爆弾発言 その爆弾が落とされたのは実に突然だった。
「ねぇKKさん。お兄ちゃんのこと、いつもらってくれます?」
「っっっ????!!」
口に含んでいたコーヒーを吹き出さなかったことをほめられるべきだろうとKKは混乱する頭で思った。
******************
時刻は昼下がり。残暑がしつこく太陽の光となって騒がしい頃。アジトでは絶賛古めかしいエアコンが仕事に励んでいる。
あの渋谷を、東京を巻き込んだ事件からすでに一年がたとうとしている。あの事件に巻き込まれたメンバーは、なぜか全員無事に戻ってこれていた。
アジトで目覚めどういうことだと混乱するKKに、「がんばったご褒美とでも思うしかないかしらね」とつぶやいたのは同じくアジトに戻されていた凛子だ。
結局『事件は無事解決した、しかし謎は多く残る』ということで、そのまま後始末もかねアジトとメンバーは解散することなく続いていた。少し変わったことと言えば、伊月兄妹が出入りするようになったことだろう。
暁人は目が覚めると、事故ったはずのバイクにまたがって病院の前にいたらしい。戸惑いつつも何か手がかりはとスマホを見れば事件直前に受けた病院からの連絡もそのまま残っていて、祈るような気持ちで病室に駆け込めば、麻里の意識が戻っていたという。
麻里の無事を確かめた後、もしかしたらとアジトにも突入をかけ、混乱するKK達と初めて生身で顔を合わせたのだった。
そのまま当たり前のように、暁人と麻里はメンバーに馴染んでしまった。
本来なら伊月兄妹はこんな業界に足をつっこむことなく日常に戻るべきであった、なんなら今からでも戻ってほしいというKKの願いを、二人は頑として聞かない。まったくもって似たもの兄妹である。おっとりしてそうで自分の意見を譲らないあたり、血なのかもしれない。
実際、あの事件の影響なのか家系的なものなのか(もしくは両方か)伊月兄妹がエーテル適合者として目覚めてしまったという事実もあり、そのまま放置する方が危険だという結論が出てしまったので、今や暁人は名実ともにKKの弟子であり助手であり相棒だ。
そう、【相棒】なのだ。
******************
ごくりと、含んだままだったコーヒーを嚥下する。今までよりも苦く感じるのは気まずさのせいか。
現在アジトにはKKと麻里の二人しかいない。たまたま全員が出払っていた。だから、逃げ場がない。
爆弾発言をかました娘は、じとーっとこちらをにらんだままだ。かわいらしい顔が台無しだからやめろと注意しかかり、今時の女子高生にそのセリフはセクハラかと思い直す。
「……やるだのもらうだの、オマエの兄貴は犬猫じゃないだろうが」
「私がそういう意味で言ってないって、わかってるんでしょKKさん」
どうにか平静ぶって答えたそれを、麻里は瞬時に一蹴する。子どもだと思ってごまかさないで! と唇をとがらす姿は猫が機嫌を損ねた様にも似ているし、少し兄である暁人の面影も見えた。……だからKKは、この娘を邪険に出来ない。
「KKさんが知ってるかわからないけど、お兄ちゃんもてるんですよ」
「……だろうな」
暁人は元々、整った顔をしている。派手な顔立ちではないが、睫毛で影が出来る瞳、通った鼻筋、形の良い唇、そんなパーツ一つ一つがバランス良く配置されているのだ。整いすぎてて真顔だと仮面や人形のように見えるほどである。
ただあの青年の生来の善性、穏やかで包み込むような雰囲気が表情にのると、それが一気に変わる。冴えた月のような面に、夜明けのような温もりが重なるのだ。冬と春が同居してるようなあれは、絶妙なバランスで伊月暁人という人間に魅力を与えていた。
しかも、暁人は言葉は悪いが女慣れしている。それはもちろん遊んでいたとかではない。妹がいることで女性に対して変な夢を抱いておらず、それにプラスして育ちの良さか苦労した故か、変な下心や偏見がないままごく自然体で接しているのだ。
これでもてないはずがないだろう。あの夜にいたっては人間どころか動物や妖怪たちまで骨抜きにしたあれは、間違いなく『たらし』である。本人に自覚はないだろうが。
今更の前の話だとそっけなく返してやれば、麻里はぷるぷると首を振って見せた。
「違うの! 確かにお兄ちゃんは元々女の子にもててたけど、そうじゃないんですってば!」
「おうおう、犬猫と妖怪にもモテてやがるわな」
「そうですけどぉ!」
そこは認めるのか。
暁人も事件のこともあってか麻里を過保護気味に可愛がっているが、たいがい妹の方も兄に愛があふれている。時々暴走気味でがあるが。
その様子が微笑ましく、事件が解決したからこその光景だなとしみじみする。そこに麻里から追撃が入った。
「そうじゃなくて――お兄ちゃん最近男の人にももててるんですってば!」
「――はぁ?!」
思わず声が裏返る。
男にもててる?
「誰が」
「だからお兄ちゃんがです」
「は……オマエ、そりゃ」
咄嗟に胸によぎったのは『面白くない』という感情だ。誰の許可を得てあれに近づこうというのだという、あまりに一方的で身勝手な言い分。
確かにあの雨が降りしきる夜は二人は一つで誰よりも近かった。その右手は暁人のものでありながら、自分の仮宿でもあった。
だが今や暁人は暁人自身のもので、誰と親しくしようと自分には関係ないのだ。恋人の一人や二人出来たところで何の問題もないはずだ。
そう思うのに、言葉が続かない。ひりついたような感覚に、そっと喉をなでた。
黙り込んでしまったKKの横にぱたぱたと軽い足音をたてて麻里がくる。くいっと、袖を引かれた。どこか焦燥感を感じるような瞳に、この娘も兄をとられると焦ってるのだろうか……と思ったその瞬間だった。
「ねえKKさんっ、お兄ちゃん寝取られちゃったらどーするのーーーっ?!」
「はぁ???!」
本日二回目の、さらにでかい「はぁ?!」が飛び出ても、いたしかたないことだろう、うん。
******************
とんでもない発言が、小さな唇からまろびでたのが信じられない。
「麻里オマエ……若い娘がなんてセリフをはきやがる……」
「だ、だってぇ……」
最近なんか、やたらとお兄ちゃんにつきまとってる人がいるんだもん。お兄ちゃんそういうところ鈍いから心配で。KKさんがいるからって思うけど、押しに弱いとこあるし。そうなったらもうさっさとKKさんに名実ともにもらってもらうしかないと思って。お兄ちゃんの隣に立つのは私が認めた人じゃないと許さないんだから……!
滔々と。目の前の少女は語り続ける。
「――ちょっ、ちょっと待てっっ!!」
「??」
立て板に水という言葉がぴったりのその姿に、どうにか待ったをかける。小首を傾げる様子はあざといと言ってもいい。元々兄と同じく整った顔をしているのだこの娘は。
「色々つっこみたいことはあるが……まず、オレがいるから、ってなんだ」
頭が痛い。片手で額をおさえつつ、もう片手を麻里に向ければ、彼女は心底不思議そうに言った。
「? だってKKさんとお兄ちゃん付き合ってますよね?」
「ねえよ?!」
なんでそうなる??!!
二周りも違う、しかも男同士二人に出てくる発想とは思えないそれにかぶせ気味に叫べば、先ほどから爆弾発言ばかりする少女は「えー……付き合って、ない??」と納得いかないとばかりにぶうたれる。
「だっていっつも一緒にいるし」
「そりゃ、仕事柄そうなるだろ。二人で組む仕事も多いしな」
「二人とも、いっつもあんなに距離近いし」
「……悪かったな、どうにもあの夜の癖が抜けねえんだよ」
「お兄ちゃん、通い妻みたいにKKさんのおうちに行ってかいがいしくお世話してるし」
「かよっ……あれだ、住み込みの門弟みたいなもんだろうが。相棒で弟子だからな」
指を折りながらあれやこれやとあげられる理由を一つずつ潰してゆく。勘弁してくれ……というこちらの気持ちが顔に出たか出ないかはわからないが、麻里はずっと「気にくわない」という感情をありありとその顔にのせたままだ。
もう一度「付き合ってない……」と不服そうにつぶやいた後、すっと表情を真顔に戻し兄によく似た澄んだ瞳でこう言った。
「じゃあなんで、KKさんお兄ちゃんがもててるって話にあんなに機嫌悪そうな顔したの?」
******************
そのセリフは、どんなものよりも真っ直ぐ、KKの胸に刺さった。
ごくりと、無意識に唾を飲む。
なんで。
――それは、面白くないからだ。
知らず無理矢理沈めた気持ちが、もう一度浮かぶあがってくる。明確に、想いを形作ってしまう。
彼女を作って、結婚して、子どもの一人や二人生まれて幸せに暮らす。それがあの子どもには似合っている。
お世辞にも平穏とは言えない日々を送り、とどめにあんな事件に巻き込まれ、今もこんな業界で生きる暁人には、せめて普通の幸せを手にしてほしい。それはKKの本音だ。
でも同時に思ってしまった。
――そんなどこの馬の骨ともわからぬ男に奪われるぐらいなら。
この手の中に引き寄せてなにが悪いんだ、と――。
男にもててると聞いてから、頭にちらつくのは見知らぬ男にかき抱かれて幸せそうに笑う暁人の姿だ。
――許せないと思った。
それは自分のものだ。渡さない。この腕の中にいればいい。その全てを暴いて自分だけのものにしたい――。
そうだ、この想いはずっとKKの中にあった。いつからなのか、正確なことはもうわからない。ずっと蓋をして気づかないようにしていたからだ。
戦いの中、KKに寄り添いすくい上げてくれた息子ほど年の離れた青年は、KKにとって唯一無二で手放せない存在になった。
だがこんな醜い執着を暁人に知られたくなかった。劣情すら含むこの感情の高ぶりを、どうしてあのきれいな若者にぶつけられるだろうか。
二心一体だったあの夜、二人の想いは重なっていたように思う。お互いが必要で、ぴたりと重なる心が何よりも心地よくて。全てを理解し合えたわけではないが、暁人もまた、KKを憎からず思ってくれていたことは伝わっている。
それでも二つにわかたれてしまった今、自分と違い暁人はまだ若い。これから出会う人も、選ぶ未来も幾多の可能性があるだろう。
だからどんな形でも、側で青年の幸せになる姿を見守れたらいいと、そう思っていた。
弟子で、助手で、相棒で。
それでいいと、思っていたのだ。
――すでに過去形になってしまったけれど。
******************
「麻里オマエ……こんなおっさんが兄貴の相手でいいのかよ」
すべてを吐き出すように言ったそのセリフは、どこか頼りなく、ささやくようなものになってしまった。
恐る恐る見上げた麻里は、先ほどまでの興奮が嘘のようにうっそりと、ひどくきれいな顔で微笑んでいた。
「だってお兄ちゃんは、KKさんが大好きだから」
だから、大事にしてくれないと怒りますよ。
ころがる鈴のような声で忠告してくる彼女に思わず「おっかねぇ奴……」と声が漏れる。
「もう、失礼ですね」
はーっと、地の底に届くような息を吐く。それを麻里はどこか楽しそうに見つめていた。
こんな小娘に全て見抜かれていて、しかも発破までかけられたのかと思うと情けない。が、幸か不幸かそのおかげで心は決まってしまった。
パン! と両の手で己の頬をはたく。
「おい麻里――オマエの兄貴、もらうぞ」
睨みつけるようにして言った宣言を、麻里は怯えるそぶりも見せずにこう返した。
「お兄ちゃんのこと泣かせたら、凛子さんに言いつけますね」
「オマエそりゃずりぃだろ……」
後日、さらに距離の近くなった師弟の姿があったとかなかったとか。
なんにせよ、麻里はとてもご機嫌な様子であったことも、ここに記しておこう。