フォウイレまぶしさに目を開けると、太陽はもう見える位置に昇っていた。
ぐぐ、と腕を伸ばして伸びをする。隣の人物は、まだ猫のように丸まったまま動かない。上下する白い肩をしばらく見つめる。息を見つめながら、息を止めてしまう。
フォウが目覚める心配は全くないけれど、染みついたクセで気配を殺して床に降りる。ぺたぺたと傾いた洗面台まで歩いたら、顔が半分しか映らない鏡へ向かってあくびをひとつ。これでも、この家の家具では原型をとどめているほうだ。
蛇口をひねる。まだ水は出る。歯ブラシを口につっこんで踵を返す。ベッドへ向かうまでの間にあるへこんだラジカセは、バンバンと大きく叩くとどこからか電波を拾って起動する。
今朝は、知らない言語の知らない歌だ。
ぼんやりと海を眺めて聴き流す。フォウの選んだこの家からは、海と空がよく見えた。
数ヶ月留守にしている間に、頼んでもいない窓の拡張工事が終わったらしい。リビングから寝室までの屋根が半壊し、ぽっかり吹き抜けになっている。他を探すか?と振り返ったものの、電気ガス水道が生きていて、雨の少ない地域であったことがプラスになったらしい。「しばらくはここでいいでしょう、どうせ数日後には移動しますし」と、細かいことを意外と気にしないフォウはさっさとシーツの上の瓦礫を払い始めていた。まあ、フォウが言うならそれでいい。
遮るものを失った半野宿はだいぶまぶしい目覚めになるのでは、と思ったけれど、崩れた屋根と太陽の角度がうまいことやっているようだ。まるで線を引いたように、フォウの眠っている場所はまだ夜に沈んでいる。シャコシャコとブラシを動かす。動かないものを見ているのは退屈だと思っていたけれど、フォウだけは特別だ。一時間、半日、一生だってその姿を眺めていられる。たとえ彼が、もう二度と目覚めなかったとしても。
とはいえ、それはオレ自身が許さない。
フォウのためにできることは、すべて用意しておきたかった。
やる気のない洗面台で口をすすぐと、キッチンへ向かう。確かこのあたりにと床板をどかすと、前回備蓄した缶詰がそっくりそのまま残っていた。食べられるかどうかは、自分が毒味役になればいい。
携帯していたパンをナイフで裂いて、缶詰の肉を挟んで頬張った。たいして美味くはない、けれど食べられないことはない。
ならば、と荷物の中からチーズとマスタードも用意した。サンドイッチを口に咥えたまま、食器とカトラリーを水で洗う。こういうものが、フォウの食事には必要だと感じていた。彼に命じられたわけじゃない、オレがふさわしいと思っているだけだ。
まだ無事な椅子とテーブルを、陽の当たる元へと引っ張ってくる。
キラキラと降りそそぐ天然のスポットライトの下に、君がたたずむ姿が見たいから。
悲鳴のようなアラームがけたたましく鳴り響いて、イレヴンはふと顔を上げた。死人が蘇るくらいの緩慢さで、白い腕がベッドヘッドを漁っている。硬いパンを飲みこんだ。
「おはよう、フォウ」
「……」
どうやら気分は上々らしい。半ば這うみたいにシーツの海から抜け出したフォウは、べたっ、べたっと一歩一歩踏みしめるように近づいてくる。思わず手を差し伸べたくなる光景だが、焦ってはいけない。肩を支えたが最後、「そこまでジジイじゃありませんよ」とピシャッと拒絶を食らってしまう。
ジッと、耐える。彼がテーブルに到達するまで。
ここはフォウ限定高級店だから、うつむいたまま机の縁に手をついた彼のために椅子くらいは引かせてもらうけれど。
「……」
今朝のメニューは、パサパサのライ麦パンに残っていた缶詰の肉とチーズを挟んだものです。
大人しく席に着いたフォウは、シェフのおすすめをなんの感慨も浮かばない瞳で一瞥する。並んだナイフやフォークはそのままに、雑に手で掴んだサンドイッチにあぐっと一口かぶりついた。
頬にマスタードをつけたまま、フォウの両目に光が宿る。
ゆったりと背もたれにもたれ直し、親指の腹で唇を拭ったかと思うと、くるりとフォークを回してみせる。
「……」
未だ、言葉は発されないまま。
しかしたしかに役者のスイッチが入ったのだと、イレヴンは胸を高鳴らせる。どんなフォウでも美しいけれど、やはり、凛と佇む姿は格別なので。
「……コーヒーが欲しいですね」
仰せのままに、お客様。
スポットライトを浴びる貴方のために、どんな舞台も整えてみせましょう。