ちょはん 300万円編 作戦会議が飲み会になって数時間経っていた。選挙300万円をどうやって調達するか。おおよその方向性が見えたところで、足立さんが「ビールでも飲みながら考えようぜ!」と冷蔵庫から6缶パックを2つ取り出して全てが終わった。
ハン・ジュンギと共にサバイバーで寝泊まりすることを許可してもらった昨日の夜、乙姫ランドでひと悶着あり全員疲れ果てていた。今日は今日で、選挙の供託金は春日一番御一行が準備する流れに決まった。出来ることからやっていこう、と昼はバイトヒーローの依頼で走り回ったものの、そう簡単にまとまった金額が用意できる訳がなかった。
そこで“とりあえず”サバイバーで作戦会議という名の飲み会が始まったというわけである。昨日し損ねた俺の歓迎会を兼ねているつもりらしい。気持ちはありがたいが、これでも一応病み上がりである。心身ともにそれなりにダメージは残っていた。今、酒を入れると変な酔い方をする気がして躊躇している。
昨日の日中、ここサバイバーのマスターから「もし、酒盛りが始まったら何か理由を付けて離れた方がいいぞ」と忠告されていたが、正直たかをくくっていた。予想というのはいつも超えられるべくしてあるものである。
開始早々にナンバが寝落ちたタイミングで「俺歓迎されると思ってなくてさ……感動しちゃったよ。ちょっと、コンビニで全員分スイーツ買ってくる!もちろん驕りで!!」と宣言して抜け出した。
ロールケーキが食べたい、高い酒が飲みたい、ポテチが食べたいというリクエストに「任せなよぉ!」と良い顔をして逃げた。まだ馬淵にやられた怪我は完治していない。ウイスキー1杯で出来る限りの時間を稼ぐことができた。普段は苦手な冷たい空気が心地よい。せっかくだからサバイバーからいちばん近いコンビニまで歩いていこうかと思案していたところで、ハッスル用品店の方からハン・ジュンギがやってきた。
いつの間に抜け出していたのだろう。足立さんに捕まっていたはずがどうやって抜け出してきたのか。機会があったら聞いてみよう。そんな彼は、少し難しい顔をしてスマートフォンをいじりながら歩いている。
「夜の歩きスマホは危ないよぉ?」
できるだけ好意的に声をかける。どうしてもこれまでの仕事の関係上、彼が上下関係を意識していることは明白だ。横浜流氓総帥を降りて勇者御一行に合流したのだから、歩み寄りたいと考えてはいた。ハン・ジュンギは眼だけをこちらに向けて、すぐに手元に戻す。
「そちらこそ、夜の一人歩きは危ないですよ?」
俺には眼もくれず、立ち止まることなくサバイバーへと戻っていった。
そうくるか。肩書が無くなるというのは、こうも変わるものなのか。彼は一応任務中だ。春日一番とソンヒの連絡役。おそらくそれと並行して別の仕事を進めている。先日の火災でコミジュルのシステムが使えなくなった中、難航しているのかもしれない。
あれから10日ほど経った。お前は甘いだの、温いだの散々な目に遭った夜の記憶は鮮明で、やっぱり俺は人を見る目がないのかなと少し落ち込んだ。少し歩きたくなったので、タクシーの横を通りすぎて福徳町のコンビニまで歩くことにした。
***
リクエストのロールケーキとポテチ。そして酒は買わずに小さめのカップアイスを適当に人数分。サバイバーに戻った頃には騒がしかった1階は真っ暗で、2階の部屋のカーテンは開けっ放しで煌々と輝いていた。
「ちょうど少し静かになったところだ。お前さんついてるな」
裏口にはマスターが立っていた。これから帰宅するようだ。もう時間もてっぺんをすぎていた。もしかしたら俺を待っていてくれたのかもしれない。
「ありがとね、マスター。これお礼になるか分かんないけど」
そう言って、マスターに温かい缶コーヒーと肉まんを渡す。
「おっ、ちょうど小腹が空いてたんだ。ありがとよ趙、いただたいとくぜ。全く、こうゆう気遣いがねぇんだよなあいつらは」
2階を見上げてマスターは苦笑した。
「まぁ、ごゆっくり」
痛めていた方の肩を軽く叩かれて、思わず声が出る。
「戸締まり頼んだぜ~」とマスターはタクシーに乗って帰っていった。そういえばハン・ジュンギが、ここにバーがあるのは知らなかったと言っていた気がする。そこの監視カメラの映像をモニターで見たこ記憶はあるから、全く知らないというのも不思議だ。コミジュルでも素性がよく分からないマスターだが、少なくとも元は俺たち側の人間なのだろう。
裏口のカギをかけ、階段を上がる。逃げたときの雰囲気から、騒がしい二次会を想像していた。やけに静かだ。
2階部屋の出入口を開けたと同時に「こいつら本当に酒弱いわよねぇ~」
「社長、見た目だけはお酒強そうなんですけどね~」と向田紗栄子と鎌滝えりが談笑している姿が見えた。
いつもは開けっ放しのガラスの引戸越しに中の様子が見える。視界に入った光景から、マスターの『お前さんついてるな』の意味を一瞬で理解した。卓袱台の上はビールとストロング系のロング缶埋められ、何本か瓶も見える。おそるおそる引戸を開けると、足元に4合瓶が数本倒されていた。言葉がでない。
戸の音と冷たい空気で気がついたのか、女性二人が振り向いた。
「趙さん、おかえりなさい」
「待ってました!やっぱりお酒の後はスイーツよね~」
ね~!と喜ぶ姿の奥には、おっさんが3人突っ伏している。ナンバは上着のまま布団に転がされ、足立さんは押入れの前で大の字、春日くんはエアコンの下で大の字だ。
「遅くなってごめんね~。アイス選んでたら遅くなっちゃった」
何とか言葉を絞りだし、袋の中身を広げるとエリちゃんが目を丸くした。
「紗栄子さん、大変ですよ!ダッツです!!」
「さすが総帥!女心が分かってるじゃないの~。私バニラ!いや、やっぱりマカダミア?」
さっちゃんは、ロールケーキを片手にアイスを選んでいる。二人に袋を渡して、戸を閉めた。寒いのは苦手だ。
「え~っとそれで、飲み比べ対決は2対4で二人の勝ちってこと?」
「いえいえ、ハン・ジュンギさんは不参加ですので、2対3です!」
「そ。ハンちゃんったらいつの間にか出ていって、気がついたら戻ってきて『私は眠いので寝ます』って。ノリの悪いイケメンよね~」
二人の視線の先。部屋の右側、座布団が積まれていたスペースには丸まった布団がある。布団からはみ出している髪の色は勇者御一行には一人しかいない。
「ハンちゃん、起きて起きて。趙がアイス買ってきてくれたよ~」と紗栄子がゆすっても反応がない。さっきすれ違った様子を思い出す。どうやら本当に疲れているようだ。布団に丸まって顔まで潜ってダンゴムシのようになっている殺し屋に気安くハンちゃんと呼び掛けるカタギの女たち。中々にシュールな光景だ。
「あばばばば。ちょっと紗栄子さん!さすがのハン・ジュンギさんも怒りますよ」
「でも起こさなかったら『ダッツを選ぶときに何で起こしてくれなかったんですか!?』ってもっと面倒くさいことになる気がしない?」
「……ハンくんって、スイーツ絡むとそんな感じなの?」
「そうよ。趙は知らないのね」
知らないなぁ、それは。何も言わずに布団を見下ろす。本当に寝ているのか無視を決め込んでいるのか分からない。彼の頭は壁側に向いており、しっかりコンセントを確保して自分のスマホを充電している。強かな奴だとは知ってはいたが、限られたコンセントを独占するメンタルは中々のものである。
「じゃあ今起こさなくてもいいんじゃない?俺ちょっとそれ見てみたいし」
「そうですよ。寝起きのハン・ジュンギさんの方が面倒くさいじゃないですか」
そうなのか。
「それもそうね」
そうなんだ。
「私たちももう寝るわ。趙、アイスとスイーツありがと」
「残りのダッツは冷凍庫に入れておくので、趙さんは後片付けよろしくお願いいたします!」
「OK。任された」
二人は三階に続く扉の前で手を振った。トントントンと階段を上る不規則な音を見送って、部屋に向き直る。卓袱台を埋め尽くす空き缶、出入口付近に倒された空き瓶、全開のカーテンに酔いつぶれたおっさんが3人。そして起きる気配の無いダンゴムシ。仮にも自分の歓迎会で、宴の始末をする側になるとは。昨日から、初めての事ばかりだ。