おじゃま虫/百々秀 風呂から上がり、リビングに行くとテレビの大画面には秀がよく遊んでいるゲームの映像が映し出されていた。百々人は隣にあるキッチンに戻り、冷蔵庫を開けて、一人分のコップを用意し、冷やされた麦茶を注ぐ。
テレビの向かいに配置したソファの横に行くと、背もたれに体を預けてゲームのコントローラーを握っている秀の姿がようやく見えた。百々人を見やる横目と目があうと、お帰りなさい、と短い言葉をかけられ、目線はすぐにテレビ画面に戻される。
「あれ?しゅーくん、なんかいつもと雰囲気違う?」
百々人は秀の隣に座り、いつもより何処となく大人びて見えた秀にそう問いかける。
ゲームが丁度いいところで終わった秀はコントローラーを膝の上に置き、これですか?と言ってかけていた黒縁のメガネを指差す。
シンプルで真っ黒なフレームは、似合ってはいるが、顔の小さな彼には少し大きすぎるように見えた。
「これ、ブルーライトカットのやつなんです」
こう見えて度は入ってないんですよ、と続ける秀に、そういえば最近よく見かけるよね、と百々人は頷く。
ブルーライトとは一般的にパソコンやスマートフォンなどのデジタル機器から発せられる青を含む光の一種である。また、夜にスマートフォンなどを使用することで、ブルーライトとを取り込むと、睡眠妨害や自律神経の乱れなどを招く原因の一つになると言われている。
数年前より、パソコンやスマートフォンを日常的に使用する世代の人々を中心に、ブルーライトカットを謳う商品には注目が集まっていた。
近年ではブルーライトカット眼鏡に、効果や意味はないという研究結果も出ているという話があるものの、その様な商品を巷でよく見かけることに変わりはなかった。
「貰った物なんでせっかくだから使おうかと思って」
『貰った物』という秀の言葉に、百々人はコップに伸ばしかけた手を止める。
「・・・それって、誰から貰ったの?」
「中学の時の先輩ですけど、全然使ってなかったのを急に思い出して」
宝の持ち腐れですよね、と秀は笑う。
そうだね、と百々人は柔らかな口調で微笑みながらも、内心は少し嫉妬していた。
いつもと変わらない、いつもの「しゅーくん」。それなのに、いつもと何処か違っていて、自分の知らない彼を見ているようで、百々人は少し複雑な感情だった。
おまけにそのいつもと違う要素を生み出しているメガネは自分の知らない他人からの贈り物だと聞かされた。
これはどうにも虫の居どころがよくない。百々人にとってそのメガネは自分と秀との間を隔てる障壁の様に感じられて、もはやただの邪魔者でしかなかった。
「ねぇ、それ取ってよ」
百々人は囁くような声で秀に話しかける。
既にゲームを再開していた秀は、ゲームの音が大きくうまく聞き取れなかったのか、何ですか?と目線をテレビ画面に向けたまま聞き返す。
「メガネ、外して欲しい」
「あー、ちょっと待ってください」
今度はもう少し大きな声で話しかけてみたが、ゲームが今まさに丁度いいところだった秀には、百々人に構っている暇などなかった。
「・・・やだ、キスしたい」
秀の視界は急に反転し、よく見慣れた男の整った顔と、背後の真っ白な壁面で埋め尽くされた。その彼は頬を膨らませてまるで不貞腐れた子供のような表情をしいた。
同時に、ボスンという音と共に秀が握っていたゲームのコントローラーがソファの上に落ちたのが横目に見え、自分がソファに押し倒された事を理解する。
「あっ、いつものしゅーくんだ」
百々人は秀のメガネをゆっくりと外して、無邪気に笑う。
秀は百々人越しに天井の白を見つめて少し考える。
視界の隅では、「GAME OVER」という赤い文字がテレビ画面に映されているのが見えた。
ゲームを中断されたことも、強引に押し倒されたことも、怒る気力がなくなって、むしろどうでもよくなってしまった。
「先輩、キスはしてくれないんですか?」
秀が百々人にそう問いかけると、百々人はまた不貞腐れたような表情を見せた。
「する」
即答された答えに秀は笑う。本当に子供みたいな人だな、と。