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    あそこ

    スズ🍠

    DONE★水都史実二次。人を選ぶ要素含むので前書き確認PLZ
    ☆ENJ度3/5

    アダムシャール、神功戲にも出てくるけど可愛くて気に入ってる。ドイツ人です。
    天主堂の場所は「魔鬼之家」にでてくるあそこです。リッチが建てた当時は中国風建築だったらしいけど。(シャールが西洋風の教会を建てたのは清代のこと)
    橄欖之苑 第九幕順天府は三重の城壁によって囲まれている。
    中心にあるのはむろん天子の住まう紫禁城の壁、その外側には宮城を守る皇城の壁、さらにその外にあるのが、街と外界を隔てる外郭だ。それは上空から見ると凸字状をしており、永楽の御代に元朝の大都城の城壁を改築した内城を基礎として、さらに今から百年ほど前には、韃靼(モンゴル)の脅威に備えその南に横長の外城が拡張された。外城の中は、主に庶民の生活空間になっている。

    驚いたことに、その場所は内城の南西に設けられた宣武門の内側、宮城にごく近い所にあった。その区域に近づくと、門の麓に広がる灰色の家並みの上から、細長い塔のようなものが突き出ているのに気づいた。鋭角の三角屋根を持つ、中華では見慣れない様式の建築。よく見ると、頂点には金属製の十字架が据えられている。天主教の象徴、それくらいの知識はあった。
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    mayura_BL

    PAST嘘を吐くと閻魔さまに舌を抜かれてしまうんですよ。
    (反省文以上)
    はい。長曾我部緑ルート後の石田と長曾我部についてでした。
    あそこで長曾我部に生かされたところで、その後の毛利含めて西軍の全ての責を負わなければならないのはどう足掻いても石田だよなあ、と思った末の小話でした。でも家康は敢えては三成を処断したくないし、このルートはその「敢えて」の理由付けとして長曾我部がいる、と主張するでしょうがしかし。
    大将首 俺の預かりとなった石田は、思っていたよりも(というか、家康に聞いていたよりも)ずっと真っ当に俺の城で過ごしていた。船に上げておくのは流石に非礼に当たると思ったし、そもそも船はもうほとんど必要なかった。

    「馳走になった」
    「おう」

     石田は確りと箸を置き、手を合わせると、上座の俺に一瞥をくれて一言言った。俺が扇子の音を一つ立てると、女中が全て食べ尽くされた膳を下げる。それに礼を取る素振りを見せないあたりが、コイツのひどく手慣れたところで、同時に周囲に無駄な気を遣わせないことだった。
     上に立つ者としての心得をほとんど間違いなく備えており、同時に上に立つ者に仕える者としての心得も備えている、有能というよりは、奇妙な男だった。
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