春空に、無数のシャボン玉が舞っている。
だだっ広い芝生の上では、小学校に上がるくらいの年頃の子供が何人も、空に虹色を飛ばしている。シャボン玉なんて、と最初はバカにしていたのだが、あたりいっぱいに飛ばしているうちになんだか面白くなってしまったらしい。今は大きく頬を膨らませて意気盛んだ。
「君は遊ばないの?」
ホークスは、彼らからちょっと離れた芝生に座る子供の隣で屈みこむ。
今日の彼の姿は、羽をパーカー下に畳んでキャップを被った休日スタイル。身分を保証するものは掲げていない。もっとも、例え羽が見えていても、近年裏方に回りがちな彼をこの年頃の子供がヒーローと認識するかは怪しいところだ。
鳥型の少年だった。タイプとしては嘴長めの鴉寄り。ホークスの身内とは色味以外はあまり似ていない。そんな少年は、ホークスの馴れ馴れしくもなければ畏まるでもない、あまりに自然な態度に、答えを返して当然だと思わされたようだった。そう仕向けているのはホークスだが、育成環境由来のこの特技には当人も「適性・人さらいって感じだよなぁ」と思っている。
「…………いい。つまんないし」
「はは、シャボン玉って年でもないか。周りのコたちも、やってるうちになんか盛り上がっちゃったーって感じだけど」
否定も肯定もせずに待つホークスに、少年はやがて、ストロー、と小さく零した。
「まっすぐくわえられないの、変だって言われた」
ホークスは、所謂人型の子どもばかりの一帯を見渡した。残念ながら、こういう予想はあまり外れてくれたことがない。
「何も変なこたないけどねぇ。うちのだって、ストローくわえるなら横からだ」
「……そうなの?」
「うん、世界一カッコイイ嘴もち」
「……光栄だが、その称賛の後にどんな無理難題が待ち構えているのかと不安になるな」
ホークスの上から、黒い猛禽の顔かたちをした青年が影を被せる。業務外で捕らえた強盗犯を現地に引き渡してきた相棒がご到着だ。最近はホークスがしゃしゃり出ると話が大きくなりすぎるので、始末を相方に任せてしまった。
俺だって褒めるときは褒めるでしょー? と軽口を叩くホークスの隣で、呆然としていた少年の目が段々見開かれていく。そろそろ落っこちちゃわない? と心配になったあたりで、押さえた歓声が口から漏れた。
「ツクヨミ……」
「いかにも。騒ぎにならないよう配慮頂いて、とても有難い」
子ども相手に全くブレない物言いだが、漆黒ヒーローが「子ども向けの」受け答えなどしたらファンは確実にがっかりするだろう。
常闇は、基本的に顔をさらしてオフを過ごす。曰く、異形でない人々にはシンプルな鳥型が区別しづらい、とのことだが、どうも的を射た所見らしく、コスチュームを脱いだ彼に突撃してきた猛者は数えるほどだ。
だが同じ鳥型の少年なら話は別。ましてや、こうして他人と自分の違いに直面する年頃の子にとって、ツクヨミというヒーローは特別だ。そのあたり、ホークスは「ま、最終的に常闇君が出てくれば変質者扱いはされないでしょ」という目算もあって彼に声をかけている。
少年から事情を聞いた常闇はあたりを見回し、その足元に目を留める。視線を追うと、皆に配られたものなのか、色とりどりの針金モールで口を縛られた、手作りらしき焼き菓子の袋が三つ転がっていた。
「失礼。そちらを借りられるだろうか。……いや、中身ではなく留め具の方を」
ちょっとした工作の始まりだ。
針金の通ったモールを繋いで、両手の親指と人差し指を繋いだ程度の円を作る。深皿がいるな、と呟いた常闇は、内からひょいっと相棒を覗かせた。ライトアップされた宝石もかくやに目を輝かせる少年を横目に、黒影は常闇の影に隠れて楽しげだ。
「オレ出テキテイーノカヨー、仕事ジャナインダロー?」
「少年少女を笑顔にする、というのは、ヒーローの第一の責務ではないかと思う」
「うんうん、そういうのしれっと出てくるようになったよねぇ、君」
「この舌先三寸は貴方の教えだな……いや本っ当に貴方の教えだな……」
黒影の大きな手にシャボン液を移して、常闇はモールをそこに潜らせた。シャボン液を張った輪を青空に振ると、口で吹くより大分大きな、そして長く伸びたシャボン玉が、ふるふると空に飛び立っていく。
どうだろうか、と常闇が即席の道具を差し出すと、少年はぶんぶんと大きく頷いて、宝物のようにそれを受け取った。彼の心を鷲掴みにしたのは、大ファンのヒーローお手製という事実と、贅沢すぎる深皿の方だったかもしれないが、ともあれその顔に満面の笑みが浮かんだのは間違いない。
気がつけば、彼の嘴に難癖をつけたらしい子どもたちが、羨ましそうにホークスたちを取り囲んでいた。どうしよう、というように、少年が常闇を見上げる。ふっと赤い目が柔らかく細められた。
「……たくさん繋げば、もっと大きなシャボン玉ができるのでは?」
歓声をあげる子どもたちの半歩後ろで、やや気まずそうにしている子どもが一人。ホークスは、その肩をポンっと叩いて話しかけた。
◇
諍いが嘘だったように遊びだした子どもたちに手を振って、彼らはのんびりと歩きだした。
「お手柄」
「寂しそうな子ども一人見過ごせない貴方も、よくよくと思う」
「あんなんよく知ってたねぇ」
「子どもの頃、似たようなことがあったからな」
俺たちは大概コップやストローに躓くものだ、と、嘴を指して彼は苦笑いする。
「あの年頃なら、姿かたちをあげつらうのは悪しと分かっている。悪いを悪いというのは大事だが……それだけでは解決しないことも多かろう。俺の場合も、忘れたころになって非礼に詫びをもらったんだ」
「……イイ子だね」
「ああ。己の非を正しく認めるのは、年を重ねた人間にだって、難しいことだ」
「受け入れた君が、だよ」
見上げれば、春の水気にけむった少し眠たげな青。境の曖昧な空に虹色が舞う。こうしてのんびり眺めると、なかなか悪くない風景だ。
ホークス自身にシャボン玉遊びの経験はなく、というかその手の遊びの大体を通過していない。当人の忌憚のない所感としては「子供たちに機会を保証してあげたいのはともかくとして『ああいう経験がないなんて!』と迫られるのは巨大な世話だ」といった辺りになる。
だから常闇を弟子に選んだというわけではないのだが、人と人とが違うことをよく知る彼は、ホークスにとって実に楽な相手だった。
「シャボン玉ってさぁ」
「ああ」
「凍らせるとキレイらしいよね」
「冬によく動画が上がるな。内部で氷の結晶が舞う様が、幻想的だ」
「零下何度だっけ。冬に北に向かって一飛びできれば、国内で余裕だったはずなんだけどなー……」
一飛び、というのは別に誇張ではなく、ホークスはその任務において、自分の翼で日本列島を縦断したことが数回ある。とはいえ、私的な理由で許可の降りるわけもなし、それ以前に今の彼の立場では普通の旅行すら夢のまた夢だ。
隣で常闇がクスリと笑った。
「どしたの?」
「いや、……この世には、翼があるのに縛られることを嘆く人間と、『翼があるのだから絶対自力でそこに行ってやる』と決める人間がいて、あなたは間違いなく後者だな、と」
そういうところが好ましい、と思っただけだ。
歩みを進めながら、ホークスはしばらく首を傾がせていた。
「なんで俺、急に告白されたの?」
「さほど珍しいことだろうか」
「ああ、うん、珍しくはない。……そうか、そっちに驚くべきだな俺は……」
◇
そんな風に休暇を満喫してから一年も経たない内に、二人はその機動力から北海道の調査に抜擢され、北限の雪上でシャボン玉を凍らせてみるという試みは意外にあっさり実現した。「ジーニストさん、シャボン玉ってマジで凍ります」という怪文書が既読スルーされなかったのは、たぶん常闇が一緒に写っていたからだろう。
「オーロラってさー。生で見たらキレイだろーねー」
一面の白に、ふと思いついて呟いてみる。そうだな、と隣の常闇は頷いた。
案外、実現するかもしれない。