水桶につっこんでおいた夜食の皿と、朝食に使った皿。二人分がにぎやかに食洗に洗われている。余計なものの退いた明るいオープンキッチンで、常闇は二杯目のコーヒーをカップに注いだ。
朝食中に一杯、食後に一杯、二人あわせて計四杯。豆の量はそろそろ手に馴染みつつあるが、彼ら師弟が揃って食後にのんびりできる機会は多くないため、ルーティーンとはまだ呼びづらい。
常闇が二つのカップを手に向かうのは、ホークスの休むソファだ。アームレストは無垢板で、ちょっとしたテーブル代わりにも使える。その定位置に、常闇はソーサーをかちゃりと置いた。
カップソーサーを「無駄じゃない?」の一言で片付けそうなホークスだが、意外なことにこのカップは彼が選んだものだ。肉厚でぽってりとしており、つるりとした釉薬の下から素朴な土の質感を覗かせる。その風合いを「古良き名喫茶って感じで、君っぽい」とホークスは喜び、カップは今日まで二人に愛用され続けている。探し始めてからお気に入りに決断するまでの所要時間がものの十分程度だった、という点については、実に彼らしいエピソードと言えるだろう。
端末片手に何やらうんうんと思案していたホークスは、一拍遅れて顔をあげた。
「ああ、ありがと。そだ、買い物の相談いい?」
なんだろうか、と常闇は端末を覗きこむ。ドドンと彼を迎え撃ったのは、アダルトグッズの専売サイトだった。
カップをひっくり返さなくて本当に良かった。
◇
「……念のため確認しておきたいのだが」
「どーぞ」
「もし、俺に改善すべきことがあるなら、遠慮なく言って欲しい」
「ん? ないよ。てか、言いたいことありゃ言ってる。そういうんじゃなくてさ、前立腺でーってのが今一しっくりこないんだよねぇ」
ホークスの言葉の通り、画面に表示されているのは、所謂メスイキなるものを目標に掲げた前立腺開発器具だった。
「『この感じかー!』ってもっと気持ち良くなれるんなら、試した方が建設的でしょ。君だって俺の反応イイ方が楽しくない?」
しばし考え込み、常闇は差当たり、カップをローテーブルに移動させることにした。端末の上で顔を突き合わせてああだこうだやっていたら、うっかり肘で跳ねたりするかもしれない。ついでに、自分も回り込んでソファに腰掛ける。
「……俺はあなたの物事をより良くしようとするところ、進歩前進を信条とするところを大変好いているし」
「ありがと」
「今このときも、例外ではない」
明日は「もっと」良い方がいい、と顔を上げる欲張りがホークスという人間だ。そういうのとこれは並べて論じる話かマジか、という話もあるが、そこで有無を言わせず並べてのけるからこそホークスなのだ。
そんな師の表情が、常闇の前でふとほころんだ。
「そう。俺も、君のそうやってちゃんと考えるところが凄く好きだよ」
軽々しくはないが軽やかに、鳥が囀るように彼はそう言った。
その気になれば情熱的に囁くことも、その他あらゆる演出を自在にこなす人だろう。ホークスの声がこういう風に響くことこそが、常闇の幸福だ。
とはいえ、そういう感慨に浸るには、今回は話題がどうにも生臭かった。そんでねー、と改めて画面を指し示されるとやっぱり少々頭が痛い。
「『開発にはパートナーに付き合ってもらうといい』みたいなこと書いてあんだけど、どうよそれって。暇じゃない? 見てるだけのほ」
「そんなことはないと思うが」
被せてしまった。
高額賞金のかかった早押しクイズでもなければまず見ない、と常闇自身も思うような食いつきだった。
ん? とホークスは首をひねる。常闇は無言で目を逸らす。
「いや下手すりゃ『これがそうかなー分っかんないなー』って悩んでるのに付き合うだけになるっしょ。興味ある?」
「……あるが」
「首尾よーく俺がキモチヨクなっても、君の方はせいぜいちょっかい出すくらいなわけでさ。そんでも?」
「…………あるが」
常闇はめちゃくちゃ目を逸らし続けている。ホークスは、口元が吊り上がるのを押さえてぷるぷると曰く言い難い表情をしている。
「興味、あるんだー?」
「……………………あるが?」
あっはっはっはっはっはと笑いが響く。とうとう堪えきれなくなったらしいホークスは、常闇の肩をべっしんべっしん叩いて呼吸困難だ。人の純情だか煩悩だかをどうしてくれる。打楽器に甘んじる常闇は内心涙目だ。
やっとで発作を収めて、ホークスはまだ笑いの残った声のまま目尻の涙をぬぐう。
「……オーケー分かった。つまり、なんも問題ないわけね」
届いたらヨロシクオネガイシマス、と片目をつむって、彼はあっさりと購入決定ボタンをタップした。