ちょはん 知り合いの知り合い編② ブリーチジャパン神奈川県支部兼久米そうた候補選挙事務所。その事務所の中は春日くんたちの言う通りもぬけの殻、と言うに相応しい状態だった。選挙期間が始まって、まだ3日目。なのに電話活動の痕跡すら見当たらない。あいつらは本当にブリーチジャパンの支持者の力だけで当選するつもりなのだろうか。日本の選挙にそこまで明るくはないが、普通は朝から晩まで人海戦術で支持者に「応援よろしくお願いします」と電話を掛けるものではないのだろうか。そこまで、自分たちの勝利に自信があるのか、本当の活動拠点は別の場所なのか実態はよく分からないままだ。
いつかニュース番組でみたような祭壇が設けられている。野党の推薦候補もいなかったことだし、初めから勝った気で居るのだろう。飛ぶ鳥を落とす勢いの青木幹事長の古巣に加え、韓国人不法占拠集団抗議活動に伴うブリーチジャパン代表小笠原の事故死。青木遼はヤクザよりヤクザらしく立場と命を上手く使う。星野会長まで崩され、いよいよ打てる手が限られてきたところで『夜にコミジュルに来い』か。これでも表向きは普通の選挙なのだと気づき、薄気味悪さを覚えた。
「一応聞くけど、ソンヒから何か聞いてる?」
そう隣の男に問かければ、いえ何もと小さくかぶりを振った。いつもより更に顔色が悪い。適当なパイプ椅子に座らせ、ちょっとごめんよと一声かけて首と手首の脈をとる。彼は一瞬身を固くしたが、すぐに意図を察してくれたのか、すみませんと唇だけで返事をした。脈が早い。
「息、吐けるだけ吐いて。ゆっくり」
素直に息を吐くが、すぐに咳き込む。呼吸が浅く荒い。横にしてやりたいがこの部屋にソファーは見当たらない。さすがに支部と銘打っているのだから、応接セットくらいはあるはずだ。
「まだ座っていられる」
脈を取った手を動かして親指で彼の目の下に触れた。下瞼はやや白い。何も言わず、小さくうなづいた彼の額にはうっすら汗が滲んでいた。
「OK。ちょっと隣の部屋見てくる」
一旦その場を離れ、隣の部屋を覗く。そこには、シンプルな部屋に似つかわしい基本的な応接セットが置かれていた。横になるだけならできそうだ。すぐに彼を移動させたい。
開け放しの扉の先では彼は両手で顔を覆って項垂れている。あそこまで打ちのめされている様子は見たことがなかったし、参謀の立場上、第三者に見られるのは好ましくない姿だ。不用意に驚かせないよう、努めてゆっくりと近づく。
「ハンくん、隣の部屋でソファー見つけたよ。立てそう」
声をかけても、彼は微動だにしない。
「ちょっとごめんよ、っと」
と、右手を背後に回してコートの下に手を入れガンベルトではない方に手を掛けた。ぐい、と持ち上げ椅子から立ち上がらせる。こういう時の身体の預け方はさすがに心得があるらしく、俺の左肩を支えにして身を起こす。強く押された肩にピリッと小さな電気が走ったが無視した。
「大丈夫。立てます」
俺は右手をそのままに、肩を貸す。
「強がっちゃってさ〜。趙お兄さんに任せなさ〜い」
「じゃあお言葉に甘えましょうか」
その声にはいつもの張りは無い。数歩移動して開けたままの扉を通った先のソファに座らせる。狭いが上体はだけなら横にできそうだ。ハンくんがコートに手をかける。
「コートそのままで良くない」
「いや、横になるにはさすがに。腰のガンベルトが邪魔で」
ゆっくり開かれたコートの下は腰以外にも道具が備え付けられている。おもむろにコートを突き出され反射的に受け取ると、見た目以上の質量に落としかけた。
「やけに丈夫なコートだよねこれ。どこで買ってんの?」
これだけ武器と道具を詰めても破れそうもない。ゴトリと思い金属の音が響いた。腰の二丁拳銃が床に雑に落とされる。左脇のホルダーはそのままでハンジュンギは身体を横たえた。
「ここにはどれくらいいられそうですか?」
「誰も戻ってこないと思うよ。いっその事、春日くんに呼ばれるまで居座っててもいい」
一人掛けのソファーに座ってスマホを取り出した。警察が来る前に表に倒れている近江連合の奴らを回収しておきたい。端的に回収屋にメッセージを送信すると同時に既読となった。
「さすがに1時間ほどで戻りましょう。サバイバーの方が安心して休めますので」
「それは同感。ここよりはずっとマシだね」
俺の言葉を聞いて、彼はまだ血色が戻らない顔でうっすらと笑った。