てた様子で小さな箱を取り出した。
「は?」
彼の細長い瞳孔が丸く形を変える。それもそのはずで、2人は互いにプレゼントを受け渡しするような関係性ではなかった。
「あの後、買い出しで中央の市場に行ったんだ。そしたら、おまえにも何か返したくなってきてさ。だから、甘いものを買ってきたんだ」
男は簡単に経緯を説明すると、まだ自力で動かせない彼の右手に箱を持たせた。
「は?返す?何を」
「まぁ、お礼というか。ほら、誕生日って色んな人から沢山の幸せを貰うから、逆に返したくならないか?」
「は?全然。意味が分かんない。というか、おまえ、僕に感謝してるの?目玉も奪われ、殺されかけたくせに?頭おかしいんじゃないの?」
「その点に関しては感謝してない!あと、直ぐに意地が悪いことをいう所も」
「じゃあ、何「あっ!今、何時だ!?」
突然、男が弾かれたように大きな声を上げた。掻き消した声に彼は不満げに眉を顰めた。しかし、男はそれに気付かず、ゴソゴソと懐をあさり始めた。
「……人の話を聞「嘘だろ!?もうこんな時間なのか!?この後、中央の魔法使いたちに料理を振る舞う予定なんだ!」
男は取り出した懐中時計の針の位置を確認すると、慌てて立ち上がった。
「は?どうだって「オーエン!怪我は……もう大丈夫そうだな!よし、俺は行くよ!」
男は彼の腹と腕の状態を確認すると、箒を呼び出した。
「は?ちょっと、「ありがとう、オーエン!」
彼は男を引き留めようと声をあげた。しかし、男には聞こえなかったようで、箒に跨り空を飛ぶ準備を始めた。そして、「ドラゴネージュを倒せたのはおまえのお陰だ!」という大きな声を残して、アッサリと太陽の方向へ消えてしまった。
「………………は?」
男は一連の出来事に呆気に取られていた。夏の嵐が去った後のような静けさだけが此処に残る。右手に持たされた小さな箱には、小ぶりな淡紫の花が描かれていた。
◆◇◇◆
epilogue
八月六日の太陽が彼の白い肌を焼いた。
オーエンは草むらに転がった制帽を拾うことも、日陰に移動することもせず、只、男が居た形跡を眺めていた。草花が生い茂る中、不自然に凹んでいる。なぎ倒された植物は表情ない顔で彼を見ていた。
彼は立ち去った男に怒りを感じているわけでも、折れた草花に謝意を感じているわけでもなかった。只、男に言われた言葉を繰り返し再生し、発言の意図について考えていた。
────さいあく、何でよりもよって身に覚えのないことで感謝されないといけないんだ。
制帽を回収し、この場から立ち去ろうとする。しかし、唱えた呪文は発動することなく消えた。無理もない。回復した魔力は、優先して体の再生に割り当てていた。
座り込んでいた時間の経過を示すように、血液の水溜まりは小さくなっていた。蒸発して大気に広がったか、土へ染み込んだのだ。彼の血はこの森の養分となるだろう。